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水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第四十六話 三ローテ


 春高東京都予選、決勝。


 ネットの向こうに並ぶ紫峰の選手たちを見ながら、千尋はベンチで膝の上に手を置いていた。


 全国への切符そのものは、もう手にしている。


 それでも、この試合がどうでもいいものになるはずはなかった。


 東京1位で全国へ行くのか、それとも2位で行くのか。何より、相手は紫峰だった。


「1本!」


 凜の声がコートに響く。


 試合が始まったばかりの頃、凜はいつもの凜に見えた。


 サーブを受ければすぐにレフトへ開き、怜奈先輩のトスに合わせて助走へ入る。2枚ブロックがついても構わず腕を振り抜き、拾われればまた次を要求する。


「もってこーい!」


 声も、跳び方も変わらない。


 けれど、紫峰の方は最初からやることを決めていた。


 サーブがまた凜へ飛んだ。


 強烈なジャンプサーブだけではない。前へ短く落としたかと思えば、次はエンドライン際まで伸ばしてくる。身体の正面、美緒との間、沙耶先輩との間。場所は少しずつ変わるのに、最後に触らされるのは凜であることが多かった。


 そして凜は、サーブを受けた直後に攻撃へ入らなければならない。


 1本目を触って、下がって、助走を取って、跳ぶ。


 また1本目を触って、また打つ。


 何度か繰り返すうちに、私にも紫峰の狙いが見えてきた。


 サービスエースを取ることが一番の目的ではない。


 凜に取らせ続けることそのものが目的なのだ。


 もちろん、凜は簡単には崩れなかった。


 最初のうちはきっちりセッターへ返していたし、少しパスが乱れても、自分で助走を作り直して打っていた。


 でも、ほんの少しずつ変わっていく。


 綺麗に上がっていたレシーブがネットから離れ始める。助走に入る時間が足りなくなり、普段なら最後まで強く振り切る球でブロックを利用する場面が増えた。


 それ自体は悪い選択ではない。


 むしろ凜はちゃんと考えて、苦しいなりに点を取ろうとしている。


 だからこそ、私には分かった。


 削られている。


 少しずつ。


 紫峰のサーバーが、また凜を見た。


 次のサーブは身体の近くへ鋭く入る。


「凜!」


「はい!」


 凜は腕を大きく振らず、面だけを作って返した。


 少し短い。


 怜奈先輩が走って追いつく。


 トスはレフトへ上がった。


 凜もすぐに下がって助走へ入ったが、いつものような長さは取れていない。


 2枚ブロック。


 打球は拾われ、切り返した紫峰がレフトから打ち切った。


 笛が鳴る。


 10対14。


「ドンマイ!」


 凜はすぐに声を出した。


 まだ声は出ている。


 けれど自分の位置へ戻る途中、一度だけ大きく息を吐いたのを、私は見逃さなかった。


 紫峰は容赦なく続けた。


 短いサーブで前へ走らせ、次は深く押し込む。凜が1本目を触るたび、青嵐はそこから凜を攻撃へ戻さなければならない。


 青嵐も沙耶先輩や皐月先輩を使って点を返したが、なかなか差は縮まらない。


 12対16。


 凜がネット際で一瞬だけ膝に手をつき、すぐに身体を起こした。


「水瀬」


 その時、深見先生の声がした。


「はい!」


 私は反射的に立ち上がった。


「次、神崎と」


「はい」


 青嵐が1点を返し、13対16。


 ローテーションが回るところで交代の合図が出た。


 サーブ位置へ向かおうとしていた凜が振り返る。


「凜」


 私はコートへ入りながら声を掛けた。


「ごめ――」


「3ローテ休んで」


 凜が言い終わるより先に、私は遮った。


「え?」


「前衛戻ったら、バンバン決めて」


「でも私――」


「今ずっと、レシーブして、走って、打って、またレシーブしてるじゃん」


「……うん」


「じゃあ後ろ、私がやる」


 私はサーバーへ渡されたボールを受け取った。


「凜は前で点取って」


 凜は少しだけ黙った。


 それから、ようやくいつもの調子で笑った。


「分かった!」


     ◇


 私の最初の仕事はサーブだった。


 13対16。


 紫峰の並びを確認し、狙う場所を決める。


 強打で抜くより、まずは1本目を崩したい。


 トスを上げ、助走に入り、打つ。


 紫峰のレシーブは少しネットから離れ、高いトスがレフトへ上がった。青嵐の2枚ブロックが間に合い、ワンタッチを美緒が拾う。


 切り返し。


 怜奈先輩が沙耶先輩へ上げた。


 決まる。


 14対16。


「ナイスサーブ、千尋!」


「はい!」


 もう1本。


 今度は紫峰がきっちり返し、速攻で切った。


 14対17。


 サーブ権が紫峰へ移る。


 私が後衛右へ入ると、ネットの向こうのサーバーが一度こちらを見た。


 次の瞬間、ボールがまっすぐ飛んできた。


「千尋!」


「はい!」


 当然だった。


 凜がいなくなったのなら、今度はその代わりに入った自分を狙えばいい。


 私は腰を落とし、身体の正面で受けた。


 強い。


 腕が押される。


 Aパスにはならなかったが、怜奈先輩が十分追える高さでは残した。


「ナイス、千尋!」


 怜奈先輩が走る。


 沙耶先輩へ高く上げ、紫峰の2枚ブロックを相手にラリーが続いた。


 紫峰は私にも楽をさせなかった。


 サーブを集めるだけではなく、ラリーになれば私の守る周辺へボールを落としてくる。


 1球、腕の外へ弾いた。


「ごめん!」


「次!」


 美緒の声がすぐに飛んでくる。


 次の1本は2人の間へ。


「私!」


 私が先に入った。


 ネットから少し離れたものの、怜奈先輩が中央も使える高さに返る。


 皐月先輩の速攻。


 決まる。


 15対17。


 私は後衛中央へ回った。


 青嵐のサーブを紫峰に切られ、15対18。


 再びサーブ権が紫峰へ移る。


 紫峰のサーブはまたこちらを向く。


 完璧に返す必要はない。


 凜の代わりに全部決める必要もない。


 凜がいない3つのローテーションを、青嵐が崩れずに回せばいい。


 サーブを受ける。


 スパイクを拾う。


 少し崩れても、次の攻撃が残る場所へ上げる。


 それだけで、凜はベンチに座ったまま息を整えられる。


 そして、もし余裕があれば。


「千尋!」


 怜奈先輩の声が飛んだ。


 私は後ろから助走へ入り、3mラインの後ろで踏み切った。


 紫峰のブロックは前衛の攻撃手を見ている。


 そこへ少し高めのバックアタック。


「はい!」


 強打で抜けるほどではない。


 ブロックの指先にも触られた。


 それでもボールは紫峰コートの奥へ落ちた。


 16対18。


「ナイス!」


 着地した私は、そのまますぐ守備位置へ戻った。


 今、自分に必要なのは凜になることではない。


 凜が前に戻るまで、凜がいなくても青嵐を弱くしすぎないことだ。


 そこから青嵐は少しずつ差を詰めた。


 紫峰の返球を沙耶先輩がブロックに当て、美緒が拾う。次は皐月先輩が中央から決める。


 さらに次のラリーでは、瑞穂先輩がライトから打ち切った。


 18対18。


 紫峰がタイムアウトを取った。


     ◇


 ベンチへ戻ると、深見先生が私を呼んだ。


「水瀬」


「はい」


「よく残した」


「はい!」


 それだけだった。


 でも、私には意味が分かった。


 綺麗に返した、ではない。


 決めた、でもない。


 残した。


 次に攻撃できる形を。


 ラリーを。


 凜が休める時間を。


 タオルで額を拭きながら隣を見ると、凜の呼吸はだいぶ落ち着いていた。


「どう?」


「もう行ける!」


「まだ」


「えー!」


「あとちょっと」


「もうめっちゃ打てるのに!」


「前衛まで待って」


 凜が不満そうに頬を膨らませる。


 その顔を見て、私は少し笑った。


 さっきまでより、ずっといい。


     ◇


 タイムアウトが明けても、紫峰は簡単には流れを渡さなかった。


 紫峰が1本を切って18対19。


 青嵐もすぐサイドアウトを取り、19対19。


 そこで私が前衛へ回る。


 交代の合図が出た。


「凜!」


「待ってました!」


 凜が勢いよく立ち上がった。


 私はコートを出る。


 すれ違う瞬間、凜が差し出した手を叩いた。


「お願い」


「任せて!」


 凜が前衛左へ入る。


 次の切り返し。


 怜奈先輩にボールが返ると、凜は大きくレフトへ開いた。


「もってこーい!!」


 声がさっきまでより大きい。


 怜奈先輩が上げる。


 十分な助走を取った凜は高く跳び、そのまま最後まで腕を振り抜いた。


 重い打球が、2枚ブロックの間を一気に抜けていく。


 20対19。


「よっしゃあ!!」


 凜が吠える。


 私もベンチで拳を握った。


 休ませた意味があった。


 それが何より嬉しかった。


 けれど、紫峰はそこで崩れない。


 20対20。


 青嵐が沙耶先輩で取り返し、21対20。


 また紫峰が追いつく。


 凜が決めて22対21。


 それでも、また並ぶ。


 22対22。


 凜の打点は明らかに戻っていた。


 その代わり、紫峰は序盤のように凜だけを狙い続けなくなった。


 美緒との間。


 沙耶先輩の前。


 青嵐が凜を守るために少し広く構えた、その境目。


 こちらが変われば、相手も変わる。


 私はベンチから見ていて、改めて思った。


 やっぱり強い。


 22対23で紫峰。


 沙耶先輩がブロックアウトを取って、23対23。


 しかし紫峰も次の攻撃を決め、23対24。


 セットポイント。


「1本!」


 沙耶先輩の声が響く。


 凜もすぐ続いた。


「1本!」


 紫峰のサーブは、もう凜だけを見ていなかった。


 美緒と沙耶先輩の間へ鋭く入る。


「美緒!」


「はい!」


 美緒が飛び込み、少しネットから離れた位置へ上げる。


 怜奈先輩が追いついた。


 前には皐月先輩も、瑞穂先輩も、沙耶先輩もいる。


 それでも怜奈先輩が選んだのは凜だった。


「凜!」


「はい!」


 2枚ブロック。


 凜はしっかり助走を取り、ブロックの外側の指を狙って振り切った。


 ボールが弾かれ、コート外へ飛ぶ。


 24対24。


 デュース。


「っしゃあ!」


 凜の声と同時に、会場が大きく沸いた。


 次の1本。


 紫峰の攻撃を美緒が拾い、怜奈先輩へ返す。


 相手ブロックが凜と沙耶先輩へ少し広がった。


 その中央。


「皐月!」


「はい!」


 速攻が床へ叩きつけられた。


 25対24。


 今度は青嵐のセットポイント。


「1本取ろう!」


 綾香先輩の声に、私も手を叩いた。


「1本!」


 取れる。


 そう思った。


 けれど紫峰は慌てなかった。


 青嵐のサーブを綺麗に返し、速い攻撃をブロックの外から打ち抜く。


 25対25。


 また並んだ。


 紫峰のサーバーがボールを持つ。


 青嵐の後衛は、凜を1人で受けさせないように少し広く構えている。


 1セットを通して作ってきた形だった。


 紫峰はそれも見ていた。


 サーブは凜ではなく、美緒と隣のレシーバーの間へ飛ぶ。


「私!」


「はい!」


 声が重なった。


 ほんの一瞬だけ、入りが遅れた。


 ボールは上がったが、ネットから大きく離れる。


 怜奈先輩が追い、沙耶先輩へ高く上げる。


 3枚ブロック。


 沙耶先輩の打球を紫峰が拾った。


 切り返しから速攻。


 青嵐のブロックには触れたものの、そのまま床へ落ちる。


 25対26。


 再び紫峰のセットポイント。


「まだ!」


 凜が声を出す。


 私もベンチから続いた。


「1本!」


 紫峰のサーブ。


 今度は美緒がきっちり上げる。


 怜奈先輩のトスは凜へ。


「もってこーい!!」


 凜の強打を紫峰が拾った。


 返ってきたボールを今度は沙耶先輩が叩く。それも落ちない。


 何度目かの切り返しで、紫峰のセッターがレフトへ振った。青嵐の2枚ブロックも追いつき、打球はその指先をかすめて後方へ跳ねる。


「ワンタッチ!」


 美緒が走った。


 腕を伸ばす。


 あと少し。


 届かなかった。


 笛が鳴った。


 25対27。


 第1セット、紫峰。


     ◇


 紫峰側から歓声が上がる。


 私はベンチでゆっくり息を吐いた。


 悔しい。


 私が入って追いついた。


 凜も戻ってきた。


 青嵐が一度はセットポイントまで取った。


 それでも最後は、紫峰だった。


 コートから戻ってきた凜がタオルを受け取り、そのまま私の隣へ座った。


 しばらく何も言わない。


 やがて、ぽつりと声が落ちた。


「……ごめん」


 私は凜を見る。


「何が?」


「最初。私、めっちゃ狙われて、崩れた」


「うん。ちょっとね」


「ちょっとって言うなよー……」


 凜は顔をしかめたが、すぐには笑わなかった。


「セットも取られたし」


「六人で取られたじゃん」


「え?」


「凜1人で負けたわけじゃないでしょ」


 凜が黙る。


 私はネットの向こうを見た。


 紫峰の選手たちは、もう次のセットの準備に入っている。


「それに、戻ってからめちゃくちゃ決めてたし」


「……うん」


「だから次は、崩れてから替わるんじゃなくて、崩れる前に替わろう」


 凜が目を瞬いた。


「紫峰、たぶん次も凜を狙うよ」


「だろうね」


「だったら最初から、後ろ3ローテ分ければいいじゃん」


 私は自分の11番を指でつまんだ。


「私が後ろやる。凜は前でバンバン決める」


 凜はしばらく私を見たあと、にっと笑った。


「それ、私だけ楽してない?」


「役割分担です」


「ほんとに?」


「六人で強い方が勝つんでしょ?」


 凜が一瞬だけ目を丸くした。


 それから、今度こそいつもの顔で笑う。


「じゃあ前、任せて」


「うん」


「全部決める」


「全部は無理じゃない?」


「そこは乗ってよ!」


 私も笑った。


 その時、深見先生の声が飛ぶ。


「集合」


 2人は同時に立ち上がった。


 第1セットは取られた。


 それでも、やれることは見えた。


 次は、崩されてから助けに入るのではない。


 最初から分ける。


 凜が一番強い場所と、自分が引き受けられる場所を。


 私は凜と並んで、青嵐の輪の中へ入った。


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