↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/69

第四十五話 勝ってこい


 嬉しいよりも、悔しかった。


 伊織が12番のユニフォームを受け取った瞬間も、その気持ちは変わらなかった。


 もちろん、嬉しくないわけではない。


 あの1年生が、ここまで来た。


 高校へ上がってきたばかりの頃から、怜奈ではなく自分を見ていた。


『取るなら、まず楓先輩のところ』


 真正面から、そんなことを言ってきた。


 生意気な1年生だと思った。


 でも嫌いではなかった。


 むしろ、面白かった。


 だから今日、宣言通りに場所を取った伊織を見て、誇らしい気持ちは確かにあった。


 それでも。


 悔しい。


 その方がずっと大きかった。


 だから伊織があんな顔で12番を抱えているのを見た時、楓は笑った。


 泣くものかと思った。


 少なくとも、後輩の前では。


 自分から場所を奪った後輩に、申し訳なさそうな顔なんてさせたくなかった。


 勝ったのだから、胸を張ればいい。


 楓は伊織の口を指でむにっと摘まみ、


「私の場所、宣言通りに獲ったんだ。点数、稼いで来い」


 そう言った。


 伊織がようやく大きな声で「はい!」と返した時には、本当に嬉しかった。


 だから。


 それでいい。


 それでいいはずだった。


     ◇


 練習が終わり、体育館を出たところで、楓は一度だけ大きく息を吐いた。


 まだ泣かない。


 3年生は周りにいる。


 1年生だって廊下を行き来している。


 ここで泣くのは嫌だった。


 バッグを肩に掛け、そのまま部室へ向かう。


 扉を閉めた時、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。


 誰もいない。


 楓は椅子へ腰を下ろした。


 自分の手を見る。


 何百回、何千回とトスを上げてきた手。


 高校1年の時には、春高のコートにも立った。


 自分が青嵐のセッターになるのだと思っていた。


 でも、その次の春。


 怜奈が上がってきた。


 見れば分かった。


 上手かった。


 悔しいくらいに。


 自分より一つ下なのに、怜奈が上げると、コートにいる全員が生きた。


 今打てる選手へ、今一番いい形でボールが届く。


 気づけば、レギュラーは怜奈になっていた。


 あの時も泣いた。


 誰もいないところで、嫌になるくらい泣いた。


 それでも、バレー部を辞めようとは思わなかった。


 怜奈に勝てないなら、それで終わりにはしたくなかった。


 怜奈だって崩れることはある。


 サーブで追い込まれることもある。


 攻撃が噛み合わなくなることだってある。


 なら、その時は自分が立て直してやる。


 そう決めた。


 試合の流れが悪くなった時。


 コートの誰かが焦り始めた時。


 1本ずつ、当たり前の形へ戻す。


 使える攻撃を整理して、選手が迷わなくていい状態にする。


 いつの間にか、それが自分の役目になった。


 怜奈の代わりではなく。


 佐伯楓だからできる仕事。


 そう思えるようになっていた。


 まさか。


 その場所まで取られるとは思わなかったけれど。


「……ほんと、生意気」


 誰もいない部室で呟く。


 伊織の顔が浮かぶ。


 合宿から帰ってきてから、あの子は明らかに変わった。


 いや、トスそのものが突然上手くなったわけではない。


 相手の見方が変わった。


 1球前の攻撃を使う。


 見せたものを残す。


 相手が正しく判断した先に、別の答えを置く。


 楓にはできない。


 少なくとも、自分の一番得意な仕事ではない。


 自分ができるのは、崩れたものを戻すこと。


 みんなが迷った時に道を整えること。


 伊織は違う。


 道がなければ、新しく作る。


 壁があれば、別の場所に穴を開ける。


 突破口を開けるセッターだ。


 春高予選で、深見先生がどちらを12人に入れるか。


 少し前から分かっていた。


 萌々香も気づいていた。


 だから、名前を呼ばれなかった時も驚かなかった。


 分かっていた。


 納得もしている。


 勝つためなら、伊織を入れた方がいい。


 それでも。


「……悔しいなあ」


 声にした瞬間、駄目だった。


 視界が滲んだ。


 一度瞬きをすると、頬を何かが伝った。


「……くそ」


 袖で拭う。


 また出てくる。


 怜奈に場所を取られた時も、こんなだった。


 あの時よりは大人になったつもりだったのに、悔しいものは悔しいらしい。


 楓は俯いた。


 その時、部室の扉が開いた。


「……あ」


 萌々香だった。


「何」


「いや」


 萌々香は何も言わなかった。


 楓の隣まで来て、同じように椅子へ座る。


 しばらく、2人とも黙っていた。


 慰められたら嫌だった。


 大丈夫なんて言われたら、たぶん腹が立つ。


 萌々香は、それを分かっている。


 しばらくしてから、何でもないことのように口を開いた。


「ねえ、帰り、アイスでも食べる?」


 楓は鼻をすすった。


「こんな時期に?」


「じゃあ、コロッケ」


「……いいよ。萌々香のおごりね」


「え!?」


 ようやく萌々香がこちらを見る。


「なんで私が」


「慰めろ。ベンチに入れない同級生を」


「はいはい、コロッケね」


「2個」


「増えた」


 楓は少し笑った。


 笑ったら、また涙が落ちた。


 萌々香は何も言わない。


 それがありがたかった。


「……春高予選で勝った後に、コロッケおごってやる」


「おお、マジか。いいね」


「だから、勝って来い」


 萌々香が少しだけ目を細めた。


 楓は濡れた頬を袖で拭った。


「私の分も。みんなの分も」


「それは私だけじゃなくて、みんなに言ってよ」


「言うよ」


 楓は即答した。


「12人、全員に言う」


 自分を落として選ばれた12人。


 だったら。


「勝ってこいって。私を落としたんだ。最強の布陣で、全国行けって」


「そうだね」


 萌々香が笑う。


 それから楓の顔を覗き込んだ。


「でも、それ言う前に泣き止んでね」


「今日は無理だ」


「即答なんだ」


「無理なもんは無理」


 また視界が歪む。


 悔しい。


 本当に悔しい。


 高校最後の春高予選。


 自分は12人に入れなかった。


 ずっと着てきたユニフォームを、今年は着られない。


 でも。


 これで終わりにはしたくなかった。


 涙くらいなら、いくらでも流せばいい。


 流して。


 それで全部終わりにする必要なんてない。


「終わりじゃないよ、楓」


 萌々香が言った。


 楓は顔を上げる。


「春高本戦になれば、上からの目って必要になる」


 観客席からだから見えるものがある。


 コートの中では気づきにくい相手の並び。


 ブロックの偏り。


 サーブの狙い。


 流れが悪くなった時に、どこへ戻ればいいのか。


「まだ力貸してよ、楓」


 楓は黙って萌々香を見た。


 それから、ぐしゃぐしゃになった顔のまま笑った。


「……当たり前でしょ」


 自分はもう、12人ではない。


 それでも。


 まだ青嵐のセッターだ。


 コートの中にいなくても、できることはある。


 立て直すのが、自分の仕事なら。


 外からだって、立て直してやる。


「とりあえずコロッケ」


「はいはい」


「2個」


「1個」


「泣いてるのに?」


「それを武器にするな」


 楓はまた少し笑った。


 涙は、まだ止まらなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。