第三十六話 十五人
シルバーウィーク初日の朝、千尋には青嵐女学院の体育館が、いつもより少しだけ狭く見えた。
コートの広さが変わったわけではない。
単純に、人が多い。
普段なら青いジャージばかりが目につくフロア脇に、今日は椿山高校の赤、鳩山高校の白、常盤学園の緑が混ざっている。
青、赤、白、緑。
4校分のボール籠や大きなバッグまで壁際に並ぶと、見慣れたはずの体育館なのに、どこか遠征先へ来たような感じがした。
「なんか変な感じするね」
隣で凜が言った。
「する。うちなのに、うちじゃないみたい」
「でしょ?」
なぜか感想を認められたことに満足したらしく、凜が得意そうに頷く。そのまま赤い集団へ顔を向けて、ぱっと表情を明るくした。
「あ、栞!」
椿山の列にいた栞が気づいて、片手を上げる。
「おはよう、凜。千尋も」
「おはよ! 今日やろうね!」
「うん」
「おはよう」
私も手を上げた。
その近くに、見覚えのある顔がある。
栞より1つ上の学年。
椿山第二中学校で、栞の前にキャプテンを務めていた朝倉成美先輩だ。中学の試合で何度か見たことがある。
高校でもアウトサイドをやっているらしい。
成美先輩が栞に何か言った。
栞が首を傾げる。
成美先輩が額を押さえた。
「……何話してるんだろ」
「栞だし」
凜が言う。
「それで説明になる?」
「なる気がする」
少し考えて、私も否定しなかった。
「4校、整列!」
深見監督の声が体育館に通った。
青嵐が先に動き、それに合わせて3校も集まる。
4校が並ぶと、さっきまで雑然としていた体育館が急に合同合宿らしくなった。
深見監督は全員が揃ったのを確認してから、1歩前へ出る。
「3日間、よろしくお願いします。今回は練習試合を多めに組んでいます。普段やらない相手とできる機会なので、勝った負けただけを持って帰らないようにしてください」
「はい!」
4校分の声が重なった。
「今日は1セット25点で、組み合わせを変えながら回します。明日はポジション別の練習も入れる予定です。最終日は午前までゲーム、午後は各校で調整。細かい進行は、その都度伝えます」
深見監督が手元の予定表へ視線を落とす。
「宿泊は大広間を2つ使います。入浴は学校ごとに時間を分けるので、順番は――」
「そこ、私やります」
綾香先輩が1歩前へ出た。
「じゃあ御子柴、お願い」
「はい。3年キャプテン、集まってー。風呂の順番決めるから」
椿山、鳩山、常盤のキャプテンが、何の迷いもなく前に出てきた。
私はてっきり相談でもするのかと思った。
綾香先輩が拳を前へ出す。
「最初はグー!」
「「「「じゃんけんぽん!」」」」
声が、妙にきれいに揃った。
あいこ。
「「「「あいこでしょ!」」」」
また揃う。
「……慣れてる」
私が呟いた。
「毎年やってるんでしょうね」
真帆が言う。
「風呂の順番を?」
美緒が首を傾げた。
「多分、合同合宿をです」
「ああ」
何度目かで、緑のジャージを着た常盤のキャプテンが拳を突き上げた。
「一番風呂じゃ!!」
「キャプテン流石!」
「いいぞキャプテン!」
常盤の列から拍手が飛ぶ。
「そこそんな盛り上がる!?」
綾香先輩が笑う。
その綾香先輩は、残ったじゃんけんでも負けた。
「青嵐、4番目ねー……」
「キャプテン、勝負弱いね」
萌々香先輩がすぐに茶々を入れた。
「じゃんけんに勝負強さ持ち込まないでくれる!?」
「全国ベスト8のキャプテン、風呂では最下位」
「関係ないから!」
「綾香、明日は頑張ろうね」
「明日は風呂順じゃんけんないでしょ!」
常盤の列から、もう一度、
「一番風呂!」
と声が上がった。
深見監督が笑いを噛み殺すように一度咳払いする。
「はい。決まったならアップ始めるよ」
「はい!」
4校が一斉に散った。
さっきまで少しだけあった他校同士の硬さは、風呂順じゃんけんですっかり消えていた。
◇
最初の青嵐対椿山で、私はコートの外にいた。
25点、1セット。
練習試合とはいえ、笛が鳴れば普通の試合と変わらない。
椿山のレフトには栞がいる。
反対側には、朝に見かけた成美先輩。
青嵐と比べれば、椿山には突出した高さがあるわけではなかった。
それでも、簡単には止まらない。
栞がサーブレシーブをして、そのまま助走へ入る。
中央も跳ぶ。
青嵐のブロックが少し中へ寄ったところで、栞へトスが飛んだ。
ブロックの外を使って決める。
「今日、栞が中心なんだね」
隣で凜が言った。
「うん」
私にもそう見えた。
トスが栞へ多い、というだけではない。
栞が打てるように、周りが少しずつ形を変えている。
反対側の成美先輩がレセプションを広く取る。
中央は何度も助走へ入って、青嵐のブロックを引きつける。
栞が後衛へ回っても、バックアタックが消えない。
それでいて、栞を止めれば終わりというわけでもなかった。
1球目をセッターが触れば、別の選手が当然のように2本目へ入る。
2枚が栞へつけば中央。
中央を意識すれば反対側。
誰かが崩れても、そこで一度立ち止まって確認するような時間がない。
「椿山、切り替え早いですね」
隣にいた真帆が言った。
「ね」
青嵐が25点を先に取った。
短い休憩を挟み、次の組み合わせがコートへ入る。
赤の椿山と、白の鳩山。
私は水を飲みながら何気なく椿山側を見て――止まった。
「あれ?」
「どうしたの?」
「栞、出てない」
凜も見る。
栞はコートの外にいた。
代わりに左へ入っているのは結子。
しかも、セッターまで青嵐戦とは違う。
「休憩じゃない?」
「かな」
最初はそう思った。
1セット目に出ていたから休ませている。
合同合宿なのだから、色々な選手に経験を積ませたいのかもしれない。
ところが試合が始まると、さっきとは攻撃の雰囲気そのものが違った。
青嵐戦では、栞が早いテンポでどんどん仕掛けてきた。
今度は、一回で決まらなくても急がない。
鳩山のブロックを利用してつなぐ。
長いラリーの中で守備位置を動かし、最後に結子へ集める。
結子も力任せには打たない。
ブロックアウト。
フェイント。
一度深く打ってから、次は短く落とす。
「……今度は結子なんだ」
私が呟いた。
「何が?」
「一番打ってる人」
「ほんとだ」
凜もようやく気づいたらしい。
その一方で、反対側の成美先輩は変わらずコートにいた。
ただ、役割は少し違う。
栞が中心だった時にはレセプションを広く受けていたのに、今度は攻撃参加が増えている。
結子が後衛へ回れば、前で多く打つ。
崩れたボールの二段トスにも触る。
そして、跳ぶ。
「……高いな」
私の視線が、またそこへ引っかかった。
身長そのものは、青嵐の前衛陣ほど高くない。
なのに、打点が高い。
助走から踏み切った勢いが、そのまま上へ抜けていくように見える。
鳩山のブロックの上から、ボールを叩く。
着地。
私は打球ではなく、足元を見ていた。
「千尋」
「ん?」
「また足見てる」
凜に言われた。
「……見てた?」
「見てた」
「ちょっと気になって」
「何が?」
「まだ分かんない」
「分かってから言ってよ」
「だから見てるんじゃん」
◇
午前の最後のセットが終わり、昼休憩に入った。
昼食まで少し時間がある。
私は体育館の壁際でタオルを首にかけている栞を見つけ、近寄った。
「ねえ、栞」
「何?」
「ちょっと聞いていい?」
「いいよ」
「椿山って、エース誰なの?」
「みんな」
「…………」
私は待った。
続きを待った。
栞は普通にスポーツドリンクを飲み始めた。
どうやら、今ので説明は終わりらしい。
――幼馴染翻訳機を下さい。
「いや、みんなって何」
「みんなは、みんな」
「それは分かる」
「じゃあ大丈夫」
「大丈夫じゃない」
栞が不思議そうに私を見る。
「青嵐とやった時、栞が一番打ってたじゃん」
「うん」
「鳩山の時は結子だった」
「うん」
「じゃあ、エースは栞と結子?」
「成美先輩も」
「3人じゃん」
「他の人も打つよ」
「そういう意味のみんなじゃない!」
栞がようやく少し考えた。
「相手見て、一番点取れそうな人がいっぱい打つ」
「うん」
「だから、みんな」
「その説明で最初の『みんな』に戻るのやめて」
「でもそうだよ?」
栞は本気だった。
「青嵐には栞が合うってこと?」
「今日はそう」
「鳩山には結子?」
「今日はそう」
「じゃあ、相手によってエース変えるの?」
「うん」
「……そんな簡単に?」
「勝てる方がよくない?」
言われて、私は黙った。
栞の顔を見る。
冗談ではない。
本当に、何が不思議なのか分かっていない顔だった。
青嵐なら、エースと言えば沙耶先輩だ。
相手がどこだろうと、沙耶先輩が一番の得点源であることは変わらない。
もちろん凜や他の選手が多く打つ試合もある。
でも、それでエースそのものが入れ替わる、という感覚ではなかった。
「じゃあ成美先輩が一番打つ相手もある?」
「あるよ」
「3人を使い分けるんだ」
「他の人も――」
「はい、そこはもう分かった」
栞が口を閉じた。
「千尋、理解早い」
「違う。諦めただけ」
「?」
やっぱり幼馴染翻訳機が欲しかった。
◇
午後。
私は午前より意識して椿山を見るようになった。
相手によってエースを変える。
そこまでは栞から聞いた。
けれど、見ていると変わっているのはエースだけではない。
常盤学園とのセットでは、栞がスタートから入った。
その後ろには愛梨。
セッターは多恵子。
どちらも私と同じ1年生だ。
青嵐戦で使っていたセッターとは違う。
常盤のサーブが走った。
強いジャンプサーブが椿山の後衛へ飛ぶ。
小柄な愛梨が半歩動く。
ほとんど身体を崩さず、きれいに多恵子へ返した。
次も受ける。
その次は短いサーブへ素早く前へ出る。
「……やっぱり愛梨、レシーブいい」
私が言った。
隣にいた真帆も頷く。
「はい。同じ1年生とは思えないくらい安定してます」
「常盤、サーブ強いよね」
「強いです」
常盤は、強いサーブで1球目を崩してからブロックとディフェンスを作る。
午前に別の学校と戦っているところを見た時も、そこは変わらなかった。
私は、もう一度椿山側を見る。
愛梨が栞の横まで守備範囲を広げる。
その分、栞は少し早くレセプションから抜けて助走へ入れる。
多恵子が中央を見せたあと、栞へトスを上げた。
「……だから愛梨なのかな」
「常盤のサーブに対して?」
「うん」
私は椿山の6人を見る。
セッターが多恵子。
リベロが愛梨。
どちらも1年生。
「合同合宿だから1年生も出してるんじゃなくて、今日この相手に必要だから出してるのかも」
真帆も少し考えてから、コートへ視線を戻した。
「確かに。青嵐戦とは役割が違いますね」
常盤が栞へのサーブを増やす。
愛梨がさらに半歩寄る。
栞を打たせるために守備範囲を変える。
栞へのブロックが厚くなれば、多恵子は中央を増やした。
次は逆に、中央を見せてから反対側。
青嵐戦で見た椿山とは、攻撃の入り方まで少し違っている。
それでも、誰も戸惑わない。
セットの途中で選手が替わる。
今度は杏奈が入った。
「また替えた」
「杏奈さんですね」
「うん」
入った杏奈は周りと短く言葉を交わしただけで、そのまま自分の位置についた。
長い説明はない。
次のラリーではブロックへ跳び、その次には助走へ入る。
そこで何をするのか、最初から分かっている。
私は少しだけ目を細めた。
青嵐にも交代はある。
私自身、この夏は「3ローテ」という明確な仕事をもらってコートへ入った。
サーブを打つ。
凜の代わりに後衛を守る。
バックアタックまで使う。
役割があるから、呼ばれる。
椿山も似ている。
でも、どこか違った。
誰かが一つの仕事をするために入る、というだけではない。
誰か1人を入れると、それに合わせて6人全体の形が少し変わる。
セッターが替われば攻撃が変わる。
エースが替われば周りの仕事が変わる。
愛梨が入れば、レシーブの範囲が変わる。
杏奈が入れば、また別の使い方をする。
その選手に今できることを、6人の中へ組み込んでいる。
「……練習だからじゃないんだ」
私が呟いた。
「何がですか?」
「椿山がいっぱい人使うの」
真帆が私を見る。
「相手が変わるから、チームを変えてるんだ」
目の前で赤い6人が動いている。
午前に青嵐と戦った6人とは違う。
鳩山と戦った時とも違う。
それでも、紛れもなく同じ椿山だった。
◇
午後の練習試合をすべて終えた頃には、時計は16時を少し回っていた。
4校がもう一度集まる。
朝よりも、並んだ時の空気はずっと軽い。
深見監督が全員を見回した。
「今日の練習試合はここまで。夕食は18時です。それまでは自由時間にします」
何人かの選手が小さく息を吐く。
「自主練をする人も、身体のケアをする人も自由。ただし、明日も朝から動くのでやりすぎないこと。お風呂は朝決めた順番と時間を守ってください」
すると常盤の列から、例のキャプテンが拳を上げた。
「一番風呂じゃ!!」
「キャプテン流石!」
「いいぞキャプテン!」
「まだやってる!」
綾香先輩が叫ぶ。
「4番風呂は静かにして」
萌々香先輩が追撃した。
「萌々香、どっちの味方!?」
「面白い方」
「最低!」
4校から笑いが起こる。
深見監督も少しだけ口元を緩めてから、手を叩いた。
「はい、解散」
4つの列がほどけた。
その場でストレッチを始める者。
着替えを取りに戻る者。
他校の選手を捕まえて話し始める者。
すぐにボールを持つ者もいる。
私はタオルで汗を拭きながら、赤いジャージの集団を見た。
午前と午後だけで、何通りの椿山を見ただろう。
栞が中心の椿山。
結子が中心の椿山。
成美先輩が多く打つ時間もあった。
セッターが替わった。
愛梨が入った。
杏奈が入った。
守備を厚くした。
攻撃の形を変えた。
それでも、誰かが入るたびに別のチームになってしまうわけではない。
形を変えながら、全部椿山だった。
私は、近くを通った栞を呼び止めた。
「栞」
「何?」
「そういえば、椿山って全部で何人いるの?」
「15人」
「……え?」
「15人」
「少なっ」
「そう?」
「今日、もっといるように見えた」
「3年が5人、2年が4人、1年が6人」
頭の中で足す。
確かに15人だった。
「ほとんどみんな出てたよね」
「うん」
「1年生も普通に出るし」
「うん」
「セッターも何人も使ってた」
「使ってたね」
「15人しかいないから?」
栞が少し考えた。
「15人いるから」
私は黙った。
また難しいことを言われた気がした。
でも今度は、午前の「エースはみんな」より、少しだけ意味が分かる。
15人しかいないから、仕方なく使う。
多分、そうではない。
15人いる。
だから、その15人で何ができるか考える。
相手に合わせて選ぶ。
組み替える。
今できることを、使う。
「……やっぱり変なチーム」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「じゃあありがとう」
栞はあっさり頷き、仲間のところへ戻っていった。
私はその背中を見送る。
それから、今日もう一つ気になっていたものを思い出した。
栞の反対側にいた成美先輩。
椿山第二中学校で、栞の前にキャプテンをしていた人。
高身長というほどではない。
なのに、何度見ても打点が高かった。
助走。
最後の数歩。
踏み切り。
自分とは、何かが違う。
私は時計を見る。
夕食は18時。
まだ時間はある。
「……自主練するか」
そう呟いて、ボール籠へ目を向けた。




