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水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第三十一話 十二人全部


 久我悠真が水瀬尋長を見つけたのは、青嵐の応援席ではなく、少し離れた一般席だった。


 最初は見間違いかと思った。


 帽子を深く被っているわけでもないし、変装らしいことをしているわけでもない。ただ1人で座って、青嵐の試合を静かに見ている。


 悠真は少し迷ってから、そちらへ向かった。


「水瀬さん、こんなとこいたんですか」


「いたよ」


 尋長はコートから目を離さないまま答えた。


「応援席行かないんです?」


 そこでようやく、尋長がちらりと悠真を見る。


「行くと周りがざわつくんだよ」


「……ああ」


「悠真、今ちょっと失礼な納得しなかった?」


「してないです」


「絶対したでしょ」


 悠真は笑いながら、隣の空いている席へ座った。


 実際、納得はしていた。


 本人はこうして何でもない顔で座っているが、水瀬尋長は元全日本のセッターだ。バレーをやっている人間なら、顔まで知っている者も少なくない。


 青嵐の応援席に混ざれば、試合よりそちらを気にする人間が出てもおかしくなかった。


「千尋、出てるんですね」


「うん。さっき入った」


 悠真は改めてコートを見る。


 青嵐の12番が後衛にいた。


 10番の凜と交代して、サーブから後ろを3ローテ回っているらしい。


 その狙い自体は、見ればすぐに分かった。


 凜は高い。打てる。全国の相手にブロックを揃えられても、簡単には止まらない。


 だからこそ、この試合ではずっとサーブを集められていた。


 受けて、開いて、走って、跳ぶ。


 後衛にいる間もそれを繰り返させて、少しずつ脚を削る。


 だったら、その3ローテだけ別の選手に預ければいい。


 千尋が入った時点で、悠真はそこまでは読めていた。


 そして、相手が次に何をするかも。


「まあ、そりゃ千尋狙うよな」


「うん」


 実際、その通りになった。


 千尋自身のサーブが切られ、相手へサーブ権が移った途端、ボールは露骨なほど12番へ集まり始めた。


 1年生。


 途中出場。


 身長も高くない。


 しかも、エースの凜を下げてまで後衛3つを任されている。


 ここを崩せば、青嵐が用意した交代策そのものを潰せる。


 自分が相手コートにいても、同じところを狙う。


 だから、狙われていること自体には驚かなかった。


 悠真が気になったのは、その狙われている本人の方だった。


「……千尋、ほんと心臓鋼だな」


 尋長がようやく横を向いた。


「今さら?」


「いや、今さらとかじゃなくて」


 悠真は苦笑しながらコートを指した。


「全国ですよ。途中から入って、一発目から狙われて、そのあともずっと来てるのに、普通に返してるじゃないですか」


「返してるね」


「怖くないのかな、あいつ」


「怖くないわけじゃないと思うよ」


 尋長はまたコートへ視線を戻した。


「じゃあ、なんであんな普通なんです?」


「やることが決まってるからじゃない?」


「そんなもんですかね」


「悠真は嫌?」


「嫌ですよ」


 即答すると、尋長が少し笑った。


「悠真でも?」


「できるかどうかと、嫌かどうかは別です」


「それはそうだ」


 悠真だって、同じ状況なら受ける。


 狙われたなら、受けるしかない。


 けれど、できることと緊張しないことは別だ。


 全国大会の途中出場。しかも相手から見れば、明らかな狙い目。


 最初の1本くらい身体が硬くなってもおかしくない。


 それなのに千尋は、いつもの体育館で練習している時と大して変わらない顔でボールの下へ入っている。


 後衛ライトを終え、中央へ回っても相手の狙いは変わらなかった。


 千尋が1本目を返す。


 そのまま守備へ入る。


 機会があれば、後ろから助走にも入る。


 バックアタックへ走った千尋を見て、悠真は少し眉を上げた。


「そこまでやらせるんだ」


「そこまでできるから入れたんじゃない?」


「守備だけなら、もっと簡単に組めますもんね」


「うん」


 千尋が後ろから走る。


 実際にトスは来なかった。


 けれど、相手のミドルブロッカーが一瞬だけ千尋を確認した。


 その隙に青嵐のミドルへ速いトスが上がる。


 速攻が決まった。


 悠真は思わず笑った。


「千尋、あれ絶対好きだろ」


「何が?」


「自分が打ってないのに、自分見たせいでミドルが決めたやつ」


「好きだろうねえ」


 返事が妙に早い。


「やっぱり」


「千尋、自分が囮になったって分かると嬉しそうな顔するから」


「変なスパイカーですよね」


「スパイカーって呼んでいいのかな、あれ」


「親が言います?」


 2人で笑った。


 コートでは、また千尋へサーブが飛ぶ。


 1本。


 もう1本。


 それでも、少しずつ様子が変わってきた。


「……なんか、最初より楽そうですね」


「千尋?」


「はい。レシーブがっていうより、動きが」


「うん」


「慣れたのかな」


 尋長は少し考えてから首を傾けた。


「慣れたっていうより、試合に入ったんじゃないかな」


「試合に?」


「そう」


 また千尋へ飛ぶ。


 少し短い。


 千尋は迷わず前へ入り、腕に当てた。


 ボールがきれいに一ノ瀬さんのところへ返る。


「千尋って、外から見てる時より、ボール触ってる時の方が考えるの早いんだよ」


 悠真は数秒だけ黙って、それから「ああ」と声を漏らした。


「触るたびに情報が増えてるのか」


「そんな感じ。サーブの球質とか、相手がどこを狙ってるとか、自分が返したあとにどこが空くとか」


 尋長は相手コートを眺めながら続ける。


「だから千尋を狙うのは間違ってないよ。俺でも狙う」


「でしょうね」


「でも、ずっと狙ってると、千尋がどんどん試合に入ってくる」


「……嫌なタイプだなあ」


「俺もそう思う」


「娘でしょうが」


「娘だからよく知ってるんだよ」


 悠真は吹き出した。


 青嵐がサイドアウトを取り、ローテーションする。


 千尋が後衛レフトへ移った。


 これで3つ目。


 前衛へ戻ったミドルが中央へ入り、九条さんはライト側へ回っている。


 もう1人のミドルがサーブ位置へ回った。


 サーブが入る。


 相手は1球目をきれいに返し、そのまま攻撃を決めた。


 再び相手のサーブになる。


 サーブを終えたミドルがリベロと交代してコートを出る。


 悠真はふとベンチ側を見た。


 凜がもう立っていた。


 3ローテ前まで肩に掛けていたタオルはない。


 片手には、12番の交代パドル。


 脚を細かく動かしながら、いつでも戻れるようにコートを見ている。


「ちゃんと休めてるな、凜」


「顔はもう打ちたそうだけどね」


「それはいつもでしょ」


「それもそうだ」


 次の1本を青嵐が取れば、ローテーションする。


 千尋が前衛へ上がる。


 そこで3ローテは終わり。


 凜が戻る。


 悠真にも分かる。


 たぶん、相手にも分かっている。


 だから最後のサーブも迷わなかった。


 また12番へ飛ぶ。


「徹底してるな」


 深い。


 千尋が1歩下がる。


 身体の正面へ入って、受けた。


「ナイス」


 悠真も思わず小さく言った。


 ボールは一ノ瀬さんのところへ返る。


 その瞬間だった。


 千尋が左へ動き出した。


 悠真の目が細くなる。


 九条さんはライトから助走へ入っている。


 全日本ユースにも選ばれる青嵐のエースだ。ここまで何本も決めている。相手ブロックが反応しないはずがない。


 中央には、前衛へ戻ったミドルが突っ込んでいく。


 かなり大きい。


 あれも捨てられない。


「……レフト空くな」


 悠真が呟いた。


 その横で、尋長がほとんど同時に言った。


「千尋に上がるね」


「え?」


 一瞬だけ横を見る。


 尋長はもうトスの行方を追っていなかった。


 千尋を見ていた。


 悠真もすぐにコートへ視線を戻す。


 千尋は自分でサーブカットした直後だ。


 それでも止まっていない。


 左へ開き、後衛レフトから助走を作っている。


 ライトに九条さん。


 中央にミドル。


 左後ろから千尋。


 一ノ瀬さんには、その3つが全部、本物の攻撃として見えている。


「うわ……」


 トスが上がった。


 千尋へ。


「マジで上げた」


 アタックラインの後ろから踏み切る。


 相手ブロックは明らかに遅れていた。


 千尋は前へ流れる身体の勢いを殺さず、そのまま腕を振り抜いた。


 ボールが床を叩く。


 笛が鳴った。


「よし!」


 悠真は思わず膝を叩いた。


 青嵐の得点。


 サイドアウト。


 これでローテーションする。


「最後、自分で取ったか」


「いいね」


 尋長は笑っていた。


 けれど、娘が全国大会でバックアタックを決めた父親にしては、随分落ち着いている。


 凜が12番のパドルを持ったまま交代ゾーンへ向かう。


 千尋もコートの外へ向かった。


 2人が近づく。


 千尋が何かを言った。


 観客席までは、はっきり聞こえない。


「あとは頼んだよ、かな」


 尋長が言った。


 悠真は横を見る。


「聞こえたんですか?」


「いや。顔」


「顔でそこまで分かるんです?」


「小さい頃から見てるからね」


 その直後、凜の声だけは観客席まで届いた。


「任せて!」


「そっちは聞こえましたね」


「凜は声大きいから」


 2人の手のひらが鳴る。


 千尋がコートを出て、凜が戻った。


 悠真は、その3ローテを頭の中でもう一度辿った。


「……これ、凜を休ませるだけじゃないですね」


「うん」


「凜がいない間、守備固めして耐えるんじゃない。千尋も後ろから打つから、攻撃の形が変わる」


「そうだね」


「サーブもある。レシーブもする。守備もする。で、3つ終わったら、休んだ凜が戻ってくる」


 尋長は何も言わず頷いた。


「凜の代わりっていうより……形を変えてるのか」


「そういうこと」


 たった3ローテ。


 でも、その3ローテを弱い時間にしない。


 凜がいない間を耐えるのではなく、その6人で別の強さを作る。


 そして最後に、エースを戻す。


 悠真は改めて青嵐のコートを見た。


「……強いですね、青嵐」


「うん。だいぶ強くなった」


 尋長は少しだけ笑った。


 それから、何でもないことのように続けた。


「まあでも、全国を勝つには12人全部強くなきゃ無理なんだけどね」


 悠真は隣を見た。


 尋長はもう何も言わず、コートへ視線を戻していた。


 12人全部。


 その言葉だけが、妙に耳に残った。


 悠真が知っている青嵐の選手は、実際にはそれほど多くない。


 千尋と凜は、昔から知っている。


 九条さんと一ノ瀬さんは、全日本ユースにも選ばれる選手だから知っていた。


 あとは、ユニフォーム前面の1番の下にラインが入っている選手が、青嵐の主将なのだと分かるくらいだ。


 コートにいるミドルも、リベロも、名前までは知らない。


 まして、ベンチにいる12人がそれぞれ何をできるのかなんて、悠真には分からなかった。


 だからこそ、尋長の言った「12人全部」という言葉が引っかかった。


 このチームには、まだ自分の知らない札があるのかもしれない。


 悠真がそんなことを考えていると、少し離れたところから声が飛んできた。


「悠真! そろそろ行くぞ!」


 鷹ノ宮のジャージを着た同級生が手を上げている。


「あ、了解!」


 悠真は立ち上がった。


「じゃあ、また」


「うん。またね、悠真」


 尋長へ軽く手を上げ、そのまま仲間たちの方へ歩いていく。


 数歩進んだところで、待っていた1人が妙な顔をして悠真を見た。


「……お前さ」


「何?」


「なんで水瀬尋長と普通に喋ってんの?」


 悠真は一度だけ振り返った。


 尋長は相変わらず何事もなかったように、青嵐のコートを見ている。


「なんでって……幼馴染の親父だけど」


「は?」


「小学校の頃、俺もバレー教わってたし」


「いやいやいや、ちょっと待て」


 別の同級生まで会話に入ってくる。


「あの人、元全日本だぞ?」


「知ってるよ」


「『知ってるよ』じゃねえよ!」


「何だよ」


「なんでそんな近所のおっちゃんみたいな扱いなんだよ!」


「実際、千尋ん家行ったら普通にいたし」


「だから、その千尋って誰だよ」


 悠真は青嵐のコートを指した。


「今、12番で決めたやつ」


「は?」


「10番が凜。2人とも幼馴染」


「待て待て待て」


「情報が急に多いんだけど」


 周囲がざわつき始める。


 悠真にとっては、何をそんなに驚かれているのかよく分からない。


 昔から千尋の家へ行けば尋長がいた。


 体育館へ行けば、凜も一緒にボールを触っていた。


 尋長にトスを上げてもらい、3人で練習して、怒られて、褒められた。


 元全日本だったという肩書きをちゃんと意識するようになったのは、むしろずっと後だ。


「だから、幼馴染の親父だって」


「その説明で普通になると思うなよ」


「普通だろ」


「お前の普通がおかしいんだよ」


 呆れたような笑いが起きる。


 その少し後ろで、1人だけまだ尋長の方を見ている同級生がいた。


 セッターをやっている選手だった。


「……俺、あの人のトスワーク好きだったんだよなー」


 ぽつりと呟く。


 悠真がそちらを見る。


「昔の試合とか見てるとさ、相手のブロックがずっと変なところ飛ばされてんの。こっちだと思わせといて、全然違うところ使うし」


 そのセッターは尋長から目を離さないまま続けた。


「ああいうの、見ててめっちゃ面白いんだよな」


「直接教わってたの?」


 今度は悠真を見る。


「まあ」


「ずる」


「何がだよ」


「いや、ずるいだろ」


 悠真は笑った。


「今もあんまり変わってないぞ」


「マジ?」


「相手に選ばせてから外すの好きだから、あの人」


「うわ、やっぱ好きだわ」


「本人に言えば?」


「無理に決まってるだろ」


「なんで?」


「お前と一緒にすんな」


 また周りから笑い声が上がった。


「ほら、行くぞ」


 先を歩き始めた仲間に促され、悠真も後を追う。


 最後に一度だけ、青嵐のコートを振り返った。


 休んで戻った凜が、もう次の攻撃へ向かって大きく助走を取っている。


 その外では、千尋がアップゾーンから手を叩いていた。


 3ローテを預かって、最後の1点を取って、凜へ返した。


 6人だけではない。


 さっき尋長が何気なく口にした言葉が、まだ悠真の頭に残っている。


 全国を勝つには、12人全部。


 悠真はもう一度だけ青嵐のコートを見てから、鷹ノ宮の仲間たちを追いかけた。


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