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水瀬千尋はエースではない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第一章 あそこへ

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第三話 対角


「水瀬さんは、ここ」


 コーチが指差した位置を見て、私は少しだけ首を傾げた。


「ここですか?」


「うん」


 ネットを挟んだ向こう側では、Aチームがゲーム形式の準備を始めている。


 こちらはBチーム。高校生の先輩たちに混ざって、今日初めて青嵐の練習へ参加する私が立っている。


 そして、私から3つ先。ローテーション上、ちょうど対角の位置にいるのが、さっき挨拶したばかりの黒川伊織だった。


「私、ライトですか?」


「ローテーション上は、黒川の対角に入ってもらう」


「セッター対角?」


「そう」


 コーチが頷く。


「レフトもライトもできるって聞いてるから」


「まあ、一応」


「じゃあ問題ない」


 軽い。


 私はもう一度、自分が入る位置を確かめた。


 セッターの対角は、中学で固定して入ることがほとんどなかった位置だ。


 私は基本的にはアウトサイドだけれど、チーム事情によってライトへ回ることもある。セッターが1本目を触れば2本目を上げるし、崩れた時には後衛からでもトスに入る。


 結局、どこへ置かれても、それなりにはやる。


 それが私だった。


「何か問題ある?」


 横から声をかけられた。


 黒川伊織。さっき私を頭から足まで値踏みしてきた、感じの悪いセッターだ。


「別に」


「ならいいけど」


「黒川は、ずっとセッター?」


「そうだけど」


「へえ」


「何?」


「背が高いから」


 近くで見ると、やはり大きい。


「何cm?」


「178cm」


「大きいね」


「水瀬は?」


「168.8cm」


「細か」


「今朝、測ったから」


「そこまで言うなら、169cmでよくない?」


「さっきも同じこと言われた」


「じゃあ、169cmでいいじゃん」


「でも、169cmって言ったら嘘になるでしょ」


「0.2cmで?」


「0.2cmを笑う者は、0.2cmに泣くよ」


「何それ」


「知らない?」


「知らない」


「今作った」


「……やっぱり変な人」


「今日会ったばかりの人に言われたくないな」


 そっちは、さっき私を値踏みしてきたくせに。


「それより」


 黒川が私の立ち位置を確かめる。


「対角なら、私が前衛の時は水瀬が後衛。私が後衛の時は、水瀬が前衛になるから」


「うん」


「私が1本目を触ったら、2本目をお願い」


「分かった」


「あと、前衛でライトにいる時は、レセプションから――」


「黒川」


「何?」


「始まる前から、全部説明するの?」


 黒川の眉がわずかに動いた。


「必要なことだから」


「覚えるけどさ」


「じゃあ聞いて」


「はいはい」


「返事が軽い」


 やっぱり細かい。


 私たちと同じ中学3年生なのに、なんとなく先輩から指示を受けているような気分になる。


 感じが悪い。


 というより、ちょっと面倒くさい。


     ◇


「始めるよ!」


「はい!」


 ゲーム形式が始まった。


 最初のローテーションで、私は後衛。黒川は前衛にいる。


 ネットの向こうに目を向けると、Aチームには凜がいた。


「千尋!」


 こちらに気づいた凜が、大きく手を振る。


「敵に手を振らない」


「別にいいじゃん!」


「よくない」


「私に来たら拾ってね!」


「拾うよ」


「じゃあ、私も千尋のスパイク止める!」


「味方になってから言って」


 楽しそうだ。


 というより、もう完全に青嵐の練習へ馴染んでいる。


「神崎、行くよ!」


「はい!」


 Aチームの先輩に呼ばれ、凜が慌てて自分の位置へ戻った。


「知り合い?」


 黒川が聞く。


「幼馴染」


「へえ」


「家も3軒隣」


「近」


「ずっと一緒」


「だから、セットで推薦?」


「知らない」


 私は肩をすくめた。


「私も、それが知りたい」


 審判役の先輩が笛を鳴らし、ボールが放たれた。


 試合が始まる。


 最初の数本で、私は黒川伊織というセッターが、かなり上手いことを知った。


「ナイスレシーブ!」


 Bチームのレセプションが、きれいに黒川へ返る。


 黒川がボールの下へ入るのと同時に、ミドルの先輩が速攻へ走った。Aチームのミドルブロッカーが反応し、中央へ残る。


 けれど、黒川が上げたのはレフトだった。


「はい!」


 先輩が跳ぶ。


 相手のブロックは、揃いきらないまま1枚半。スパイクはその脇を抜け、コートへ落ちた。


「ナイス!」


 次のレセプションも、きれいに返る。


 またミドルの先輩が助走へ入り、レフトも大きく開いた。Aチームのミドルブロッカーは、さっき使われたレフトを気にして、ほんの少し外側へ意識を向けている。


 今度こそ、黒川は中央へ上げた。


 速攻が決まる。


「ナイス!」


 私は後衛から一連の攻撃を眺めていた。


 上手い。


 でも、たぶん、それだけではない。


「……ああ」


 なんとなく分かった。


「何?」


 ローテーションの合間に、黒川がこちらを見る。


「別に」


「何か言ったでしょ」


「性格悪いなって」


「は?」


 黒川の顔が思いきり歪んだ。


「水瀬、今日会ったばかりだよね?」


 近くにいたアウトサイドの先輩が笑う。


「はい」


「黒川にそれを言えるの、すごいね」


「だって」


 私は黒川を見る。


「さっきレフトを使ったから、今度は相手が外を気にすると思って、センターを使ったでしょ?」


「それが?」


「その前の攻撃でも、センターの助走はちゃんと見せてたし」


「……普通じゃない?」


「普通なの?」


「セッターなら考えるでしょ」


「でも、絶対楽しいでしょ」


「何が」


「相手が『次はこっちだ』って思ってるところに、違うトスを上げるの」


「…………」


「ほら」


「何が、ほらなの」


「顔」


「顔?」


「今、ちょっと笑った」


「笑ってない」


「笑ってた」


「笑ってない!」


 分かりやすい。


 この子は、たぶん、相手が嫌がることをするのが好きだ。


「やっぱり性格悪い」


「それ、褒めてるの!?」


「一応」


「一応って何!」


 面白い。


 さっきより少しだけ、黒川を見るのが楽しくなった。


     ◇


 ローテーションが回り、今度は私が前衛へ上がった。対角の黒川は後衛へ下がり、私はライト側へ入る。


「千尋」


「ん?」


 さっきまで水瀬と呼んでいたのに、いきなり名前を呼ばれたせいで、一瞬だけ反応が遅れた。


「今、千尋って言った?」


「水瀬」


「あ、戻した」


「どっちでもいいでしょ」


「それで、何?」


「次のレセプション。きれいに返ったら、最初はセンターを使うから」


「うん」


「その次、相手のミドルが中に残ったらレフト。外へ流れたら――」


「黒川」


「何?」


「そんなに事細かく言わなくていいよ」


 黒川の言葉が止まった。


「……は?」


「何をやりたいのかだけ言ってくれれば、合わせるから」


 一瞬、本当に何を言われたのか分からないという顔をされた。


「いや」


「うん」


「今、それを説明してるんだけど」


「全部はいらない」


「なんで?」


「だいたい分かるから」


「何が?」


 私はコートを見た。


 今のローテーション。相手の前衛。こちらのミドルとレフト。それから、ライトに入っている私。


「最終的に、ライトを1枚にしたいんでしょ?」


 黒川が黙った。


「違う?」


「……最初にセンターを使う」


「うん」


「相手のミドルに、中央を意識させる」


「うん」


「次にレフトを使って、外にも意識を振る」


「そのあとライト」


 私は自分を指差した。


「ここを空けたいんでしょ?」


 黒川がじっと私を見ている。


「……なんで分かったの?」


「見れば分かるよ」


「普通、そこまで分からないけど」


「でも、そうなんでしょ?」


「そうだけど」


「じゃあ、いいじゃん」


「よくない」


「なんで?」


「途中が大事でしょ」


「そこは、黒川が変えるかもしれないじゃん」


 言ってから、私は黒川を見た。


「相手の動きを見て」


「……」


「だったら、先に全部決めても意味ないでしょ?」


 黒川の目が、ほんの少し変わった。


「だから、何をやりたいのかだけ言って」


「……ライトを空けたい」


「了解」


「本当に、それだけで?」


「うん」


「失敗したら?」


「その時は説明して」


「……分かった」


 短い返事だった。


 でも、その声は少しだけ楽しそうだった。


     ◇


 サーブが放たれ、レセプションがきれいに黒川へ返る。


 最初に使ったのはセンターだった。


 相手のミドルブロッカーが中央へ跳ぶ。速攻は拾われ、そのままラリーが続いた。


 相手から返ってきたボールを、今度は黒川がレフトへ上げる。先輩が打ったスパイクはブロックに触れ、再びボールがつながった。


 私はライトから、相手のブロッカーを見ていた。


 センターを使われ、次にレフトを使われた。相手のミドルは、さっきよりもわずかに外側を意識している。


 そうなるよね。


「千尋!」


 黒川からトスが上がった。


 速い。


 それまで黒川がライトへ上げていたトスよりも、明らかに低い。


 ――変えた。


 すぐに分かった。


 この子は、私が「合わせる」と言ったから試している。


「ほんと、性格悪い!」


 最後の2歩を速め、トスに合わせて踏み切る。


 まだブロックは完成していない。


 伸びてきた指先へボールを打ちつけ、そのままコートの外へ弾き出した。


「ナイス!」


 得点を確認して着地すると、すぐに黒川を見る。


「変えたでしょ!」


「何が?」


「トス!」


「打てたじゃん」


「打てたけど!」


「なら、合わせられたね」


 黒川が笑った。


「あ」


「何」


「今は笑った」


「うるさい」


「やっぱり性格悪い」


「もうトス上げないよ」


「それは困る」


「じゃあ黙って」


「はいはい」


 そう返しながら、私も笑っていた。


     ◇


 その次のラリーで、少しだけ不思議なことが起きた。


 AチームのスパイクをBチームの後衛が弾き、ボールが大きくネットから離れる。


「伊織!」


 先輩の声が響いた。


 黒川がボールを追って走った。


 かなり遠い。


 こういう場面なら、無理をせずレフトへ高く上げるのが一番安全だ。私もそう思い、ライトから攻撃のカバーへ入ろうと一歩だけ中へ寄った。


 けれど、跳び上がろうとする黒川の身体が、ほんの少しだけ違う方向を向いた。


 視線も肩もレフトへ向いている。それなのに、踏み切る直前、腰だけがわずかにライト側へ残った。


「……あ」


 黒川が次にやろうとしていることが分かった。


 私はすぐに向きを変え、ライトへ走った。


「え?」


 後ろから先輩の声がした。


 黒川が跳ぶ。


 相手のブロッカーは、黒川の身体と視線につられてレフトへ寄っている。


 それなのに、ボールは黒川の背中側へ飛んだ。


「千尋!」


「はい!」


 私はもう、そこにいた。


 助走から踏み切る。ブロックは1枚しかなく、しかも反応が遅れている。


 クロスへ向かって、思いきり腕を振り抜いた。


 バチンッ!


 ボールが床へ突き刺さる。


「ナイス!」


 着地して振り返ると、黒川が妙な顔で私を見ていた。


「何?」


「……なんで、そこにいたの?」


「ライトだから」


「そうじゃなくて」


「使いたかったんでしょ?」


「言ってないけど」


「言ってないね」


「じゃあ、なんで?」


「見えたから」


「何が?」


「黒川」


「私?」


「身体の向き」


 黒川が固まった。


「あと」


「まだあるの?」


「顔」


「顔!?」


「ちょっとだけ」


「顔でトスを読まないでくれる!?」


「相手にはばれてないじゃん」


「そういう話じゃない!」


「なんで怒ってるの」


「気持ち悪い!」


「ひどい!」


 横で先輩が吹き出した。


「何、その会話」


「聞いてくださいよ」


 黒川が先輩へ訴える。


「私、何も言ってないのに、勝手にライトへ入ってきたんですよ」


「いいじゃん。決まったんだから」


「そうですけど!」


「ほら」


「水瀬まで!」


「千尋」


「え?」


 黒川が私を見た。


「千尋って呼んでいい?」


 唐突だった。


「今さら? さっき、もう呼んだじゃん」


「だから確認してるの」


「別にいいけど」


「じゃあ、千尋」


「何?」


「いや」


「何?」


「黒川って呼ぶのもやめて」


「なんで?」


「なんとなく」


「曖昧」


「伊織でいい」


 私は少しだけ目を瞬いた。


 でも、別に嫌ではなかった。


「じゃあ、伊織」


「うん」


「なら改めて。私は千尋」


「知ってる」


「一応ね」


「よろしく」


「よろしく」


 さっき一度したはずの挨拶を、今度は名字ではなく、名前でもう一度交わした。


     ◇


「黒川、水瀬」


 コーチの声が飛んできた。


「話してないで戻れ」


「はい!」


「はい」


 それぞれの位置へ戻り、ローテーションを確認する。


 伊織。


 その対角に、私。


 さっきまでは、ただコーチに言われて入っただけの位置だった。


 セッター対角。それ以上の意味はなかったはずなのに、今は少しだけ違って見える。


「千尋」


「何?」


「次」


 伊織が相手コートを見る。


「ブロックを動かしたい」


「どっちへ?」


「まだ決めてない」


「あ、了解」


「それで分かるの?」


「やってみよう」


「……うん」


 笛が鳴り、ボールが飛んでくる。


 伊織を見て、相手を見る。空いている場所と、これから空きそうな場所を探す。


 伊織が何をするのか。私に何ができるのか。その次には、どこが空くのか。


 考えるほど、楽しくなった。


 この子とバレーをしていると、次の1本が少しだけ楽しみになる。


 この日の私は、もちろん知らなかった。


 その日、たまたまゲーム形式の人数を合わせるために入っただけの位置。


 黒川伊織の対角。


 何年か後、その場所を、今度は私自身が選ぶことになるなんて。



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