第二十五話 一球目
登録メンバーの発表が終わると、最初に片付けへ動いたのは3年生たちだった。
深見監督から名前を呼ばれ、ユニフォームを受け取った先輩もいれば、呼ばれなかった先輩もいる。それでも、発表が終わればいつもの練習後と同じだった。
「ボール集めようか」
「モップ出すね」
「じゃあネット外すよ」
そんな声が飛び交い、部員たちがそれぞれの仕事へ散っていく。
私はまだ12番のユニフォームを手に持ったまま、その様子をなんとなく眺めていた。
少し前まで、この青いユニフォームを自分が持っていることだけで胸がいっぱいだった。
全国へ行く12人の1人になった。
自分が何をするために選ばれたのかも、今なら分かる。
その実感をもう少しだけ味わっていたかったのだけれど、周りが片付けを始めれば、いつまでも突っ立っているわけにもいかない。
ユニフォームを丁寧に畳んで荷物の上に置いたところで、ネット際から梓先輩の声が聞こえた。
「すみません先輩、ネット、まだ残してもらってもいいですか?」
ネットを外そうとしていた3年生が振り返った。
梓先輩の隣には、もう真帆が立っている。さっき全国メンバーから外れたばかりなのに、手にはすでにボールがあった。
「真帆と、もう少しブロック練習したくて。終わったら私たちで片付けます」
「ああ、いいよ。じゃあ任せるね」
「ありがとうございます!」
梓先輩が頭を下げると、3年生は笑ってネットから手を離した。
真帆はそのまま梓先輩と何か話し始めた。跳ぶ位置を確認しているらしい。
やっぱり、やるんだ。
私は少しだけ驚いて、それから納得した。
春のメンバー発表の時もそうだった。12人に入れなかった真帆は、その日のうちに梓先輩との練習を始めた。
今日だって、きっと同じなのだ。
「じゃあ、私たちも使おうか」
すぐ横から声がした。
振り向くと、伊織が床に転がっていたボールを1つ拾っている。
「私たち?」
「ネット」
「それは分かる。私たちって誰?」
伊織が私を見る。
「千尋」
「やっぱり私か」
「バックアタック、やるでしょ」
「今日?」
「今日」
即答だった。
私は自分の荷物の上に置いた12番へ目をやった。
「私、今ちょっと感動してたんだけど」
「さっき十分してたでしょ」
「余韻ってものがあるじゃん」
「打ちながらでも余韻には浸れるよ」
「そんな器用なことできないよ」
言いながらも、断るつもりはなかった。
むしろ12番をもらったからこそ、練習する理由は前よりはっきりしている。全国で本当に後衛3ローテを任されるなら、バックアタックも「一応打てます」のままでは困る。
私はネットを残してくれた3年生へ向かって声をかけた。
「先輩、すみません! 私たちも使います。終わったら一緒に片付けます!」
「はいはい。じゃあ最後お願いね」
「ありがとうございます!」
返事をしてから、私は伊織の方へ戻った。
すると、ボールをカゴへ集めていた美緒がこちらを見ていた。
「自主練?」
「そうみたい」
「バックアタック?」
「そうみたい」
「なんで他人事なの」
「ついさっき決まったから」
美緒が小さく頷いたところで、伊織が声をかけた。
「美緒、一発目のレシーブ頼んでもいい?」
「いいよ」
美緒はそれだけ答えると、持っていたボールをカゴへ入れてコートに入った。
話が早い。
伊織が考えたのは、直接トスを上げて私に打たせるだけの練習ではなかった。
伊織はネット際のセッター位置に立ち、そこから美緒へ軽くボールを打つ。美緒がそれをレシーブで返し、伊織は1歩か2歩だけ動いて返球の下へ入る。そこから私へトスを上げる。
1球目を挟むだけで、ただの打ち込みよりずっと試合に近くなる。
「千尋、最初はいつも通りでいいよ。こっちの位置見ながら入って」
「了解」
私はアタックラインの後ろへ下がった。
美緒が腰を落とす。
伊織が最初のボールを打った。
強打ではない。対人パスで使うような、相手が十分に反応できる程度の軽いボールだった。ただし、真っ直ぐ美緒の正面へ打ったわけでもない。少しだけ左へずれている。
美緒が半歩動き、腕を出した。
返ってきたボールは、伊織の頭の少し前へ落ちてくる。
伊織が1歩入って、私へトスを上げた。
私は助走に入る。最後の1歩で前への勢いを止めず、アタックラインの後ろから踏み切った。少し高めのトスへ身体を運び、そのまま腕を振り抜く。
ボールが奥へ落ちた。
「もう1本」
伊織がすぐ次のボールを取った。
2球目は、美緒の右側へ少しずれた。美緒が1歩入って受ける。
返球は、さっきとほとんど同じ場所だった。
伊織が上げ、私が打つ。
3球目は少し短め。4球目は左。
伊織が打つ場所は、毎回わずかに違っていた。
けれど、美緒から返ってくるボールは変わらない。
伊織の頭より少し前、ネットから近すぎず遠すぎず、そのまま攻撃を組み立てられる場所へ、毎回同じように返ってくる。
5本、6本と続けたところで、伊織がボールを持ったまま動きを止めた。
「美緒」
「なに?」
「これ、全部同じところ狙って返してる?」
美緒は一瞬だけ何を聞かれたのか分からないような顔をした。
「うん」
「……このくらいずれてても?」
「うん」
伊織が黙って、美緒から返ってきていた場所を見た。
私もそこで初めて気づいた。
「え、今の全部?」
「うん」
「全部、同じところ狙ってたの?」
「うん」
美緒にとっては、それほど特別なことではないらしい。
私はさっきまでの何本かを思い返した。伊織は軽く打っているとはいえ、毎回美緒の正面へ同じボールを送っていたわけではない。右にも左にも、少し前にも打っていた。
美緒はそのたびに身体を動かして、その全部を同じ場所へ返していたことになる。
「……美緒って、そういうのもできるんだ」
「レシーブだから」
「その説明で全部済ませようとするよね」
美緒は不思議そうに私を見た。
伊織の方は、すでに驚く段階を通り過ぎたらしい。少し考えてから、美緒へ聞いた。
「1歩くらい、動かした方がいい?」
先にそう言ったのは美緒だった。
「え?」
「返す場所。ずっと同じじゃない方がいい?」
伊織の目が少し変わった。
「できるの?」
「どのくらい?」
今度は伊織が考える。
「……じゃあ、2、3歩くらいの範囲で動かしてもらっていい?」
「どっちに?」
「どこでも。右も左も、前も後ろも。私が2、3歩で入れる範囲なら、ばらばらでいい」
「分かった」
「できれば、あちこちいろんな方向から上げてみたいんだよね。試合じゃ毎回ここに返ってくるわけじゃないから」
「うん」
美緒はあっさり頷いた。
伊織が次のボールを打つ。
美緒が受けた。
返ってきたボールは、さっきまでの位置より右へ2歩ほど。
伊織がすぐに動いてボールの下へ入り、そこから私へ上げる。
次は左。
その次は少し前。
さらに次はネットから離れた位置。
全部、伊織が指定した範囲の中だった。
しかも、ただ適当に散らしているわけではない。伊織が十分にトスへ入れる高さと速さは保ったまま、返す場所だけを変えてくる。
右へ動いて上げる。
今度は左から身体を戻しながら上げる。
前へ走って入り、次は少し下がりながら上げる。
返球の位置が変わるたび、伊織の足の使い方も身体の向きも変わった。
「……これ、いい」
何本目かを上げ終えたあと、伊織が呟いた。
「美緒、助かる」
「そう?」
「うん。できればこのまま、どこに返すか私に分からないようにして」
「分かった」
また即答だった。
私はアタックラインの後ろへ戻りながら、伊織を見た。
さっきまで12人に入れなかったことを少しだけ寂しそうにしていた人と、同じ人には見えない。
もう完全に、目の前の練習のことしか考えていない。
美緒から次の1球が返る。
今度は右後ろ。
伊織が2歩動いた。
その瞬間、口元が少し上がる。
私はその顔を知っていた。
何かを思いついた時の顔だ。
「千尋、もう1本!」
「はい!」
助走位置で構え直す。
伊織は次のボールを手に取り、美緒へ軽く打った。
どこへ返ってくるのか、今度は伊織にも分からない。
それが、どうやら楽しくなってきたらしい。




