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水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第二十三話 後ろ三つ


 次の練習試合から、凜は沙耶先輩の対角に入った。


 全国大会を想定して組まれた試合だった。相手も全国への出場を決めている学校で、こちらが由梨先輩の離脱を受けて新しい布陣を試していることも当然知っている。


 それでも、最初のうち相手は凜をほとんど警戒していなかった。


 無理もないと思う。


 ネットを挟んだ向こうから見れば、青嵐のレフトには沙耶先輩がいる。その対角に、これまでほとんど公式戦の実績がない1年生が入った。どちらにブロックを寄せるかと聞かれれば、答えは決まっている。


「沙耶!」


 怜奈先輩が上げた。


 相手のミドルが迷わず沙耶先輩へ寄り、2枚のブロックができる。沙耶先輩はその指先に当ててボールを外へ飛ばした。


 次のラリーも同じだった。


 沙耶先輩が大きく助走に入る。それだけで相手の前衛がそちらを見る。


 怜奈先輩は、今度は反対へ上げた。


「凜!」


「はい!」


 凜の前には1枚しかいなかった。


 高いブロックではある。でも、1枚なら凜は怖がらない。


 思い切り跳び、腕を振り抜く。


 ドンッ、と床が鳴った。


「よし!」


 着地した凜が拳を握る。


「ナイス、凜!」


「はい!」


 沙耶先輩から声をかけられて、さらに嬉しそうな顔になる。


 その次も凜だった。


 今度は相手のミドルが遅れて寄ろうとしたけれど、間に合わない。凜がクロスへ叩き込んだ。


 さらに1本。


「もってこーい!」


 声だけなら、もう何年もレギュラーをやっているみたいだった。


「本当に遠慮しないね」


 ベンチから見ていた私が言うと、隣の伊織が少し笑った。


「それが凜でしょ」


「まあね」


 スコアは8-3。


 相手がタイムアウトを取った。


 ここまでは、綾香先輩たちの言った通りだった。


 沙耶先輩だけを見れば、凜が決める。凜に1枚残そうとすれば、その分だけ沙耶先輩が楽になる。


 タイムアウト明け、凜に上がったトスに相手のミドルがついてきた。


 2枚。


 凜は一瞬も躊躇せずに打った。ブロックの外側の指を弾き、ボールをコートの外へ飛ばす。


「ナイス!」


 点にはなった。


 でも伊織が、小さく言った。


「見始めた」


「凜を?」


「うん」


 次のラリーではもっと分かりやすかった。


 凜が助走を始めた瞬間、相手のミドルが身体をそちらへ向ける。その結果、今度は沙耶先輩の前に1枚しか残らなかった。


 怜奈先輩が当然のようにそこへ上げる。


 バンッ!


 沙耶先輩がブロックの上から打ち抜いた。


「……いいね」


 近くから声が聞こえた。


 楓先輩だった。


 試合に出ていない3年生の第2セッターは、ベンチから相手のブロックをずっと見ていた。


「何がですか?」


 私が聞くと、楓先輩はコートから目を離さないまま答えた。


「神崎を見始めた」


「やっぱり、それがいいんですか?」


「いいよ。あれだけ最初に決められたら、無視できないからね」


 相手のミドルがまた凜へ寄る。


 今度は中央。


 怜奈先輩が皐月先輩の速攻を使った。


「ほら。今まで沙耶だけを見ていればよかったのが、神崎も見なきゃいけなくなった。目が1個増えれば、それだけ遅れる」


「目って増えるんですか?」


「増えないから困るんでしょ」


「あ、そういうこと」


 伊織が呆れた顔で私を見る。


「今ので分からなかったの?」


「分かったよ。途中で」


「途中まで分かってなかったんじゃない」


 楓先輩が小さく笑った。


 コートでは凜がまた助走に入っている。


 相手のブロックが動く。


 今度はトスが来ない。


 沙耶先輩が決めた。


 それでも凜は満足そうだった。


 自分が打たなくても、自分を見た相手のせいで誰かが楽になった。それが分かってきたんだと思う。


 新しい形は、嵌っていた。


 もちろん、相手だって全国へ行くチームだった。


 前で凜を無視できないと分かれば、今度は別のところから崩しにきた。


 ローテーションが回って、凜が後衛へ下がる。


 相手のサーブが、まっすぐ凜へ飛んだ。


「凜!」


「はい!」


 凜が正面に入る。


 1本目は少しネットから離れたけれど、十分上がった。怜奈先輩が追いつき、綾香先輩がライトから打つ。


 次のサーブ。


 また凜。


 今度は少し深い。


 凜が下がって受ける。


 さらに次は前。


「前!」


 走らされた。


 何とか腕を入れたものの、ボールは大きくネットから離れた。


「ごめん!」


「大丈夫!」


 怜奈先輩が追いかけ、高い二段トスに変える。沙耶先輩が打ったが、相手には2枚ついていた。


 拾われる。


 切り返される。


 点を取られた。


 私は少し前へ身を乗り出した。


「……また凜だ」


「狙ってるね」


 伊織の返事は早かった。


 次も。


 また次も。


 相手は完全に凜へサーブを集め始めていた。


 凜はレセプションができないわけではない。強いサーブだって上げる。でも、美緒のように何本狙われても平然としている選手ではないし、由梨先輩ほどボールの勢いを殺すのが上手いわけでもない。


 何より、凜にはそのあとがある。


 前衛へ回れば、一番高く跳んで、一番強く打つことを求められる。


 後ろへ下がればサーブを受ける。


 また前へ回って打つ。


 相手は、それを繰り返させようとしていた。


「……これ」


 私は呟いた。


 伊織がこちらを見る。


「見たことある」


「うん」


 高校総体東京都予選。


 由梨先輩と沙耶先輩が何本もサーブを集められていた。


 前で止められないなら、後ろで削る。


 1本目を取らせる。


 走らせる。


 身体を使わせる。


 それから、また前で打たせる。


 今は、その対象が凜になっていた。


 最初は大きく開いていた点差が、少しずつ縮まっていく。


 14-10。


 15-12。


 凜がまたサーブを受けた。


 今度は身体が少し流れ、ボールがネットから大きく離れる。


「ごめん!」


 怜奈先輩が走った。


 何とか沙耶先輩へ高く上げる。しかし、相手はもう待っていた。3枚近いブロックに捕まり、返されたボールから逆に1点を取られる。


 15-13。


 凜が悔しそうに唇を噛んだ。


 それでも次の1本を取りにいくために構える。


 下がる気なんて全然ない。


 だからこそ、相手は狙う。


 私はその姿を見ながら、自分が高校総体予選で考えていたことを思い出していた。


 後ろ3つだけでも休ませられたら。


 でも、ただ守るだけなら美緒の方がいい。


 だからサーブから入る。


 そのままレシーブをして、ディグをして、2本目にも触る。


 できるなら、後ろからも打つ。


 そこまで考えて。


 練習して。


 その練習で、由梨先輩が怪我をした。


 胸の奥が少しだけ重くなる。


 それでも、目はコートから離さなかった。


 ローテーションが回った。


 凜が後衛右へ入る。


 次は凜のサーブだった。


 ボールを受け取り、エンドラインへ向かっていく。


 その時、何となく横を見た。


 深見監督と目が合った。


 どちらが先に見たのかは分からない。


 ほんの一瞬だった。


 でも、奇妙なくらい長く感じた。


 監督が見ていたものも、たぶん私と同じだった。


 凜の呼吸。


 さっきまで何本も集められたサーブ。


 そして、ここから始まる後衛の3ローテーション。


 深見監督の視線が、もう一度凜へ向いた。


 次の瞬間、声が飛んだ。


「神崎!」


「はい!」


 凜が振り返る。


「水瀬と交代!」


 一瞬だけ凜が驚いた顔をした。


「水瀬!」


「はい!」


 私はもう立っていた。


「サーブから3ローテ回れ!」


「はい!」


 交代ゾーンへ走る。


 凜がボールを持ったまま戻ってきた。


「千尋?」


「3ローテ休んで」


「え?」


 凜が目を丸くする。


 私はボールを受け取りながら言った。


「前衛でバンバン決めて」


 凜は私の顔を見た。


 それから、コートを見た。


 自分が今まで立っていた場所を見て、ようやく意味が分かったらしい。


「……分かった!」


「うん」


「サーブ、頼んだ!」


「任せて」


 手を合わせて、すれ違った。


 エンドラインの後ろへ立つ。


 初めて考えた時は、由梨先輩か沙耶先輩の後ろを代わるつもりだった。


 それが今、私が代わったのは凜だった。


 ボールを高く上げる。


 助走して、跳ぶ。


 思い切り振り抜いた。


 バンッ、と乾いた音が響く。


 狙ったのは相手レフトの少し前。


 相手のレセプションが崩れ、セッターがネットから離れる。高く返ってきたボールに萌々香先輩と皐月先輩がつき、ワンタッチを取った。


 佳穂先輩が拾う。


 怜奈先輩が上げる。


 沙耶先輩が決めた。


 16-13。


「ナイスサーブ!」


「はい!」


 もう一度サーブを打った。


 今度は奥。


 相手も何とか上げ、長いラリーになる。最後は相手に取られたけれど、私はそのままコートに残った。


 サーブだけで終わりではない。


 後衛中央へ移る。


 相手のサーブが来た。


「私!」


 正面に入って腕を出す。


 完璧な返球ではない。それでも、怜奈先輩が十分にトスへ入れる高さまで上げることはできた。


 そこから綾香先輩がライトで打つ。


 拾われる。


 返ってきたボールを今度は佳穂先輩が上げる。


 私は空いた場所を埋める。


 怜奈先輩が1本目を触れば2本目へ走る。フェイントが落ちそうなら前へ出る。


 一つ一つなら、もっと上手い人がいる。


 でも今は、それでよかった。


 私がここにいる間、凜はコートの外にいる。


 レセプションをしなくていい。


 ブロックにも跳ばなくていい。


 次に前へ戻った時、また思い切り打つために休める。


 そのことが、思っていた以上に嬉しかった。


 もう一度ローテーションが回り、私は後衛左へ移った。


 次に回れば前衛になる。


 つまり、ここが最後。


 後ろ3ローテーションの最後の位置だった。


 相手のサーブを沙耶先輩が受けた。


 きれいなボールが怜奈先輩へ返る。


 その瞬間、沙耶先輩はすぐに助走へ入った。


 相手のブロックが反応する。


 当然だった。


 今日も何本決めたか分からない沙耶先輩が、十分な助走を取っている。ミドルもそちらへ寄り、もう1枚も少し身体を向けた。


 沙耶先輩の後ろが空いた。


 それを見た瞬間、身体の方が先に動いた。


 少し内側へ入りながら助走を取る。


 1歩、2歩と速度を上げ、最後で止めない。


 前へ体重を乗せる。


 何度も練習した。


 そして、一度だけ目の前で見た。


 沙耶先輩が前から入る。


 全員がそこを見る。


 その後ろから、由梨先輩が飛び込んできた。


『沙耶が最高の囮になるやつ』


 怜奈先輩と目が合った。


 ほんの一瞬だった。


 でも、怜奈先輩には私が何をしようとしているのか全部伝わったらしい。


 唇が、楽しそうに歪んだ。


 あ。


 来る。


 沙耶先輩が跳んだ。


 相手のブロックもつられて跳ぶ。


 その直後、怜奈先輩の指先からボールが離れた。


 沙耶先輩のところではない。


 後ろ。


 私の前へ落ちてくる。


 アタックラインの手前で踏み切った。


 前への勢いをそのまま空中へ持っていく。


 身体ごとボールへ近づき、思い切り腕を振った。


 ドンッ!


 ブロックはなかった。


 打ったボールが相手コートの床へ突き刺さる。


 決まった。


 着地して、自分でも一瞬呆然とした。


「……入った」


「千尋!」


 呼ばれて顔を上げると、沙耶先輩がこっちへ来ていた。


「はい?」


「このやろー!」


「えっ、何ですか!?」


 いきなり頭を捕まえられた。


 そのまま両手でぐりぐりされる。


「痛い痛い痛い!」


「私を囮にしたな!?」


 言っていることとは反対に、沙耶先輩は楽しそうに笑っていた。


「囮にしたのは怜奈先輩ですよ!?」


「走ってきたのお前だろ!」


「でもトスを上げたの怜奈先輩です!」


「だって空いてたから」


 怜奈先輩は悪びれもせずに言った。


「ほら! 怜奈先輩です!」


「千尋が入ってこなかったら上げてないよ」


「じゃあ2人ともじゃん!」


「痛いですって、沙耶先輩!」


 ようやく解放され、乱れた髪を直す。


 沙耶先輩はまだ笑っていた。


 怜奈先輩も同じだった。


 ほんの少し前まで、由梨先輩とやっていた攻撃。


 同じものではない。


 由梨先輩の方が助走も速くて、打点もコースもずっと安定していた。


 でも、あの時見せてもらったものが、今の1本につながった。


 そう思うと、少しだけ胸が熱くなった。


「水瀬!」


 深見監督の声が飛んだ。


「はい!」


「次、前だ。神崎と交代!」


「はい!」


 私は交代ゾーンへ向かった。


 もう凜が待っていた。


 さっきまで荒かった呼吸は戻っている。顔にも、最初にコートへ入った時と同じ勢いがあった。


「千尋、ナイス!」


「凜も」


 手を合わせる。


「前衛でバンバン決めて!」


「任せて!」


 凜がコートへ戻っていった。


 私はそのままベンチへ下がる。


 次のラリーで、怜奈先輩が凜へ上げた。


 凜が走る。


 高く跳ぶ。


 思い切り腕を振り抜く。


 ドンッ!


 さっきまでより明らかに高い打点から、ボールが相手コートへ叩き込まれた。


 休んだ分だけ跳べている。


 その1本を見て、ようやく自分の中で全部がつながった。


 私は凜の代わりにならなくていい。


 凜よりたくさん点を取る必要もないし、美緒より全部のボールを拾える必要もない。由梨先輩と同じ選手になる必要だってない。


 凜が前で一番強く戦うために、後ろ3つを受け持つ。


 サーブを打って、拾って、つないで、必要なら2本目にも触る。


 そして機会があれば、後ろからだって打つ。


 前衛へ戻るところで、休ませていた凜を返す。


 たった3ローテーション。


 でも、その3つを私が引き受ければ、戻ってきた凜はまた高く跳べる。


 私が12人に入るために探していたのは、誰か1人を押しのけるほど大きな場所じゃなかった。


 もっと短くて。


 もっと狭くて。


 それでも確かに、私にしか埋められない時間だった。


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