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水瀬千尋はエースじゃない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第二十二話 足りない

 翌日、由梨先輩は体育館に来なかった。


 分かっていたことだった。


 昨日、そのまま病院へ行ったのだから、いつものように練習着で現れるはずがない。


 それでも体育館に入った瞬間、いつも由梨先輩がいる辺りを見てしまった。


 いない。


 沙耶先輩も一度だけ、同じ場所を見た。


 それから何も言わずにシューズの紐を結んだ。


 全員が着替えを終えた頃、深見監督が手を叩いた。


「集合」


 いつもより早く人が集まる。


 凜が隣に立った。


 伊織も、その少し向こう。


 前には沙耶先輩、怜奈先輩、瑞穂先輩たち2年生。そのさらに前に綾香先輩、萌々香先輩、佳穂先輩が並んだ。


 深見監督は全員を見渡してから口を開いた。


「三上のことから話す」


 体育館が静かになった。


「昨日、病院で検査を受けた。左アキレス腱断裂」


 昨日聞いた、あの音が蘇った。


 バチン。


 由梨先輩が床に倒れた。


 左足で床を押せなくなっていた。


「手術をすることになった」


 凜が隣で拳を握った。


「復帰までどれくらいかかるかは、本人の経過もある。今ここで私から決めつけることはしない。ただし」


 深見監督が一度言葉を切った。


「総体本選には間に合わない」


 誰も声を出さなかった。


 全国への切符は、もう取っている。


 由梨先輩も一緒に取った。


 東京都予選を戦って、負けて、悔しがって。


 次は本選で返すと言っていた。


 なのに、その全国に由梨先輩はいない。


「……はい」


 沙耶先輩が小さく返事をした。


 深見監督がそちらを見る。


「三上本人には、今は治療のことだけ考えろと伝えてある。こっちはこっちでやる」


「はい」


「全国まで時間は多くない。今日からチームを組み替える」


 全員の顔が上がった。


「御子柴」


「はい」


「レフトに入れ」


「はい」


「高梨」


「はい」


「セッター対角」


「はい!」


 私は頭の中で並べてみた。


 レフトが沙耶先輩と綾香先輩。


 セッターは怜奈先輩。


 その対角に瑞穂先輩。


 ミドルは萌々香先輩と皐月先輩。


 リベロは佳穂先輩。


「まずはこの形でやる」


 深見監督が言った。


「三上が抜けたからといって、その場所に誰か1人を入れれば元通りになるとは思わないこと。6人の組み合わせから作り直す」


「はい!」


 返事が体育館に響いた。


 その日の練習から、綾香先輩は沙耶先輩の対角に入った。


 最初に見た時、私は普通に強いと思った。


 綾香先輩は何でもできる。


 レシーブもできる。


 難しいボールをつなげる。


 怜奈先輩が1本目を触れば2本目にも入れるし、崩された時に無理やり決めようとせず、次の1本を作る判断も早い。


 レフトに入っても、それは変わらなかった。


 瑞穂先輩も同じだった。


 セッター対角に入って、打って、拾って、つなぐ。


 由梨先輩はいない。


 それでも、青嵐の6人はちゃんとバレーボールになっていた。


「普通に強いね」


 凜が言った。


「うん」


 私も頷く。


「綾香先輩、何でもできるなあ」


「今さら?」


 伊織が言った。


「知ってたけど」


「じゃあ何?」


「レフトでも普通にできるんだなって」


 伊織は返事をせず、コートを見ていた。


「伊織?」


「何?」


「なんかある?」


「まだ分かんない」


「何が?」


「しっくり来てない」


 私はもう一度コートを見る。


「そう?」


「うん」


 私には、まだ分からなかった。


 数日後。


 全国大会を想定した練習試合が組まれた。


 相手も全国への出場を決めているチームだった。


 最初のセット。


 青嵐は悪くなかった。


 佳穂先輩が拾う。


 怜奈先輩がトスを散らす。


 皐月先輩が中央で決める。


 瑞穂先輩がライトから打つ。


 綾香先輩もレフトで崩れない。


 乱れたボールをつなぎ直して、最後には誰かが打てる形を作る。


 そして。


「沙耶!」


「はい!」


 怜奈先輩のトスが上がる。


 沙耶先輩が跳ぶ。


 バンッ!


 ブロックの指先を弾いて、ボールがコートの外へ飛んだ。


「ナイス!」


 点が入る。


 強い。


 ちゃんと強い。


 なのに。


「……なんか」


 声が漏れた。


 隣にいた伊織がこちらを見る。


「何?」


「分かんない」


「何が?」


「強いんだけど」


 コートを見る。


「前より、沙耶先輩が苦しそう」


 伊織が少しだけ目を細めた。


「千尋もそう見える?」


「伊織も?」


「うん」


 次のラリー。


 青嵐のレセプションが少し乱れる。


 怜奈先輩が走る。


 高いトス。


 沙耶先輩。


 2枚。


 打つ。


 拾われる。


 相手の攻撃を佳穂先輩が上げた。


 もう一度、怜奈先輩。


 今度は綾香先輩へ上げる。


 ブロック1枚。


 綾香先輩がコースを狙って打つ。


 拾われた。


「……あ」


 次のラリーも。


 沙耶先輩。


 2枚。


 少し遅れて3枚目まで寄ってくる。


「伊織」


「うん」


「沙耶先輩に寄ってる」


「最初より露骨になってる」


 相手は綾香先輩を無視しているわけじゃない。


 瑞穂先輩を捨てているわけでもない。


 中央だって見ている。


 でも。


 最後に誰を止めればいいのかは、決めている。


「沙耶先輩を止めればいいって思われてる?」


「多分」


 伊織が答える。


「綾香先輩は上手い。でも、沙耶先輩と二択にされたら、相手は沙耶先輩に2枚つける」


 またトスが上がった。


 沙耶先輩。


 今度は完全に捕まった。


 ドンッ!


 ブロックに叩き落とされる。


 沙耶先輩が悔しそうに顔をしかめた。


「もう一回!」


 それでも次の1本を要求する。


 2セット目に入ると、相手の守り方はさらに分かりやすくなった。


 怜奈先輩が中央を使う。


 皐月先輩が決める。


 次には瑞穂先輩。


 そこでも点を取る。


 綾香先輩もブロックアウトを取った。


 それでも相手は、少しずつ沙耶先輩へ寄っていく。


「また2枚」


 伊織が呟く。


 私にも分かるようになっていた。


 沙耶先輩が前にいる時、相手のブロックがそちらへ寄る。


 綾香先輩にもつく。


 でも、最後まで残らない。


 沙耶先輩の助走が見えれば、1人分の意識がそちらへ動く。


 由梨先輩がいた時とは違った。


 由梨先輩なら。


 そう考えたところで、胸が少し痛くなった。


 でも。


 由梨先輩がいない以上、比べなければいけない。


 由梨先輩がレフトにいた時、相手は沙耶先輩だけを見ていられなかった。


 前からも打つ。


 後ろからも入ってくる。


 沙耶先輩へ寄ったら、その対角から点を取られる。


 だから迷った。


 今は、その迷いが少ない。


「……火力?」


 私が言った。


 伊織がこちらを見る。


「何?」


「綾香先輩が弱いとかじゃなくて」


「うん」


「相手が怖がるくらいの攻撃が、沙耶先輩の反対にも必要なのかな」


 伊織は少し考えてから頷いた。


「多分、それ」


 そのセットも競った。


 大きく崩れたわけじゃない。


 サーブレシーブも壊れていない。


 守備もできている。


 でも、最後の数点を取るのに苦しんだ。


 練習試合が終わった。


 整列して、挨拶をする。


 相手チームを見送ったあと、青嵐の選手たちはコート脇に集まった。


「今日の映像はあとで確認する」


 深見監督が言った。


「まず、2セット目の――」


「監督」


 綾香先輩が声を上げた。


 深見監督が止まる。


「何だい」


「お聞きしてもいいですか」


「どうぞ」


 綾香先輩が真っ直ぐ監督を見る。


「何故、神崎を使わないのですか」


「え?」


 凜の声がした。


 全員の目が綾香先輩へ集まる。


 深見監督は表情を変えなかった。


「理由を聞いている?」


「違います」


 綾香先輩が1歩前へ出た。


「使わない理由を聞いています」


「綾香先輩」


 沙耶先輩が声をかけた。


「沙耶、今はちょっと黙ってて」


「……はい」


 綾香先輩はもう一度、深見監督を見る。


「分かっているでしょう」


 少しだけ声が強くなる。


「私より、はるかに凜の方が決定力がある」


 凜が目を見開いた。


「キャプテン――」


「凜も今は黙ってて」


「……はい」


「今日、相手は途中から沙耶に寄っていました」


「見ていたよ」


「私は、ブロック1枚で十分だと思われています」


 綾香先輩ははっきりと言った。


「私では、沙耶の対角は火力不足です」


 誰も何も言わなかった。


 青嵐のキャプテンが、自分で自分を火力不足だと言っている。


 綾香先輩だって強い。


 それは、この数日ずっと見ていた。


 なのに、その本人が一番迷いなく言った。


「由梨と同じことを凜にさせる必要はありません。そもそも、由梨と同じ選手なんていません」


 ほんの一瞬だけ、綾香先輩の声が揺れた。


「だったら、別の形で強くするべきです」


「神崎を入れれば、守備力は落ちる」


 深見監督が言った。


「分かっています」


「レセプションも三上ほど安定しない。つなぎも二段トスも、試合中の判断もまだ粗い」


「はい」


「それでも?」


「それでもです」


「私も賛成です」


 別の声がした。


 萌々香先輩だった。


「萌々香?」


 綾香先輩まで少し驚いたように見る。


 萌々香先輩は何でもないような顔で続けた。


「綾香じゃ火力不足」


「萌々香、それ本人が言うのと人に言われるのはちょっと違うんだけど」


「自分で言ったんでしょ」


「言ったけどさ」


 ほんの少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ。


 でも、萌々香先輩の表情は真剣なままだった。


「今日、結局相手は沙耶にブロックを寄せました。綾香に1枚残すより、沙耶を止めた方がいいと判断されたからです」


 萌々香先輩はミドルの位置から何度も見ていたはずだ。


 相手のブロッカーが、どこを見るのか。


 どこへ寄るのか。


「皐月や瑞穂が決めても、そこは変わらなかった。結局、最後に沙耶を止めればいいになっていました」


「白石」


「はい」


「守備は?」


「落ちます」


 萌々香先輩は即答した。


「でも、多少守備力が落ちようとも、私は攻撃力を取るべきだと思います」


 そして凜を見る。


「凜を入れたら、相手は沙耶だけ見ていられない」


「私も賛成です」


 今度は佳穂先輩だった。


 3年生。


 リベロ。


「佳穂まで?」


 綾香先輩が言う。


「その分、こっちで拾います」


 佳穂先輩はあっさり言った。


「凜は攻撃に専念させればいいです」


 凜が佳穂先輩を見る。


「レセプションが由梨ほどじゃないなら、その分私が広く取る。守備で足りないところは後ろで補います」


「桜井」


 深見監督が言った。


「簡単に言うね」


「簡単じゃないです」


 佳穂先輩は首を振った。


「でも、それが必要ならやります」


 一度だけ凜を見る。


「拾うのは私の仕事なので」


 3年生が3人。


 綾香先輩。


 萌々香先輩。


 佳穂先輩。


 全員が同じ方向を向いていた。


 1年生を使えと言っている。


 自分たちより下の学年だからでもない。


 将来があるからでもない。


 ただ。


 今の青嵐が、一番強くなるために。


「監督」


 綾香先輩がもう一度言った。


「私はセッター対角に戻ります」


 瑞穂先輩を見る。


「瑞穂には悪いけど」


「何で私に謝るんですか」


 瑞穂先輩が苦笑した。


「勝つためですよね」


「……うん」


「ならいいです」


 綾香先輩が少しだけ笑った。


 すぐに深見監督へ向き直る。


「全国で勝つなら、凜です」


 深見監督は、しばらく何も言わなかった。


 綾香先輩を見る。


 萌々香先輩。


 佳穂先輩。


 それから、沙耶先輩と怜奈先輩。


 最後に凜を見た。


「神崎」


「はい!」


 大きな返事が体育館に響いた。


 深見監督が言う。


「次の試合から、沙耶の対角に入れ」


 一瞬だけ。


 凜の顔が止まった。


 それから。


「――はい!」


 さっきよりも大きな声が、体育館いっぱいに響いた。


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