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水瀬千尋はエースではない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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第十一話 道筋

 午後の練習試合は、コートを入れ替えながら続いていた。


 青嵐と椿山の1年生主体のゲームが終わったあと、今度は青嵐と紫峰の1年生を中心にしたゲームが組まれている。


 徳川(とくがわ)智也(ともや)は2階の観覧スペースから、そのコートを見下ろしていた。


 青嵐は1年生が5人しかいないため、上級生が2人入っている。それでも、見るべきところは十分にあった。


 紫峰は高い。


 1年生だけを並べても、それがよく分かる。


 対する青嵐は、高さだけなら紫峰ほどではない。ただ、神崎凜が前衛に上がれば一気に攻撃力が増し、榊原真帆が中央に立てばブロックの高さも出る。後ろでは速水美緒が拾い、黒川伊織がトスを上げ、その隙間を水瀬千尋が動いていた。


「今年も面白いのを取ったね」


 隣から声がした。


 紫峰の監督だった。


 そのさらに向こうには、青嵐の監督、深見(ふかみ)佳澄(かすみ)がいる。


 2人とも40代後半。現役時代はプロでプレーし、その後も長く高校バレーを見てきた人たちだ。


 対して、徳川は28歳。


 今年から椿山の監督になったばかりだった。


 前監督から引き継ぐ話をされた時には、自分なりに覚悟をしていたつもりだった。


 しかし、こうして両隣にこの2人が立っていると、覚悟というものは簡単に薄くなる。


「神崎は分かりやすいね」


 紫峰の監督が言った。


 ちょうど神崎にトスが上がる。


 高い。


 紫峰のブロックが2枚ついたが、神崎は迷わず振り抜いた。指先を弾いたボールがコートの外へ飛んでいく。


「1年目から使いたくなる」


「本人もそのつもりだよ」


 深見が答える。


「だろうね。あの顔は、ベンチで待つ顔じゃない」


 神崎が何かを叫びながら次の位置へ下がっていく。


 声までは聞こえないが、何を言っているのか何となく想像できるような顔をしていた。


 徳川も少し笑った。


「速水もいい」


 今度は後衛へボールが落ちる。


 速水が一歩で入った。


 紫峰の強打を腕に当てる。少しネットから離れたが、十分につながる高さだった。


 黒川が走る。


 乱れた1本目から、中央へ。


 榊原が跳んだ。


 まだ少し遅い。


 ブロックに捕まる。


 しかし、跳ね返ったボールへ水瀬が入った。


 そのままつなぎ直す。


「榊原はまだ身体が追いつかないか」


「頭の方が先に行ってるね」


 深見が言う。


「見えてはいるよ。だから、あれは時間がかかっても伸びる」


「180cmあって見えるなら、待つ価値はあるね」


 紫峰の監督はそこまで言ってから、少し視線を横へずらした。


 黒川伊織。


 水瀬千尋。


 2人を交互に見ている。


「……なるほど」


 小さく笑った。


「黒川の相方に、水瀬の娘を選んだのはいい選択だね」


 徳川は一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 水瀬。


 娘。


 頭の中で2つの言葉がつながるまで、少し時間がかかった。


「……水瀬の娘?」


 思わず口に出した。


 2人が徳川を見る。


「徳川君、知らなかったのか?」


 深見に聞かれ、徳川は眼下の水瀬を見直した。


「水瀬って……水瀬尋長ですか?」


「他に誰がいる」


 心臓が一度、大きく鳴った気がした。


 水瀬尋長。


 元全日本のセッター。


 徳川が中学生、高校生だった頃、何度も映像で見た選手だった。


 ブロックを見る。


 レシーブを見る。


 スパイカーを見る。


 そして、相手が嫌がる場所へ何でもない顔でトスを出す。


 何を考えているのか分からないのに、気がつけば相手の守備が崩されている。


 徳川にとっては、まさに憧れた世代の選手だった。


「……そうか。娘さんなのか」


「やっぱり知らなかったんだね」


 紫峰の監督が笑う。


「名字は同じだと思ってましたけど、まさか」


 もう一度、水瀬を見る。


 168cm台。


 アウトサイド。


 サーブを打ち、拾い、つなぎ、状況によっては二段トスにも入る。


 面白い選手だと思っていた。


 ただ。


「……セッターじゃないんですね」


 言ってから、少しだけ余計だったと思った。


 紫峰の監督がすぐに笑った。


「残念そうだね、徳川君」


「いや」


「残念そうだよ」


「……少しだけです」


 正直に答えると、深見まで笑った。


「世代ですから。水瀬尋長のトス、かなり見てました」


「そういう年か」


「そういう年です」


 徳川が言うと、紫峰の監督はまたコートへ視線を戻した。


「でも、あの子は父親とはちょっと違うよ」


「違うんですか?」


「違うね」


 答えたのは深見だった。


「千尋は尋長より、相沢に似てるさ」


 徳川が振り向いた。


「……相沢?」


「噂をすれば来たね」


 深見の視線の先を見る。


 階段を上がってくる人影があった。


 青嵐のジャージ。


 背は高い。


 少し身体を庇うような歩き方には、現役時代に痛めた腰の名残がわずかにある。


 徳川は思わず姿勢を正した。


 相沢直哉(なおや)


 36歳。


 高卒でプロへ入り、全日本まで上がった元オポジット。


 そして、水瀬尋長が最後までトスを託し続けた選手。


「相沢」


 深見が呼ぶ。


「はい。何ですか?」


 相沢は普通に返事をしながら、徳川たちの横まで来た。


 徳川は何度見ても、まだ慣れなかった。


 高校生だった頃に全日本の試合で見ていた選手が、今は青嵐のジャージを着て、普通に高校の体育館を歩いている。


「徳川君が、千尋がセッターじゃなくて残念なんだって」


「なんで俺に報告するんですか」


「水瀬尋長のファンらしい」


「ああ」


 相沢が徳川を見る。


「それはご愁傷様です」


「何がですか」


「実物は結構面倒ですよ」


「憧れを壊さないでください」


 徳川が反射的に返すと、相沢は少し笑った。


 紫峰の監督が言う。


「ちょうどいい。深見が、千尋は尋長より相沢に似てるって話をしてた」


「ああ。それは俺もそう思いますよ」


「本人まで」


 徳川は思わず言った。


 相沢が不思議そうに見る。


「そんなに意外ですか?」


「水瀬尋長の娘ですよ?」


「だからってセッターになる必要はないでしょう」


 あまりにも普通に返されて、何も言えなかった。


 眼下では黒川がトスを上げている。


 今度は神崎へ。


 紫峰のブロックがそちらへ寄った。


 神崎が跳ぶ。


 だが、打たない。


 最後の瞬間に軽く触って、ブロックの後ろへ落とした。


 紫峰が何とか拾う。


 返ってきたボールを速水が上げる。


 黒川が走る。


 水瀬が左から助走へ入った。


 今度こそ水瀬だ。


 そう思った瞬間、黒川は中央へ短いトスを出した。


 榊原。


 少し遅れながらも、今度はブロックの間へ押し込んだ。


「黒川は、よく見てる」


 紫峰の監督が言った。


「神崎を見せて、水瀬を走らせて、最後は榊原か」


「まだ全部が雑だけどね」


 深見はそう言ったものの、声は楽しそうだった。


「でも、あれが尋長に近い」


 徳川は黒川を見る。


「黒川が?」


「考え方がね」


 深見が答える。


「自分で盤面を作って、自分で相手を動かして、その上で一番嫌なところを使いたがる」


「……確かに」


「尋長もそうだった」


 紫峰の監督が懐かしそうに笑った。


「本当に嫌なセッターだったよ」


「褒め言葉ですよね?」


 徳川が聞く。


「もちろん」


「この人たちの褒め言葉は信用しない方がいいですよ」


 相沢が横から言った。


「本人が言うな」


「俺、何本無茶なトス打たされたと思ってるんですか」


 深見が笑う。


「でも打ってただろ?」


「打ちましたけど」


「だから千尋は、お前の方に似てるんだよ」


 相沢は少しだけ考えるようにコートを見た。


 水瀬が、ネットから大きく離れたボールへ走っている。


 黒川が触れない。


 水瀬が下から高く上げる。


 神崎が助走に入った。


 紫峰のブロックが2枚つく。


 それでも神崎は思い切り振った。


 ブロックアウト。


「まあ、そうですね」


 相沢が言った。


「無茶振りされると、面白くなってくるところは似てるかもしれません」


「だろ?」


「ただ、千尋の方が俺より勝手ですよ」


「そうなの?」


 紫峰の監督が興味を示す。


「俺は尋長さんの意図を読んで、それを打てばよかった。でも千尋は、読んだあとに自分で1個足すんですよ」


「……面倒だね」


「面倒ですよ」


 相沢は笑っていた。


 深見が黒川を見る。


「でも、あの子を化かすのは伊織だよ」


 その言葉に、徳川はもう一度黒川を見た。


 黒川伊織。


 178cmの1年生セッター。


 今度は水瀬と目を合わせている。


 水瀬が何かを言った。


 黒川が少し眉を寄せる。


 次のラリー。


 水瀬がレフトから入ったと思ったら、途中で助走を止めた。


 紫峰のブロックが一瞬だけそちらを見る。


 その隙に神崎が後ろから入る。


 黒川のトス。


 神崎が決めた。


「……なるほど」


 徳川の口から、自然に声が出た。


 紫峰の監督が笑う。


「やっと分かった?」


「少しだけです」


「水瀬の娘が水瀬役じゃない。面白いだろ?」


「はい」


 これは面白い。


 父親のようなセッターになるのではなく。


 父親のようなセッターに、使われる側。


 いや、それだけでもない。


 使われながら、本人も勝手に何かを変える。


 徳川が映像で何度も見た、水瀬尋長と相沢直哉。


 その関係が、そのままではない形で目の前にある。


「それにしても」


 徳川は相沢を見る。


「相沢さんが高校でコーチをしてるのも、未だにちょっと不思議なんですよね」


「またその話ですか」


「だって、俺が高校生の時、全日本で打ってた人ですよ」


「もう8年くらい前でしょう」


「8年しか経ってないんですよ」


 紫峰の監督が吹き出した。


「徳川君、今日は忙しいね」


「主に皆さんのせいです」


「相沢は引退して大学まで行き直したからね」


「知ってます」


 徳川は頷く。


 高卒でプロへ入り、腰を痛めて現役を退いたあと、相沢は教育系の大学へ進んだ。


 教員免許を取り、卒業間際に深見から声をかけられて青嵐へ来た。


 知識としては知っている。


 ただ、知識と、実際に本人が隣にいることは別だった。


「普通に学校へ行かせるには、もったいなかったんだよ」


 深見が言った。


 相沢が少し嫌そうな顔をする。


「本人の前で言います?」


「別にいいだろう。せっかくプロまで行った人間が、いきなりどこかの学校で1人で指導するより、ここで数年見てから外へ出た方がいいと思っただけだ」


「俺、外に出される予定だったんですか?」


「ずっと置いておくつもりはないよ」


「今初めて聞きました」


「言ってないからね」


「深見先生」


 徳川は思った。


 相沢直哉でも、この人には振り回されるらしい。


 少しだけ安心した。


「それより徳川君」


 紫峰の監督が今度はこちらを見た。


 安心したのは一瞬だった。


「はい」


「結子、いい顔してたね」


 毛利結子。


 椿山の1年生。


 元紫峰中。


 中学では裏エースと呼ばれていた選手。


「そうですね」


「君が拾ったの?」


「拾ってません」


 即答した。


「でも椿山にいる」


「本人が受験してきたんです」


「勧誘は?」


「してません」


「じゃあ誰が誘ったの?」


 徳川は少し黙った。


「……長宗我部です」


「ああ」


 紫峰の監督は妙に納得した。


 深見も笑っている。


「君より長宗我部の方が選手を連れてきてないか?」


「やめてください」


 事実なので、余計に困る。


「毛利は、紫峰では上がれなかったんだろう?」


 深見が聞く。


「そうだね」


 紫峰の監督は、ごく普通に答えた。


「結子は強いよ。それは今でも変わらない。ただ、紫峰の高校でやろうとしているバレーには合わなかった。それだけ」


 そこに迷いはなかった。


「高さを揃えて、前で押し切る。そういうチームを作るなら、結子より合う選手がいた。選考について後悔はしてないよ」


「本人が椿山を選んだことは?」


「それもいいと思ってる」


 紫峰の監督は、椿山の選手たちが休んでいる場所を見た。


「むしろ楽しみかな。紫峰にいたら、結子には紫峰の仕事をさせる。でも椿山なら違うだろう?」


「……そうですね」


 徳川もそちらを見る。


 栞。


 愛梨。


 多恵子。


 杏奈。


 結子。


 そして、その少し外で先輩にローテーションを教えられている茉里奈。


「あと、あの182cm」


 深見が言った。


 嫌な予感がした。


「前田でしたか?」


「はい」


「どこで見つけた?」


「……廊下です」


 沈黙した。


 紫峰の監督が徳川を見る。


 深見も見る。


 相沢まで見る。


「廊下?」


「はい。学校の廊下です」


「徳川君が?」


「違います」


「まさか」


「長宗我部です」


 紫峰の監督が声を出して笑った。


 相沢まで口元を押さえている。


「笑わないでください」


「いや、だって」


「俺も入学してから知ったんです」


「監督より先に長宗我部が補強してるじゃないか」


「補強じゃありません!」


「じゃあ何?」


「……勧誘です」


「同じだろう」


「違います!」


 自分でも苦しいと思った。


「前田は中学まで水泳です。バレーは高校からです」


「身体能力は高そうだね」


「高いです。ローテーションは全然分かってませんけど」


「ああ」


 深見が納得する。


「さっき迷子になっていた子か」


「見てたんですか」


「面白かったからね」


 面白がらないでほしい。


「でも、椿山には合いそうだ」


 紫峰の監督が言った。


 今度は少し真面目な声だった。


「初心者がミスしても、周りがあまり慌てない」


「栞たちがそうでしたから」


 徳川は答えた。


「あの子たち、中学で長宗我部以外は初心者だったんです。人数が足りなくて、1年の新人戦くらいから試合に出されて、先輩に教えてもらいながら覚えたらしくて」


「それで全国まで行ったんだろ?」


「はい」


「なら、前田が1個間違えたくらいでは驚かないか」


「驚かないですね」


 むしろ、先輩たちの方が懐かしそうにしていた。


 できないなら教える。


 分からないなら聞かせる。


 できるまで外へ置くのではなく、コートの中で覚えさせる。


 それが正しいかどうかは、徳川にはまだ分からない。


 ただ、少なくとも椿山の選手たちは、そのやり方でここまで来た。


「面白いね」


 深見が言った。


「学校が違えば、育ち方も変わる」


 紫峰の監督が頷く。


「結子も、紫峰では見られなかった選手になるかもしれない」


 その言葉を聞いて、徳川は少しだけ肩の力を抜いた。


 結子を紫峰から奪ったつもりなどない。


 まして、紫峰の選択が間違っていたとも思っていない。


 ただ、結子が椿山を選んだ。


 なら、自分はその選択を無駄にしないようにするだけだ。


 眼下で笛が鳴った。


 青嵐と紫峰の1年生たちがコート中央へ集まる。


 神崎はまだ何か言っている。


 速水は静かに水を飲んでいる。


 黒川は試合中の何かを水瀬に話し、水瀬が首を傾げている。


 榊原は1人でブロックの位置を確認していた。


 紫峰の監督が、その5人を眺める。


「しかし、やっぱり今年の青嵐は面白い」


「まだ何もできてないよ」


 深見が言う。


「神崎と速水は早く使えそうだ。黒川もセッターとして面白い。榊原は時間がかかる。でも高さも目もある」


 1人だけ、名前を残した。


「水瀬は?」


 深見はすぐには答えなかった。


 コートの中で、水瀬が神崎に何かを言われている。


 神崎が大きく身振りをする。


 黒川が呆れたように口を挟む。


 速水が一言だけ何かを言う。


 榊原が笑った。


「一番、決めにくいね」


 やがて深見が言った。


「でも、使い道がないわけじゃないだろ?」


「もちろん」


「じゃあ、どうする?」


 深見は少し笑った。


「……もう道筋は見えているよ」


 紫峰の監督も笑った。


「やっぱり?」


「ああ」


 2人だけで納得している。


 徳川は青嵐の1年生たちを見た。


 神崎。


 速水。


 黒川。


 榊原。


 水瀬。


 もう一度見ても、分からない。


 何が見えているのか。


 どこへ向かわせるつもりなのか。


「徳川君」


 紫峰の監督が言う。


「分かる?」


「……何がですか」


 また笑われた。


 徳川は小さく息を吐いた。


 自分にはまだ、3年後なんて見えない。


 そもそも今年の1年生ですら、予定通りに入ってきたのは栞たちくらいだ。


 結子は予想外だった。


 茉里奈に至っては、監督である自分の知らないところで廊下から連れてこられた。


 これからも、きっと予定通りになんていかない。


 それでもいいのかもしれない。


 深見のように、最初から道筋が見える監督には、まだなれそうにない。


 ならせめて。


 選手が自分で見つけた道を、見落とさない監督ではいたかった。


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