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水瀬千尋はエースではない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第一章 あそこへ

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2/13

第一話 推薦


水瀬(みなせ)。お前にも青嵐から推薦の話が来ている」


「……私にも?」


 思わず聞き返した。


 10月。中学最後の大会が終わり、3年生が本格的に進路を決め始める時期だった。


 放課後の職員室には、窓の外から体育館へ向かう後輩たちの声が聞こえてくる。私たち3年生はもう引退しているけれど、あの声を聞くと、今すぐ体育館へ行きたくなった。


 机を挟んで座っている顧問の先生は、そんな私の顔を見ながら、もう1度繰り返した。


青嵐女学院(せいらんじょがくいん)。高等部の女子バレー部からだ」


「青嵐……」


 もちろん知っている。


 青嵐女学院は、東京にある女子バレーの強豪校だ。全国大会の常連で、中等部も強いけれど、高等部はさらに強い。全国大会に出ることではなく、その先で勝つことを目標にしている学校だった。


 1つ上の三上由梨(みかみゆり)先輩も、去年、推薦で青嵐へ進学している。


 だから、真っ先に浮かんだのは幼馴染の名前だった。


「凜じゃなくて?」


「神崎にも来ている」


「あ、ですよね」


 そっちは分かる。とてもよく分かる。


 神崎凜(かんざきりん)は、179cmのアウトサイド。小学生の頃からずっとエースで、中学でも当然のようにチームで1番点を取った。


 高く跳び、強く打つ。調子がいい日の凜は、中学生のブロックなら、その上から普通に叩き込んでしまう。


 他の強豪校からも声をかけられていると聞いているし、凜の兄2人も男子バレーではかなり有名だった。長男も次男もアウトサイドのエースだから、バレー関係者なら『神崎』の名前を知っている人は多い。


 だから、青嵐が凜を欲しがるのは分かる。


 問題は――。


「……なんで私?」


「お前、自分で言うのか」


「だって先生も思いません?」


「思った」


「先生」


「最後まで聞け」


 先生が咳払いした。


「別に、お前が下手だと言ってるわけじゃない」


「今の流れだと、だいぶ怪しかったですけど」


「全国大会まで行ったチームのレギュラーに、下手とは言わん」


 私たちの中学は、全国大会には出た。ただし、上位に食い込んだわけではない。


 全国へ行けば、当然のようにもっと強いチームがいた。もっと高い選手も、もっと速い選手も、もっと強く打つ選手も、たくさん見た。


 その中で、自分が全国的に目立つ選手だったかと言われると、たぶん違う。


「神崎は分かりやすい」


 先生が言った。


「179cmのアウトサイドで、決定力もある。まだ伸びる可能性も高い」


「ですよね」


「お前は――」


 先生が言葉を止めた。


「何ですか」


「説明しにくい」


「ひどくない?」


「いや、本当に」


 先生が少し笑った。


「レシーブはできる」


「はい」


「サーブも悪くない」


「はい」


「トスも上げられる」


「一応」


「ライトもレフトもやれる」


「一応」


「ブロックも、高さの割には上手い」


「高さの割には余計です」


「169cmだろ」


「今朝測ったら168.8cmでした」


「縮んでるじゃないか」


「誤差です」


「まあ、とにかく」


 先生は指を折りながら、私にできることを並べていった。


「何でもできる」


「……それ、褒めてます?」


「褒めてる」


「でも、何が1番ってないですよね」


 口に出した途端、胸の奥に少しだけ引っかかるものがあった。


 昔からそうだった。


 レシーブを頼まれればやる。セッターが1本目を触れば2本目を上げ、ライトに人がいなければライトへ行く。ブロックで高さが足りなければ相手の助走を見て、困ったボールが来たら、何とかする。


 大体のことはできる。


 でも、凜のように「この子にはこれがある」と言われるものが、自分にもあるのだろうか。


 時々、よく分からなくなる。


「だから、私まで推薦って、ちょっと変じゃないですか?」


「それは俺も聞いた」


「聞いたんですか」


「聞くに決まってるだろ」


「なんて?」


 先生は、机の上に置かれた紙へ視線を落とした。


「向こうは、神崎と水瀬を2人とも欲しい、と」


「……2人とも?」


「ああ」


「セット?」


「そういう言い方だった」


 ますます分からない。


「凜の取扱説明書として?」


「自分を何だと思ってるんだ」


「幼馴染歴なら長いので」


 家は3軒隣で、小さい頃からずっと一緒だった。学校もバレーも同じだから、凜が調子に乗っている時も、落ち込んでいる時も、怒っている時も、大体分かる。


「神崎を扱う能力で推薦を出す学校があるか」


「青嵐ならあるかもしれない」


「ない」


 即答された。


「で、理由は?」


「詳しくは教えてもらってない」


「えー」


「見学に来てほしい、とさ」


「見学?」


「ああ。部活体験もできるそうだ」


 私は少しだけ考えた。


 青嵐女学院へ行ったことはないけれど、試合ならテレビで何度も見たことがある。


 何度拾われても、また拾う。強打を決める選手だけではなく、床ぎりぎりのボールに飛び込む選手まで、全員が動き続けるチームだった。


 父が青嵐の試合を見ながら、


『こういうチームは嫌だねえ。なかなかボールが落ちない』


 と、楽しそうに言っていたのを覚えている。


「凜も見学ですか?」


「もちろん」


「じゃあ、凜と相談して――」


 そう言いかけたところで、職員室の扉が勢いよく開いた。


「千尋!」


 聞き慣れた声に、先生が眉間を押さえる。


「神崎。ノック」


「あ」


 凜は1度扉を閉めた。


 コンコン。


「どうぞ」


 ガラッ。


「千尋!」


「何も変わってないよ」


「聞いた!?」


「何を?」


「青嵐!」


「今、聞いてたところ」


 凜はそのまま私の机の横まで来た。顔がもう、完全に嬉しそうだ。


「千尋! 青嵐行くよね!」


「早い早い」


「だって青嵐だよ!?」


「知ってる」


「由梨先輩いるよ!」


「知ってる」


「全国行けるよ!」


「行けるとは限らない」


「全国目指せるよ!」


「それなら合ってる」


「一緒に行こう!」


 先生がため息をついた。


「神崎、お前はもう決めたのか?」


「はい!」


「他の学校も見てから決めてもいいんだぞ」


「でも青嵐強いし!」


「うん」


「由梨先輩いるし!」


「うん」


「千尋も呼ばれてるし!」


 当然のように、3本目の理由に私が入った。


 私は凜を見る。


「それ、進路を決める理由としてどうなの」


「大事でしょ」


「私が別の学校へ行くって言ったら?」


「え」


 凜の顔が止まった。


「……行くの?」


「まだ決めてないよ」


「行かないよね?」


「だから、まだ」


「千尋がいないと楽しくないんだけど!」


 即答だった。先生が笑いを堪えている。


「小学校からずっと一緒じゃん!」


「だから何」


「今さら3年増えても同じでしょ!」


「あと3年も凜の子守かあ」


「子守じゃない!」


「何回忘れ物を届けたと思ってるの」


「それは……」


「体育館にシューズを忘れた回数は?」


「……」


「お弁当は?」


「2回」


「35回」


「そんなに!?」


「本人が驚くな」


 先生まで突っ込んだ。


「でも!」


 凜は全然めげない。


「私は青嵐へ行きたい!」


「うん」


「千尋も見学行こう!」


「それは行く」


「ほんと!?」


「見るだけね」


「やった!」


「まだ入るとは言ってないから」


「でも、来ると思う!」


「何、その自信」


「だって千尋、絶対青嵐好きだもん」


「なんで凜が決めるの」


「分かるから!」


 何を根拠に、と思ったけれど、否定はしなかった。


 私自身も、青嵐というチームに少しだけ興味が湧いていたから。


     ◇


 話が終わったあと、私と凜は後輩たちの練習を手伝うため、体育館へ向かった。


「青嵐かあ」


 体育館の扉を開けながら、凜が言う。


「まだ言ってる」


「楽しみじゃない?」


「見学は楽しみ」


「じゃあ行くじゃん!」


「見学にはね」


「高校も!」


「話飛ばさないで」


 体育館の中では、後輩たちが既に対人を始めていた。


「先輩、お疲れさまです!」


「お疲れー」


「今日お願いします!」


「はいはい」


 後輩からボールを受け取る。


 久しぶりというほどでもない。つい数週間前までは、毎日ここにいたのだ。


「凜、打つ?」


「打つ!」


「元気だなあ」


「千尋、上げて!」


「はいはい」


 凜が助走へ下がり、私がトスを上げる。凜はタイミングを合わせて跳ぶと、思い切り腕を振り抜いた。


 バンッ!


「うわ!」


 後輩が弾いた。


「凜、後輩相手に本気出さない」


「普通だよ!」


「嘘つけ」


「千尋、もう1本!」


「はい」


 何本か続けているうちに後輩たちも混ざり、そのまま6対6の練習が始まった。


 私は後衛で、凜は前衛。相手コートからサーブが放たれる。


「来るよ!」


 1本目のレシーブが乱れた。


「ごめん!」


 ボールはネットから大きく離れ、セッターの後輩が慌てて走る。しかし、間に合わない。


「千尋!」


「はいはい」


 身体が先に動いた。


 前へ出て、2本目のボールの下へ入る。凜は既に助走へ入っていたけれど、相手のブロッカー2人は、最初から凜だけを見ていた。


 まあ、そうなる。


 このチームなら、困った時は凜。相手も、味方も、みんなそれを知っている。もちろん、凜自身も分かっている。


「千尋!」


 凜が私を呼ぶ。


 けれど、ライト側のブロックは1枚しかいなかった。


「そっち!」


 私は凜ではなく、ライトの後輩へトスを上げた。


「えっ」


 本人が1番驚いた顔をした。


「打って!」


「はい!」


 後輩は慌てながらも助走へ入り、跳んだ。1枚のブロックに向かって打ったボールが、その手を弾いてコートの外へ落ちる。


「ナイス!」


「やった!」


 後輩が嬉しそうに笑った。


 凜も着地すると、すぐに声を上げる。


「ナイスー!」


 それから私の方を見た。


「千尋、今のライトなんだ!」


「だって空いてたし」


「私、2枚だった!」


「知ってる」


「次は私ね!」


「空いてたらね」


「空ける!」


「どうやって」


「頑張る!」


「何を?」


 凜はもう、次のプレーへ向かっていた。


 私は笑いながら、自分の守備位置へ戻る。


 別に、今のは大したことではない。


 凜には2枚ついていて、ライトは1枚だった。だから、ライトへ上げた。


 ただ、それだけだ。


     ◇


 練習が終わったのは、夕方だった。


 家に帰ると、父は台所に立って鍋をかき混ぜていた。


「おかえり」


「ただいま」


「進路の話、聞いたよ」


「早い」


「先生から電話もらった」


 父は鍋をかき混ぜながら言う。


「青嵐だって?」


「うん」


「へえ」


「反応薄くない?」


「そう?」


「もっと何かないの」


「おめでとう?」


「まだ推薦が決まったわけでもないし」


「じゃあ、よかったね?」


「何が」


「見学行けるんでしょ」


「まあ」


 私はスポーツバッグを床へ置いた。


「凜はもう、行く気満々」


「だろうね」


「父さん、青嵐好きでしょ」


「好き嫌いで言えば、好きかな」


「やっぱり」


「嫌なチームだから」


「褒めてる?」


「最高に」


 父らしい。


「千尋は?」


「何が?」


「行きたい?」


「……まだ分かんない」


「そっか」


 それだけだった。


 勧めもしなければ、やめろとも言わない。


「聞かないの?」


「何を?」


「なんで迷ってるとか」


「聞いてほしい?」


「……別に」


「じゃあ聞かない」


 腹が立つほど、いつも通りだ。


 私は冷蔵庫を開けて水を取り出した。


「でもさ」


「うん」


「凜なら分かるんだよ」


「推薦?」


「うん」


 コップに水を注ぐ。


「179cmあって、エースで。強いし」


「そうだね」


「私は何なんだろうって」


 父の手が一瞬だけ止まったけれど、すぐにまた鍋を混ぜ始めた。


「何でもできるって言われた」


「いいじゃない」


「でも、何が1番ってない」


「1番がないと駄目?」


「……分かんない」


 本当に分からない。


 凜を見ていると、時々思う。あれだけ分かりやすく強ければ、自分が何者なのか迷うこともないのだろうか。


「千尋」


「ん?」


「青嵐へ見学に行っておいで」


「うん」


「その時、自分が何を見ているのか、覚えておくといいよ」


「何それ」


「そのままの意味」


「また分かりにくいこと言ってる」


「そう?」


「父さん、昔からそうなの?」


「どうだろうね」


「コーチの人に聞こうかな」


「あいつなら、余計なことまで喋るよ」


「じゃあ聞く」


「やめて」


 珍しく父が少し嫌そうな顔をしたので、私は笑った。


「見学、楽しみになってきた」


「それならよかった」


「凜は絶対、朝からうるさい」


「それもいつも通りだね」


「忘れ物もすると思う」


「それもいつも通り」


「シューズとか」


「さすがにシューズは忘れないでしょ」


「凜だよ?」


「……あり得るね」


 2人で笑った。


 この時の私は、青嵐女学院へ進学するとは、まだ決めていなかった。


 凜と同じ高校へ行かなければならないとも思っていなかった。


 ただ、全国屈指の強豪が、どうして神崎凜だけではなく、水瀬千尋まで欲しいと言ったのか。それだけは、少し気になっていた。


 その答えがあるのなら、1度くらい見に行ってみたいと思った。


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