第一話 推薦
「水瀬。お前にも青嵐から推薦の話が来ている」
「……私にも?」
思わず聞き返した。
10月。中学最後の大会が終わり、3年生が本格的に進路を決め始める時期だった。
放課後の職員室には、窓の外から体育館へ向かう後輩たちの声が聞こえてくる。私たち3年生はもう引退しているけれど、あの声を聞くと、今すぐ体育館へ行きたくなった。
机を挟んで座っている顧問の先生は、そんな私の顔を見ながら、もう1度繰り返した。
「青嵐女学院。高等部の女子バレー部からだ」
「青嵐……」
もちろん知っている。
青嵐女学院は、東京にある女子バレーの強豪校だ。全国大会の常連で、中等部も強いけれど、高等部はさらに強い。全国大会に出ることではなく、その先で勝つことを目標にしている学校だった。
1つ上の三上由梨先輩も、去年、推薦で青嵐へ進学している。
だから、真っ先に浮かんだのは幼馴染の名前だった。
「凜じゃなくて?」
「神崎にも来ている」
「あ、ですよね」
そっちは分かる。とてもよく分かる。
神崎凜は、179cmのアウトサイド。小学生の頃からずっとエースで、中学でも当然のようにチームで1番点を取った。
高く跳び、強く打つ。調子がいい日の凜は、中学生のブロックなら、その上から普通に叩き込んでしまう。
他の強豪校からも声をかけられていると聞いているし、凜の兄2人も男子バレーではかなり有名だった。長男も次男もアウトサイドのエースだから、バレー関係者なら『神崎』の名前を知っている人は多い。
だから、青嵐が凜を欲しがるのは分かる。
問題は――。
「……なんで私?」
「お前、自分で言うのか」
「だって先生も思いません?」
「思った」
「先生」
「最後まで聞け」
先生が咳払いした。
「別に、お前が下手だと言ってるわけじゃない」
「今の流れだと、だいぶ怪しかったですけど」
「全国大会まで行ったチームのレギュラーに、下手とは言わん」
私たちの中学は、全国大会には出た。ただし、上位に食い込んだわけではない。
全国へ行けば、当然のようにもっと強いチームがいた。もっと高い選手も、もっと速い選手も、もっと強く打つ選手も、たくさん見た。
その中で、自分が全国的に目立つ選手だったかと言われると、たぶん違う。
「神崎は分かりやすい」
先生が言った。
「179cmのアウトサイドで、決定力もある。まだ伸びる可能性も高い」
「ですよね」
「お前は――」
先生が言葉を止めた。
「何ですか」
「説明しにくい」
「ひどくない?」
「いや、本当に」
先生が少し笑った。
「レシーブはできる」
「はい」
「サーブも悪くない」
「はい」
「トスも上げられる」
「一応」
「ライトもレフトもやれる」
「一応」
「ブロックも、高さの割には上手い」
「高さの割には余計です」
「169cmだろ」
「今朝測ったら168.8cmでした」
「縮んでるじゃないか」
「誤差です」
「まあ、とにかく」
先生は指を折りながら、私にできることを並べていった。
「何でもできる」
「……それ、褒めてます?」
「褒めてる」
「でも、何が1番ってないですよね」
口に出した途端、胸の奥に少しだけ引っかかるものがあった。
昔からそうだった。
レシーブを頼まれればやる。セッターが1本目を触れば2本目を上げ、ライトに人がいなければライトへ行く。ブロックで高さが足りなければ相手の助走を見て、困ったボールが来たら、何とかする。
大体のことはできる。
でも、凜のように「この子にはこれがある」と言われるものが、自分にもあるのだろうか。
時々、よく分からなくなる。
「だから、私まで推薦って、ちょっと変じゃないですか?」
「それは俺も聞いた」
「聞いたんですか」
「聞くに決まってるだろ」
「なんて?」
先生は、机の上に置かれた紙へ視線を落とした。
「向こうは、神崎と水瀬を2人とも欲しい、と」
「……2人とも?」
「ああ」
「セット?」
「そういう言い方だった」
ますます分からない。
「凜の取扱説明書として?」
「自分を何だと思ってるんだ」
「幼馴染歴なら長いので」
家は3軒隣で、小さい頃からずっと一緒だった。学校もバレーも同じだから、凜が調子に乗っている時も、落ち込んでいる時も、怒っている時も、大体分かる。
「神崎を扱う能力で推薦を出す学校があるか」
「青嵐ならあるかもしれない」
「ない」
即答された。
「で、理由は?」
「詳しくは教えてもらってない」
「えー」
「見学に来てほしい、とさ」
「見学?」
「ああ。部活体験もできるそうだ」
私は少しだけ考えた。
青嵐女学院へ行ったことはないけれど、試合ならテレビで何度も見たことがある。
何度拾われても、また拾う。強打を決める選手だけではなく、床ぎりぎりのボールに飛び込む選手まで、全員が動き続けるチームだった。
父が青嵐の試合を見ながら、
『こういうチームは嫌だねえ。なかなかボールが落ちない』
と、楽しそうに言っていたのを覚えている。
「凜も見学ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、凜と相談して――」
そう言いかけたところで、職員室の扉が勢いよく開いた。
「千尋!」
聞き慣れた声に、先生が眉間を押さえる。
「神崎。ノック」
「あ」
凜は1度扉を閉めた。
コンコン。
「どうぞ」
ガラッ。
「千尋!」
「何も変わってないよ」
「聞いた!?」
「何を?」
「青嵐!」
「今、聞いてたところ」
凜はそのまま私の机の横まで来た。顔がもう、完全に嬉しそうだ。
「千尋! 青嵐行くよね!」
「早い早い」
「だって青嵐だよ!?」
「知ってる」
「由梨先輩いるよ!」
「知ってる」
「全国行けるよ!」
「行けるとは限らない」
「全国目指せるよ!」
「それなら合ってる」
「一緒に行こう!」
先生がため息をついた。
「神崎、お前はもう決めたのか?」
「はい!」
「他の学校も見てから決めてもいいんだぞ」
「でも青嵐強いし!」
「うん」
「由梨先輩いるし!」
「うん」
「千尋も呼ばれてるし!」
当然のように、3本目の理由に私が入った。
私は凜を見る。
「それ、進路を決める理由としてどうなの」
「大事でしょ」
「私が別の学校へ行くって言ったら?」
「え」
凜の顔が止まった。
「……行くの?」
「まだ決めてないよ」
「行かないよね?」
「だから、まだ」
「千尋がいないと楽しくないんだけど!」
即答だった。先生が笑いを堪えている。
「小学校からずっと一緒じゃん!」
「だから何」
「今さら3年増えても同じでしょ!」
「あと3年も凜の子守かあ」
「子守じゃない!」
「何回忘れ物を届けたと思ってるの」
「それは……」
「体育館にシューズを忘れた回数は?」
「……」
「お弁当は?」
「2回」
「35回」
「そんなに!?」
「本人が驚くな」
先生まで突っ込んだ。
「でも!」
凜は全然めげない。
「私は青嵐へ行きたい!」
「うん」
「千尋も見学行こう!」
「それは行く」
「ほんと!?」
「見るだけね」
「やった!」
「まだ入るとは言ってないから」
「でも、来ると思う!」
「何、その自信」
「だって千尋、絶対青嵐好きだもん」
「なんで凜が決めるの」
「分かるから!」
何を根拠に、と思ったけれど、否定はしなかった。
私自身も、青嵐というチームに少しだけ興味が湧いていたから。
◇
話が終わったあと、私と凜は後輩たちの練習を手伝うため、体育館へ向かった。
「青嵐かあ」
体育館の扉を開けながら、凜が言う。
「まだ言ってる」
「楽しみじゃない?」
「見学は楽しみ」
「じゃあ行くじゃん!」
「見学にはね」
「高校も!」
「話飛ばさないで」
体育館の中では、後輩たちが既に対人を始めていた。
「先輩、お疲れさまです!」
「お疲れー」
「今日お願いします!」
「はいはい」
後輩からボールを受け取る。
久しぶりというほどでもない。つい数週間前までは、毎日ここにいたのだ。
「凜、打つ?」
「打つ!」
「元気だなあ」
「千尋、上げて!」
「はいはい」
凜が助走へ下がり、私がトスを上げる。凜はタイミングを合わせて跳ぶと、思い切り腕を振り抜いた。
バンッ!
「うわ!」
後輩が弾いた。
「凜、後輩相手に本気出さない」
「普通だよ!」
「嘘つけ」
「千尋、もう1本!」
「はい」
何本か続けているうちに後輩たちも混ざり、そのまま6対6の練習が始まった。
私は後衛で、凜は前衛。相手コートからサーブが放たれる。
「来るよ!」
1本目のレシーブが乱れた。
「ごめん!」
ボールはネットから大きく離れ、セッターの後輩が慌てて走る。しかし、間に合わない。
「千尋!」
「はいはい」
身体が先に動いた。
前へ出て、2本目のボールの下へ入る。凜は既に助走へ入っていたけれど、相手のブロッカー2人は、最初から凜だけを見ていた。
まあ、そうなる。
このチームなら、困った時は凜。相手も、味方も、みんなそれを知っている。もちろん、凜自身も分かっている。
「千尋!」
凜が私を呼ぶ。
けれど、ライト側のブロックは1枚しかいなかった。
「そっち!」
私は凜ではなく、ライトの後輩へトスを上げた。
「えっ」
本人が1番驚いた顔をした。
「打って!」
「はい!」
後輩は慌てながらも助走へ入り、跳んだ。1枚のブロックに向かって打ったボールが、その手を弾いてコートの外へ落ちる。
「ナイス!」
「やった!」
後輩が嬉しそうに笑った。
凜も着地すると、すぐに声を上げる。
「ナイスー!」
それから私の方を見た。
「千尋、今のライトなんだ!」
「だって空いてたし」
「私、2枚だった!」
「知ってる」
「次は私ね!」
「空いてたらね」
「空ける!」
「どうやって」
「頑張る!」
「何を?」
凜はもう、次のプレーへ向かっていた。
私は笑いながら、自分の守備位置へ戻る。
別に、今のは大したことではない。
凜には2枚ついていて、ライトは1枚だった。だから、ライトへ上げた。
ただ、それだけだ。
◇
練習が終わったのは、夕方だった。
家に帰ると、父は台所に立って鍋をかき混ぜていた。
「おかえり」
「ただいま」
「進路の話、聞いたよ」
「早い」
「先生から電話もらった」
父は鍋をかき混ぜながら言う。
「青嵐だって?」
「うん」
「へえ」
「反応薄くない?」
「そう?」
「もっと何かないの」
「おめでとう?」
「まだ推薦が決まったわけでもないし」
「じゃあ、よかったね?」
「何が」
「見学行けるんでしょ」
「まあ」
私はスポーツバッグを床へ置いた。
「凜はもう、行く気満々」
「だろうね」
「父さん、青嵐好きでしょ」
「好き嫌いで言えば、好きかな」
「やっぱり」
「嫌なチームだから」
「褒めてる?」
「最高に」
父らしい。
「千尋は?」
「何が?」
「行きたい?」
「……まだ分かんない」
「そっか」
それだけだった。
勧めもしなければ、やめろとも言わない。
「聞かないの?」
「何を?」
「なんで迷ってるとか」
「聞いてほしい?」
「……別に」
「じゃあ聞かない」
腹が立つほど、いつも通りだ。
私は冷蔵庫を開けて水を取り出した。
「でもさ」
「うん」
「凜なら分かるんだよ」
「推薦?」
「うん」
コップに水を注ぐ。
「179cmあって、エースで。強いし」
「そうだね」
「私は何なんだろうって」
父の手が一瞬だけ止まったけれど、すぐにまた鍋を混ぜ始めた。
「何でもできるって言われた」
「いいじゃない」
「でも、何が1番ってない」
「1番がないと駄目?」
「……分かんない」
本当に分からない。
凜を見ていると、時々思う。あれだけ分かりやすく強ければ、自分が何者なのか迷うこともないのだろうか。
「千尋」
「ん?」
「青嵐へ見学に行っておいで」
「うん」
「その時、自分が何を見ているのか、覚えておくといいよ」
「何それ」
「そのままの意味」
「また分かりにくいこと言ってる」
「そう?」
「父さん、昔からそうなの?」
「どうだろうね」
「コーチの人に聞こうかな」
「あいつなら、余計なことまで喋るよ」
「じゃあ聞く」
「やめて」
珍しく父が少し嫌そうな顔をしたので、私は笑った。
「見学、楽しみになってきた」
「それならよかった」
「凜は絶対、朝からうるさい」
「それもいつも通りだね」
「忘れ物もすると思う」
「それもいつも通り」
「シューズとか」
「さすがにシューズは忘れないでしょ」
「凜だよ?」
「……あり得るね」
2人で笑った。
この時の私は、青嵐女学院へ進学するとは、まだ決めていなかった。
凜と同じ高校へ行かなければならないとも思っていなかった。
ただ、全国屈指の強豪が、どうして神崎凜だけではなく、水瀬千尋まで欲しいと言ったのか。それだけは、少し気になっていた。
その答えがあるのなら、1度くらい見に行ってみたいと思った。




