第九話 奪っちゃった
ゴールデンウィークは、休みではなかった。
少なくとも、青嵐女学院女子バレーボール部にとっては。
「合宿!」
朝から凜が元気だった。
「知ってる」
「高校初合宿!」
「それも知ってる」
「しかも合同合宿!」
「うん」
「いっぱい試合できる!」
「凜、朝から音量が体育館なんだよ」
まだ学校の駐車場だった。
大型バスの荷物入れにバッグを押し込みながら言うと、凜はまったく気にした様子もなく笑った。
「だって楽しみじゃん!」
「楽しみではあるけど」
「ほら!」
「凜ほどではない」
「またそれ言う!」
後ろでは速水さんが眠そうな顔で欠伸をしている。伊織はイヤホンを片耳だけつけたまま荷物を持ち、榊原さんは集合時間よりかなり早く来ていたらしく、すでにバスの中へ自分の荷物を置き終えていた。
高校に入って、まだ1か月も経っていない。
それでも青嵐で過ごす毎日は妙に濃かった。
入学して、入部して、歓迎試合で先輩たちから17点取って、最後にはきっちり叩き潰された。
あれから通常練習が始まり、毎日のように先輩たちとボールを触っている。
そして今度は、他校がいる。
全国を目指すなら、いつか試合をする相手たちだ。
そう思うと、確かに少し楽しみだった。
今回の合同合宿には、東京だけでなく近県からも複数の高校が集まっていた。
会場は体育館を何面も取れる大型のスポーツ施設で、宿泊棟も併設されている。
到着してバスを降りた瞬間、凜が目を輝かせた。
「うわ、もういる!」
「何が?」
「強そうな人!」
「人を見ただけで強いか分かるの?」
「分かる!」
「どうやって?」
「雰囲気!」
「一番信用できない情報だね」
後ろから伊織が言った。
「分かるって!」
「じゃあ、あの学校は?」
伊織が入口近くで荷物を運んでいる一団を指す。
「強そう!」
「こっちは?」
「強そう!」
「全部じゃん」
「だって合同合宿に来てるんだから強いでしょ!」
「それなら最初からそう言えばいいのに」
伊織と凜が言い合っている横で、榊原さんが参加校の一覧を眺めていた。
「あ」
「何?」
「椿山高校も参加しています」
その名前に、私と凜が同時に反応した。
「栞たち来るんだ!」
「久しぶりだね」
「栞?」
速水さんが聞く。
「中学の時、よく練習試合してた相手」
「強い?」
「強かったよ」
凜が答える。
「あと栞がおもしろい!」
「面白いというか……」
少し考える。
「喋らない」
「喋るよ!」
「凜と比べたら全人類喋らないよ」
「またそれ!」
伊織が笑った。
「どんな子なの?」
「必要なことは言う。でも、すごく省略する」
「省略?」
「周りの幼馴染が勝手に補完するんだよ」
速水さんが少し考えてから言った。
「翻訳機みたいな?」
「そう。それ」
「本人は怒らないの?」
「怒らないけど、ちょっと嫌そうな顔する」
「それ、怒ってないね」
そんな話をしながら体育館へ入った。
中は、いつもの青嵐の体育館とはまるで違った。
コートが何面も並び、至るところからボールを打つ音がする。
知らないユニフォーム。知らないジャージ。知っている顔も、少しだけ。
青嵐は濃い青を基調に、白い流線が斜めに走るジャージだった。何本かの線が肩から脇へ流れていて、動くと白い風が走っているように見える。
その青が体育館の一角を占めていた。
周囲には、赤、黒、緑、白。
中学の大会で見た学校もあった。
「あ、あのセッター知ってる」
私が言う。
「誰?」
「中2の時に当たった」
「顔覚えてたの?」
「顔じゃなくてトスで分かった」
「千尋も大概だね」
「凜には言われたくない」
アップを始めても、凜は隙あらば周囲を見ていた。
「前見て」
「見てる!」
「首が横向いてる」
「目で情報集めてるの!」
「ボール踏まないでね」
「分かってる!」
言った直後に危うくボールを踏みかけていた。
やっぱり見ていない。
午前中の前半は学校ごとの練習だった。
合同で動き始める前に、それぞれ身体を作る。
その途中、体育館の入口から新しい一団が入ってきた。
最初に目に入ったのは色だった。
椿の花みたいな、少し深い赤。
襟や袖口には葉を思わせる濃い緑が入り、胸元には椿をかたどった校章がある。
「あ、椿山」
私が言うより早く、凜が振り向いた。
「栞!」
すぐに探し始める。
私も赤いジャージの一団を見る。
栞はどこだろう。
椿山第二中学からそのまま進学したと聞いている。昔から一緒だった幼馴染たちも、何人か高校まで進んだはずだ。
でも。
「……え?」
隣で凜の動きが止まった。
「どうしたの?」
「千尋」
「何?」
「あれ」
凜が指を差す。
その先。
赤いジャージ。
見覚えのある顔。
でも、その顔とその色が、頭の中でどうしても一致しなかった。
「……あれ?」
知っている。
中学の全国大会で何度も見た。
紫峰のユニフォームを着ていた選手。
強烈なエースの対角に立って、それでも全国で名前を知られていた選手。
ただ。
名前は――。
「なんで紫峰のエースが椿山にいるの!?」
凜の声が体育館中に響いた。
「凜、声!」
もう遅い。
近くにいた青嵐の先輩たちが振り返る。
それだけではなかった。
別の学校の選手まで一斉に椿山の方を見る。
「あれ、紫峰の……」
「全国出てた子だよね?」
「エースの対角」
「裏エースじゃん――」
「椿山にいるの?」
ざわめきが広がった。
本人にも当然聞こえている。
その子はこっちを見た。
少し嫌そうな顔だった。
「エースじゃない」
「え?」
「裏エース」
「どっちでもいいよ!」
「よくない」
凜がもうその子のところまで行ってしまう。
179cmの凜と向かい合うと、やっぱり小さく見えた。
私と同じくらいだろうか。
それでも中学では、あの紫峰で全国の相手に点を取り続けていた。
「なんで椿山にいるの!?」
「声が大きい」
「紫峰じゃないの!?」
「見れば分かるでしょ」
「分かるけど分かんない!」
何を言っているのか分からないけれど、言いたいことだけは分かる。
私たちも近づいた。
伊織と速水さん、榊原さんもついてくる。
「知り合い?」
伊織が小声で聞く。
「知り合いというか、有名人」
「名前は?」
「……あれ、なんだっけ。毛利さん、だったと思う」
「そこ曖昧なんだ」
「顔とプレーは覚えてるんだけど」
「千尋らしいね」
「めちゃくちゃ強いよ!」
凜がこちらへ振り向いた。
「凜は名前覚えてるの?」
「え?」
止まった。
毛利さんがじろりと凜を見る。
「……知らないんだ」
「顔は覚えてる!」
「名前は?」
「今から覚える!」
「強いな、その返し」
そこまで言ったところで、毛利さんの後ろから腕が伸びてきた。
すっと肩に回る。
毛利さんより明らかに高い位置から伸びてきた、長い腕。
「あ」
ようやく見つけた。
長宗我部栞。
凜よりは少し低い。でも、私や毛利さんよりは明らかに大きい。
中学の頃からほとんど変わらない落ち着いた顔で、こちらを見ていた。
「栞!」
「……久しぶり」
「久しぶり! じゃなくて!」
「うん」
「なんでこの子がいるの!?」
栞は肩を抱いている相手を見る。
「……結子」
「何」
「ゲットだぜ」
「人をポケモンみたいに言うな」
「でも、ゲットした」
「されてない」
結子。
ああ。
毛利結子。
そこでようやく名前までつながった。
「私が選んだの」
「何を!?」
凜が聞く。
「椿山」
「え?」
「だから、私は椿山を選んで受験したの」
「紫峰じゃなくて?」
毛利さんが少し眉を寄せた。
「あと」
「何?」
「なんで急に結子なの」
「え?」
「さっきまで名前知らなかったでしょ」
「だって栞が結子って呼んでるから、別にいいでしょ!」
「栞はチームメイト」
「じゃあ私も今日から!」
「何が『じゃあ』なの」
「結子!」
「もう呼んでるでしょ」
凜は本当に気にしていない。
毛利さんが栞を見る。
助けを求めたのかもしれない。
栞は数秒かけて毛利さんを見返した。
「……結子」
「何」
「諦めた方がいいよ」
「何を」
「凜、こういう感じだから」
「栞に言われたくないんだけど」
「……私は普通」
「それは絶対違う」
栞の後ろにいた椿山の選手が即座に言った。
「栞は昔からこうだから」
「……普通」
「今の翻訳すると、『私はちゃんと必要なことは喋ってる』ね」
「言ってない」
「でもそうでしょ?」
「……まあ」
「ほら!」
速水さんが小さく頷く。
「本当に翻訳機ですね」
「でしょ?」
「……聞こえてる」
栞が少し嫌そうな顔をした。
毛利さんは栞と、その幼馴染らしい選手たちを見る。
それから凜と私を見る。
「……こっちの幼馴染も怖いけど」
「ん?」
「そっちの幼馴染も怖いな」
「誰が怖いの!?」
凜が即座に食いついた。
「主に凜」
「なんで!?」
「毛利さん」
私が言う。
「何?」
「たぶん栞の言う通り、諦めた方がいいよ」
「水瀬さんまで?」
「凜、昔からこうだから」
「同じこと言った」
「ほら!」
「凜、その『ほら』は何?」
「分かんない!」
「分かんないんだ……」
毛利さんが初めて少しだけ笑った。
その時。
少し離れた場所から、小さな笑い声が聞こえた。
紫のジャージ。
紫峰だった。
同じ1年生らしい数人がこちらを見ている。
顔には見覚えがあった。
中学時代、毛利さんと同じ紫峰でプレーしていた選手たち。
「本当に椿山行ったんだ」
「まあ、高等部には上がれなかったしね」
「結子なら、もっとバレー強いところ行くと思ってた」
悪口、と言い切るほどではない。
声だって大きくない。
ただ、少しだけ。
笑っている。
毛利さんはそちらを見た。
でも、何も言わなかった。
表情もほとんど変わらない。
紫峰中等部でどれだけ試合に出ても、全国でどれだけ活躍しても、高等部へ上がる時、毛利さんは選ばれなかった。
身長。
チームカラー。
紫峰がこれから作りたいバレー。
そこに自分は合わないと判断された。
向こうにいる同級生たちは、逆だ。
選ばれた。
紫峰中等部から紫峰高等部へ上がり、これからも紫のユニフォームを着る選手たち。
その誇りくらい、あって当然だと思う。
「……私より10cm低いけど」
不意に栞が言った。
「急に何」
毛利さんが見る。
「はっきり言われると傷つくな」
「でも、飛んだら高い」
「流石に栞よりは飛べない」
「でも高い」
「フォローが雑」
「……かなり高い」
「急に追加するな」
栞は毛利さんの肩を抱いたまま、少し離れた紫峰の方を見る。
怒った顔はしていない。
いつも通りの顔。
いつも通りの、ゆっくりした声。
「……奪っちゃった」
「は?」
毛利さんが栞を見る。
紫峰の選手たちも少し黙った。
「栞」
「ん」
「私、紫峰の高等部には上がれなかったんだけど」
「知ってる」
「じゃあ奪ってないでしょ」
「……でも、椿山に来た」
「私が選んだの」
「うん」
「受験して」
「うん」
「自分で」
「うん」
栞は一通り頷いた。
それから、もう一度。
「……だから、奪った」
「話聞いてた?」
後ろの幼馴染たちが吹き出した。
「栞が言いたいのはね」
「言わなくていい」
「紫峰が高等部に上げなかったなら、うちがもらったってこと」
「……そこまで言ってない」
「でもそういうことでしょ?」
「……まあ」
「ほら!」
別の幼馴染も笑う。
「しかも結子、ちゃんと椿山受けて合格したからね。拾ってきたわけじゃないし」
「そう」
毛利さんが言った。
「そこは大事」
「結子もそこ乗るんだ」
「当たり前でしょ。勉強したんだから」
榊原さんが少し反応した。
「椿山高校、かなりの進学校ですよ」
「そうなの?」
凜が聞く。
「県内でもかなり上位です」
凜がゆっくり栞を見る。
「……栞、頭いいの?」
「喧嘩売ってる?」
栞ではなく、幼馴染の1人が答えた。
「いやだって、昔から知ってるから!」
「理由になってないよ」
栞本人は少しだけ考えて、
「……普通」
と言った。
「栞の普通は信用しない方がいいよ」
「学年上位だから」
「言わなくていい」
「また翻訳されてる」
「……嫌」
「翻訳すると『その話やめて』」
「言わなくていい」
「今のは絶対合ってるじゃん」
凜が笑う。
毛利さんまで笑っている。
さっきまで少しだけ変だった空気も、いつの間にか消えていた。
紫峰の子たちも、それ以上は何も言わなかった。
毛利さんも追いかけない。
栞も、もう見ていない。
ただ。
私の隣で。
伊織だけが、少し黙っていた。
「……伊織?」
「何?」
返事はすぐに来た。
「いや」
「何」
「何でもない」
「なら呼ばないでよ」
「ごめん」
伊織はいつもの顔に戻っている。
でも、その直前。
ほんの一瞬だけ。
少し寂しそうに見えた。
紫峰に選ばれなかった毛利さん。
紫峰に選ばれて残った同級生たち。
その話を、伊織がどんな気持ちで聞いていたのか。
私は少し考えて。
やめた。
伊織も、中等部から高等部へ上がった。
でも、同じ学年で高校でも青嵐のバレー部に残ったのは伊織だけだった。
選ばれた。
だから、きっと嬉しかった。
でも。
選ばれたからといって、寂しくないとは限らない。
「一年生!」
「「「「「はい!!」」」」」
御子柴先輩……もとい、綾香先輩の言葉に、私たちは揃った返事をした。
「あんたたち、いつまで椿山にいるんだよ!」
「あ!」
凜が慌てて青嵐の方を見る。
綾香先輩が遠くから腕を組んでこちらを見ていた。
「凜ー!」
「はい!」
「再会はあとにしろー!」
「すみませーん!」
「返事だけはいい!」
「行こ、千尋!」
「凜が勝手に来たんでしょ」
「でも栞たちと試合できるよ!」
「まだ組み合わせ決まってないよ」
「絶対やる!」
「何その自信」
凜が走っていく。
速水さんと榊原さんもその後を追う。
私も戻ろうとして、少しだけ振り返った。
赤い椿山のジャージの中に、毛利さんがいる。
もう不思議には見えなかった。
紫峰に選ばれなかったから、仕方なくそこにいるわけじゃない。
紫峰ではない場所を探して。
自分で椿山を選んで。
受験して。
あの赤を着ている。
その隣には、いつもの無口な栞と、勝手にその言葉を増やす幼馴染たちがいる。
栞より10cm低い。
私と同じくらいの身長。
それでも、跳べば高い。
中学の全国で、それを何度も見てきた。
「千尋」
伊織が呼んだ。
「何?」
「置いてくよ」
「あ、待って」
走って追いつく。
伊織はもう前を向いていた。
だから私も、それ以上は何も聞かなかった。
合宿は、まだ始まったばかりだった。




