第八話 17点
17-25。
最後のボールが床に落ちた時、私はしばらく動けなかった。
「……終わった」
誰かが言った。
たぶん凜。
私もそう思う。
終わった。
というより、終わらされた。
14-14までは、本当に戦えていたと思う。
榊原さんの速攻が決まって同点になった。
そこから。
3-11。
「……ひどい」
思わず口から出た。
「何が?」
隣で伊織が膝に手をついている。
「14-14から3点しか取れてない」
「わざわざ数字にしなくていい」
「確認したくて」
「確認してどうするの」
「よりひどくなった」
「でしょうね」
伊織もかなり疲れていた。
その向こうでは、凜が床に座り込んでいる。
「強かったあ……」
悔しそうなのか楽しそうなのか分からない顔だった。
「最後、全然決まらなかった」
「途中まで決まってたじゃん」
「途中じゃなくて最後も決めたい!」
「欲張り」
「エースは欲張りでいいんだよ!」
「誰が決めたの?」
「今決めた!」
御子柴先輩みたいなことを言い始めた。
速水さんは床に座らず、膝を曲げて呼吸を整えていた。
「……後半、コースが分かっても拾えませんでした」
「私も」
榊原さんが答える。
「声を出す前に打たれたボールも多かったです」
「そうなんだよね」
途中から、何かが変わった。
先輩たちが突然強くなったわけじゃない。
たぶん最初からできた。
ただ、やっていなかっただけだ。
一ノ瀬先輩のトスは、それまでより少しだけ判断を遅らせるようになった。
囮が増えた。
助走の入り方も変わった。
こっちが榊原さんの声を使って守っていると分かると、その声が出るまで攻撃先を見せなくなった。
声が出せても、その先が速い。
分かっているのに、私も間に合わない。
「ずるいなあ」
「何が?」
伊織が聞く。
「こっちが工夫したら、向こうも工夫してくる」
「当たり前でしょ」
「そうなんだけど」
もっと素直に攻略されてくれればいいのに。
「千尋」
凜がまだ床に座ったまま顔を上げた。
「何?」
「でも楽しかったね!」
「うん」
それは間違いない。
負けた。
かなり負けた。
なのに、もう一度やりたい。
今度なら、あと1点くらい取れる気がする。
たぶん気のせいだけど。
「お疲れー!」
御子柴先輩の大きな声が飛んできた。
先輩たちがネットの向こうから歩いてくる。
途中から本気になったくせに、試合が終わればいつもの御子柴先輩だった。
「いやあ、今年強いな!」
「最後ボコボコにした人が言います?」
私が返す。
「それとこれとは別!」
「14点で一回追いついた時、絶対ムキになりましたよね」
「なってないなってない」
「キャプテン」
一ノ瀬先輩が横から言う。
「何?」
「なってましたよ」
「怜奈!」
「『もう歓迎いい?』って聞いたじゃないですか」
「言わなくていい!」
「言ったんですか?」
凜が立ち上がる。
「言った」
由梨先輩が笑った。
「真帆の速攻が決まったところで」
「やっぱり!」
「だって同点だぞ!?」
御子柴先輩が指を立てる。
「こっちはレギュラーだぞ! 歓迎試合で1年生に追いつかれて、そのままニコニコしてられるか!」
「ムキになってるじゃないですか」
「勝負に真剣だっただけ!」
「言い方変えた」
瑞穂先輩まで笑っている。
「でも、本当に17点取ったんだねえ」
コートの外から梓先輩が入ってきた。
「17点しか取れませんでした」
凜が言う。
「いやいや」
梓先輩は苦笑した。
「十分取ってるよ」
「でも8点差です」
「その8点差を作られたの、ほとんど最後だからね」
「それが悔しいんです!」
「凜ちゃんらしいなあ」
その隣には、さっきコートの外で梓先輩と話していた3年生のセッター、楓先輩もいた。
「でも、面白かったよ」
楓先輩が言う。
「途中のあれ。真帆ちゃんが声出して、水瀬が走るやつ」
「ありがとうございます」
榊原さんが頭を下げる。
「真帆ちゃんがありがとうなんだ?」
「私の声なので」
「なるほど」
「でも考えたのは水瀬さんです」
「形にしたのは伊織です」
私が言う。
「千尋が余計なこと思いつくからでしょ」
「余計じゃないよ。2点差まで戻ったじゃん」
「そこは認める」
楓先輩が笑った。
「やっぱり合うね、2人」
「そうですか?」
「うん」
伊織は何も言わなかった。
でも、少しだけ嬉しそうだった。
たぶん。
「去年、13点だったよ」
梓先輩が不意に言った。
「……何がですか?」
凜が聞き返す。
「歓迎試合」
「誰が?」
「私たち」
梓先輩が自分を指差す。
「今の2年生が1年だった時」
少しだけ間が空いた。
「……13?」
凜が言う。
「13」
「13点!?」
「うん」
今度は速水さんまで驚いた顔をした。
「今の先輩たちがですか?」
「そう」
「由梨先輩も?」
「いたよ」
由梨先輩が苦笑する。
「沙耶先輩も?」
「いた」
「一ノ瀬先輩も?」
「いました」
「皐月先輩も?」
「いたね」
梓先輩が指を折る。
「私も瑞穂もいたし」
「13点……」
凜が呆然としている。
私は先輩たちを見上げた。
さっきまで私たちを相手にしていた先輩たち、一緒に戦ってくれた先輩たち。
アウトサイドの沙耶先輩と由梨先輩。
セッターの一ノ瀬先輩。
ミドルブロッカーの皐月先輩と梓先輩。
オポジットの瑞穂先輩。
今は普通に、全国へ行く青嵐の中心にいる人たち。
その人たちが。
「じゃあ」
私は言った。
「私たち、4点勝った」
「何に?」
伊織が即座に聞いてきた。
「今の2年生」
「試合には負けてるけど」
「でも17と13なら4点勝ってる」
「そういう競技じゃないよ」
「知ってる」
凜が急に元気になった。
「勝った!」
「凜まで乗らないで」
「去年の先輩たちに4点勝った!」
「だから試合には負けてるって」
「じゃあ来年はもっと取れる!」
「話変わってる」
周りから笑い声が上がった。
梓先輩も笑っている。
「でも、勘違いしない方がいいよ」
「え?」
凜が顔を向ける。
「私たちが1年の時より、今の1年の方が強いって話じゃないから」
「違うんですか?」
「少なくとも、まだ分かんない」
梓先輩はそう言って、隣の楓先輩を見る。
「ね?」
「うん」
楓先輩が頷く。
「去年の歓迎試合なんて、ただの1試合だからね。ローテーションも違えば、相手も違うし」
「じゃあ13点ってあんまり意味ないんですか?」
「そういう意味ではね」
「ええ……」
凜が露骨に残念そうな顔をした。
でも。
「……いや」
私はもう一度、先輩たちを見る。
「意味あるよ」
「どこが?」
伊織が聞く。
「だって」
13点。
その数字を頭の中でもう一度転がす。
「去年13点だった人たちが、今これなんでしょ?」
誰もすぐには返事をしなかった。
「私たち、最後3-11だったじゃん」
「うん」
「途中まで使えてた榊原さんの声も、すぐ対策された」
「されたね」
「私のサーブも2本目には普通に取られた」
「それは由梨が上手かったからね」
由梨先輩が少し笑う。
「凜も最後は全然決められなくなった」
「うっ」
「そこ強調しなくていい!」
「事実だから」
「千尋まで怜奈先輩みたいになってる!」
「で」
私は続ける。
「この人たちが、去年は13点しか取れなかった」
凜が黙った。
伊織も。
速水さんも榊原さんも、先輩たちを見る。
今度はさっきと少し違う目で。
「……1年で?」
速水さんが言った。
「うん」
「こんなに変わるんですか」
その問いに答えたのは、由梨先輩だった。
「変わるよ」
簡単に言った。
「毎日やれば」
沙耶先輩もこちらを見る。
「青嵐で1年やるの、結構長いからね」
「きついけどな!」
御子柴先輩が笑う。
「そこは覚悟しとけ!」
「はい!」
凜だけが即答した。
元気だなあ。
でも。
私は少し、ぞくぞくしていた。
17点取れたことより。
去年の先輩たちより4点多かったことより。
その13点の方が、ずっと面白い。
だって。
今、ネットの向こうにいる人たちが。
今日、私たちが工夫するたびにその上から叩き潰してきた人たちが。
たった1年前には、同じ場所で13点しか取れなかった。
なら。
「ねえ、伊織」
「何?」
「1年って、どれくらい強くなれるんだろうね」
伊織は少しだけ黙った。
それから、ネットの向こうを見た。
「……さあ」
「分かんない?」
「分からないから、やるんでしょ」
「あ」
それもそうか。
「じゃあ楽しみだね」
「千尋は本当にそういうところだよね」
「何が?」
「別に」
伊織は少し笑った。
隣では凜が、もう先輩たちに何か聞き始めている。
速水さんも立ち上がった。
榊原さんは、自分の手を見ていた。
今日、速攻を1本決めた手。
声を出して、何本かボールを拾わせた手。
まだ全然、身体は追いついていない。
私だって同じだ。
できないことの方が多い。
でも。
13点だった人たちが、1年後にはこうなっている。
それなら。
私たちの17点が、この先どこまで変わるのか。
それはまだ、誰にも分からなかった。




