第七話 本気
12-14。
まだ2点差。
榊原さんが前に戻ってきてから一度は離されたのに、声を使い始めてから、それ以上は離れていない。
「レフト!」
榊原さんの声が飛ぶ。
一ノ瀬先輩の身体より先に、由梨先輩の助走を見ている。
私も動く。
「クロス!」
由梨先輩が振り抜いた。
榊原さんのブロックは、やっぱり少し遅い。
でも今は、それでいい。
抜けてくる場所が分かっている。
「はい!」
腕に当てる。
ボールが上がった。
「ナイス千尋!」
「伊織!」
伊織が走る。
凜はもうレフトから助走に入っていた。
「もってこーい!」
向こうのブロックも凜を見る。
2枚。
いや、中央の先輩まで少し寄っている。
伊織も見ている。
「瑞穂先輩!」
「はいよ!」
逆。
ライトから瑞穂先輩が打ち切った。
先輩リベロが飛び込む。
拾われた。
「うわ、上がるか」
「青嵐だからね!」
御子柴先輩の声。
「こっちも青嵐です!」
凜が返す。
「今日からな!」
「何回言うんですか!」
もう一度、向こうの攻撃。
一ノ瀬先輩。
「センター!」
榊原さんが言う。
今度は本当に中央。
速い。
榊原さんが跳ぶ。
少し遅い。
でも、長い手の先にボールが触れた。
「タッチ、奥!」
「美緒!」
「はい!」
速水さんが入る。
上がった。
伊織が追いつく。
「凜!」
「はい!」
今度こそ凜。
高いブロックが2枚つく。
凜は構わず振り切った。
ボールがブロックの指先を弾いて、コートの外へ落ちる。
「よしっ!」
13-14。
「あと1点!」
凜が拳を上げた。
「同点ね」
伊織が言う。
「だからあと1点!」
「分かってる」
ネットの向こうを見る。
さっきより、少し静かだった。
まだ笑ってはいる。
でも、最初みたいな歓迎試合の空気ではなくなってきている。
一ノ瀬先輩がこちらを見る時間も増えた。
特に、榊原さん。
それから私。
何をしているのか、完全に見られている。
たぶん次も同じことは簡単にはさせてもらえない。
「榊原さん」
「はい」
「無理に当てなくていいからね」
「分かっています」
「分からなかったら黙ってて」
「伊織にも言われました」
「あ、そっか」
「水瀬さん」
「何?」
「私、そこまで何度も言われなくても覚えています」
「ごめん」
少し怒られた。
「真帆、いけるよ!」
凜が横から入ってくる。
「はい」
「次止めよう!」
「凜は何でも止めようとするね」
「止めた方がいいじゃん!」
「それはそうだけど」
笛が鳴った。
向こうのサーブ。
速い。
「美緒!」
「はい!」
速水さんが正面へ入った。
腕に当たったボールがネット際へ返る。
きれい。
伊織がその下へ入る。
凜がレフトから走る。
瑞穂先輩もライトから入る。
榊原さんは中央。
一瞬だけ、一ノ瀬先輩と目が合った。
向こうのブロックが動く。
当然、凜。
ここまで一番打っている。
瑞穂先輩も警戒されている。
榊原さんは――。
「真帆!」
伊織が呼んだ。
え。
その声に、榊原さん自身が一番驚いたように見えた。
でも身体は動いた。
助走。
短い。
跳ぶ。
高くない。
やっぱり高くない。
180cmあるのに、梓先輩より明らかに跳べていない。
だけど。
伊織のトスが、その手の前にぴたりと来た。
向こうのミドルが遅れる。
榊原さんの前にあるのは、ほとんど1枚。
しかも完全には閉じていない。
「打って!」
誰が言ったのか分からなかった。
たぶん凜。
榊原さんが腕を振った。
ぱん、と。
凜や沙耶先輩みたいな音ではない。
速くもない。
重くもない。
でも。
ブロックの横を抜けたボールが、誰もいない床へ落ちた。
「…………」
一瞬。
「入った!」
凜が叫んだ。
「真帆ー!」
「……はい?」
「ナイスー!」
14-14。
同点。
榊原さんは床に降りたまま、自分が決めた場所を見ていた。
「……決まりました」
「決まったよ!」
「速攻で?」
「速攻で!」
「私が?」
「誰が打ったと思ってるの!」
凜が榊原さんの両肩を掴む。
「真帆すごい!」
「神崎さ――凜さん、揺らさないでください」
「凜でいいって!」
「今ですか?」
私も笑ってしまった。
「ナイス、榊原さん」
「ありがとうございます」
「いい助走だった」
「水瀬さん」
「何?」
「今のは伊織さんのトスが良かったです」
「そうなんだけど、榊原さんも打ったじゃん」
「はい」
「じゃあナイス」
「……はい」
少しだけ嬉しそうだった。
「伊織」
声をかける。
「何?」
「今の、狙ってた?」
「もちろん」
「いつから?」
「さっきから」
「ずっと?」
「榊原さんが前にいるのに、一度も速攻使ってなかったでしょ」
「あ」
「向こうも途中から、榊原さんはブロックで遅れる選手として見てる。攻撃まで警戒する必要がないと思ってた」
伊織がネットの向こうを見る。
「だから一回くらい通るかなって」
「性格悪いね」
「褒めてる?」
「かなり」
「ありがとう」
やっぱり性格が悪い。
でも好きだ。
こういうトス。
「14-14かあ」
ネットの向こうで御子柴先輩が呟いた。
さっきまでなら、もっと大きな声で何か言っていた気がする。
でも今は違った。
沙耶先輩が榊原さんを見ている。
由梨先輩も。
一ノ瀬先輩だけは、伊織を見ていた。
「怜奈」
御子柴先輩が呼ぶ。
「はい」
「もういい?」
「何がですか?」
「歓迎」
一ノ瀬先輩が少しだけ笑った。
「私も、そろそろいいと思ってました」
「由梨は?」
「最初から普通にやってますよ」
「沙耶」
「いいですよ」
声が静かだ。
だから余計に嫌だった。
「……千尋」
凜が小さく呼んだ。
「うん」
「なんか」
「うん」
「やばそう」
「私もそう思う」
御子柴先輩が手を叩いた。
「よし」
それだけだった。
さっきまでみたいに大声で笑わない。
「ここから、ちゃんとやろう」
その一言で。
ネットの向こうの空気が変わった。
「水瀬さん」
榊原さんが呼んだ。
「何?」
「次、私のサーブです」
「あ」
ローテーション。
今の得点でサーブ権を取った。
前衛にいた榊原さんが、後衛へ回る。
つまり。
「榊原さん、サーブ打つんだ」
「はい」
「得意?」
「普通です」
「普通かあ」
「申し訳ありません」
「謝るところじゃないよ」
「真帆、ナイスサーブ!」
もう凜が叫んでいる。
「まだ打ってません」
「先に言っとく!」
「なるほど」
納得するんだ。
榊原さんがボールを受け取った。
エンドラインの後ろへ歩いていく。
14-14。
同点。
そして榊原さんのサーブ。
ここまで来た。
先輩たち相手に、本当に追いついた。
少し前なら、嬉しくて仕方なかったと思う。
今も嬉しい。
でも。
ネットの向こうを見る。
由梨先輩が姿勢を落とす。
先輩リベロが位置を確認する。
沙耶先輩がブロックの位置を見ている。
一ノ瀬先輩が何か短く指示を出す。
御子柴先輩がそれに頷く。
誰も笑っていない。
「……あ」
たぶん。
私たち。
やりすぎた。
笛が鳴った。
榊原さんがサーブを打つ。
強くはない。
狙った場所へ丁寧に入れるサーブ。
「由梨」
「はい」
完璧に返った。
嫌なくらい、完璧に。
一ノ瀬先輩がボールの下へ入る。
速い。
誰に上げる。
「セン――」
榊原さんの声。
途中で止まる。
中央のミドルが跳ぶ。
凜が寄る。
でもトスは上がらない。
沙耶先輩。
いや。
そっちも囮。
「ライト!」
遅い。
御子柴先輩がもう跳んでいた。
「っ!」
打たれる。
速い。
声を聞いてからでは、到底間に合わなかった。
床が鳴る。
14-15。
「……速」
思わず口から漏れた。
一ノ瀬先輩がこちらを見る。
ほんの少し。
笑ったように見えた。
「次」
御子柴先輩が言った。
それだけ。
先輩たちはもう、歓迎していなかった。




