↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水瀬千尋はエースではない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/39

第六話 声


「見えているんです。でも、身体が追いつきません」


 榊原さん――真帆ちゃんは、そう言った。


 コートの外から聞いていた梓には、その言葉が妙にすんなり腑に落ちた。


 やっぱり、そうなんだ。


 真帆ちゃんは遅い。


 少なくとも、青嵐のミドルとして見ればかなり遅い。横への一歩目も、そこから踏み切りへ入るまでの速さも足りていない。跳躍力も高くはなく、180cmという身長の割には最高到達点もまだ物足りない。


 それでも、手を上げれば高い。


 腕も長い。


 だからさっきも、沙耶のスパイクに指先だけは届いていた。


 あと半歩。


 あと一瞬。


 身体さえ追いつけば、ちゃんとしたブロックになる。


 ただ、梓が気になっていたのはそこではなかった。


「見えてるんだ」


 隣から声がした。


「ですよね」


 梓は振り向かずに答えた。


 横に立っているのは、3年生の佐伯(さえき)(かえで)先輩だった。


 今は怜奈が正セッターを務めているけれど、楓先輩も1年生の頃には春高で正セッターとしてコートに立っていた人だ。今でもBチームではセッターを務めるし、試合が崩れた時には瑞穂と2枚替えで入って流れを立て直すことも多い。


 梓にとっては、普段から一緒に練習するセッターでもある。


「足は全然間に合ってないですけど」


「うん」


「行く場所、ほとんど間違えてないんですよね」


「私もそう見える」


 楓先輩が腕を組む。


「怜奈にあれだけ動かされて、それでも次がどこか追えてるなら、かなり見えてるよ」


「ですよね」


 梓はもう一度、真帆ちゃんを見る。


 まだ入部初日。


 しかも、中学では強豪校にいたわけでもない。


 それなのに、怜奈の組み立てを完全に見失ってはいない。


 身体が追いつけば。


「恐ろしい才能かもしれないですね」


「うん?」


「ミドルとして」


「ああ」


 楓先輩が少し笑った。


「怜奈、ああいうタイプ嫌がりそう」


「嫌がりそうですね」


「全部見られてるの、嫌いだからね。あの子」


「楓先輩もでしょう」


「私は見られたら見られたで、裏をかくの楽しいから」


「性格悪いですね」


「セッターに言う?」


「伊織もそんな感じですし」


「あれはもっと性格悪くなりそうだねえ」


 2人でコートを見る。


 その伊織は今、真帆ちゃんの隣にしゃがみ込んでいた。


 短いタイムの最中だ。


 千尋ちゃんが少し考えるように首を傾げている。


「じゃあさ」


 千尋ちゃんが言った。


「声出して」


「……声、ですか?」


「うん」


 真帆ちゃんが戸惑った。


「何を言えばいいんですか?」


「見えたこと」


「見えたこと?」


「誰に上がりそうとか、どっちに打ちそうとか。あと、ブロック触った時にどっち飛びそうとか」


「それを……水瀬さんに?」


「私だけじゃなくて、みんなに」


 梓は少し眉を上げた。


 そっちなんだ。


 真帆ちゃんの足が遅い。


 だったら、一歩目を早くしよう。


 今は全部についていけないなら、読む場所を絞ろう。


 あるいは中央を優先するのか、サイドへの寄りを優先するのか決めよう。


 梓なら、そう考える。


 真帆ちゃん本人を、どう動かすか。


「でも、私が言ったところで……」


「榊原さんが動くのは間に合わないんでしょ?」


「……はい」


「じゃあ、別の人が動けばいいよ」


「え?」


 あっさりと言った。


「見えてるなら、それ先に教えて。私、代わりに追いつくから」


 梓は思わず楓先輩を見た。


 楓先輩も少しだけ目を丸くしていた。


「楓先輩、今の考えてました?」


「いや」


 即答だった。


「私も榊原をどう動かすか考えてた」


「ですよね」


「面白いね、水瀬」


 声は小さい。


 コートの中には聞こえない。


「千尋が行くなら私も行く!」


 凜ちゃんが即座に手を上げた。


「凜は前衛だからブロックして」


「えっ」


「榊原さんの隣でしょ」


「あ、そうだった」


「自分のローテーション忘れないで」


「忘れてない!」


「今忘れてたじゃん」


「一瞬だけ!」


 瑞穂が笑った。


「凜ちゃん、元気だねえ」


「はい!」


「褒めてる褒めてる」


 千尋ちゃんは今度は後ろを向いた。


「速水さんも、聞こえたら動いてもらっていい?」


「はい」


 美緒ちゃんは迷いなく頷いた。


「でも、水瀬さんと同じところに入ったら?」


「その時は私がずれる」


「分かりました」


「ちょっと待って」


 伊織が割って入った。


「そのままじゃ声が長い」


「長い?」


「『誰々に上がりそうです』とか言ってる間に打たれるでしょ」


「ああ、そっか」


「誰に上がるかなら『レフト』『センター』『ライト』。コースなら『クロス』『ストレート』。これだけでいい」


「なるほど」


 千尋ちゃんが頷く。


「タッチした時は?」


「右とか左だと、向きによって分かりづらい」


「じゃあライト側に飛んだら『タッチ、ライト』」


「レフトなら『タッチ、レフト』」


「奥なら?」


「『奥』」


「前なら?」


「『前』」


「分かりやすい」


 真帆ちゃんも頷いた。


「それなら言えると思います」


「無理に全部言わなくていい」


 伊織が続ける。


「自信がある時だけ。間違った情報を出される方が危ないから」


「分かりました」


「最初は榊原さんが見る。千尋と速水さんが動く。凜はブロック優先。瑞穂先輩は――」


「私は普通に打てばいい?」


「お願いします」


「一番楽な役きた」


「点を取ってもらう役なので一番大事です」


「いいこと言うねえ、伊織!」


 ほんの少し前まで、何もなかった。


 千尋ちゃんが思いついた。


 伊織が必要な言葉を削った。


 真帆ちゃんが頷いて、美緒ちゃんはもう自分が動く範囲を確認している。


 凜ちゃんだけはたぶん半分くらいしか分かっていないけれど、その半分で全力を出すから、それはそれで問題がないらしい。


「……水瀬、伊織と合うね」


 楓先輩が呟いた。


「ですね」


「この僅かな休憩で、もう連携しちゃうんだ」


 梓も同じことを考えていた。


 千尋ちゃんが思いついただけなら、まだ作戦ではない。


 伊織が整理しただけでも、まだ机上の話だ。


 なのに2人の間では、千尋ちゃんの思いつきが伊織へ渡った瞬間、使える形になっている。


「綾香と怜奈も相当だけど」


 楓先輩が少しだけ目を細めた。


「あの2人の掛け算、頭脳だけなら綾香と怜奈以上かもね」


「……そこまでですか?」


「今の時点で上って意味じゃないよ」


「ですよね」


「綾香と怜奈は、もうずっと青嵐の試合を作ってるからね。完成度なら比べものにならない」


 楓先輩はそう言ってから、楽しそうに続けた。


「でも、水瀬が変なこと思いついて、伊織がすぐ形にする。形にしたら水瀬がそのまま動ける」


「掛け算、ですか」


「うん。相手にしたら嫌そう」


「それは分かります」


 特に怜奈は嫌がりそうだ。


「そろそろいいー?」


 向こうから綾香先輩の声が飛んできた。


「タイム長くない?」


「キャプテンが認めたタイムですよ」


 すぐ横から怜奈の声。


「分かってるけど!」


「今作ったルールなんだから、急かさなくても」


「怜奈はどっちの味方なんだよ!」


「青嵐です」


「私も青嵐!」


「知ってます」


 瑞穂が吹き出した。


「相変わらずですね」


「キャプテンになってから余計ひどくなったよ」


 楓先輩が笑う。


「真帆ちゃん」


 梓はコートへ戻る真帆ちゃんへ声をかけた。


「はい」


「全部止めなくていいからね」


「はい」


「今は触れるだけでも十分」


 真帆ちゃんが少し考えてから頷く。


「分かりました」


「あと、声は大きく」


「はい!」


「それくらい」


 さっきよりずっと大きかった。


「いいね」


 真帆ちゃんがコートへ戻った。


 試合が再開する。


 スコアは8-12。


 向こうのレセプションがきれいに返った。


 怜奈が入る。


 真帆ちゃんがネット越しに相手を見る。


「センター!」


 早い。


 相手ミドルが助走へ入った。


 凜ちゃんが中央へ寄る。


 真帆ちゃんも動く。


 やっぱり足は遅い。


 でも。


「レフト!」


 声が変わった。


 怜奈のトスは外。


 由梨が入ってくる。


 凜ちゃんが戻る。


 真帆ちゃんも追う。


 2枚は揃わない。


「クロス!」


 打たれる直前。


 その声が飛んだ時には、千尋ちゃんはもう動いていた。


 由梨のスパイクがブロックの脇を抜ける。


「千尋!」


 腕に当たった。


 上がる。


「ナイス!」


 伊織が入る。


「凜!」


「はい!」


 凜ちゃんが跳んだ。


 高いトスを思い切り叩く。


 ブロックに当たり、外へ弾かれた。


「よし!」


 9-12。


「ナイス凜!」


「ナイス千尋!」


 凜ちゃんが叫ぶ。


 千尋ちゃんは真帆ちゃんを見る。


「榊原さんも!」


「え?」


「今のクロス!」


「……はい」


「合ってた!」


 真帆ちゃんが少し目を見開く。


「もう1本!」


 凜ちゃんも声を上げた。


「真帆、ナイス声!」


「ありがとうございます」


「そこは『うん』でいいよ!」


「今それ必要?」


 千尋ちゃんが言う。


「必要!」


 試合中なのに忙しい。


 梓は少し笑った。


「1本目」


 楓先輩が言う。


「ですね」


 まだ1本。


 偶然かもしれない。


 次のラリー。


 また怜奈がボールの下へ入る。


「ライト!」


 真帆ちゃんの声。


 綾香先輩が助走へ入った。


 凜ちゃんがブロックへ寄る。


「ストレート!」


 千尋ちゃんが動く。


 綾香先輩が打った。


 真帆ちゃんの手に当たる。


 ほんの少し。


「タッチ、ライト!」


 声が飛ぶ。


 千尋ちゃんが走った。


 美緒ちゃんもその後ろへ入る。


「私!」


 千尋ちゃんが片腕を差し込んだ。


 上がった。


「……拾った」


 梓の口から漏れた。


 伊織が追いつく。


 ネットから遠い。


 それでも高く外へ送る。


「凜!」


「もってこーい!」


 凜ちゃんが思い切り入った。


 2枚。


 構わず振り切る。


 ブロックアウト。


 10-12。


「ナイスー!」


 瑞穂が一番大きな声を上げた。


「いいじゃん!」


「榊原さん!」


 床から起き上がった千尋ちゃんが言う。


「はい」


「今の、めっちゃ分かりやすかった」


「そうですか?」


「うん。もうちょっと早くてもいい」


「分かりました」


「要求増やすねえ」


 瑞穂が笑う。


「だって使えそうなので」


「真帆ちゃんを?」


「声を」


「そっち?」


「榊原さんも」


「ついでみたいに言わないであげて!」


 真帆ちゃんは少し困った顔をしていた。


 でも、さっきより顔が上がっている。


「成立してますね」


 梓が言う。


「まだ2本だけどね」


 楓先輩は慎重だった。


「怜奈ももう気づいてる」


 その言葉通りだった。


 次の一本から、怜奈の組み立てが変わった。


 中央へ入る選手を増やす。


 助走の入りをずらす。


 誰に上げるのか、見極める時間を少しだけ遅らせる。


「セン――」


 真帆ちゃんの声が止まった。


 トスはライト。


「遅い!」


 綾香先輩が打ち切る。


 千尋ちゃんも美緒ちゃんも間に合わない。


 床。


 10-13。


「よし!」


 綾香先輩が拳を握る。


「そんな簡単に攻略されないぞ!」


「ですよね」


 千尋ちゃんが頷いた。


 悔しそうというより、楽しそうだった。


「伊織」


「分かってる」


 すぐに伊織が真帆ちゃんへ向く。


「榊原さん、迷った時は言わなくていい」


「はい」


「当てようとしないで。確信した時だけ」


「分かりました」


「千尋も、声だけで決め打ちしないで」


「うん」


「相手も声を利用してくるかもしれない」


「ああ、なるほど」


「速水さんは千尋が動いた後を優先」


「はい」


 また変わった。


「……早いなあ」


 梓が呟く。


「だから掛け算なんだよ」


 楓先輩が笑った。


 次のラリー。


 真帆ちゃんは黙っていた。


 中央。


 外。


 怜奈が迷わせる。


 言わない。


 最後の瞬間。


「レフト!」


 由梨。


「クロス!」


 美緒ちゃんが動く。


 拾った。


「ナイス!」


 伊織。


 瑞穂。


 ライトから打つ。


 ブロックアウト。


 11-13。


「よし!」


 瑞穂が拳を握る。


「今の私も褒めて!」


「ナイス瑞穂ー!」


 ベンチから梓が声を飛ばした。


「もっと気持ち込めて!」


「注文多い!」


「先輩なんだから我慢してください!」


「梓まで先輩風吹かせ始めた!」


 笑い声が上がる。


 それでも試合は止まらない。


 11-14。


 12-14。


 向こうも取る。


 こっちも返す。


 真帆ちゃんがコートへ戻ってきてから一度開いた点差が、それ以上離れなくなっていた。


 動きが速くなったわけではない。


 ブロック技術が急に上手くなったわけでもない。


 相変わらず、真帆ちゃんの足は半歩遅い。


 それでも。


「タッチ、奥!」


「はい!」


 千尋ちゃんが下がる。


 拾う。


「ナイス!」


「伊織!」


「はい!」


 伊織がボールの下へ入る。


 もう凜が助走を始めている。


 梓はその光景を見ながら、腕を組んだ。


 身体が追いつけば。


 この子は、恐ろしいミドルになる。


 相手のセッターを見て、アタッカーを見て、コースを読んで、その長い腕を正しい場所へ出せるようになったら。


 きっと厄介だ。


 でも。


 梓はコートの後ろを走り回る千尋ちゃんを見る。


 真帆ちゃんの身体が追いつくようになるのは、まだずっと先だ。


 だから普通なら、それまでは待つしかない。


 練習して。


 足を作って。


 何百本、何千本とブロックを跳んで。


 ようやく、見えている場所へ身体が届くようになる。


 けれど、この子たちは違うらしい。


 真帆ちゃんが見つける。


 声にする。


 千尋ちゃんが走る。


 美緒ちゃんがその先を埋める。


 伊織が形を整える。


 最後は凜ちゃんや瑞穂が打つ。


 1人の身体が追いつかないなら。


 6人で追いつけばいい。


「……面白いですね」


 梓が言った。


「うん」


 楓先輩が笑う。


「今年の1年、かなり面白いかもね」


 コートの中で、真帆ちゃんがまた声を上げた。


「レフト!」


 千尋ちゃんが動き出す。


 まだ、トスが上がるよりも前に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。