第五話 見えている
2本目の笛が鳴った。
さっきまでと同じようにトスを上げ、助走に入る。
今度は向こうも構えていた。由梨先輩が少し前へ寄り、先輩リベロは半歩後ろ。沙耶先輩も、さっきより低い姿勢でこちらを見ている。
たった1本で、もう変えてきた。
なら、こっちも少し変える。
踏み切って、今度は由梨先輩の身体より少し外側へ振り抜いた。
乾いた音。
さっきと同じくらいには、いい感触だった。
「由梨!」
「はい!」
でも、由梨先輩は早かった。
完全に待たれていた。身体の正面から少し外れたボールにすぐ腕を出し、きれいにネット際へ返す。
「うわ」
思わず声が出た。
「何!?」
前衛の凜が振り返る。
「きれい」
「今!?」
その時にはもう、一ノ瀬先輩がボールの下に入っていた。
向こうの前衛が一斉に動く。
「真ん中!」
梓先輩が中央へ寄った。
一ノ瀬先輩のトスは短い。相手のミドルが跳び、梓先輩もぴったりついていく。
それでも長い腕の先から打ち下ろされたボールは、ブロックの指先を弾いて後ろへ飛んだ。
「速水さん!」
「はい!」
速水さんが身体を入れる。
上がった。
「ナイス!」
伊織が追う。
最初の一撃で終わらない。
そこから瑞穂先輩へ上がり、相手に拾われ、もう一度返ってきた。
最後は御子柴先輩がライトから決めた。
1-1。
「ほら!」
御子柴先輩が嬉しそうに拳を上げる。
「ちゃんと取ればこっちのもんだ!」
「キャプテン、今のラリーで何かしました?」
一ノ瀬先輩の声が飛んだ。
「最後に応援した!」
「コートの中で?」
「気持ちの問題!」
「それならベンチでもできますね」
「怜奈!」
向こうは向こうで相変わらずだった。
「切り替えよう!」
瑞穂先輩が手を叩く。
「まだ1-1!」
「はい!」
凜の返事だけがやっぱり大きい。
次は向こうのサーブ。
私と速水さんの間へ来る。
「美緒!」
「はい!」
凜に呼ばれた速水さんが前へ入った。
完璧なAパスではない。少しネットから離れた。
でも伊織なら十分だった。
「凜!」
「もってこーい!」
凜がレフトから全力で入る。
当然、自分へ上がるつもりで跳びにいく。
向こうのブロックも動いた。
2枚。
でもトスは凜へ行かなかった。
「瑞穂先輩!」
「はいよ!」
ライト。
瑞穂先輩が1枚になったブロックの外側を抜いた。
「ナイス!」
2-1。
「いいね、伊織!」
「ありがとうございます」
「凜もナイス囮!」
「えっ、私、普通に打つ気でした!」
「だからいいんだよ」
「そうなんですか?」
「凜はそのままでいて」
「分かりました!」
「たぶん分かってないね」
梓先輩が笑う。
私もそう思う。
そこから、試合は思っていたよりずっと競った。
最初はもっと一方的になると思っていた。
相手は青嵐のレギュラーだ。
でも、こっちには瑞穂先輩と梓先輩がいる。
2人とも、少しくらいボールが乱れても何事もなかったように次へ繋げてくれる。
瑞穂先輩はネットから離れたトスでも普通に打つ。
梓先輩は相手のスパイクに触る。
そこを速水さんが拾う。
伊織が上げる。
凜が打つ。
「よしっ!」
凜のクロスが、相手ブロックの外を抜いた。
3-2。
「ナイス凜!」
「もう1本!」
次のラリーでは沙耶先輩が同じようにレフトから入ってくる。
高い。
見学の時から分かっていたけれど、ネットを挟んで向かい合うと余計に高く感じる。
凜と梓先輩が2枚で跳んだ。
その上から沙耶先輩の腕が振られる。
速い。
「っ!」
速水さんが反応した。
腕に当たる。
大きく後ろへ弾かれた。
「私!」
追いついて、アンダーで前へ返す。
「ナイス千尋!」
伊織が走る。
瑞穂先輩へ高く送った。
「はい!」
打つ。
拾われる。
また向こうから返ってくる。
「長い!」
凜が楽しそうに笑った。
「まだまだ!」
御子柴先輩も笑っている。
結局、そのラリーは向こうに取られた。
3-3。
でも。
楽しい。
点を取られているのに、次のボールが早く来てほしい。
「千尋、顔」
伊織が言った。
「何?」
「笑ってる」
「伊織も」
「私は普通」
「嘘」
「次来るよ」
「はいはい」
4-3。
4-4。
5-4。
5-5。
点差が開かない。
由梨先輩は相変わらず何でもきれいに繋ぐし、沙耶先輩は高い。一ノ瀬先輩は同じ形をほとんど続けて使わない。
それでも、こっちも簡単には落とさなかった。
凜がブロックアウトを取る。
瑞穂先輩が苦しいトスを打ち切る。
梓先輩がワンタッチを取って、速水さんが拾う。
伊織もだんだん楽しくなってきたのか、トスの選択が少しずついやらしくなっている。
「今の凜に上げると思った?」
「思った」
「じゃあ成功」
「性格悪い」
「褒め言葉?」
「たぶん」
6-6。
普通に競っていた。
「今年の1年、やるじゃん!」
御子柴先輩がネットの向こうから笑う。
「キャプテンが瑞穂と梓を渡したからですよ」
一ノ瀬先輩が冷静に言った。
「まだ言う!?」
「事実なので」
「私たちもいるよ!」
凜が抗議した。
「いるいる! 凜もちゃんと面倒!」
「褒められた!」
「たぶん今のは褒めてないよ」
私が言う。
「えっ」
その時、ローテーションが回った。
「真帆ちゃん、前お願い」
梓先輩が声をかける。
「はい」
それまでベンチにいた榊原さんが立ち上がった。
榊原さんは最初のローテーションでは後衛だったから、速水さんがリベロとして代わりに入っていた。
今度は榊原さんが前衛へ上がる。
速水さんはいったんコートを出て、後衛へ下がった梓先輩のサーブ。
「いってらっしゃい、真帆ちゃん」
「はい」
「楽しんできて!」
「できるだけ」
「真面目だなあ」
梓先輩が笑う。
榊原さんがネット際へ入った。
180cm。
前に立つと、やっぱり大きい。
ジャンプ力はまだ分からないけれど、腕も長い。
少なくともネット際にいるだけで邪魔にはなるはずだ。
「真帆!」
凜が声をかける。
「はい」
「止めよう!」
「分かりました」
「凜でいいって!」
「……凜さん」
「さんいらない!」
「今それやる?」
私が聞く。
「大事!」
相変わらずだ。
試合が再開した。
一ノ瀬先輩のトス。
中央。
「真ん中!」
瑞穂先輩が声を出した。
榊原さんもすぐ反応する。
相手のミドルへ寄る。
方向は合っていた。
でも。
一歩、遅い。
榊原さんが跳ぶよりわずかに早く、相手の腕が振り抜かれた。
ブロックの横を抜ける。
床。
6-7。
「すみません」
「次、次!」
凜がすぐに声を出す。
榊原さんは頷いた。
「はい」
次のサーブ前、速水さんが梓先輩と入れ替わって、コートへ戻った。
次のラリー。
由梨先輩がレフトから入ってくる。
榊原さんも寄った。
ちゃんとクロス側へ手を出そうとしている。
でも、閉じ切る前に打たれた。
「っ!」
私が反応する。
届かない。
6-8。
「ナイス由梨!」
向こうから声が上がる。
榊原さんが自分の手を見た。
「惜しいよ!」
瑞穂先輩が声をかける。
「今、ちゃんと寄れてた!」
「はい」
次。
凜が1本取り返した。
7-8。
「よし!」
「ナイス凜!」
「まだまだ!」
でも、その次。
一ノ瀬先輩が中央を見せた。
榊原さんが少し寄る。
トスは外。
沙耶先輩。
「真帆!」
凜が声を出す。
「はい!」
榊原さんは動いていた。
ちゃんと外へ戻ろうとしている。
でも、間に合わない。
凜と榊原さんの間が完全には閉じない。
沙耶先輩のスパイクがそこを抜いた。
7-9。
「……」
少し気になった。
今の。
榊原さん、トスが上がってから慌てて動いたわけじゃない。
その少し前には、もう外へ戻ろうとしていた。
なのに遅れた。
次のラリー。
一ノ瀬先輩がまた中央を使う。
榊原さんは反応した。
今度も行く方向は合っている。
でも、手が揃う直前に打たれる。
7-10。
「真帆ちゃん、大丈夫!」
ベンチから梓先輩の声が飛ぶ。
「全部止めなくていいよ! 触れば十分!」
「はい!」
榊原さんの返事はしっかりしていた。
その次。
凜がブロックを弾いて1点。
8-10。
「よし!」
でも。
一ノ瀬先輩の目が変わったような気がした。
榊原さんを見る。
次に凜を見る。
前衛の並びを見る。
「……伊織」
「うん」
呼ぶと、伊織も短く返した。
たぶん、同じことに気づいている。
向こうの攻撃。
今度は速攻を見せてから外。
榊原さんを中央へ動かして、由梨先輩へ振る。
榊原さんが追う。
でも遅れる。
8-11。
次も。
一ノ瀬先輩が榊原さんのいる場所を使った。
中央。
外。
今度は逆。
榊原さんを動かす。
沙耶先輩が打つ。
榊原さんの長い指先に、ほんの少しだけボールが当たった。
「タッチ!」
方向が変わる。
「っ!」
私は飛び込んだ。
あと少し。
床に落ちた。
8-12。
「惜しい!」
凜が叫ぶ。
本当に惜しかった。
あと少し手が早ければ、ちゃんとワンタッチになっていた。
でも、その「あと少し」が続いている。
「タイム!」
伊織が声を上げた。
「いいよー!」
御子柴先輩が返した。
「歓迎試合ってタイムあるんですね」
私が聞く。
「今作った!」
「またですか」
「キャプテン権限!」
「便利ですね」
「だろ?」
ネットの向こうで一ノ瀬先輩が額を押さえている。
私たちはコート脇へ集まった。
「大丈夫大丈夫!」
瑞穂先輩が明るく言う。
「まだ4点差!」
「真帆ちゃんも気にしなくていいよ」
梓先輩がタオルを肩にかけたまま言った。
「入部初日にレギュラー相手なんだから、できないことあって普通!」
「……はい」
榊原さんは返事をした。
でも、表情は少し硬い。
「私が入ってから、4点離れました」
ぽつりと言った。
「真帆だけのせいじゃないよ!」
凜がすぐに返す。
「でも、私のところを使われています」
榊原さんはネットの向こうを見た。
「一ノ瀬先輩は、途中から明らかに私を動かしています」
「うん」
伊織が頷く。
「たぶん気づかれた」
「すみません」
「謝らなくていいって!」
凜が言う。
「まだ試合終わってないよ!」
榊原さんが少しだけ俯く。
私はその横顔を見ていた。
気になる。
さっきからずっと。
「榊原さん」
「はい」
「ちょっと聞いていい?」
「はい」
由梨先輩のクロス。
沙耶先輩へのトス。
中央の速攻。
どれも、榊原さんは全然違う場所へ動いているわけじゃなかった。
むしろ毎回。
「さっきから、ちゃんと見えてる?」
榊原さんが目を瞬く。
「……何がですか?」
「相手」
ネットの向こうを指す。
「誰に上がるかとか。どっちに打ってくるかとか」
少しだけ間があった。
榊原さんは、一ノ瀬先輩たちを見る。
「見えています」
「やっぱり」
凜が首を傾げた。
「見えてるの?」
「はい」
榊原さんが自分の両手を見る。
「全部ではありません。でも、ある程度なら」
「打つ方向も?」
「分かります」
「さっきの由梨先輩のクロスも?」
「はい」
「沙耶先輩に外へ上がった時も?」
「トスが上がる前には、分かっていました」
それなら。
「でも、間に合わない?」
榊原さんが黙った。
少しだけ唇を噛む。
「……はい」
悔しそうだった。
でも、答えはいつも通り冷静だった。
「見えているんです」
自分の手を見つめたまま、榊原さんが言う。
「でも、身体が追いつきません」




