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水瀬千尋はエースではない―青嵐女学院バレーボール部―  作者: まるちーるだ
第二章 エースの隣

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12/22

第三話 入部希望


 入学式から数日が経った放課後。


 授業が始まり、学力確認テストの順位まで貼り出されて、ようやく高校生活が動き始めた気がする。


 そして今日から、私たちは正式に青嵐女学院女子バレーボール部の1年生になる。


「おお……」


 体育館へ入った途端、隣の凜が声を漏らした。


「何?」


「今日から毎日ここでバレーするんだよ!」


「そうだね」


「嬉しくない!?」


「嬉しいよ」


「もっとこう、うわー! とかないの?」


「凜が2人分やってるからいいかなって」


「そんな役割分担ある!?」


 学校見学の時にも、何度かこの体育館には入っている。


 床も同じ。ネットも同じ。壁際に並んだボール籠も同じ。


 なのに今日は少しだけ違って見えた。


 もう見学者ではない。


 今日から、この体育館が私たちの練習場所になる。


「千尋、紐」


「え?」


 先にシューズを履き終えていた伊織が私の左足を指差した。


「右より緩い」


「あ、本当だ」


「そのまま動かないでよ」


「優しいね」


「怪我されたら困るだけ」


「やっぱり優しい」


「好きに解釈して」


 紐を結び直しながら辺りを見ると、壁際では速水さんが座って目を閉じていた。


「速水さん、寝てる?」


「寝てない」


「起きてた」


「準備終わるまで待ってただけ」


「目閉じる必要あった?」


「省エネ」


「なるほど」


「千尋、そこで納得するんだ」


 伊織に言われた。


「分からなくはないし」


「私には分からない」


「黒川――じゃなかった、伊織は朝も強そうだもんね」


「今さら間違える?」


「まだ慣れてない」


「学校見学の日に変えたでしょ」


「数か月呼んでない期間あったから」


 伊織が何か言い返そうとしたところで、コートの向こうから声が飛んできた。


「1年、集合!」


「はい!」


 凜の返事だけが体育館に響いた。


「凜、元気だね」


「最初が大事だから!」


「何の最初?」


「全部!」


 よく分からないけれど、凜本人の中では理屈が通っているらしい。


 4人でコート脇へ向かうと、先輩たちも集まり始めていた。


 そこで私は、なんとなく人数を数えた。


 3年生。


 1人、2人、3人――。


「……多くない?」


 隣にいた伊織へ小声で言う。


「何が?」


「3年生」


 もう一度数える。


「12人いる」


「いるね」


「2年生は6人?」


「うん」


「で、1年が私たち4人」


「今のところは」


 3年生だけで、2年生と1年生を合わせた人数より多い。


「偏ってるね」


 私が言うと、伊織は先輩たちの方を見たまま小さな声で答えた。


「中等部からそのまま高等部までエスカレーターで上がれた、最後の代だから」


「最後の代?」


「うん。今は中等部のバレー部にいたからって、全員そのまま高等部でも続けられるわけじゃないの」


「そうなんだ」


「高等部で続けるなら、そこでまた選ばれる」


 少し考えてから、伊織を見る。


「伊織みたいに?」


「……そう」


 返事がほんの少しだけ遅かった。


 何かあるのかな、と思ったけれど、その時には御子柴先輩がこちらを向いていた。


「そこ、内緒話終わった?」


「終わりました」


 伊織が即答する。


「返事早いな、伊織!」


「すみません」


「怒ってないって。じゃあ、新1年も揃ったし、最初に自己紹介しようか」


 先輩たちの視線が一斉にこちらへ向く。


 さっきまで何ともなかったのに、急に少し緊張した。


 凜を見る。


 笑っている。


 速水さんを見る。


 普段と変わらない。


 伊織は中等部から知っている先輩ばかりだから、そもそも緊張していない。


 ……私だけ?


「じゃあ、伊織から」


「はい」


 御子柴先輩に呼ばれて、伊織が1歩前へ出る。


「黒川伊織です。中等部から上がりました。ポジションはセッターです。よろしくお願いします」


「よろしくー!」


 先輩たちから声が返った。


「伊織、固い!」


 誰かが笑う。


「自己紹介なので」


「相変わらずだなあ」


 伊織は少しだけ眉を寄せて戻ってきた。


「次、凜!」


「はい!」


 凜が勢いよく前へ出る。


「神崎凜です! アウトサイドです! いっぱい打って、いっぱい決めます! よろしくお願いします!」


 御子柴先輩が吹き出した。


「分かりやすい!」


「ありがとうございます!」


「褒めてるよ!」


「はい!」


「そこも元気だな!」


 先輩たちから笑いが起きる。


 少し離れたところでは、由梨先輩まで肩を揺らしていた。


「凜は昔から変わらないね」


「由梨先輩!」


「そのままなのはいいけど、体育館壊さないでね」


「壊しません!」


「どうかなあ」


「信用してください!」


 凜は満足そうな顔で戻ってきた。


「完璧」


「凜らしくはあったね」


「でしょ?」


「次、速水さん」


「はい」


 速水さんが1歩前へ出る。


「速水美緒です。リベロです。よろしくお願いします」


 そのまま戻ろうとした。


「短っ!」


 御子柴先輩が止める。


「必要なことは言いました」


「強いな、この1年!」


 また笑いが起きる。


 速水さんは特に気にした様子もなく戻ってきた。


「最後、千尋!」


「はい」


 前へ出る。


 改めて並んだ先輩たちを見る。


 御子柴先輩。


 九条先輩。


 一ノ瀬先輩。


 瑞穂先輩。


 由梨先輩。


 学校見学の日には、遠くから見ていた人たち。


 今日からは同じ部の先輩になる。


「水瀬千尋です。ポジションはアウトサイドです。身長は168.8cmです」


「そこ言うの!?」


 後ろから凜の声が飛んできた。


「大事でしょ」


「169cmでいいじゃん!」


「0.2cmは勝手に足しちゃダメだよ」


「誰が困るの!?」


「私」


 先輩たちが笑った。


 御子柴先輩なんて腹を抱えている。


「ごめん千尋、続けて!」


「はい。まだ青嵐で何ができるか分からないですけど、できることは増やしたいです。よろしくお願いします」


「よろしく、千尋!」


 御子柴先輩が言った。


 ほかの先輩たちからも声が返ってくる。


 戻ると、伊織が小声で聞いてきた。


「168.8cm、本当に必要だった?」


「必要」


「どこが?」


「0.2cmが」


「やっぱり分かんない」


「というわけで」


 御子柴先輩が手を叩いた。


「今年の1年は4人――」


「あの~……」


 体育館の入口から、控えめな声がした。


 全員がそちらを見る。


 制服姿の女の子が1人、扉のところに立っていた。


 大きい。


 最初に思ったのは、それだった。


 凜より少し高い。手足も長い。


 両手でスポーツバッグを持ち、これだけの人数から一斉に見られたせいか、少し困ったような表情をしていた。


「あの」


 女の子がもう一度言う。


「バレーボール部に入部希望なのですが」


「あ」


 思わず口から出た。


 女の子が私を見る。


「はい?」


「500点」


「……え?」


 伊織が額を押さえた。


「千尋、人を点数で呼ばないで」


「あ、ごめん」


「500点?」


 御子柴先輩が首を傾げる。


「この前の学力確認テストで500点満点だった人です」


「えっ」


「満点!?」


「学年1位の?」


 先輩たちの間から声が上がった。


 女の子は少し居心地悪そうに頭を下げる。


榊原(さかきばら)真帆(まほ)です」


「やっぱり」


 掲示板の一番上にあった名前。


 新入生代表。


 500点満点。


「学年1位が来た!」


 御子柴先輩が嬉しそうに言う。


「いいぞ! 頭いい子は貴重だ!」


「キャプテン、バレー部の勧誘ですよね?」


 一ノ瀬先輩が呆れたように言った。


「もちろん! でも頭いい後輩は大事だろ!」


「何に使うんですか」


「勉強教えてもらう」


「先輩が後輩に教わる気なんですか」


「私は47位だから!」


「それは威張るところじゃないです」


 さすが学年18位。


 この2人、やっぱり頭の回転が速い。


 そんな会話を聞いている横で、凜だけが榊原さんをじっと見ていた。


「……榊原?」


「はい」


「真帆?」


「はい」


 榊原さんが少し不思議そうに凜を見る。


 凜の目が急に大きくなった。


「…………あああああっ!!」


「うわっ」


 体育館中がびくっとする。


「凜、うるさい!」


「思い出した!」


「何を?」


 凜は榊原さんを指差した。


「桜ヶ丘小のエース!!」


「え?」


「小学生の全国大会で当たった! 私たち負けたところ!!」


「あ……」


 今度は榊原さんの表情が変わった。


「神崎凜さん」


「そう!」


「覚えています」


「やっぱり!」


 凜がものすごく嬉しそうに笑う。


 私は頭の中で名前を繰り返した。


 榊原真帆。


 桜ヶ丘小。


 全国大会。


「……待って」


 記憶のどこかが繋がる。


「榊原真帆……桜ヶ丘……」


「千尋、覚えてない!?」


「今、思い出しかけてる」


「あの時のエースだよ!」


「ああああ!」


 全部繋がった。


「だから名前に見覚えあったんだ!」


「今!?」


「入学式で聞いたからだと思ってた!」


「それもあるでしょ!」


「でももっと前にも見てたんだ!」


 小学生の全国大会。


 対戦表。


 試合前に確認した相手チームのメンバー。


 確かにその中に、榊原真帆という名前があった。


「そっか。あの時のエースだ」


「そう!」


 榊原さんは少しだけ恥ずかしそうに頷いた。


「小学生の時の話ですけど」


「千尋もいたよ!」


 凜が突然言った。


「え?」


 榊原さんが私を見る。


 私も榊原さんを見る。


「ライトで打ってたよ!」


「凜、追い打ちしなくていい」


「だっていたじゃん!」


「それはいたけど」


 榊原さんがものすごく申し訳なさそうな顔になった。


「すみません……」


「ほら、謝られた」


「なんで!?」


「凜が無理やり思い出させようとするから」


「でも千尋、あの試合ライトで結構打ってたよ!」


「そういう問題じゃないよ」


 隣で伊織が吹き出した。


「伊織まで笑わなくても」


「だって凜が必死に千尋の存在を証明してるから」


「存在はしてたよ」


「知ってる」


 速水さんまで口元を押さえている。


 榊原さんはまだ申し訳なさそうだった。


「本当にすみません。神崎さんは覚えていたんですけど……」


「全然いいよ。凜はエースだったし」


「ほら!」


「凜はもう黙ってて」


「はい」


 御子柴先輩が手を叩いた。


「なるほど。小学校で全国経験ありか。しかも――何cm?」


「180cmです」


「180!」


 御子柴先輩の目が輝く。


「ポジションは?」


「中学では主にミドルブロッカーでした。小学校ではアウトサイドもやっていました」


「経験者で180cm!」


「いいなあ!」


 凜が言った。


「真帆、私より1cm高い!」


「凜も179cmあるでしょ」


「1cmは大きいよ!」


「その意見には賛成」


「千尋は0.2cmにうるさいもんね」


 伊織が言う。


「0.2cmを笑う者は0.2cmに泣くからね」


「誰が泣いたの」


「そのうち誰か」


「適当」


 御子柴先輩は楽しそうに笑っていたけれど、榊原さん本人は少し表情を引き締めた。


「あの。ただ……」


「ん?」


「今の私は、青嵐で通用するレベルではないと思っています」


 体育館の空気が少しだけ変わった。


「そうなの?」


 御子柴先輩が聞く。


「はい」


 榊原さんは迷わず頷いた。


「中学でも3年間バレーは続けました。でも、私の中学校は地区でもほとんど勝てないチームでした。小学生の頃に全国大会へ出た時と比べると、全国レベルの選手との差はかなり広がっていると思います」


 自信がない人の話し方ではなかった。


 自分を卑下しているわけでもない。


 ただ、現在地をそのまま説明している。


 500点を取る人って、こういう考え方をするのかな。


「じゃあ、なんで青嵐へ?」


 御子柴先輩が聞いた。


 榊原さんは体育館を見回した。


「高校では、もう一度強いところでバレーがしたかったからです」


 はっきりした声だった。


「中学では推薦を受けられるような実績は残せませんでした。なので、自分が一般受験で合格できる学校の中から、できるだけ強いバレー部があるところを探しました」


「それで青嵐?」


「はい。直近5年の大会成績と、通学時間と、進学実績を比較して決めました」


「……5年?」


 私が聞く。


「はい」


「全部調べたの?」


「一応」


「一応の量じゃなくない?」


「毎日通う学校なので」


「それはそうだけど」


「過去問も5年分解きました」


「だから500点なのかな」


「それは関係ないと思います」


「真帆、そこは普通に否定するんだね」


 御子柴先輩が笑った。


「でも、いいじゃん」


「え?」


「今の自分が足りないって分かってて、それでも強いところでやりたいから来たんだろ?」


「……はい」


「だったら、通用するかどうかなんて今決めなくていいよ」


 御子柴先輩は榊原さんの肩を軽く叩いた。


「入って、練習して、それから考えればいい」


 榊原さんが少しだけ目を見開く。


「はい」


「じゃあ改めて、自己紹介!」


「はい」


 榊原さんが1歩前へ出た。


「榊原真帆です。身長180cmです。中学では主にミドルブロッカーをやっていました」


 一度だけ息を吸う。


「今はまだ、青嵐のレベルには足りないと思っています。でも、できるだけ早く追いつきたいです。よろしくお願いします」


「よろしく!」


 先輩たちの声が返った。


「よろしく、真帆!」


 凜が一番大きい。


「よろしく」


 私も言う。


「よろしく」


 伊織が続く。


「よろしく」


 速水さんも言った。


 榊原さんはこちらを見て、少しだけ笑った。


「よろしくお願いします」


 これで1年生は5人。


 神崎凜。


 黒川伊織。


 速水美緒。


 水瀬千尋。


 そして、榊原真帆。


 500点満点で学年1位。


 180cm。


 小学生の全国大会で、私たちを負かしたチームのエース。


 でも本人は、今の自分は青嵐に通用しないと言う。


 情報が多い。


「千尋」


 伊織が小声で呼ぶ。


「何?」


「今、絶対変なこと考えてるでしょ」


「情報量多いなって」


「本人に言わないでね」


「言わないよ」


「真帆!」


 その横では、凜がもう榊原さんへ話しかけていた。


「あの試合さ、私のクロス拾ったの覚えてる!?」


「凜」


「何?」


「本人はエースだったんでしょ」


「うん!」


「それをレシーブで覚えてると思う?」


「……あ」


 榊原さんが少し考える。


「すみません。覚えてないです」


「また謝られた!」


「凜、今日何回目?」


「でもこれから覚えてもらえばいいよね!」


「何を?」


「いっぱい!」


「だから何を?」


 凜はもう笑っている。


 榊原さんも困ったような顔をしながら、少し笑った。


「はいはい、1年!」


 御子柴先輩がパン、と手を叩く。


「お喋りはそこまで!」


「はい!」


 5人で返事をする。


 いや。


 凜の声が大きすぎて、本当に5人分だったのかはよく分からなかった。


 御子柴先輩はそんな私たちを見渡して、楽しそうに笑った。


「じゃあ、せっかく5人揃ったことだし――まずは青嵐の1年生が最初にやるやつ、やろうか」


「最初にやるやつ?」


 凜がすぐに食いつく。


 御子柴先輩の笑顔が、ほんの少しだけ悪くなった。


「うちの伝統」


 その時の私はまだ知らなかった。


 青嵐の言う「歓迎」が、必ずしも優しい意味ではないということを。



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