第二話 50位
入学式から数日後。
青嵐女学院での生活にも、ほんの少しだけ慣れてきた。
私と凜と伊織と速水さんは、全員同じクラスだった。
青嵐には、運動部の推薦入学者や強化指定選手が多く所属するスポーツ特進コースがある。大会や遠征で授業を抜けることも想定されているらしく、普通のクラスとは少しカリキュラムが違う。
だから、推薦で入った私と凜と速水さんが同じクラスなのは分かる。伊織は中等部からの内部進学だけど、高等部ではバレー部の強化指定選手扱いなので、やっぱり同じクラスになった。
「なんか変な感じ」
朝のホームルーム前、隣の席に座っている凜を見ながら言う。
「何が?」
「青嵐に来たのに凜がいる」
「何で!? ずっと一緒に行くって言ってたじゃん!」
「そうなんだけど、新しい学校って知らない人ばっかりなイメージだったから」
「伊織も美緒もいるよ!」
「それもそう」
凜の前の席で、伊織が振り返った。
「新鮮味がないってこと?」
「たぶん」
「失礼じゃない?」
「伊織と知り合ったの数か月前だけどね」
「じゃあ十分新鮮でしょ」
窓際では、速水さんが机に突っ伏している。
「速水さんは?」
「……眠い」
「朝だよ」
「だから眠い」
「なるほど」
「納得するの?」
伊織に聞かれた。
「朝眠いのは分かるし」
「千尋って、たまに美緒と妙なところで意気投合するよね」
「そう?」
「私は千尋と意気投合した覚えないけど」
速水さんが机に顔を伏せたまま答えた。
「だって」
「本人が否定してるじゃん」
そんな感じで始まった高校生活だった。
ただ、青嵐に入って最初に待っていたのは、バレーボールではなかった。
学力確認テストだった。
「聞いてない!」
問題用紙が配られる前、凜が小声で叫んだ。
「昨日先生が言ってたよ」
「聞いてない!」
「だから言ってたって」
「千尋、教えてよ!」
「昨日一緒に帰ってないでしょ」
「LINEして!」
「なんて?」
「明日テストだよって!」
「凜も教室にいたじゃん」
「そういう正論じゃないの!」
どういう理屈なのか分からない。
向こうでは速水さんも、問題用紙が配られるのをものすごく嫌そうな顔で見ていた。
「速水さんも聞いてなかった?」
「聞いてた」
「じゃあ大丈夫だね」
「聞いてただけ」
「ああ」
「何でそこで納得するの、千尋」
伊織にまた言われた。
「私は勉強したよ」
「偉い」
「一応ね。中学範囲の復習って言ってたから」
「どこやったの?」
「数学は二次関数と図形。英語は関係代名詞のところ。国語は漢字を適当に。理科は電気。社会は明治以降」
伊織が少し黙った。
「……山張ったの?」
「全部やるの大変だったから」
「入学直後の学力確認テストでやることじゃないでしょ」
「当たればいいんだよ」
「当たらなかったら?」
「その時考える」
結果。
かなり当たった。
テストから数日後、昼休みになると1階の掲示板前が騒がしくなった。
「出たって!」
教室へ駆け込んできた凜が言った。
「何が?」
「テストの順位!」
私は食べかけのパンを見た。
「今?」
「今!」
「パン食べてる」
「早く食べて!」
「無茶言うなあ」
結局、急いで残りを食べてから4人で見に行った。
1学年は約200人。そのうち、学力確認テストの上位50人だけが順位と5教科の合計点を掲示されるらしい。
掲示板の前には、かなりの人が集まっていた。
「見えない!」
凜が背伸びする。
「凜が見えなかったら私も無理なんだけど」
「千尋、168.8cmだもんね!」
「0.2cmを笑う者は0.2cmに泣くよ」
「まだ言ってる」
後ろから伊織が言った。
どうにか人の隙間から掲示板が見える位置まで移動する。
最初に目に入ったのは、一番上の名前だった。
1位 榊原真帆 500点
「……500?」
思わず口から出た。
「満点じゃん!」
凜が目を丸くする。
「これ、500点満点だよね?」
「5教科100点ずつなんだから、そうでしょ」
伊織が答えた。
「全部?」
「だから満点なんでしょ」
「全部100点?」
「千尋、満点の意味分かってる?」
「分かってるよ。確認してるだけ」
改めて見る。
500点。
何度見ても500点だった。
「そんなことある?」
「あるから貼ってあるんじゃない?」
「すごーい!」
凜は素直に感心している。
速水さんもさすがに顔を上げて順位表を見た。
「1個も間違えなかったんだ」
「そういうことだね」
「……あれ?」
名前を見ているうちに、何か引っかかった。
「どうしたの?」
「榊原真帆って、どっかで見た気がする」
伊織が少し考えてから言った。
「新入生代表じゃない?」
「あ」
「入学式で挨拶してたでしょ」
「ああ!」
思い出した。
壇上に立っていた、背の高い女の子。
名前を呼ばれた時に、確かに聞いている。
「聞いてたんだ」
「聞いてたよ」
「何話してた?」
「高校生として……」
「うん」
「……頑張ります、みたいな?」
「聞いてないじゃん」
「大体は合ってるでしょ」
「新入生代表の挨拶をそんな雑にまとめないで」
凜はもう別の名前を探し始めていた。
「あ、伊織いた!」
「何位?」
「20位! 456点!」
「ほんと?」
伊織が自分でも確認する。
20位 黒川伊織 456点。
「すごいじゃん!」
「まあまあかな」
「伊織、頭いいんだね」
私が言うと、伊織がこっちを見た。
「何でちょっと意外そうなの?」
「バレーのことばっかり考えてるから」
「それ千尋にだけは言われたくない」
「私はそんなに考えてないよ」
「昨日、授業中にノートの端にローテーション書いてたの誰?」
「暇だったから」
「授業聞きなよ」
「聞きながら書いてたよ」
「なお悪い気がする」
凜が笑いながら順位表を眺める。
「千尋は?」
「探してる」
「上から?」
「下から」
「最初から諦めてない?」
「自分の実力は分かってるから」
50位から逆に上へ辿ろうとして――その必要がなかった。
一番下の行に、知っている名前があった。
50位 水瀬千尋 421点
「……お」
「いた!?」
「いた」
「何位?」
凜と伊織が同時に覗き込む。
「50位」
「ぴったり!」
「すごいでしょ」
「ギリギリじゃん!」
「でも載ってる」
「そこなんだ」
何となく嬉しくなって、もう一度自分の名前を見る。
50位。421点。
本当に掲示板の一番下だ。
「危なかった」
「何が?」
「あと1人下だったら名前なかった」
「順位ってそういうものだけど」
「でも49人までは掲示されて、51位からはされないんだよ。50位ってすごくない?」
「順位そのものより、境界線にいることを喜んでるの?」
「うん」
「変なの」
伊織が笑う。
「でも421点なら、ちゃんと取れてるじゃん」
「山が当たった」
「堂々と言うな」
「二次関数出たし、関係代名詞も出た。電気も出たし、明治以降も多かった」
「それ全部当てたの?」
「うん」
「そこまで当てられるなら普通に勉強すればいいのに」
「毎回山が当たれば、その方が楽じゃない?」
「毎回当てる労力で普通に勉強して」
そんなことを話していると、凜がふと速水さんを見た。
「美緒は?」
私たちの視線が一斉に速水さんへ向く。
速水さんは順位表から少しだけ離れた。
「……何」
「名前!」
「ないよ」
「もう見たの?」
「上位50人には」
「じゃあ51位かもしれない!」
「そうかもね」
「調べよう!」
「やめて」
速水さんが真顔で言った。
「どうして!?」
「知らなくていいこともある」
「あ」
私は頷いた。
「分かる」
「千尋?」
「私も凜と速水さんの順位は見なかったことにする」
「待って! 私はまだ何も言ってない!」
「上位50人にはいないよ」
「もう見たの!?」
「凜って名前目立つから」
「じゃあ51位かもしれないじゃん!」
「うん」
「先生に聞きに行こう!」
「凜だけ行ってきて」
「なんで!?」
「そこまでして知りたくない」
「私の順位なのに!」
「だから本人が知ればいいじゃん」
「千尋も知りたいでしょ!?」
「……」
「なんで黙るの!?」
「友情って、知らなくていいこともあると思う」
「順位で壊れるの、私たちの友情!?」
速水さんが小さく頷いた。
「私は千尋に賛成」
「美緒まで!?」
「私のも調べなくていいから、凜のも調べない」
「なんで私たちセットなの!?」
「仲間だから?」
私が言う。
「その『仲間』の使い方違う!」
凜が騒いでいると、後ろから明るい声が飛んできた。
「おお、スポーツ特進コースから貼り出し2人って凄いな」
振り返る。
「御子柴先輩」
女子バレー部の3年生で、キャプテンの御子柴綾香先輩だった。
先輩は私たちの間から1年生の順位表を覗き込む。
「黒川が20位、456点。千尋が……50位、421点?」
「はい」
「ギリッギリじゃん!」
「山が当たりました」
「胸張って言うことじゃないだろ!」
「でも50位です」
「そこは妙に誇らしいんだな」
「先輩は何位だったんですか?」
「私?」
御子柴先輩は少しだけ胸を張った。
「47位」
「先輩もギリギリじゃないですか」
「私は実力で47位だ!」
「威張れるんですか、それ」
「上位50人に貼られてる時点で勝ちだろ!」
「あ、それは分かります」
「だろ?」
御子柴先輩と頷き合う。
「なんでそこ意気投合するの」
伊織が呆れていた。
「ちなみに先輩、何点なんですか?」
「416点」
「私の方が上だ」
「学年違うからテストも違うだろ!」
「あ、そっか」
「今勝ったと思っただろ!」
「ちょっと」
「千尋、お前結構いい性格してるな!」
御子柴先輩が笑う。
「でも先輩、ちゃんと上位50人にいるんですね」
凜が感心したように言った。
「ちゃんとって何だ、凜」
「勉強苦手そう」
「お前には言われたくないぞ!」
「なんで私!?」
「お前、貼り出しに名前ないだろ!」
「それは今関係ないです!」
「めちゃくちゃあるだろ!」
御子柴先輩の笑い声につられて、周りまで笑う。
少しして、先輩が隣に貼られた2年生の順位表を指差した。
「ちなみに、うちのバレー部だと怜奈がいるぞ」
「一ノ瀬先輩?」
4人で探す。
かなり上の方に見つかった。
18位 一ノ瀬怜奈 462点
「あ、本当だ」
「18位……」
伊織がじっと順位表を見る。
「伊織、負けてるね」
「まだ入学したばっかりなんだけど?」
「でも負けてる」
「千尋は50位でしょ」
「私は山が当たったから」
「だからそれ、何の免罪符にもなってないから」
凜はさらに2年生の順位表を見回した。
「沙耶先輩は?」
「探すな」
御子柴先輩が即答した。
「え?」
「由梨先輩は?」
「探すなって」
「瑞穂先輩は?」
「凜」
御子柴先輩が凜の肩へ手を置いた。
「世の中には、知らない方が幸せなこともある」
「なんで急に深い話みたいになるんですか?」
「速水さんと同じこと言ってる」
私が言う。
「速水もそう思うか」
「はい」
速水さんが即答する。
「美緒!?」
「凜も、自分の順位は無理して調べなくていいと思う」
「なんでみんな私の順位を見ない方向に持っていくの!?」
「優しさだよ」
「優しさなの!?」
凜の声が廊下に響いて、周囲の生徒が何人かこちらを見る。
「凜、声大きい」
「誰のせい!?」
「凜」
「私!?」
御子柴先輩がまた豪快に笑った。
その笑い声を聞きながら、私はもう一度1年生の順位表を見る。
20位、黒川伊織。456点。
50位、水瀬千尋。421点。
そして、そのずっと上。
1位 榊原真帆 500点。
「……500点かあ」
もう一度呟く。
「まだ言ってるの?」
伊織が聞く。
「だって満点だよ」
「満点だね」
「ケアレスミスもなし?」
「だから500点なんでしょ」
「私、数学で符号1個間違えた」
「それはケアレスミス以前に普通のミスじゃない?」
「厳しい」
200人くらいいて、その一番。
しかも満点。
入学式では新入生代表として壇上に立っていた。
榊原真帆。
顔はほとんど覚えていない。背が高かったような気はするけれど、話したこともないし、どんな人なのかも知らない。
「千尋、行くよ」
「うん」
伊織に呼ばれて、掲示板から離れる。
「午後の授業なんだっけ?」
「数学」
「よし」
「何がよしなの?」
「次も山張ろうかな」
「やめなよ」
「私にも教えて!」
凜が食いついた。
「凜はまず授業聞こう」
「千尋に言われた!」
「私は授業聞いてるよ」
「ノートの端にローテーション書いてたくせに」
伊織に言われた。
「聞きながら書いてた」
「それを聞いてるって言うの?」
「器用なんだよ」
「自分で言うんだ」
そんな話をしながら、教室へ戻る。
廊下の向こうには、まだ順位表を見る生徒たちが集まっていた。
その一番上にある名前を、この時の私はただ「すごい人もいるんだな」と思っただけだった。
榊原真帆。
まさか次にその名前を聞く場所が、体育館になるとは思っていなかった。




