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愛及屋烏花軍  作者: 司馬示朗
◾️花晨月夕──風斎の章
30/32

雪催


冬に入ってから、屋敷の朝は目に見えて遅くなった。

夜明けの光はなかなか庭へ届かず、池の面には薄い氷が張る日も増えた。

霜は石の陰だけでなく築山の低い草の上にも白く残り、日が差してもしばらく消えない。

山茶花の赤だけが庭の端に濃く、葉を落とした枝のあいだを風が抜けると乾いた小さな音がした。


初雪こそまだだが山の方角には朝ごとに白い霞がかかり、空は低く、雲の底には湿った重みがある。

女房たちは廊を渡るたびに肩をすぼめ、下働きの者は水桶の縁に張った薄氷を割ってから使う。

屋敷の中では、火鉢の炭が朝からよく減った。


奥向きでは、朝から冬衣を出していた。

桐箱の蓋が開けられ、畳の上に布が広がる。

淡い紅、深い紫、灰を含んだ青、裏にだけ明るい色を忍ばせたもの。

重ねられた衣は、冬の支度でありながら、座敷の中にひととき春の花を散らしたようにも見えた。

女房たちはそれぞれの持ち場に分かれ、袖口を改め、紐を替え、襟の擦れや裾のほつれを確かめていく。

香を移した紙が箱から取り出されるたび、乾いた木と衣の匂いの中へほんのり甘い気配が混じった。


愛護は、その真ん中に座らされていた。

次々と肩へ衣を当てられ、鏡の前で顔を上げたり、袖を広げたりする。

昔なら飽きて身をよじっただろうが、十二にもなれば少しは我慢することを覚えている。

もっとも、心の中ではかなり退屈していた。

女房たちは真剣で、母もひとつひとつをよく見ている。

だから愛護も、できるだけ姫らしい顔で座っている。


山行き用の羽織が出されたのは、その途中だった。

深い藤鼠の布で、外向きの華やかさは抑えられている。

だが布地はよく、内には薄く綿が入っていた。

肩から背にかけてゆとりがあり、頭から被れば耳も首筋も覆えるほど大きい。

小堂へ上がる時に使うものだから、裾は歩きやすく整えられている。

けれど、膝の上に置かれると思ったより重かった。


「これ、ずっしりしてる」


愛護が言うと、年嵩の女房が目を細めた。


「冬の山は、庭とは冷えが違いますから」


「分かってるけど」


「分かっていらっしゃるなら、きちんとお召しくださいませ」


言い返す余地がなくなり、愛護は唇だけ少し尖らせた。母がそれを見て、声を立てずに笑う。

笑われたので、愛護は慌てて背筋を伸ばした。


そのとき、襖の向こうから若い侍女が入ってきた。

普段はよく笑う娘だった。針仕事も早く、年嵩の女房に言われたことを飲み込むのも早い。

けれどその朝は、目元が赤く、袖の合わせを片手で強く押さえていた。

女房頭に何かを伝えに来たのだろう。

だが座敷の中に衣が広がり、人の目が多いのを見て、足を止めた。


彼女の袖口から、折られた文の端が覗いていた。

近くにいた女房が、それに気づく。


「どうしたの。お里からの文?」


若い侍女の顔が、さらに白くなった。

答えれば、その場にいる全員が聞く。答えなければ、なおさら人の目が寄る。

ほんの一瞬のことだったが、座敷の空気は確かに止まった。

衣の色も、香の匂いも、その沈黙の中で急に遠くなる。


奥方が、先に声をかけた。


「ちょうどよかったわ。あなたを呼ぼうと思っていたの」


若い侍女は、はっと顔を上げた。

奥方は何事もなかったように、畳まれかけていた薄紫の羽織を手に取る。


「この袖裏を、明るいところで見たいのです。あなたの目は色の違いに細かいでしょう。向こうの小座敷で手を貸してちょうだい」


「……はい」


侍女の声は小さかった。


「その文は、ついでに私の部屋へ持っておいでなさい。ここでは衣が多くて紛れますから」


そう言われて、侍女はようやく頭を下げた。

女房頭も、それ以上は問わない。

若い侍女は羽織を受け取り、奥方に従って小座敷の方へ下がった。


座敷には、わずかに残った沈黙があった。

けれど誰も続きを尋ねなかった。

女房たちは袖を持ち直し、紐を替え、桐箱から次の衣を出した。

畳の上へ広がった色が、止まりかけた空気を少しずつ動かしていく。


愛護は、それを見ていた。

母は、あの侍女を呼ぼうとしていただろうか。

少なくとも、愛護にはそう見えなかった。

さっきまで母は、愛護の山行き用の羽織を見ていた。

薄紫の羽織の袖裏など、話にも出ていなかったはずだ。

それなのに母は、まるで初めからそのために侍女を待っていたように言った。

そして若い侍女は小座敷へ下がり、女房たちは何も訊かない。

そのことが、愛護には少し不思議だった。


衣合わせが済んだあと、奥方は愛護を隣の小座敷へ呼んだ。

障子の向こうでは女房たちがまだ衣を畳んでいる。布の擦れる音が、波のように低く続いた。

奥方は愛護の袖口を整え、髪飾りの位置を少し直した。

朝から何度もそうされているのに、母の手が触れると、愛護はいつも少しだけ静かになる。


「母さま」


「なあに」


「さっきの、ほんとはあの人を呼ぼうとしてたんじゃないよね」


奥方の手が止まる。

少しの間を置いて、奥方は愛護の隣へ座り直した。


「そうね」


「袖裏も、ほんとは今見なくてよかったんでしょう」


「ええ」


愛護は膝の上の指を見た。


「じゃあ、嘘?」


その言葉を口にすると、思ったより重かった。

奥方はすぐには答えなかった。叱る顔ではない。けれど、笑って流す顔でもなかった。


「嘘と言えば、嘘です」


愛護は顔を上げた。


「……嘘ついて、いいの?」


「嘘をつくことの良し悪しは、簡単に分けられるものではありません」


奥方は静かに言った。


「ただ、あの場で本当のことだけを求めれば、あの子は皆の前で答えなければならなくなりました。里のことか、家のことか、何かつらい報せだったのでしょう。けれど、それを話すかどうかは、あの子が選べることでなければなりません」


愛護は黙って聞いていた。


「誰かを欺いて利を得るための嘘は、いけません。けれど、人前で裂かれそうなものを一度覆うために、別の名目を立てることはあります」


「別の、名目」


「ええ。あの子を下がらせるには、理由が必要でした。泣きそうだから下がりなさい、と言えば、皆がその理由を知りたがります。でも、袖裏を見るから手を貸して、と言えば、それ以上は問われにくい」


愛護は、さっきの座敷を思い出した。

母の声がした瞬間、皆の視線が侍女から羽織へ移った。

文の端ではなく、袖裏の色へ。赤い目ではなく、奥方の用へ。

場が、別の形を与えられたのだ。


「ほんとうのことを言わないのは、ずるいことじゃないの?」


「ずるく使うこともできます」


奥方は言った。


「だから、難しいのです。けれど、上に立つ者の言葉は、場の形を決めてしまいます。誰かを守るために、今は何を見せ、何を隠すべきか。考えなければなりません」


愛護は、膝の上で指を握った。

正しいことを言えばよいのだと、幼いころは思っていた。

間違いは間違いだと言えばよい。隠しごとは明るみに出せばよい。そういう単純なものだと。


けれど今は、そうではないことを知っている。

山の家のことも、美菊のことも、正しい名で呼べば守れるとは限らない。

名を出した瞬間に、壊れるものがある。


愛護は、少しだけ目を伏せた。


「難しい」


「ええ」


奥方は微笑んだ。


「難しいことです」


それ以上は言わなかった。

愛護も、何も言わなかった。



座敷が片付けられ茶と菓子が出ると、小堂参りの予定の話になった。


雪が近い。まだ降ってはいないが、山道は日ごとに冷えている。

小堂へ上がる石段も、霜が残れば滑る。

供えを持って参るにはそろそろ限りだろうと、奥向きでも数日前から話が出ていた。


愛護は、それを聞くたびに胸の奥が落ち着かなくなった。

小堂へ参れないということは、山の家へ行けないということだ。

朝凪から無事だと聞けても、それは会えたことにはならない。

火のそばに座る美菊を見たい。菓子を前にして、少しだけ目をやわらげるところを見たい。寒くないか訊いてあげたい。


その日の菓子は、冬の始まりに合わせたものだった。

白い外郎の上に淡く染めた餡を薄く重ね、雪の下から草の芽がのぞく形にしてある。

まだ雪は降っていないのに、皿の上ではもう白いものが積もっていた。

美菊はいつも、こういう手の込んだかたちの菓子を興味深そうにじっと見る。

その姿を思いながら愛護がそれを見ていると、奥方が言った。


「小堂へ参るなら、次でしばらく控えなさい」


愛護は顔を上げた。


「次は、まだ行ってもいい?」


「朝凪が付き、刻を守ること。供えを済ませたら、長くは留まらないこと」


「はい。守ります」


返事が少し早くなったので、愛護は慌てて背を正した。

奥方は気づいていただろうが、叱らなかった。ただ、控えていた女房へ目を向ける。


「先ほどの羽織を用意しておきなさい。山では必ず着せるように」


「かしこまりました」


女房が頭を下げる。

小堂へ供える菓子は、当日の朝に包まれる。供えたあとに下げる分も、小さく分けて持つ。

その一部を『山で休む時に食べる』ことは、もう誰も不思議に思わない。

愛護は十二になった今でも甘いものが好きで、山へ行けば少し浮き立つ。

屋敷の者たちは、そう見ている。


愛護は菓子をひとつ取った。

白い外郎はやわらかく、淡い甘さが舌に残った。

次の参りが、今冬最後。

菓子とともに飲み込んだそれは、胸の内に落ちて少し寂しかった。



■■




朝凪は詰所で、山裾の巡回報告を受けていた。


火鉢の炭はまだ赤いが、部屋の隅には冷えが溜まっている。

戻った兵たちは手袋を外し、指先をこすりながら膝をついた。

冬に入る前の山道は見るべきところが多い。

霜で崩れる場所、落ち葉で石の見えなくなる場所、獣道と古い道が紛らわしくなる場所。

綾の異状が続いてからは、そこに別の確認も加わっていた。


報告は淡々としていた。

小堂筋に変化なし。古道側の流れに乱れなし。炭焼き道の分かれで一度妙な冷えを覚えた者がいるが、痕は残らず。人を増やすほどではないが、次回も見る。


朝凪は紙面を見ながら、道の位置を頭の中で確かめた。


姫の小堂参りと巡回が重ならなければよい。

供回りの者の目が余計に散ることはない。

雪が来る前に済ませられるなら、その方がいい。


「次の巡回は」


「明後日の朝に小堂筋、昼に古道側でございます。雪が降れば、日を改めます」


「人数は」


「二名ずつ。小堂筋は、姫様のご参詣が済んだ後に」


朝凪は頷いた。無理のない段取りだった。

巡回の目が増えていることは気にかかる。

だが、彼らは異状を見に行くのであって、山中の家を探しているわけではない。

報告に上がるのは、綾の流れ、道の損じ、獣の動き、雪前の危うい箇所である。

朝凪は必要な指示だけを返し、紙を畳んだ。


明日は、姫の小堂参りである。

戻りの刻を遅らせない。供えを済ませる。足もとを見せる。奥方に心配を残さない。

山の家へ寄る時間は短くなるだろうが、それでも行けるだけましだろう。

そう考え、朝凪は詰所を出た。




■■




山の家では、炭の匂いがしていた。


朝凪が運び込んだ俵を納戸の脇へ置き、美菊は膝をついて端についた土を布で払う。

冬支度の道具は、ひとつずつ重い。炭も、薪も、乾かしておく藁も、雪の日に使う履物も、夏のものより場所を取る。

表向き一人分の貯えと消費量に見せるには、仕舞う場所も考えなければならない。


座敷の端には、淡い色の肩掛けが置かれていた。

もとは汀の小袖だった。古くなって袖も裾も傷んでいたが、美菊が手元に残したがったので、使えるところだけを選んで一枚布に直したものである。

色合いは女物の名残をそのまま残していたが、家から出るでも人に会うでもない美菊は衣に頓着が薄い。

毎年冷えが深くなると、火のそばで膝に掛けたり肩に羽織ったりしている。

その日も美菊は炭俵を拭き終えると、それを膝へ引き寄せていた。


「明日、姫様が来られる」


朝凪が言うと、美菊の目元が少しやわらいだ。


「はい」


「恐らく今冬はこれで仕舞だ。雪が降れば、難しくなる」


「……はい」


返事の前に、わずかに間があった。

朝凪は炭を足した。赤く残った火の奥へ新しい炭が触れ、しばらくして細い音を立てる。

障子の外はもう暗く、雪はまだない。

だが夜気の冷たさだけは、ひと足先に山へ下りていた。


「明日も長くは居られない」


「分かっています」


「供えから下げたものも、まあ、さっと食ってくれ」


美菊は小さく頷き、そこで会話は途切れた。


雪が近い夜、美菊はよく黙る。

朝凪はその沈黙をほどこうとはしなかった。言葉にしたところで、何かが軽くなるとは思えない。

美菊自身にも、何が胸にかかっているのか分からないことがある。

だから朝凪は、火を足す。

冷えた手があれば温める。布が足りなければ増やす。夜のうちに水が凍りそうなら、置き場所を変える。

できることは、そのくらいだった。




■■




夜半の書見の間の灯は、二つだけだった。

机の端にひとつ、棚の前にひとつ。紙を傷めぬよう、灯心は短く切られている。

部屋の中には古い墨と乾いた紙の匂いが沈んでいた。


玄冬の前には、数冊の控えが開かれていた。

朝凪の祖父の代に関わる古い家の記録である。

本宅とは別に、山中に小さな平屋を持っていた時期があった。

粗末な小屋ではない。大きくはないが、人が暮らすには足りる家だった。


その家は、祖父の死後も家筋の中に残っていた。

目立つ財ではない。広い田畑でも、商いの元手になる屋敷でもないそれは、普段の帳面に何度も上がるようなものではなかった。だが、消えてはいない。


玄冬は、別の記録へ目を移した。

朝景と汀の死後、町の家が売られている。

売ったのは、朝凪だった。両親を亡くしたあと、家を整理する立場に置かれたのだから不自然ではない。

町の家を手放した後朝凪がどこを生活の根にしたかは、紙の上でははっきりしない。


玄冬は、山中の平屋の位置を示す古い図を見た。


遠い。

普通に歩けば、屋敷からだと一刻を越える。

若い男であろうと、屋敷勤めの者が毎日そこから通うには無理がある。

まして朝凪は姫付きだ。朝が早く、戻りが遅れる日もある。冬になれば道は悪くなる。

町の家を手放したからといって、そこへ移ったと考えるには、距離が合わない。


玄冬はしばらく紙面を見下ろしていた。


それでも、他に残る場所が薄かった。

町の家はない。親類筋に寄っている様子もない。詰所に長く泊まることもない。

屋敷を下がったあとの朝凪は、紙の上からきれいに細る。

若い武家の者なら自然に残るはずの、酒席や町の付き合いや、縁談相手との顔合わせもほとんどない。


通うには遠い。

だが、人目から遠ざけるなら、その遠さが要る。


玄冬は筆を取らなかった。

書けば残る。残れば、別の者の目に触れる。今はまだ、紙に増やす段階ではない。


翌日の勤めの表には、姫の小堂参りが記されていた。

朝凪の名もある。供回りの名もある。戻りの刻も決まっている。

朝凪は昼の間、姫に付く。

小堂へ上がり、供えを済ませ、姫を山で少し遊ばせ、戻る。

その務めから、勝手に長く離れることはできない。

供回りの目もある。奥向きへの報告もある。


――家を見るなら、その間だ。

そこに、誰がいるかを見る。


控えを閉じる。

外は冷えていた。戸の向こうの廊に、夜の気配が重く落ちている。雪はまだ降っていない。だが、近い。


玄冬は灯を落とさず、しばらく座っていた。




■■




翌朝、空は重かった。


雪雲が山の上に低くかかり、庭の木々は音もなく立っていた。

池の端には薄い氷が張り、廊を渡る女房たちは肩をすぼめる。

しかし今日のうちに参れるなら、その方がよい。誰もがそう言った。


愛護は早くから支度を整えられた。

山道用の衣を着せられ、髪も動きやすいように結われる。

最後に藤鼠の羽織を肩へかけられた。やはり重い。

けれど、内側はあたたかかった。襟を合わせると首筋の冷えが遠のく。


女房が羽織の前を整える。


「姫様、途中で暑くなってもお脱ぎになりませんよう」


「山は庭より冷え込むのでしょう」


「はい。よう覚えておいでです」


愛護は頷いた。


供えの包みは、老僕が持つ。供えたあとに下げる分は、別に小さく分けられている。

愛護は、その包みの大きさを目で確かめた。多くはない。

けれど、兄と少し分けるくらいなら足りる。


朝凪は敷居際に控えていた。

愛護の支度を見、供えの包みを見、外の空を見た。いつもの順だった。

顔には何も出さない。けれど、急いでいないわけでもない。

雪が来る前に行き、雪が来る前に戻る。

そのための段取りを、朝凪はもう組んでいるのだろう。


奥方が愛護の前へ座った。


「無理をしてはいけませんよ」


「はい」


「足もとをよく見て。朝凪の言うことを聞くのですよ」


「はい。気を付けます」


奥方は愛護の頬へそっと触れた。指先は少し冷たかった。愛護はその手に頬を預けたい気持ちをこらえ、きちんと頭を下げる。

朝凪も深く一礼した。


「お連れいたします」


「頼みましたよ」


それで出立の支度は終わった。

屋敷を出ると、空気はさらに冷たい。

供回りの者が菓子と花を持ち、老僕が足元に気を配る。

愛護は羽織の前を押さえながら歩いた。

山の方角は、雲の影で少し暗い。


今冬最後。


その言葉を、愛護は誰にも聞かせずに胸の中で繰り返した。




玄冬は、姫の一行が屋敷を出たあとに動いた。


特別な支度はしない。供もつけない。

冬前の山を見に行くこと自体は、玄冬にとって不自然なことではなかった。

足元だけを山道用に替え、普段より少し地味な羽織を選ぶ。

道筋は、昨夜のうちに頭へ入っている。


廊を渡る時、奥向きの方から人の気配が遠ざかっていた。

小堂参りの一行は、すでに門を出ている。朝凪もその中にいる。戻りの刻も決められている。


玄冬は表へ回らず、脇の通用から外へ出た。

冷たい風が、衣の合わせ目に触れる。まだ雪は落ちていない。

山の上の雲は重く、白というより鈍い灰色をしていた。

道端の草は霜を残し、踏めばかすかに折れる音がする。


玄冬は足を急がせる。


汀の三日の空白。

町で拾った古い声。

朝凪の祖父が残した山中の平屋。

両親の死後、町の家を手放した朝凪。


それらはまだ、人前に差し出せる形ではない。

だが、確かめに行くには足りていた。


そのまま山裾へ入り、小堂へ向かう表の道から外れた。

古い木立の影へ進むと人の足は少なくなる。

冬前の土は固く、落ち葉の下に石が隠れている。


雪の降る前に。



玄冬は、山の奥へ向かった。




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