雪催
冬に入ってから、屋敷の朝は目に見えて遅くなった。
夜明けの光はなかなか庭へ届かず、池の面には薄い氷が張る日も増えた。
霜は石の陰だけでなく築山の低い草の上にも白く残り、日が差してもしばらく消えない。
山茶花の赤だけが庭の端に濃く、葉を落とした枝のあいだを風が抜けると乾いた小さな音がした。
初雪こそまだだが山の方角には朝ごとに白い霞がかかり、空は低く、雲の底には湿った重みがある。
女房たちは廊を渡るたびに肩をすぼめ、下働きの者は水桶の縁に張った薄氷を割ってから使う。
屋敷の中では、火鉢の炭が朝からよく減った。
奥向きでは、朝から冬衣を出していた。
桐箱の蓋が開けられ、畳の上に布が広がる。
淡い紅、深い紫、灰を含んだ青、裏にだけ明るい色を忍ばせたもの。
重ねられた衣は、冬の支度でありながら、座敷の中にひととき春の花を散らしたようにも見えた。
女房たちはそれぞれの持ち場に分かれ、袖口を改め、紐を替え、襟の擦れや裾のほつれを確かめていく。
香を移した紙が箱から取り出されるたび、乾いた木と衣の匂いの中へほんのり甘い気配が混じった。
愛護は、その真ん中に座らされていた。
次々と肩へ衣を当てられ、鏡の前で顔を上げたり、袖を広げたりする。
昔なら飽きて身をよじっただろうが、十二にもなれば少しは我慢することを覚えている。
もっとも、心の中ではかなり退屈していた。
女房たちは真剣で、母もひとつひとつをよく見ている。
だから愛護も、できるだけ姫らしい顔で座っている。
山行き用の羽織が出されたのは、その途中だった。
深い藤鼠の布で、外向きの華やかさは抑えられている。
だが布地はよく、内には薄く綿が入っていた。
肩から背にかけてゆとりがあり、頭から被れば耳も首筋も覆えるほど大きい。
小堂へ上がる時に使うものだから、裾は歩きやすく整えられている。
けれど、膝の上に置かれると思ったより重かった。
「これ、ずっしりしてる」
愛護が言うと、年嵩の女房が目を細めた。
「冬の山は、庭とは冷えが違いますから」
「分かってるけど」
「分かっていらっしゃるなら、きちんとお召しくださいませ」
言い返す余地がなくなり、愛護は唇だけ少し尖らせた。母がそれを見て、声を立てずに笑う。
笑われたので、愛護は慌てて背筋を伸ばした。
そのとき、襖の向こうから若い侍女が入ってきた。
普段はよく笑う娘だった。針仕事も早く、年嵩の女房に言われたことを飲み込むのも早い。
けれどその朝は、目元が赤く、袖の合わせを片手で強く押さえていた。
女房頭に何かを伝えに来たのだろう。
だが座敷の中に衣が広がり、人の目が多いのを見て、足を止めた。
彼女の袖口から、折られた文の端が覗いていた。
近くにいた女房が、それに気づく。
「どうしたの。お里からの文?」
若い侍女の顔が、さらに白くなった。
答えれば、その場にいる全員が聞く。答えなければ、なおさら人の目が寄る。
ほんの一瞬のことだったが、座敷の空気は確かに止まった。
衣の色も、香の匂いも、その沈黙の中で急に遠くなる。
奥方が、先に声をかけた。
「ちょうどよかったわ。あなたを呼ぼうと思っていたの」
若い侍女は、はっと顔を上げた。
奥方は何事もなかったように、畳まれかけていた薄紫の羽織を手に取る。
「この袖裏を、明るいところで見たいのです。あなたの目は色の違いに細かいでしょう。向こうの小座敷で手を貸してちょうだい」
「……はい」
侍女の声は小さかった。
「その文は、ついでに私の部屋へ持っておいでなさい。ここでは衣が多くて紛れますから」
そう言われて、侍女はようやく頭を下げた。
女房頭も、それ以上は問わない。
若い侍女は羽織を受け取り、奥方に従って小座敷の方へ下がった。
座敷には、わずかに残った沈黙があった。
けれど誰も続きを尋ねなかった。
女房たちは袖を持ち直し、紐を替え、桐箱から次の衣を出した。
畳の上へ広がった色が、止まりかけた空気を少しずつ動かしていく。
愛護は、それを見ていた。
母は、あの侍女を呼ぼうとしていただろうか。
少なくとも、愛護にはそう見えなかった。
さっきまで母は、愛護の山行き用の羽織を見ていた。
薄紫の羽織の袖裏など、話にも出ていなかったはずだ。
それなのに母は、まるで初めからそのために侍女を待っていたように言った。
そして若い侍女は小座敷へ下がり、女房たちは何も訊かない。
そのことが、愛護には少し不思議だった。
衣合わせが済んだあと、奥方は愛護を隣の小座敷へ呼んだ。
障子の向こうでは女房たちがまだ衣を畳んでいる。布の擦れる音が、波のように低く続いた。
奥方は愛護の袖口を整え、髪飾りの位置を少し直した。
朝から何度もそうされているのに、母の手が触れると、愛護はいつも少しだけ静かになる。
「母さま」
「なあに」
「さっきの、ほんとはあの人を呼ぼうとしてたんじゃないよね」
奥方の手が止まる。
少しの間を置いて、奥方は愛護の隣へ座り直した。
「そうね」
「袖裏も、ほんとは今見なくてよかったんでしょう」
「ええ」
愛護は膝の上の指を見た。
「じゃあ、嘘?」
その言葉を口にすると、思ったより重かった。
奥方はすぐには答えなかった。叱る顔ではない。けれど、笑って流す顔でもなかった。
「嘘と言えば、嘘です」
愛護は顔を上げた。
「……嘘ついて、いいの?」
「嘘をつくことの良し悪しは、簡単に分けられるものではありません」
奥方は静かに言った。
「ただ、あの場で本当のことだけを求めれば、あの子は皆の前で答えなければならなくなりました。里のことか、家のことか、何かつらい報せだったのでしょう。けれど、それを話すかどうかは、あの子が選べることでなければなりません」
愛護は黙って聞いていた。
「誰かを欺いて利を得るための嘘は、いけません。けれど、人前で裂かれそうなものを一度覆うために、別の名目を立てることはあります」
「別の、名目」
「ええ。あの子を下がらせるには、理由が必要でした。泣きそうだから下がりなさい、と言えば、皆がその理由を知りたがります。でも、袖裏を見るから手を貸して、と言えば、それ以上は問われにくい」
愛護は、さっきの座敷を思い出した。
母の声がした瞬間、皆の視線が侍女から羽織へ移った。
文の端ではなく、袖裏の色へ。赤い目ではなく、奥方の用へ。
場が、別の形を与えられたのだ。
「ほんとうのことを言わないのは、ずるいことじゃないの?」
「ずるく使うこともできます」
奥方は言った。
「だから、難しいのです。けれど、上に立つ者の言葉は、場の形を決めてしまいます。誰かを守るために、今は何を見せ、何を隠すべきか。考えなければなりません」
愛護は、膝の上で指を握った。
正しいことを言えばよいのだと、幼いころは思っていた。
間違いは間違いだと言えばよい。隠しごとは明るみに出せばよい。そういう単純なものだと。
けれど今は、そうではないことを知っている。
山の家のことも、美菊のことも、正しい名で呼べば守れるとは限らない。
名を出した瞬間に、壊れるものがある。
愛護は、少しだけ目を伏せた。
「難しい」
「ええ」
奥方は微笑んだ。
「難しいことです」
それ以上は言わなかった。
愛護も、何も言わなかった。
座敷が片付けられ茶と菓子が出ると、小堂参りの予定の話になった。
雪が近い。まだ降ってはいないが、山道は日ごとに冷えている。
小堂へ上がる石段も、霜が残れば滑る。
供えを持って参るにはそろそろ限りだろうと、奥向きでも数日前から話が出ていた。
愛護は、それを聞くたびに胸の奥が落ち着かなくなった。
小堂へ参れないということは、山の家へ行けないということだ。
朝凪から無事だと聞けても、それは会えたことにはならない。
火のそばに座る美菊を見たい。菓子を前にして、少しだけ目をやわらげるところを見たい。寒くないか訊いてあげたい。
その日の菓子は、冬の始まりに合わせたものだった。
白い外郎の上に淡く染めた餡を薄く重ね、雪の下から草の芽がのぞく形にしてある。
まだ雪は降っていないのに、皿の上ではもう白いものが積もっていた。
美菊はいつも、こういう手の込んだかたちの菓子を興味深そうにじっと見る。
その姿を思いながら愛護がそれを見ていると、奥方が言った。
「小堂へ参るなら、次でしばらく控えなさい」
愛護は顔を上げた。
「次は、まだ行ってもいい?」
「朝凪が付き、刻を守ること。供えを済ませたら、長くは留まらないこと」
「はい。守ります」
返事が少し早くなったので、愛護は慌てて背を正した。
奥方は気づいていただろうが、叱らなかった。ただ、控えていた女房へ目を向ける。
「先ほどの羽織を用意しておきなさい。山では必ず着せるように」
「かしこまりました」
女房が頭を下げる。
小堂へ供える菓子は、当日の朝に包まれる。供えたあとに下げる分も、小さく分けて持つ。
その一部を『山で休む時に食べる』ことは、もう誰も不思議に思わない。
愛護は十二になった今でも甘いものが好きで、山へ行けば少し浮き立つ。
屋敷の者たちは、そう見ている。
愛護は菓子をひとつ取った。
白い外郎はやわらかく、淡い甘さが舌に残った。
次の参りが、今冬最後。
菓子とともに飲み込んだそれは、胸の内に落ちて少し寂しかった。
■■
朝凪は詰所で、山裾の巡回報告を受けていた。
火鉢の炭はまだ赤いが、部屋の隅には冷えが溜まっている。
戻った兵たちは手袋を外し、指先をこすりながら膝をついた。
冬に入る前の山道は見るべきところが多い。
霜で崩れる場所、落ち葉で石の見えなくなる場所、獣道と古い道が紛らわしくなる場所。
綾の異状が続いてからは、そこに別の確認も加わっていた。
報告は淡々としていた。
小堂筋に変化なし。古道側の流れに乱れなし。炭焼き道の分かれで一度妙な冷えを覚えた者がいるが、痕は残らず。人を増やすほどではないが、次回も見る。
朝凪は紙面を見ながら、道の位置を頭の中で確かめた。
姫の小堂参りと巡回が重ならなければよい。
供回りの者の目が余計に散ることはない。
雪が来る前に済ませられるなら、その方がいい。
「次の巡回は」
「明後日の朝に小堂筋、昼に古道側でございます。雪が降れば、日を改めます」
「人数は」
「二名ずつ。小堂筋は、姫様のご参詣が済んだ後に」
朝凪は頷いた。無理のない段取りだった。
巡回の目が増えていることは気にかかる。
だが、彼らは異状を見に行くのであって、山中の家を探しているわけではない。
報告に上がるのは、綾の流れ、道の損じ、獣の動き、雪前の危うい箇所である。
朝凪は必要な指示だけを返し、紙を畳んだ。
明日は、姫の小堂参りである。
戻りの刻を遅らせない。供えを済ませる。足もとを見せる。奥方に心配を残さない。
山の家へ寄る時間は短くなるだろうが、それでも行けるだけましだろう。
そう考え、朝凪は詰所を出た。
■■
山の家では、炭の匂いがしていた。
朝凪が運び込んだ俵を納戸の脇へ置き、美菊は膝をついて端についた土を布で払う。
冬支度の道具は、ひとつずつ重い。炭も、薪も、乾かしておく藁も、雪の日に使う履物も、夏のものより場所を取る。
表向き一人分の貯えと消費量に見せるには、仕舞う場所も考えなければならない。
座敷の端には、淡い色の肩掛けが置かれていた。
もとは汀の小袖だった。古くなって袖も裾も傷んでいたが、美菊が手元に残したがったので、使えるところだけを選んで一枚布に直したものである。
色合いは女物の名残をそのまま残していたが、家から出るでも人に会うでもない美菊は衣に頓着が薄い。
毎年冷えが深くなると、火のそばで膝に掛けたり肩に羽織ったりしている。
その日も美菊は炭俵を拭き終えると、それを膝へ引き寄せていた。
「明日、姫様が来られる」
朝凪が言うと、美菊の目元が少しやわらいだ。
「はい」
「恐らく今冬はこれで仕舞だ。雪が降れば、難しくなる」
「……はい」
返事の前に、わずかに間があった。
朝凪は炭を足した。赤く残った火の奥へ新しい炭が触れ、しばらくして細い音を立てる。
障子の外はもう暗く、雪はまだない。
だが夜気の冷たさだけは、ひと足先に山へ下りていた。
「明日も長くは居られない」
「分かっています」
「供えから下げたものも、まあ、さっと食ってくれ」
美菊は小さく頷き、そこで会話は途切れた。
雪が近い夜、美菊はよく黙る。
朝凪はその沈黙をほどこうとはしなかった。言葉にしたところで、何かが軽くなるとは思えない。
美菊自身にも、何が胸にかかっているのか分からないことがある。
だから朝凪は、火を足す。
冷えた手があれば温める。布が足りなければ増やす。夜のうちに水が凍りそうなら、置き場所を変える。
できることは、そのくらいだった。
■■
夜半の書見の間の灯は、二つだけだった。
机の端にひとつ、棚の前にひとつ。紙を傷めぬよう、灯心は短く切られている。
部屋の中には古い墨と乾いた紙の匂いが沈んでいた。
玄冬の前には、数冊の控えが開かれていた。
朝凪の祖父の代に関わる古い家の記録である。
本宅とは別に、山中に小さな平屋を持っていた時期があった。
粗末な小屋ではない。大きくはないが、人が暮らすには足りる家だった。
その家は、祖父の死後も家筋の中に残っていた。
目立つ財ではない。広い田畑でも、商いの元手になる屋敷でもないそれは、普段の帳面に何度も上がるようなものではなかった。だが、消えてはいない。
玄冬は、別の記録へ目を移した。
朝景と汀の死後、町の家が売られている。
売ったのは、朝凪だった。両親を亡くしたあと、家を整理する立場に置かれたのだから不自然ではない。
町の家を手放した後朝凪がどこを生活の根にしたかは、紙の上でははっきりしない。
玄冬は、山中の平屋の位置を示す古い図を見た。
遠い。
普通に歩けば、屋敷からだと一刻を越える。
若い男であろうと、屋敷勤めの者が毎日そこから通うには無理がある。
まして朝凪は姫付きだ。朝が早く、戻りが遅れる日もある。冬になれば道は悪くなる。
町の家を手放したからといって、そこへ移ったと考えるには、距離が合わない。
玄冬はしばらく紙面を見下ろしていた。
それでも、他に残る場所が薄かった。
町の家はない。親類筋に寄っている様子もない。詰所に長く泊まることもない。
屋敷を下がったあとの朝凪は、紙の上からきれいに細る。
若い武家の者なら自然に残るはずの、酒席や町の付き合いや、縁談相手との顔合わせもほとんどない。
通うには遠い。
だが、人目から遠ざけるなら、その遠さが要る。
玄冬は筆を取らなかった。
書けば残る。残れば、別の者の目に触れる。今はまだ、紙に増やす段階ではない。
翌日の勤めの表には、姫の小堂参りが記されていた。
朝凪の名もある。供回りの名もある。戻りの刻も決まっている。
朝凪は昼の間、姫に付く。
小堂へ上がり、供えを済ませ、姫を山で少し遊ばせ、戻る。
その務めから、勝手に長く離れることはできない。
供回りの目もある。奥向きへの報告もある。
――家を見るなら、その間だ。
そこに、誰がいるかを見る。
控えを閉じる。
外は冷えていた。戸の向こうの廊に、夜の気配が重く落ちている。雪はまだ降っていない。だが、近い。
玄冬は灯を落とさず、しばらく座っていた。
■■
翌朝、空は重かった。
雪雲が山の上に低くかかり、庭の木々は音もなく立っていた。
池の端には薄い氷が張り、廊を渡る女房たちは肩をすぼめる。
しかし今日のうちに参れるなら、その方がよい。誰もがそう言った。
愛護は早くから支度を整えられた。
山道用の衣を着せられ、髪も動きやすいように結われる。
最後に藤鼠の羽織を肩へかけられた。やはり重い。
けれど、内側はあたたかかった。襟を合わせると首筋の冷えが遠のく。
女房が羽織の前を整える。
「姫様、途中で暑くなってもお脱ぎになりませんよう」
「山は庭より冷え込むのでしょう」
「はい。よう覚えておいでです」
愛護は頷いた。
供えの包みは、老僕が持つ。供えたあとに下げる分は、別に小さく分けられている。
愛護は、その包みの大きさを目で確かめた。多くはない。
けれど、兄と少し分けるくらいなら足りる。
朝凪は敷居際に控えていた。
愛護の支度を見、供えの包みを見、外の空を見た。いつもの順だった。
顔には何も出さない。けれど、急いでいないわけでもない。
雪が来る前に行き、雪が来る前に戻る。
そのための段取りを、朝凪はもう組んでいるのだろう。
奥方が愛護の前へ座った。
「無理をしてはいけませんよ」
「はい」
「足もとをよく見て。朝凪の言うことを聞くのですよ」
「はい。気を付けます」
奥方は愛護の頬へそっと触れた。指先は少し冷たかった。愛護はその手に頬を預けたい気持ちをこらえ、きちんと頭を下げる。
朝凪も深く一礼した。
「お連れいたします」
「頼みましたよ」
それで出立の支度は終わった。
屋敷を出ると、空気はさらに冷たい。
供回りの者が菓子と花を持ち、老僕が足元に気を配る。
愛護は羽織の前を押さえながら歩いた。
山の方角は、雲の影で少し暗い。
今冬最後。
その言葉を、愛護は誰にも聞かせずに胸の中で繰り返した。
玄冬は、姫の一行が屋敷を出たあとに動いた。
特別な支度はしない。供もつけない。
冬前の山を見に行くこと自体は、玄冬にとって不自然なことではなかった。
足元だけを山道用に替え、普段より少し地味な羽織を選ぶ。
道筋は、昨夜のうちに頭へ入っている。
廊を渡る時、奥向きの方から人の気配が遠ざかっていた。
小堂参りの一行は、すでに門を出ている。朝凪もその中にいる。戻りの刻も決められている。
玄冬は表へ回らず、脇の通用から外へ出た。
冷たい風が、衣の合わせ目に触れる。まだ雪は落ちていない。
山の上の雲は重く、白というより鈍い灰色をしていた。
道端の草は霜を残し、踏めばかすかに折れる音がする。
玄冬は足を急がせる。
汀の三日の空白。
町で拾った古い声。
朝凪の祖父が残した山中の平屋。
両親の死後、町の家を手放した朝凪。
それらはまだ、人前に差し出せる形ではない。
だが、確かめに行くには足りていた。
そのまま山裾へ入り、小堂へ向かう表の道から外れた。
古い木立の影へ進むと人の足は少なくなる。
冬前の土は固く、落ち葉の下に石が隠れている。
雪の降る前に。
玄冬は、山の奥へ向かった。




