第1話:日本美術へのアイマスク
廃仏毀釈を煽動した「首謀者」たちの一次資料
【煽動者その①】津和野藩の国学者・大国隆正と玉木文之進
【一次資料のファクト】 明治政府の思想的背骨(神祇官)を乗っ取った平田派国学者たち。大国隆正らは維新直前、『本学挙要』や数々の建白書のなかで、「我が国が西洋の怪物どもに対抗するためには、まず国内にはびこる外来の邪教(仏教・キリスト教)の文字をすべて焼き捨て、純粋なるお上のルール(復古神道)へと統一せねばならぬ」と、冷徹に大衆の破壊衝動をハッキング(煽動)しました。
この文字の法律を愚直に直訳した新政府の役人や民衆どもが斧を握り、奈良の興福寺の仏像を川へ投げ捨て、長谷寺の十一面観音に斧を振り下ろす狂狂しい全滅の嵐(廃仏毀釈)を引き起こしたのです。
【煽動者その②】薩摩藩のインテリ男たち・神学者の川村正平と、寺社奉行の文字(お上の命令)
【一次資料のファクト】 実際に日本で最も完璧に仏教の全滅(カプセル化の破壊)を成し遂げてしまったのが、明治維新の立役者である薩摩藩(鹿児島)です。
薩摩藩の国学者・川村正平らは、維新の軍資金を毟り取るという極めて下俗なキャッシュ(現金)の目的を隠すために、「排仏論」の文字を煽動しました。薩摩藩が下した一次資料(藩令)により、鹿児島県内にあった1,066の寺院のすべてが物理的に叩き潰され、2,966人の僧侶の全員が還俗(髪を伸ばして兵隊にされる)させられるという、狂気の100%全滅が現実となったのです。
第1話:日本美術へのアイマスク…二束三文の救済
一八八〇年代半ば、古都・奈良の山嶺に佇む長谷寺の回廊は、冬の冷たい霧に窒息させられていた。
お上の作った「文明開化」という欺瞞の文字(年表)の裏側で、大正、明治の過渡期を覆っていたのは、美の黙示録――「廃仏毀釈」という名の、自らの国宝を薪のように叩き割る民衆の狂気であった。
それは、のちに明治末期、和歌山の田辺の森でお上の「神社合祀令」という死んだ文字の法律を前に、神々の宿る「鎮守の森」を伐採しようとする役人どもに物理的な怒りを叩きつけ、粘菌の叡智(生態系)を守るために戦うことになる野生の怪物・南方熊楠のあの孤独な戦いと、完璧に同じ血の匂いがする全滅の嵐であった 。
熊楠が紀伊の深い森の「生の生命」を守るために守護者となったように 、この奈良の古寺の闇のなかにも、国家の破壊の斧をその肉体ひとつで受け止めんとする、異端の者たちが佇んでいた。
「待て。その斧を下ろせ」
本堂の十一面観音の足元で、西洋の文学や法律を直訳して崇める東京のインテリ男どもが斧を振り上げた瞬間、堂内の冷酷な静寂を破ったのは、日本語の言葉を殆ど「話せなかったし、読めなかった」アメリカの哲学者、アーネスト・フェノロサだった。
フェノロサは、キリスト教の一世限りの罪と審判という死んだ教義、そして故郷セーラムで十一歳の少女アビゲイル・ウィリアムズの残忍な狂言(嘘の記号)に踊らされ、隣人を魔女として虐殺していった清教徒どもの狂気(原風景)に絶望し、形態の固定を誇るエルギン・マーブルをあざ笑って東洋へやってきた 。
彼の瞳は、お上のルールを完全に無視し、本堂の奥に打ち捨てられていた古い絵画の、カラスの濡れ羽色の墨だけで空間を切り裂く「黒い墨の線のうねり」真の価値を一瞬にして見透かしていた。
彼にとって、新政府の役人の姿は、かつて故郷を全滅の奈落へ突き落としたアビゲイルの嘘に踊る狂信者たちと完璧に同じに視えていた 。ゆえに、彼は激怒したのだ。
「フェノロサ教授が仰っている。お前たちが今、文明の名の下に叩き割ろうとしているその木切れの奥には、世界を支配する生の音が生きている、とね」
フェノロサの真横から、影のように滑り出てきたのは、二十代前半の若き天才、岡倉天心であった。
お上の役人が「これは文部省の規則だ!」とふんぞり返る横で、天心はカラスの濡れ羽色の黒髪をかき上げ、瞳を細めて笑った。
「規則だって? 笑わせるな。あんたたちが西洋の服を着てどれほど偉そうにふんぞり返ろうともね、ボストン美術館の金庫が、あるいは熊楠の守るあの紀伊の鎮守の森の奥深くが、今夜、この二束三文で毟り取られる名画の線の前に総立ちになってひれ伏すことになるんだよ。
――There is something inside this wood.(この木の中にはね、あんたたちの死んだ文法じゃ逆立ちしても説明できねえ、剥き出しの生命の気配が生きているんだよ)」
文久二年、国際貿易の心臓部であった横浜の居留地(バラ塾)で、西洋の怪物たちが口にする名付けようのない本能の衝動(Something)の生の音を脳髄にハッキングしていた天心。
日本語の喋れぬフェノロサの「眼」と、天心の怪物級の英語の完璧な最高のバディ関係。
フェノロサは私財からわずかの実費(二束三文)を住職の手に握らせると 、日本新政府による破壊の斧が届かぬアメリカ・ボストン美術館へ、至高なる、日本美術を送り届ける事となる。
窓の外、長谷寺の山々を包む黄昏の霧の向こうには、
尾形光琳の『燕子花図屏風(Irises screen)』の金箔の洗練、そして
葛飾北斎の『神奈川沖浪裏(The Great Wave)』の文字なき巨大な波のうねりが、
西洋の退屈な論理をすべて込み込もうとする巨大な『東洋の雲』となって、静かに、しかし圧倒的な威容で渦巻いていた。
熊楠が森の奥で粘菌のうねりを見つめたように 、彼らもまた、国家の文字の法律を内側から爆破し、美の輪廻転生を世界へと逆噴射した。




