第9話
薬草の苦い匂いがした。
目を開けると、知らない天井だった。
顔を横へ向け、窓と寝台の位置が前の部屋と違うことに気づく。
左肩には厚い包帯が巻かれ、動こうとすると痛んだ。
「気がついたか」
寝台の脇に、ヴォルフラムがいた。
立ち上がった拍子に椅子が鳴る。
目の下に濃い隈があり、顎には無精髭が出ていた。
「ここは」
「向かいの客間だ。元の部屋は通路を塞いでいる」
彼は水差しへ手を伸ばし、いったん止まった。
扉の外の軍医を呼んでから、私のそばへ戻ってくる。
「丸二日、目を覚まさなかった」
軍医が脈と包帯を確かめ、少しずつなら水を飲んでいいと言った。
押収してあった毒薬を調べられたことと、手当てが早かったことが幸いしたらしい。
安静にと念を押して出て行く背を、ヴォルフラムは黙って見送った。
部屋に二人きりになると、彼の手が寝台の縁を掴んだ。
「なぜ庇った」
私は杯から顔を上げた。
「答えろ。なぜ、あんな所へ飛び出した」
「刃が、あなたに」
「見えていた! 俺は動こうとしていた!」
声が跳ね上がり、私は肩を縮めた。
傷が痛んで、息が漏れる。
彼もそれには気づいた。それでも、握った手を緩められないようだった。
「お前があそこで死んでいたら、俺はどうすればよかったんだ!」
杯を置こうとしたが、手が震えた。
ヴォルフラムが取ろうとする。私は首を振り、自分で卓上へ戻した。
「私だって、死にたくて飛び出したわけじゃない」
「なら、なぜ!」
「怖かったからよ!」
彼の口が止まった。
「避けられたかもしれない。私が余計なことをしたのかもしれないわ。でも、あなたのすぐそばに刃が来たのが見えて、考える前に動いていたの!」
声を張ると肩に響いた。
私は背を枕に預け、息を整えた。
ヴォルフラムが手を伸ばしたが、今は触られたくなかった。
「待って。まだ、言い終わってない」
その手が、寝台の途中で止まった。
「私だって痛かった。死ぬのが怖かった。あなたと、まだ話したいことがあったから!」
目が熱くなった。
今夜なら話せると思っていたことが、二日も経った今、ようやく喉まで上がってきていた。
ヴォルフラムは手を下ろした。
「俺は、お前に会いに戻ってきたんだ」
声が掠れていた。
「恨んだ。殺してやると思った夜もあった。それでも、戻った時にお前がいなかったらと思う方が、ずっと怖かった」
寝台の縁を掴む指が、白くなっている。
「だから、分からなくなる。俺を突き落としたお前が、俺のために死にかけるなんて」
私は彼を見た。
いま言わなければ、また言えなくなる。
父はいない。ロダンもいない。ここで私の言葉を遮る人は、もういない。
「あの時も、死なせたかったわけじゃない」
ヴォルフラムの手が止まった。
「イネス?」
「突き落とさなかったら、あなたは殺されていた」
十年間、自分の中でだけ繰り返していた言葉が、ようやく外へ出た。
「林の中に、弓隊がいたのよ。あなたが気づく前に、射られるところだったの」
ヴォルフラムは黙っていた。
灰色の目が私から動かない。
「弓隊?」
私は頷いた。
彼は寝台から手を離し、ゆっくり椅子へ座り直した。
「追ってきた兵とは、別にか」
「ええ」
長い沈黙の後、彼が口を開いた。
「話してくれ」
怒鳴り声ではなかった。
私は包帯に触れかけた手を下ろし、彼に向き直った。




