第8話
ロダンは咳き込みながら、壁際で身体を丸めていた。
ヴォルフラムの肩越しに、セルジュと兵士の姿が見える。
扉は錠の部分が割れ、蝶番から斜めに下がっていた。
「書斎に通路があるわ」
私が言うと、セルジュがすぐに兵へ指示を出した。
「内扉を押さえろ。仲間がいないか確認を!」
ヴォルフラムはロダンから目を離さず、空いた手を私へ伸ばした。
「怪我は」
「ありません」
答えたのに、その手をうまく取れなかった。
指が震えている。
彼は無理に掴まず、私を背に庇う位置へ動いた。
「駐屯地で捕らえた男が、通路を使う手筈を吐いた。急いで戻って正解だったな」
ロダンの目が扉へ走った。
そこにも、書斎にも兵がいる。
「手を見える所へ出せ」
ヴォルフラムの剣先が、少し下がった。
ロダンは両手を上げようとして、右手だけを外套の裾へ滑らせた。
私からは見えた。
長靴の内側へ隠していた、細い刃が。
「死ねぇぇッ!」
ロダンが腕を振り抜いた。
ヴォルフラムも動いていた。剣を返し、私の前へ踏み込もうとしていた。
けれど私は、彼の肩へ向かう銀色の筋しか見ていなかった。
十年前の雨が、目の前をよぎった。
「ヴォルフ!」
掴んだ軍服を引いた。
引いた勢いのまま、私の身体が前へ出た。
左肩へ、硬いものが食い込んだ。
「っ、あ!」
何が起きたのか、すぐには分からなかった。
鎖骨の下に短剣の柄が出ている。
白い服へ赤い染みが広がるのを見てから、痛みが来た。
「イネスッ!!」
ヴォルフラムの腕が私を捉える。
その向こうで、ロダンが床の短剣へ飛びついた。
なお襲いかかろうとした男へ、ヴォルフラムの剣が振り下ろされた。
短い悲鳴。
刃の落ちる音。
ロダンが崩れ、動かなくなった。
私の膝も、そこで折れた。
「軍医を呼べ! 毒刃だ!」
ヴォルフラムは剣を落とし、両腕で私を支えた。
セルジュが扉の外へ指示を飛ばしている。
「押収した薬品も持ってこい! 担架を早く!」
私は息を吸おうとした。
肩が痛くて、深く吸えない。指先がじんじん痺れ始めていた。
「イネス、俺を見ろ」
すぐ近くに彼の顔があった。
私を支えている腕は、あの日とは比べ物にならないほど太い。
それでも、私を見つめる目は同じだった。
崖で私の腕を掴み、「お前まで巻き込まれるぞ」と押し戻そうとした少年の目。
「よかった」
声が小さく途切れた。
彼の軍服を握る。血はついていたが、私の血だった。
「あなたは、怪我を」
「していない! 俺のことはいい!」
彼が叫んだ後、唇を噛んだ。
私の傷へ目を落とし、それからもう一度、顔を覗き込んでくる。
「喋るな。すぐ医者が来る。だから、目を閉じるな」
怖くなった。
死ぬつもりなどなかった。今夜、彼に話すつもりだったのだ。
手を離したくなくて、軍服を握り直した。
「ヴォルフ」
「ここにいる」
彼の手が、私の指の上に重なった。
「どこにも行かない。聞こえるか、イネス」
頷けたかどうか、自分でも分からなかった。
彼の声は聞こえているのに、顔が遠くなっていく。
「まだ、話して、ない」
「聞く。いくらでも聞くから!」
誰かが肩の周りの服を切っている。
ヴォルフラムの腕から引き離されると思い、指に力を込めた。
すると、あの大きな手が握り返してくれた。
最後まで残っていたのは、その感触だった。




