第2話
通された部屋は、拍子抜けするほど広かった。
厚い絨毯に、天蓋付きの寝台。磨き上げられたマホガニーの机。
つい先刻まで、父が使っていた主寝室だ。
雨漏りのする離れの物置とは、窓から入る光の量まで違う。
扉の錠は兵士が取り外していった。
廊下には見張りが立ち、隣の書斎へ通じる内扉の向こうからは、荷物を運び込む音がしている。
「処刑前の囚人にしちゃ、贅沢すぎるわね」
寝台の端に腰を下ろすと、シーツから父の香油の匂いがした。
思わず立ち上がり、窓辺へ移る。
物置では毎朝、この部屋の窓を下から見上げていた。中から眺める庭は、見知らぬ家の庭のようだった。
母が亡くなった後、私を気にかけてくれたのは、伯父の家から預けられてきたヴォルフラムだけだった。
彼がいなくなってからの服は、古着を継いだものばかり。食事は厨房の余りもの。足りないと訴えれば、働きが悪いくせにと叩かれた。
それでも、彼はどこかで生きているかもしれなかった。
私まで諦めてしまえば、本当に死んだことになってしまいそうで、毎晩その無事を祈った。
バタン、と扉が開いた。
入ってきたのは従卒ではなく、ヴォルフラム本人だった。
上着を脱ぎ、袖を捲った軍服姿。その両手には銀の盆が載っている。
「食え」
机に置かれたのは、白パンと牛肉のシチュー、林檎のコンポートだった。
湯気の向こうで、彼が腕を組む。
「毒ですか?」
「は?」
「それとも、最後の食事でしょうか」
こんなものを出される理由が、ほかに思いつかなかった。
父が急に親切になる時は、いつも何かをさせる前だったから。
ヴォルフラムの手が机に落ちた。皿が跳ね、私は肩をすくめた。
「誰が毒を入れると言った!」
彼は私の肩を見て、口を閉じた。
しばらくして、さっきより低い声がした。
「話が済むまで殺さんと言っただろう」
「では、どうして」
「食事をするのに、いちいち理由が要るのか」
要る、と答えそうになった。
けれど彼には分からないだろうし、説明を始めれば、命乞いをしているように聞こえる気がした。
黙っている私に、彼の苛立ちが戻ってくる。
「怖いなら怖いと言え。嫌なら嫌だと言え。なぜさっきから、何をされても構わんという顔をしている」
「私が泣けば、あなたは満足できますか」
ヴォルフラムの顔が歪んだ。
言いすぎた、と思った時には遅かった。
「そういう意味じゃ」
ぐぅ、と私の腹が鳴った。
二人とも口を閉じた。
昨日の朝から、水しか口にしていない。身体の方は、覚悟など知らないらしかった。
私は両手で腹を押さえた。
白パンを見ないようにすると、今度はシチューの匂いがする。
「すみません」
さっきと同じ謝罪なのに、声が情けなくひっくり返った。
ヴォルフラムは何か言いかけ、それから椅子を引いた。
「座れ。冷める」
「でも」
「俺が見ていると食えんのか?」
首を振って腰を下ろした。
彼が盆を近づける。受け取ろうと伸ばした私の袖が捲れた。
彼の手が止まった。
手首の内側に残る燭台の火傷。
父の杖を受け止めた時についた、筋張った腕の古傷。そのすぐ隣には、数日前の痣もある。
今さら隠すには、近すぎた。
「その傷は何だ」
「転んだだけです」
口が勝手に、いつもの答えを返した。
袖を引こうとすると、彼が私の手に触れる。
今度は手袋を外していた。
「火傷もか」
答えられなかった。
無骨な親指が痣の手前で止まり、それ以上は触れてこない。
昔、棘を抜いてくれた時にも、彼はこんな顔をしていた。自分の指を切った時より、ずっと難しい顔を。
私が手を引くと、今度は離してくれた。
「食っていろ」
彼はクローゼットを開け、厚い毛布を出した。
私の肩へ掛けようとして、腕の傷を見たせいか動きが鈍る。結局、隣の椅子の背に載せた。
「寒ければ使え」
扉へ向かう彼の背中に、言わなくてもいいことを言ってしまった。
「寝台は、使わなくてもよろしいですか」
ヴォルフラムが振り返る。
「どういう意味だ」
「父の匂いがするので」
口に出してから、自分でも驚いた。
嫌なら嫌だと言えと、ついさっき言われたばかりだった。
彼は寝台を見た。
次いで、廊下の兵を呼ぶ。
「寝具を替えろ。全部だ。伯爵の私物も運び出せ」
何も聞かれなかった。
贅沢だとも、我慢しろとも言われなかった。
彼が出て行った後、私は毛布を膝へ引き寄せた。
皿にはまだ湯気が残っている。
小さく切ったパンをシチューに浸して口へ運ぶと、喉が詰まった。
死ぬほど恨んだと、彼は言った。
その彼が運んできた食事を、私は涙を拭きながら食べていた。
皿が半分ほど空になった時、階下から父の声が聞こえた。
次いで、シセルの甲高い声。
私はスプーンを止め、扉を見た。
あの二人が黙って処分を待つはずなど、なかったのだ。




