第14話
帝都への旅は、急がずに進んだ。
朝は日が上がってから出発し、夕方になる前に宿へ入る。
軍医が同行し、道が悪ければ遠回りをした。
私が痛むと言えば、ヴォルフラムは本当に馬車を止めさせた。三度目には言いづらくなったが、黙っていた方がひどく心配させると分かり、それもやめた。
出発から八日目には、窓の外を歩く人の数が増えた。
帝都はもう近いらしい。
「沈んでいるぞ」
隣から言われ、私は顔を上げた。
「クッションが多すぎるのよ」
背にも膝にも、柔らかな詰め物がある。
足元にも予備が二つ置かれていた。
出発前、セルジュが荷物の山を見て、これでは未来の奥方様を運ぶのか寝具を運ぶのか分かりませんと言ったのを思い出した。
「一つ減らすか」
「ええ。後ろの、小さい方を」
ヴォルフラムがそっと引き抜いた。
空いた場所に彼の腕が入り、私の背を支える。
「それじゃ、結局同じでしょう」
「俺はクッションほど邪魔にはならん」
「ずっと大きいわ」
彼が笑った。
声を立てて笑う顔を、まだ見慣れない。
そのたびに、もう一度見たくなる。
馬車がゆっくりと止まった。
城門へ続く列が混んでいるらしい。外で従者が、しばらくかかると告げた。
ヴォルフラムは承知したと返し、窓の布を引いた。
「疲れたか」
「少し。でも、もう着くのでしょう」
「ああ」
隣り合っているだけなのに、静かになると急に近さが気になった。
彼の袖へ触れている自分の右手を引こうとしたら、指先をすくわれる。
「嫌か」
「嫌じゃないわ」
返すと、彼の親指が手の甲を撫でた。
火傷の跡の上でも止まらない。そこだけを避けられるよりも、私はその方が嬉しかった。
「指輪は、ここでいいな」
薬指に触れられ、頷く。
「大きすぎる石は嫌よ。何をするにも引っかかるから」
「分かった」
「あなたも、自分で選んでね」
「俺の分も選ぶと言っただろう」
覚えていたのかと顔を見ると、彼は真剣だった。
どうやら、そのつもりで楽しみにしていたらしい。
「じゃあ、ちゃんとつけてくれる?」
「外せと言われても、断る」
「鍛錬の時は外してください」
彼は少し考えてから、そこは譲った。
持ち上げられた右手に、唇が触れた。
手の甲から指先へ、ゆっくり移っていく。
くすぐったいと言いたかったのに、声が出なかった。
「この手だったな」
ヴォルフラムが呟いた。
「俺の背中を押したのは」
私は指を強張らせた。
彼は握り締めず、そのまま待ってくれた。
「今でも、夢に見るの?」
「時々な」
私も、と言う前に、彼の目がこちらを向いた。
「お前もか」
「ええ」
窓の外から、荷車の軋む音が聞こえた。
今いる場所を確かめるように、私は座席の布へ左手を置いた。
雨の中ではない。崖の上でもない。
彼は隣にいる。
「夢を見たら、起こして」
私が言うと、ヴォルフラムは少し眉を寄せた。
「お前を眠らせておきたい」
「あなたが一人で起きていると分かる方が、眠れないわ」
彼は黙り、それから頷いた。
「お前も、俺を起こせ」
「そうする」
手のひらが重なった。
十年が消えてなくなるわけではない。
これからも、目を覚ましたら彼の名を呼ぼう。眠そうな声が返ってきたら、きっと安心する。
「これからは、背中を押すんじゃなくて」
ヴォルフラムの指が、私の指の間へ入った。
「この手を握っていてくれ」
私は握り返した。
「ええ。あなたも、勝手に離さないでね」
「ああ」
彼の空いた手が、頬へ触れる。
再会した日に、顎を掴んだ手だった。
今は私が顔を上げるまで、何もしてこない。
私は少し身を寄せた。
唇が触れた時、目を閉じるのが遅れて、彼も緊張していると分かってしまった。
胸がいっぱいになり、繋いだ手に力を込める。
一度離れた唇が、また重なった。
今度は私からだった。
彼が短く息を呑み、腰に回した腕で私を近づける。
左肩には触れないように。それでも、さっきよりずっと近くに。
「イネス」
名前を呼ばれただけで、顔が熱くなった。
「もう一度」
私が頷きかけた時、窓を軽く叩く音がした。
「将軍、門を通ります。お顔を確認させていただいても?」
私たちは慌てて離れた。
セルジュは外で、わざとらしく咳払いをした。
「もう少しお時間が必要でしたら、後ろの荷馬車へ先を譲りますが」
「必要ない!」
ヴォルフラムが窓の布を開けた。
私は俯き、繋いだままの手だけを見つめていた。
彼の耳が赤いことは、見なくても分かる気がした。
門番とのやり取りが済み、馬車が再び動き出す。
窓の向こうに、夕日を受けた大きな城壁が現れた。
「家へ行こう」
ヴォルフラムが言った。
「俺たちの家へ」
私は頷き、彼の肩へそっと寄りかかった。
繋いだ手は、城門をくぐっても離れなかった。




