第11話
その夜、また熱が上がった。
軍医が包帯を替え、薬を飲ませてくれた。
話し込みすぎたのもよくなかったらしい。明日は必ず休むようにと言われ、ヴォルフラムが私より先に頷いた。
「閣下にも申し上げているんですよ」
軍医の言葉に、私は少し笑ってしまった。
ヴォルフラムは気まずそうに口を結んだ。
夜半に目を覚ますと、彼はまだ椅子にいた。
膝の上に書類を広げたまま、こちらを見ている。
「水は飲めるか」
「少し」
背に枕を足し、右手へ杯を持たせてくれた。
彼の手は杯の底を支えている。私が飲み終わるまで、急かさずに待っていた。
「あなたは、寝たの?」
「後で寝る」
「昨日もそう言ったんじゃない?」
彼の視線が逸れた。
当たっていたらしい。
「眠っている間に、また具合が悪くなったらと思うと」
「軍医も、看護の人もいるわ」
「分かっている」
分かっていても、席を離れられないのだ。
私は右手を布団から出した。
「ここへ寝台を運んでもらえばいいでしょう。起きたら呼ぶから」
彼は私の手を見て、それからそっと握った。
「いいのか」
「椅子で寝られたら、あなたの肩まで悪くなるわ」
ようやく、彼の口元が少し緩んだ。
まだぎこちなくても、笑った顔だった。
「イネス」
「何?」
「さっき、悲しかったと言ったな。俺が、恨んだと言った時」
私は頷いた。
彼の指が動き、私の手の甲に触れる。
「帰ってきたら、もっと言えるはずだった。生きていたのかとか、なぜあんなことをしたとか。それなのに、お前が死ぬと言ったら、何も考えられなくなった」
「だから、怒鳴ったの?」
「ああ」
「これからは、怒鳴らずに言って」
彼は私を見た。
「怖くなると、返事が出なくなるの。言いたいことがあっても」
ヴォルフラムは、握った手へ視線を落とした。
「分かった」
それだけの返事だった。
大げさな誓いよりも、今はそれがよかった。
「私も、平気なふりばかりするのはやめるわ」
「無理に話さなくていい」
「でも、言っておきたいことはあるの」
彼の目が戻ってくる。
私は少しだけ、手を強く握った。
「帰ってきてくれて、嬉しかった」
彼の唇が動いた。
すぐには声にならなかった。
「俺も」
窓の向こうで、夜警の足音が遠ざかる。
「会いたかった、イネス」
ようやく聞けた言葉に、目の奥が熱くなった。
彼は私の手を持ち上げかけ、そこで止まった。
何をしたいのか分かって、私は頷いた。
薬指の付け根へ、唇が触れた。
熱のせいだけではなく、頬が熱くなる。
彼が顔を上げるまで、私も目を逸らさなかった。
それから二日間は、ほとんど寝台で過ごした。
ヴォルフラムは書斎で仕事をし、食事の時と夕方に顔を出した。夜は隣へ運び込んだ簡易寝台で眠る。
目を覚ました時、彼の寝息が聞こえるのが嬉しかった。
朝になると、寝台が小さすぎて足が出ていたと知り、少し申し訳なくもなった。
熱が下がった日の午後、セルジュが書類を持ってきた。
「お加減はいかがですか」
「もう、ずいぶん楽です」
「それはよかった。明日の軍法会議について、ご希望を伺いに来ました」
ヴォルフラムが隣で身を起こした。
けれど、代わりに答えようとはしなかった。
「私も、出られますか」
「軍医の許可があれば、椅子をご用意します。すでに証言は調書にしてありますから、出席を強いるものではありません」
机の上に、私が昨日署名した紙が置かれた。
十年前のことと、この家で受けたこと。
途中で何度も手を止めたが、セルジュはそのたび待ってくれた。
「ほかの証拠も?」
「金庫の帳簿と、当時の私兵への支払記録が一致しました。弓隊にいた者二人も、別々の取り調べで同じ命令を証言しています。貴女の話だけで罪を問うわけではありません」
その言葉に、胸のつかえが少し下りた。
父と私の声の大きさを競う場ではないのだ。
「裁くのは、帝国から派遣された軍法官です。将軍は被害者でもありますので、証言を行いますが、判決には加わりません」
私はヴォルフラムを見た。
「あなたが命じれば、済むのかと思っていたわ」
「俺の私怨で片付けたと言わせたくない」
彼は私の調書を見た。
「お前の話を、聞かなかったことにはさせん」
私はゆっくり頷いた。
「出席します。自分で、終わるところを見たい」
セルジュは書類を揃え、立ち上がった。
「では、休める部屋も用意しておきます。途中で退席しても構いませんから」
彼が出て行くと、ヴォルフラムが私の隣へ椅子を寄せた。
「明日も、隣にいてね」
私が言うと、彼は手を差し出した。
「分かった」
今度の返事にも、迷いはなかった。




