第6話 鳴り止まない電話
透は、送られてきた未補償事故のリストを、暴露しなかった。
できなかったのではない。しなかった。告発は彼の仕事ではない。彼の仕事は、目の前の探索者を死なせないこと。それだけだ。誰かを地獄に落とすために配信を使う気は、なかった。
だからその晩も、いつも通りのことをした。
単独の探索者が、深層で迷っていた。透は撤退ラインを読み上げ、生還させた。そして判定の説明のついでに、ごく一般論として、淡々と付け加えた。
「念のため申し上げます。撤退勧告が現場から出ていた場合、本来であれば、補償の対象です。撤退して生きて帰った者に、補償を一切出さない約款は、設計として間違っている。退く理由を奪えば、人は無理に進みます。覚えておいてください」
会社の名前は、一度も出さなかった。
それでも、コメント欄はもう自分で歩きはじめていた。
黒鳶・実戦39層:「撤退勧告ありで未補償」。これ去年の第四迷宮の事故と条件が完全に一致するんだが
元探索者のおっさん:あれ自己責任で処理されたやつだ。遺族が泣き寝入りした。俺、葬式行ったよ。線香あげに
数えてみた人:過去の「自己責任」事故、撤退勧告の有無で並べ直してる。……一社だけ、勧告ありなのに未補償の比率が異常。これ統計で言うと偶然じゃ出ない数字
名無しの探索者:名前は言うなよ。言うなよ……
新規・とおりすがり:で結局その会社どこ?ソースは?早く
ぴよ→ぴよ:壁の人、一回も社名出してないのに、なんでどこの会社のことか分かっちゃうんだろう。こわい
攻略クラスタR:これ攻撃じゃないんだよな。正しい設計を隣に置いてるだけ。だから誰も防げない
切り抜きBOT_99:【保存版】謎の声の主、最大手をしずかに追い詰める→保存しました
透は、その流れを止めなかった。煽りもせず、ただ次の探索者の座標を見ていた。
電話が鳴ったのは、配信を切った直後だった。
非通知ではない。消し忘れた、登録済みの番号。沢渡健吾。
三度鳴らしてから、出た。
「久しぶりだな、霧島」声は相変わらず穏やかで、底が知れなかった。
「配信、見ているよ。たいしたものだ。登録者四十万を超えたそうじゃないか。たったひと月で」
「ご用件を」
「戻ってこい」沢渡は間を置かなかった。
「役職をつける。査定部門の責任者でいい。お前のあの撤退判定を、うちで正式に採用する。会社の標準ロジックにする。条件はお前が決めていい」
窓の外で、雨が降っていた。もう何日になるだろう。
切り捨てた手法を、いまになって欲しがる。その倒錯のなかに、四半期の数字を背負った男の焦りが透けて見えた。透は、ほんの少しだけ、声に何かを乗せた。三年、一度も乗せなかった何かを。一滴だけ。
「沢渡さん。いまおっしゃった『撤退判定の基準』。あれは――三年前に、私が起案したものです」
電話の向こうが、静かになった。雑音さえ消えたような沈黙だった。
「『撤退補償条項』。撤退勧告に従って生きて帰った探索者には、全額補償する。無理な攻略を、保険の側から止める設計。私が起案して、稟議に上げました。そして、あなたが却下した。朱書きで。『営業の機会損失。再現性なし』と。署名と、日付つきで。――あなたのサインです」
「……昔の話だ」
「昔の話です」透は認めた。「私もそう思っていました。以前の私なら、退職合意書にサインして、それで終わりにしていた。あの日、私はあなたに言いましたね。『この誓約書は、私を縛るのに一箇所、足りていない』と」
「覚えている」
「足りていなかったのは、ここです。あなたが却下した撤退補償条項を、御社は会社のものにしなかった。なら、あの設計はいまも、起案した私のものだ。そして御社が『資産だから持ち出すな』と縛った査定の手法も、その中核を組み上げたのは、私だ。自分の頭で作ったものを、作った本人から取り上げる条文は、どこにもない。あなたは、私のものを私から守れなかった」
透は、一拍置いた。
「だから、もう止められません。先週から、撤退と補償の基準を、誰でも使える形に一から書き直して、無償で公開する準備を始めました。御社の文面には、一字も触れていない。改変も転載も自由。御社が使うのも自由です。――戻る理由が、ありません」
沢渡が何か言いかけた。透は、最後まで聞かなかった。
その夜から、沢渡からの着信は、鳴り止まなくなった。




