表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/3

第2話 何人、死なせなかったか

迷宮が日本に現れて、十四年。


最初の三年で死んだ攻略者の数を、透は新人研修の初日に叩き込まれた。暗記しろと言われたわけではない。ただ、その桁を見たとき、頭が勝手に覚えてしまった。あの頃の迷宮はまだ剥き出しの災害で、攻略者は英雄か無謀者のどちらかだった。死者が桁を増やすたびに、世間は迷宮を制度の内側へ押し込んでいく。査定士という、誰の死ぬところも見ずに人の死に値をつける仕事も、その過程で生まれたものの一つだった。透の頭は、いまも頼まれてもいない値を勝手に弾く。「この人をどこで止めれば死なせずに済むか」を。


退職して三日。安アパートのこたつで、昼から冷めた茶を飲んでいた。やることがないというのは妙な感覚だ。査定士の頭は、放っておくと勝手に何かを数える。冷蔵庫の中身が尽きるまであと四日、米を炊いて五日。数えても、誰も金を払わない数字ばかりだった。


スマホに通知が灯った。攻略ニュースの速報。


『単独探索者、第七迷宮・封絶層で孤立。救援不能、生配信は継続中』


封絶層。深層にある、外から救助が踏み込めない区域。物理的な手はいっさい届かないが、通信だけはなぜか通る。だから世間はそこを「見殺し層」とも呼んだ。最も残酷な仕様だと透はいつも思う。人が死ぬところを、全国に生中継できてしまうのだから。


配信プラットフォーム「DELVE」へのリンクが貼ってある。同時接続、四万二千。その数字の意味を透は知っていた。四万二千人が、一人の死を待っている。


開いてしまった。


画面の中で、十代に見える探索者が壁にもたれてうずくまっていた。右脚を負傷している。安物の装備。学生だろう、と直感した。


少女の側からは、世界はもっと狭かった。右脚が熱を持って脈打ち、膝から下の感覚が遠かった。息を吸うたびに肋が痛んだ。通路の奥の闇から、低い唸りが近づいてくる。さっきより近い。確実に、近い。逃げ場を探そうにも、脚はもう、言うことを聞かなかった。


そしてコメント欄は、祭りだった。


ねこむすめ@課金勢:これ死ぬやつだ

攻略クラスタR:脚やられてる時点で詰みでしょ。装備も安物だし

名無しの探索者:助けに行けないのに配信する意味ある?

たぴおか中毒:で結局この子何属性なん? 配信主の属性わからんと盛り上がれん

ぴよ→ぴよ:かわいそ。でも見ちゃう自分が一番こわい

切り抜きBOT_99:このあと衝撃の展開!→保存しました

ねこむすめ@課金勢:救援不能で生配信て、要は死ぬとこ配信じゃん

名無しの探索者:↑それ言うなよ。事実だけど


死ぬとこ配信、という言葉に、笑い顔のスタンプがいくつも続いた。属性がどうこうと聞いた男には、誰も答えなかった。


透は、コメント欄を見ていなかった。


彼が見ていたのは、画面の隅に小さく出ている探索者のステータスだ。迷宮で配信すれば、探索者の生体情報と装備の状態が、画面に自動で重なって映る。残存スタミナ。出血量の推定。装備の残り耐久。そして背後の唸り声の間隔――三秒、三秒、二秒半。個体は二体。唸りの高さが違う。一体は若い。若い個体はたいてい、斜め後ろから先に来る。


査定士の仕事は、机の上で人の死ぬ場所を計算することだ。どの迷宮の、どの通路で、どの魔物がどう人を殺すのか――透は何千件もの事故報告を読み込んで、現場の探索者の誰よりも、その地形と魔物の癖を知っていた。行ったことのない迷宮でも、画面さえあれば、退路は見える。


頭の中で勝手にペンが動いた。いまなら間に合う。右の通路、十二メートル先に水路の縁がある。そこに背中をつければ二体を同時に相手取らずに済む。出血は止血より圧迫で足りる。撤退判定は――。


立ち上がっていることに、透は自分で気づいた。


会社のロジックに照らすまでもない。この探索者は「対象外」だ。安物の装備で、単独で、封絶層まで降りてしまっている。攻略保険の約款には、どこの会社にも、安全基準を超えた無謀な単独攻略を補償から外す一文がある。保険に入っていても、こんな潜り方をした者に、金は下りない。事故は「自己責任」だ。深層は稼ぎがいい。各層の転移陣を使えば、腕のない者でも、ひらかれた深い拠点までは一足で飛べてしまう。中層を戦って抜ける必要すらない。ただし、飛んだ先で生きて帰れるかは、まったく別の話だ。金に詰まった者ほど、その賭けに出て、力の及ばない深さへ手を伸ばす。この子も、たぶんそうだ。沢渡なら、一秒で切り捨てる。業界はずっと、そう処理してきた。そして透の頭の隅では、別の声もした――これだけの条件が揃った生配信は、データとして貴重だ、最後まで観察する価値がある、と。職業の声だ。冷たい、正しい声。


その声を、もう一つの声が押しのけた。目の前のこの子は、まだ死んでいない。死んでいないなら、数えられる。生きて帰る道筋を、数字で割り出せる。


透はノートパソコンを開いた。退職祝いに自分で買った安物のマイク。使う予定のなかった、視聴者ゼロの配信アカウント。ログインし、マイクの位置を直し、息を一つ吐いて、低く言った。査定士の声で。


「聞こえますか。第七迷宮を単独で攻略中の、そこのあなた」


返事はない。届くはずもない。彼のチャンネルを、まだ誰も見ていないのだから。


それでも淡々と続けた。「右の通路へ。十二メートル。水路の縁に背中をつけてください。背中さえ守れば、相手は一体ずつになります。――いまなら、まだ間に合います」


そのとき、スマホが短く震えた。詩織からの、短いメッセージ。


『見てる? 第七、ひどい』


透は返事を打たなかった。打つ時間が惜しい。彼はもう、次の三秒を数え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ