第22話(前編)――「海の口の反逆、王都の宴」
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登場人物
新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈29〉
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アルバロの側室
クダクワシェ・ムリロ〈36〉。トルワ国王の元正妻。
王妃らしい誇りと礼節を持ち、へつらわずに筋を通す。根は明るく、冗談と皮肉で場を軽くできる。暮らしの段取りを整えるのが好きで、侍女を褒めて菓子を分けるような面倒見もある。
アルバロの側女。参謀兼公爵
ニャシャ〈24〉
肌は深く黒く、瞳の黒が濃い。姿勢と歩みが崩れず、言葉が速く正確だ。状況を読むのが早く、地形と人の心を同時に扱う。腕力も俊敏さも備えている。
アルバロの側女
ルテンデ〈35〉。マンウェ川方面の金の谷の首長の元妻。
ムタパ国本拠の縁戚から嫁いだ政治の婚姻で、婚礼の贈り物に牛と鉄器を受け取っている。元夫の代わりに人質や贈答の段取りを決めることが多く、周辺の首長たちとも顔が利いた。抵抗の連携が始まったときも、矢を集める村と食糧を隠す村の名を知っていたため、捕縛後は黙り込み、唇を噛んだ。
〔侍女1〕タリロ〈28〉。ルヤ川沿いの金の谷を束ねる首長の妻だ。陶器を焼く一族の出で、採り分けと勘定を任されていた。襲撃の日、倉の裏で子を抱えたまま捕えられ、喉に土埃の渇きが残った。
〔侍女2〕ルド〈19〉。サビ川支流の小さな金の谷の首長の妻だ。飾りのように扱われた反面、帳の内側で聞く話が多く、補給や見張り交代の数を指で覚える癖がついた。捕えられた直後、泣き声が途切れた静けさが怖く、声が出ず震えた。
〔侍女3〕チポ〈30〉。北の峠を押さえる首長の妻だ。蜂蜜と薬草に通じ、屋敷では見張りの食と水を回していた。襲撃の瞬間、戸口で子を押し戻し、土間に爪を立てて踏ん張ったが、縄がかかった。
〔侍女4〕ファライ〈41〉。南の峠を押さえる首長の妻だ。成人した息子が2人いる。布と塩の出入りを管理し、家を回してきた。夫が倒れた後、声が枯れるまで泣いた。
〔侍女5〕ニャメンダ〈27〉。上流の渡し場を押さえる首長の妻だ。漁と舟の一族の出で、舟の順番と渡しの間合いを作る実務を担っていた。襲撃の日、泥に足を取られて転ぶ女たちを見て叫び、捕縛後は子の名を呼び続けた。
〔侍女6〕マサシ〈22〉。下流の渡し場を押さえる首長の妻だ。商人の言葉に囲まれて育ち、スワヒリ語の挨拶とポルトガル語の数詞を少し知る。矢筒の受け渡しを一度だけ手伝ったことが弱みになり、砲声の後は唇を結んで目を伏せた。
〔侍女7〕ムニャンガ〈34〉。金の量と相場を決める仲介の家の妻だ。秤と目方が身に染みつき、取引では相手の手元を黙って見てきた。結託を止めたが聞かれず、捕縛の瞬間は夫の袖を握ったまま指が白くなるまで震えていた。
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(1524年6月30日、夜明け前。河口の港ムピンダ)
河口の港ムピンダは、海と川の水が押し合い、引き合いする場所だ。夜明け前の暗がりの中で、満ち引きに合わせて舟が上下し、舫い綱がきしんだ。濡れた麻の手触りが指に残り、樽の木から塩の粉がこぼれる。川面の上では白い靄が薄く動き、岸の草むらでは虫の羽音が途切れず続いた。ここを押さえれば、内陸の王都へ入る道が開く。ムピンダは、海から来る者と都へ向かう荷の、受け渡しが集まる口だった。
ソヨの首長である王弟ンカンガ・マブンバは、洗礼名をドン・ディオゴと名乗っていた。年は30で、肩が張り、腕が太い。目は鋭いが、口元だけが落ち着かず、話の途中で歯を鳴らす癖がある。海岸を預かり、港の揉め事も税も自分で片づけているのに、王都から降りてくる言葉は冷たい。その不満が胸の底で育っていることを、アルバロは初めから見ていた。
アルバロは倉で荷の箱を軽く叩き、言った。「王都は祈りで体面を守る。だが海岸は布と鉄で腹を満たす。お前が海岸を回している。ならば、名を取れ」
ディオゴは喉の奥で唸るように息を吐いた。濡れた綱と汗の混じる息だった。「名を取れと言うなら、兄に言えということだな」
ムリロが先に声を添えた。「あなたは王の弟よ。口にする権利があるわ。海岸の面子が潰れているなら、直して当然でしょう」
数日後、ディオゴは王都ンバンザ・コンゴへ出て、王アフォンソ1世に願い出た。王は64で、皺の奥にも威圧が残っていた。王宮の中は香が濃く、白い布と木の床が乾いていた。祈りの声は壁に吸われ、外の風の音だけが遠くで続いていた。
ディオゴは背を伸ばし、言葉を選んだ。「俺がソヨ海岸の王と名乗ることを許してくれ。海の口は俺が守っている。都の言葉だけでは回らない」
アフォンソは一息で言い切った。「許さない。お前は海岸の役目を預かっているだけだ。王の名を欲しがるのは非礼だ」
空気が固まった。神父が目を伏せ、近侍が槍の柄を握り直す音がした。王は怒りを隠さず、刑を命じた。鞭が空を裂き、革が肌を叩く音が続く。血と汗が混じり、床に落ちる滴が小さく跳ねた。ディオゴは歯を食いしばって倒れず、最後に王宮の門から突き出された。背中の痛みより、屈辱の熱が先に胸へ広がった。
海へ戻った。ムピンダに着いたのは薄明のころで、港の見張りが松明を持ち替えていた。川風が湿って頬に貼りつき、草の青い臭気が鼻に残る。
ディオゴは声を落として言った。「兄は俺を打ち、追い出した。王都は海岸を見下している。俺は戻れない。ならば取るしかない。支えろ」
アルバロはすぐに答えなかった。倉の奥に沈む暗がりの中で、兵の鎧がわずかに鳴った。アルバロはディオゴの顔だけを見て、言った。「支える。ただし、俺の約束も通す。王都へ行く。お前の戦になる前に、俺の戦を終わらせる」
進軍が始まった。河口から離れるほど空気は変わり、塩気が引いて、乾いた土と草が前に出る。赤土は日中の熱を抱え、踏むたび粉が立って喉に絡む。水袋の革は汗でぬるみ、肩に食い込んだ。夜は冷え、虫の声が切れず、遠くの太鼓が低く響いた。
王都の手前で国王軍が待っていた。数は多く、槍の列が地平を塞いで見える。盾が並び、金具が朝日に反射して目に刺さった。ディオゴの兵は一度、足が止まりかけた。吐く息は白くならないのに、背筋だけが冷えた。
そのとき、アルバロの側女ニャシャが淡々と命令を回した。「砲列を前へ。火薬は濡らすな。耳を守れ。合図が出たら、まとめて撃つ」
砲が据えられ、火縄の先が赤くなる。硝煙が先に流れ、舌の奥が苦くなる。笛が鳴った。次の瞬間、地面が揺れた。音が胸の内側を叩き、鼓膜の奥が痛んだ。白い煙が広がり、視界がいったん曇る。国王軍の列が乱れ、盾が傾き、叫び声が波のように重なった。
国王軍は踏みとどまろうとしたが、砲撃は途切れず続いた。煙は風に押され、汗と土と火薬が混ざって鼻を刺す。火力が押し、ディオゴの兵が息を取り戻す。さっきまで固かった足が動き、太鼓の音が速くなる。槍が前へ出て、叫び声が近づいた。やがて国王軍は押し返され、王都の門へ追い詰められた。
門の内側は石と土が入り混じり、踏み固められた地面が熱を返した。国王の近侍が最後まで踏ん張り、金具の音が激しく鳴ったが、数と勢いが尽きた。夕方、王宮の広場は静まった。風の中に残るのは、煙の名残と、踏みにじられた草の青さだった。
ディオゴは勝者の顔で立ち、国王アフォンソ1世と、その息子、孫息子を処刑した。広場の空気が冷え、誰も大きく息をしなかった。刃が落ちる乾いた音が響き、そのあとに押し殺した泣き声が漏れた。王の妻妾や娘たちは一か所に集められ、縄が擦れる音が続いた。夜風が肌を冷やし、顔には土埃が貼りついていた。
夜になると、王宮の奥で祝勝の宴が開かれた。松明の煙が天井に溜まり、焼けた脂と酒の甘さが混ざる。太鼓と歌が続き、器が触れ合う音が騒がしい。ディオゴは王座に座り、自分を国王だと名乗った。杯を重ねるたび喉が鳴り、笑い声が大きくなる。
アルバロたちも招かれた。ムリロは杯を口に運びながら、周囲の目線の動きを追っていた。ニャシャは席の端で、兵の位置を静かに確かめていた。
ディオゴは途中で気づいた。宴の外、戸口の影に、完全武装の精鋭が並んでいる。祝いの場の装いではない。刃は鞘に収まっていても、姿勢が戦のままだった。鎧の金具が触れ合い、硬い音が一定の間隔で続く。彼らの目は笑っていなかった。
ディオゴは笑いを崩さず、言い訳を探した。「用心深いな。ここは俺の王宮だ。今夜は酒だ。剣は要らない」
アルバロは杯を置き、声を落として言った。「お前は王宮を取った。だが王にはなれない。海岸の門を開ける約束も、倉を貸す約束も、俺に渡す約束も、全部がお前の口から出た。口を裏切れば、次は首が落ちる。それだけだ」
ディオゴの笑いが止まった。汗が額に浮き、松明の熱で乾かない。周りの歌が急に遠のいたように聞こえた。
アルバロは合図を出さず、ただ立ち上がった。精鋭が一歩入る。床板が鳴り、酒の甘さの中に鉄の冷えが差し込む。ディオゴは椅子から立とうとしたが、肩を押さえられた。抵抗の声が上がる前に、場が一拍、静まった。次の瞬間、刃が振り下ろされ、宴の太鼓が止まった。
遺体はすぐ運び出され、床は水で流された。歌も酒も戻らなかった。残ったのは煙と、火のはぜる音だけだった。
翌朝、王宮の女たちは一列に並ばされた。泣く者も、唇を噛む者もいる。ムリロは顔色を変えず、命じた。「名前を聞いて、荷の順番を決めて。乱暴は許さない。逃げ道も作らない。働ける者は働かせる」
ニャシャが頷き、兵に言った。「縄は緩める。だが離すな。水と食い物を先に回す。歩ける者から動かす」
ディオゴに息子はいなかった。妻妾たちは全員、アルバロの侍女とされた。国王の妻妾や娘たちも同じ扱いになった。港へ戻る荷の中に、人も数えられていく。潮気がまた近づき、遠くで波の音が厚くなっていった。




