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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第七章――「黄金海岸の砦、奪われるポルトガルの旗」

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第18話(後編)――「硝煙の夕刻、波音の寝所」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

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挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 午後、港の見張りが鐘を鳴らした。沖に細い影が見え、帆が揺れている。ポルトガル船だった。軽い船で、風を受けて斜めに近づいてくる。


 ディエゴは城壁の上に上がり、目を細めた。海の匂いの中に、火薬の匂いが混ざる気配がある。相手も、ただ通り過ぎる気ではない。


「港へ入れさせるな。沖で止める。船を2隻出せ。砲は近づいてから撃て。無駄玉を撃つと火薬が減る。こちらが先に息切れしたら、港の者が不安になる」


 命令が走り、兵が動いた。櫂を握る腕が揃い、船が水を叩く音が増えた。岸では弓兵が矢をつがえ、火縄銃の火皿に火が落とされた。


 ポルトガル船は港の入口で向きを変え、砲口をこちらへ向けた。先に撃ってきた。低い音が腹に響き、白い煙が流れる。海に鉄が落ち、跳ねた水が塩辛い霧になって顔に当たった。


 ディエゴの側の砲兵は、呼吸を合わせて撃った。砲声が遅れて胸に来る。硝煙が鼻を刺し、目が痛む。


 敵の船の舷側に穴が開き、木片が飛んだ。それでも相手は引かない。帆を落としてでも近づき、こちらの船に横付けしようとした。


「上等だ。近い方が、迷いが消える」


 ディエゴはそう言い、船に乗り込んだ。潮の飛沫で甲板は滑り、足裏に木のささくれが刺さりそうになる。だが止まれない。


 敵が鉤を投げ、綱が張られた。ポルトガル兵が叫びながら飛び移ろうとする。彼らの顔は日焼けして白く、目の色が薄い。恐れよりも意地が勝っている顔だった。


 ディエゴの兵は槍を突き出し、敵の足場を崩した。落ちた者が海に沈み、塩水を飲んで咳き込む音が聞こえた。


 ディエゴは舷側を越え、敵船の甲板へ踏み込んだ。鉄と汗と煙の匂いが濃い。剣が当たる金属音が耳に刺さる。


 敵の士官らしい男が斬りかかってきた。動きは速く、腕も強い。ディエゴは一度受け、刃をずらし、体を寄せて腹に肘を入れた。男は息を吐き、膝が落ちた。それでも手放さない。


「しぶといな。だが、ここは俺の港だ」


 ディエゴは低く言い、相手の剣を叩き落として首元に刃を当てた。


「生きるなら降りろ。生きて帰るなら、今ここで武器を捨てろ。死ぬと言うなら、止めない」


 男は歯を見せ、口の端だけをつり上げた。

「モンパサは取り返す。必ず取り返す」

「取り返せるだけの船と兵が残っていればな。お前が本気で取り返したいなら、今は生きて帰って伝えろ。ここで無駄死にしても、話は届かない」


 ディエゴが言うと、男の目が揺れた。背後で、兵が次々と武器を捨て始めたからだ。抵抗は最後まで残ったが、最後まで残ったからこそ、船の中の傷は深くなった。


 負傷者を岸へ運ばせ、港の者にも水を回させた。


 戦いが終わると、波の音が急に大きく聞こえた。硝煙の白い筋が風で切れ、夕方の光が船の濡れた板に反射した。


◇ ◇ ◇


 夜、屋敷に戻ると、ムリロが水差しを用意して待っていた。水はぬるいが、汗と煙を落とすには十分だった。ディエゴが上着を脱ぐと、布に染みた火薬の匂いが立った。


「今日は匂いがひどい。あなたは勝っても、服は勝てていない。まずは体を拭く。そうしないと眠れない」


「助かる。俺は、今夜は倒れるように眠りそうだ」


「倒れたら困る。話を聞く前に眠られたら、私は採点ができない」


 ムリロはそう言って笑い、ディエゴの首筋に濡れ布を当てた。冷たさで皮膚が引き締まり、目の奥の熱が少し下がった。


 そこへニャシャが入ってきた。手には巻いた布地図がある。だが顔は堅くない。


「今の戦いで、港の者は確信した。あなたが退かないことを見た。だから次は、恐れだけではなく、こちらが守る姿も見せた方がいい。恐れだけで縛ると、隙を見て刃が来る」


「分かっている。だからオスマンへ書状を出す。海の向こうに、同じ敵を嫌う相手がいるなら、使わない手はない」


 ルテンデも入ってきた。彼女は盆に焼いた肉と豆を乗せ、香辛料の匂いを部屋に広げた。空腹は遅れて来る。口の中に唾が溜まった。


「食べながら話しなさい。傷のある男は、腹が空くと機嫌が悪くなる。あなたは明るく振る舞うと言ったのだろう。なら、まず食べて、顔の力を抜く」


 ディエゴは笑い、わざと反論した。


「俺は機嫌がいい。見て分からないか。今夜は勝ったし、女もいる」


「分からない。あなたの機嫌は、顔より肩に出る。肩が硬いままだ」


 ルテンデが淡々と言い、ムリロが声を出して笑った。


 ディエゴは食べ、湯を飲んだ。香辛料の辛さが舌に残り、体の芯が温まる。窓の外では波が石段に当たり、同じ音を繰り返している。


 ムリロがディエゴの手に触れ、指を絡めた。


「昼は怖い顔をしていた。夜は少し戻れ。女に話すときは、勝ち負けの話だけでは息が詰まる。あなたが帰ってきたことを、私はちゃんと喜びたい」


 ニャシャは視線を外し、口の端だけ上げた。


「私も、いつも戦の話ばかりでは困る。だが、今夜は書状の中身を決める。港を守る話をしたうえで、明るい話に移る」


 ディエゴは頷き、ムリロの額に軽く口づけした。彼女の肌には香油の匂いが残り、昼の硝煙を押し返した。


「分かった。先に仕事を終わらせる。終わったら、俺はお前たちと過ごす。逃げないし、黙って寝落ちもしないように気をつける」


 ルテンデが鼻で笑った。


「逃げないと言う男ほど、眠って逃げる」


「それなら起こせ。寝たまま逃げたら、俺は恥ずかしい。明日になってから文句を言われるのも嫌だ」


 ディエゴが言うと、ムリロが即座に言った。


「起こす役は私が取る。ニャシャは地図、ルテンデは食と水。役は分ける。あなたは今夜、黙って任せなさい」


 ニャシャが低い声で言った。


「役を勝手に決めるな。私は自分で決める」


「では、決めて。あなたは何をする」


 ムリロが返すと、ニャシャは少し間を置いて言った。


「私は、書状の文面を整える。相手の誇りを踏まない言い回しにする。こちらが強いからと言って、上から書けば相手は動かない。だから私はそこを支える」


 ディエゴは笑いながら両手を上げた。


「分かった。今夜はムリロが強いが、ニャシャも強い。だが書状は俺が書く。勝手に書き換えたら怒る。ただし、直した方がいい所は言ってくれ」


 ムリロは真面目な顔になり、ゆっくり言った。


「書状はあなたの言葉で書け。だが、相手の誇りを踏まない言葉にしなさい。女に言うときと同じだ。優しく言えば、相手は聞く準備をする」


 ディエゴは一瞬だけ黙り、頷いた。


「そうする」


◇ ◇ ◇


 書状を書き終えると、部屋の空気が少し軽くなった。ニャシャが文面を確認し、ルテンデが使者の道を口に出して確かめた。ムリロは封を用意し、蝋を温めた。蝋が溶ける匂いは甘く、指先が熱い。


 ディエゴは椅子から立ち上がり、肩の力を抜いた。背中に入っていた力が、ようやく抜けた。


 ムリロが近づき、ディエゴの頬を両手で挟んだ。


「今日はよく帰ってきた。だから、ここからは私の時間にする。あなたの顔を、ちゃんと明るく戻す」


「俺の時間でもある。俺も、お前を喜ばせたい」


「同じだ。なら、喧嘩にならない」


 ムリロはそう言って笑い、ディエゴの唇に口づけした。柔らかい。昼に飲んだ塩水の苦さが、彼女の香油と混ざって薄れていく。


 ニャシャは窓の外を一度見てから、扉に近づき、短く言った。


「見張りは万全だ。今夜は誰も入れない。だから、あなたは気を抜け。女の前でまで、戦の顔を続けるな」


 ルテンデは灯りの芯を整え、炎を落ち着かせた。部屋は暗すぎず、明るすぎない。影が揺れ、肌の汗の光が見える。


 ディエゴはムリロの腰に手を回し、布の上から体温を確かめた。彼女は逃げず、むしろ近づいた。香油の匂いと、女の肌の匂いが混ざり、鼻の奥が熱くなる。


「昼は剣の音が耳に残っていた。今は波の音だけだ。だから、今日はこの音で終わらせたい」


 ディエゴが言うと、ムリロは囁くように返した。


「なら、波の音を聞きなさい。あなたの肩はまだ硬い。今日は勝ったのだから、ここでは力を抜け」


 彼女は指でディエゴの肩を押し、ゆっくりほぐした。指先の圧が増えると筋肉が痛み、痛みが抜けると息が深くなった。


 ディエゴはムリロの頬に触れ、次に髪を梳いた。黒髪はしっとりして、指が引っかからない。


 ニャシャが背後に回り、ディエゴの首元に唇を寄せた。熱い息が皮膚をなぞり、汗がまた浮いた。だがそれは戦の汗ではない。


 ルテンデはディエゴの手を取り、自分の頬へ当てた。彼女の目は真っ直ぐで、逃げも隠れもない。


「私は明日も働く。だから今夜は、体を軽くしたい。あなたが明るく接してくれるなら、私も怖がらずに済む」


 ディエゴは頷き、3人を抱き寄せた。布の擦れる音、息の重なる音、肌が触れ合う熱が部屋を満たす。鼻に入るのは香油と汗と、少しの蝋の甘さだった。


 ムリロが笑い、ディエゴの耳元で言った。


「あなたは昼に強い。夜も強いふりをするのか。それとも、ここでは素直になるのか」


「ふりではない。ただ、明日は海だ。起きられないと困る。だから俺は、勝手に倒れないように気をつける」


「起こす役は私だと言った。あなたは今夜だけは、私に甘えなさい」


 ムリロはそう言ってディエゴの肩に近づき、歯が触れそうな距離で止めたあと、柔らかく口づけに変えた。痛みにならない程度の刺激が残り、背中が震えた。


 ニャシャが低く笑い、はっきり言った。


「今夜は、あなたの顔を明るくする。明日の交渉に必要だと言っておく。あなたは理由がある方が、安心する」


「そんな理由を付けるな。だが、助かるのは事実だ」


「なら、正直に言えばいい」


 ニャシャはそう言い、ディエゴの胸に額を寄せた。肌と肌が触れ、鼓動が伝わる。戦の鼓動ではなく、屋敷の中の鼓動になっていく。


 ルテンデは黙ってディエゴの背中を撫で、ゆっくり息を合わせた。波の音が一定になり、灯りの炎が揺れ続けた。


◇ ◇ ◇


 夜明け前、ディエゴは一度だけ目を覚まし、窓の外の風を聞いた。北東の風がまだ続いている。帆は使える。港の口は守れる。


 ムリロが寝返りを打ち、眠ったままディエゴの腕を掴んだ。離さない力だった。ディエゴは小さく笑い、もう一度目を閉じた。


 朝が来れば、使者を出し、船を整え、次の海へ出る。モンパサは通過点で、終点ではない。オスマンへの書状が届けば、海の向こうで別の戦いが始まる。

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