第17話(前編)――「潮の継ぎ目、モザンビークから北へ」
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登場人物
ディエゴ〈30〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈29〉の仮名)
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ディエゴの側室
クダクワシェ・ムリロ〈36〉。トルワ国王の元正妻。
王妃らしい誇りと礼節を持ち、へつらわずに筋を通す。根は明るく、冗談と皮肉で場を軽くできる。暮らしの段取りを整えるのが好きで、侍女を褒めて菓子を分けるような面倒見もある。
ディエゴの側女。参謀兼公爵
ニャシャ〈24〉
肌は深く黒く、瞳の黒が濃い。姿勢と歩みが崩れず、言葉が速く正確だ。状況を読むのが早く、地形と人の心を同時に扱う。腕力も俊敏さも備えている。
ディエゴの側女
ルテンデ〈35〉。マンウェ川方面の金の谷の首長の元妻。
ムタパ国本拠の縁戚から嫁いだ政治の婚姻で、婚礼の贈り物に牛と鉄器を受け取っている。元夫の代わりに人質や贈答の段取りを決めることが多く、周辺の首長たちとも顔が利いた。抵抗の連携が始まったときも、矢を集める村と食糧を隠す村の名を知っていたため、捕縛後は黙り込み、唇を噛んだ。
〔侍女1〕タリロ〈28〉。ルヤ川沿いの金の谷を束ねる首長の妻だ。陶器を焼く一族の出で、採り分けと勘定を任されていた。襲撃の日、倉の裏で子を抱えたまま捕えられ、喉に土埃の渇きが残った。
〔侍女2〕ルド〈19〉。サビ川支流の小さな金の谷の首長の妻だ。飾りのように扱われた反面、帳の内側で聞く話が多く、補給や見張り交代の数を指で覚える癖がついた。捕えられた直後、泣き声が途切れた静けさが怖く、声が出ず震えた。
〔侍女3〕チポ〈30〉。北の峠を押さえる首長の妻だ。蜂蜜と薬草に通じ、屋敷では見張りの食と水を回していた。襲撃の瞬間、戸口で子を押し戻し、土間に爪を立てて踏ん張ったが、縄がかかった。
〔侍女4〕ファライ〈41〉。南の峠を押さえる首長の妻だ。成人した息子が2人いる。布と塩の出入りを管理し、家を回してきた。夫が倒れた後、声が枯れるまで泣いた。
〔侍女5〕ニャメンダ〈27〉。上流の渡し場を押さえる首長の妻だ。漁と舟の一族の出で、舟の順番と渡しの間合いを作る実務を担っていた。襲撃の日、泥に足を取られて転ぶ女たちを見て叫び、捕縛後は子の名を呼び続けた。
〔侍女6〕マサシ〈22〉。下流の渡し場を押さえる首長の妻だ。商人の言葉に囲まれて育ち、スワヒリ語の挨拶とポルトガル語の数詞を少し知る。矢筒の受け渡しを一度だけ手伝ったことが弱みになり、砲声の後は唇を結んで目を伏せた。
〔侍女7〕ムニャンガ〈34〉。金の量と相場を決める仲介の家の妻だ。秤と目方が身に染みつき、取引では相手の手元を黙って見てきた。結託を止めたが聞かれず、捕縛の瞬間は夫の袖を握ったまま指が白くなるまで震えていた。
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(1523年10月下旬。モザンビーク島)
モザンビーク島の朝は、潮の匂いより先に、松脂と焦げた布の匂いが鼻を刺した。桟橋では帆布を張り直す音が続き、木槌が船縁を叩くたび、乾いた響きが白い石壁で跳ね返った。海面は青く澄んでいたが、船体の下では藻が揺れ、浅瀬の珊瑚が日を受けて小さく瞬いた。
ディエゴは上陸の前に兵を集め、声を張った。ここは終点ではなく、北へ伸びるための足場だと告げた。船を直し、水と塩と帆布を積み直し、軽くして出る。守りに残す者は決める。余計な揉め事を起こさず、港を次の戦の道具にする。
港の外れの広場には、降伏したポルトガル人の家族が集められていた。泣く子の声が石に吸われ、母親が背をさすっても、喉が渇いた泣き方のまま止まらない。日陰は薄く、石の照り返しが目に痛かった。
ディエゴは水樽を運ばせ、兵へ言った。女と子を引き離すな。食事を渡し、怪我人は船医へ回せ。荷物を奪って遊ぶな。
その場の空気を裂いたのは、倉の陰から飛んだ銃声だった。石に弾が当たって火花が散り、硝煙の乾いた苦みが風に乗った。撃ってきた男は2人で、どちらも弾が尽きるまで引かなかった。反撃は短く、男たちは倒れた。
ディエゴは駆け寄ろうとした兵の腕を止め、乱暴を禁じた。死体には布を掛けさせ、蹴りも罵りも許さなかった。見せしめの残酷さは、次の港での抵抗を増やすだけだと、兵ももう分かっていた。
船へ戻ると、甲板の匂いが変わった。煮た豆の甘い湯気、濡れた麻縄、汗と塩。クダクワシェ・ムリロが濡れ布で腕を拭きながら、配水の順番を整えていた。泣く子を抱えた女の背を軽く叩き、口元だけで笑って見せる。
「泣くのはいい。喉を潰すな。水を飲んでから泣け」
兵の何人かが吹き出し、張っていた肩が落ちた。
ニャシャは舷側で地図を広げ、潮と風の報告を拾っていた。言葉は速いが、息が乱れない。
「北へ出るなら、キルワの手前で水先を押さえたほうがいい。浅瀬が多い」
「分かった。船の腹を軽くする。修理も今日で切り上げる」
ディエゴは笑って頷き、周りの兵にも見えるように肩を叩いた。眉間に皺を寄せれば、不安は勝手に育つ。だから先に明るい顔を作る。
捕えた成人の女たちには、無理をさせないと決めた。望む者には船内で仕事を与え、食事と寝場所を保証し、家族は離さない。炊事、洗濯、帆の繕い、薬草の仕分け、樽の拭き上げ。嫌だと言う者は子のそばに置き、掃除の当番からも外した。兵には、女へ手を出すなと、理由まで添えて命じた。揉め事は船を腐らせるからだ。
侍女たちは、それぞれの手つきで役に立った。タリロは袋の口を縛るのが早く、ムニャンガは秤の癖を見抜いて誤差を直した。ニャメンダは縄の結び目を変え、揺れてもほどけない形にした。チポは薬草の束を嗅ぎ、熱を下げる葉を選んだ。ルドは樽の本数を指で数え、数え終わると自分の膝を握り直した。マサシは「水」と「塩」だけをポルトガル語の音で口にし、相手の顔色を見て慎重に渡した。ファライは列の間隔を整え、怒鳴らずに目だけで場を押さえた。
昼過ぎ、船団は北へ出た。帆が膨らむと、乾いた帆布の匂いが一気に広がり、塩気が唇に残った。甲板の影では兵が干し肉を噛み、奥歯で折れない硬さに顔をしかめた。
「この肉、剣より強いな」
「噛み切れた奴から昇進だ」
笑いが起き、誰かが樽を叩いて調子を取った。海鳥が頭上で鳴き、白い波が船腹に沿って伸びた。
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キルワは遠くからでも白い建物が目立った。日差しの中で石は明るく、港の入口は静かに見える。だが近づくほど、城壁の影が濃くなり、見張りの動きが増えた。
ディエゴは砲門を開かせた。撃つためではなく、相手の計算を狂わせるためだ。
「降りるなら今だ。倉は焼かない。家族も守る。だが、撃つ者は殺す」
言葉は短く、曖昧にしなかった。
しばらくして砦の門が開き、手を上げた男が出てきた。降伏の合図だった。ところが次の瞬間、屋根から銃声が走った。降伏の列の中にいた若い兵が倒れ、甲板の空気が固くなる。
ディエゴは顔色を変えず、命じた。
「撃ってきた場所だけ潰せ。降りた者へ刃を向けるな。逃げる者を追い過ぎるな」
反撃の砲声は1発で十分だった。石が崩れ、粉塵が舞い、鼻の奥がざらつく。屋根の銃は止まった。抵抗を続けた者はその場で殺されたが、それ以上は広げなかった。
倉庫を押さえると、胡椒の匂いが強く、乾いた木箱の匂いが混ざって鼻に広がった。布が積まれ、酒樽が転がり、鉄の釘が袋に入っている。ディエゴは火を入れさせず、帳面と鍵を集めさせた。燃やすより、次の港で使える形で持ち出すほうが早い。
◇ ◇ ◇
ザンジバルへ向かう海は、潮の色が少し変わった。夜になると湿り気が増し、肌が冷えた。湾へ入ると、甘い香りが漂ってきた。香木と果実に、焦げた油の匂いが混ざる。陸からは、歌のような掛け声が波に乗って届いた。
ここでは戦を短く切った。ディエゴは商人を呼び、船の前で条件を並べた。水先案内を出せ。倉を開けろ。抵抗しないなら家族は守る。倉を焼く必要もない。
商人は汗を拭き、目を細めて頷いた。槍の先が少しずつ下がり、子どもの泣き声が戻る。ムリロはその様子を見て、兵の一人へ小声で言った。
「泣き声が戻ったら勝ちよ。静かすぎる港は、裏で誰かが息を殺している」
兵が苦笑し、見張りの手が緩まない。
夜、ディエゴは側室と側女を順に呼んだ。長い時間は取れなくても、疲れを労い、食事と寝具の不足を確かめ、明日の配置を伝える。誰かだけを放っておかない。誰かだけを特別に扱わない。そうして船の中の温度を均す。




