第11話(前編)――「赤土の渋み、石の囲いの夕」
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登場人物
ディエゴ〈30〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈29〉の仮名)
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側女
1人目 ルジア・ロドリゲス〈26〉
リスボンの川沿いの町で育った。父は港の小役人で、船荷の数え方と、帳面の付け方を娘に叩き込んだ。読み書きができることが唯一の持ち物で、結婚相手は船の会計係だったが、海外の熱病で死んだ。未亡人として本国へ戻る途中、ソファラ帰りの船に乗せてもらっていたが、襲撃で捕虜になった。戻っても家はなく、親戚は「厄介者」として扱うと分かっている。
2人目 カタリーナ・デ・アゼヴェード〈32〉
内陸の小さな貴族家の出だが、家は傾いていた。若いころに「体面のため」の縁組で、海外の砦に関わる文書仕事の男に嫁いだ。夫は家に金を入れるが、妻には関心が薄く、彼女は屋敷で「書類の置き場」のように扱われてきた。砦と教会の往復で、署名、印章、通行証、寄付の名簿といった紙の扱いだけは身につけた。今回の航海も、夫の都合で帰国に同乗させられただけで、帰っても夫の家には居場所がない。
3人目 マダレーナ・フェレイラ〈38〉
南部の海辺の町で育ち、若いころから船乗り相手の宿の台所と洗濯場で働いてきた。嫁いだ男は航海の副官だったが、遠征続きで家にいない。彼女は港で暮らしを回し、怪我人の手当、塩漬け肉の管理、真水の配り方まで現場で覚えた。年齢の分だけ、男の虚勢にも、泣き落としにも動かない。今回の船でも、女の客ではなく、船内の食と水の段取りを実際に動かす側にいた。襲撃で夫と縁が切れ、戻っても「敗走の家族」として冷たい目が待つだけだと見ている。
マニカ国の妻妾 ニャシャ〈24〉
肌は深く黒く、瞳の黒が濃い。姿勢と歩みが崩れず、言葉が速く正確だ。状況を読むのが早く、地形と人の心を同時に扱う。腕力も俊敏さも備え、側女たちが束になっても及ばない。
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(1523年2月下旬。ソファラ、サン・カエタノ要塞)
夜の湿りは石に残り、朝の風が塩気ごと舐め取った。庭には乾かし直した火薬樽が並び、封の縄から松脂の匂いが薄く漏れていた。鉄の輪は冷たく、触ると指先に黒い粉がついた。
ディエゴは庭の隅で、偵察から戻った現地の通訳を立たせた。足は赤土で染まり、ふくらはぎには草で切れた細い傷が走っている。汗は酸っぱく、喉の奥に土の匂いが残っている顔だった。
通訳は言った。
「マニカは、海の者が思うほど弱くありません。戦う男は槍です。投げる槍もあります。盾は牛の皮です。弓は短く、毒を塗ることがあります。石の囲いがあり、山の道は狭いです」
マダレーナが樽の列を見回し、乾いた布を鼻へ寄せた。
「火薬は大丈夫だ。だが内陸は夜に冷える。露で湿る。包みは二重にする。水は余計に積む。熱で倒れる者も出る」
ルジアは帳面を開き、荷役の名を指で追いながら言った。
「大砲を引く人が足りません。縄と滑車の数も足りません。捕虜の鍛冶と大工を回します。逃げないように、足枷の数を増やしてください」
カタリーナは紙束を胸に抱え、短い声で言った。
「マニカは金の出どころです。川と山を押さえている。まず首を押さえれば、下が止まります」
ディエゴは砦の外、浅瀬の色を一度見た。砂州は日差しの角度で白く浮き、危険がそこにあると黙って告げていた。視線を戻し、兵に言った。
「内陸へ行く。マニカだ。槍と盾が相手なら、砲で壁を割る。銃で頭を上げさせない。騎馬は追う。逃がしすぎるな。捕虜は生かす。働く手と、金の場所を知る口が要る。王だけは残さない」
出発は昼前だった。門を出ると海の匂いが遠のき、赤土と草の匂いが強くなった。道は硬いところと柔らかいところが交互に来た。柔らかいところでは車輪が沈み、砲の輪が泥を噛んで重くなった。縄がきしみ、男たちの肩の筋が浮いた。
川を渡るたびに泥が足首を吸った。水は温く、底は冷たい。湿った草を踏むと、靴の中がぬるくなる。蚊がまとわりつき、耳元で細い音を立てた。叩くと掌に血がつき、鉄の匂いがした。
山へ近づくと風が少し乾き、昼でも肌がべたつきにくい。赤土は粉になって舞い、鼻の奥に貼りついた。水を飲むと、木桶の匂いと一緒に舌へ薄い渋みが残った。
境に入った翌朝、最初の矢が来た。枝の隙間から黒い線がまとまって滑り、盾に鈍い音を立てて刺さった。甲冑の継ぎ目へ吸い込まれた矢もあった。男が短く呻き、歯を食いしばって倒れた。血の匂いは薄いのに、毒の青臭さが鼻の奥へ残った。
ディエゴは矢の飛んだ方向を見て、小砲を据えさせた。狙いは人ではなく、草の揺れだった。火が芯に触れ、砲声が腹を打ち、白い煙が広がった。砲口の熱が頬を舐め、硝煙が舌を苦くした。砲丸が地面を抉り、草と土が跳ね、破片が雨になって落ちた。だが敵は残らない。散り、隠れ、別の場所で息をする。
昼には罠が出た。浅い谷へ降りる道が妙に踏み固められていた。先頭の騎馬が一歩進んだ瞬間、地面が抜けた。木の蓋が割れ、馬が悲鳴を上げた。穴の底には尖らせた杭が並び、湿った血の匂いが一気に立った。
ディエゴは顔色を変えずに言った。
「次からは、踏まれている道ほど疑え。槍で突いて確かめろ。道は俺たちが作る」
夜、敵は火を狙った。焚き火の外側、闇の縁で枯れ木が折れる音がし、次に煙が火薬箱の置き場へ流れ込んだ。燃やされたのは枯れ草だった。炎は高く上がらない。だが煙は刺す。目が痛み、咳が出る。咳の音が居場所になる。
ディエゴは火を蹴散らし、兵を動かした。
「水だ。火に水を投げるな。煙を切れ。火薬は持って走れ。粉を殺す気だ」
翌日、川が止めた。浅瀬のはずの場所に石が落ち、流れが変わっていた。上流で丸太が流され、渡し場の杭が折れていた。水は濁り、底が見えない。渡れば砲が沈む。沈めば車輪が外れ、運べない。
ディエゴは一度だけ舌打ちし、すぐ笑った。
「面倒だな」
丸太を打ち、土嚢を積み、板を渡した。砲を1門ずつ引き上げるたび、泥が吸い付く音がした。汗が塩になり、背中が冷えた。火薬箱は火から離し、夜の露を避けて寝かせた。
夕方、斜面の向こうに石の囲いが見えた。高い石を積み、ところどころに木の柵が補ってある。門は狭く、外側に溝があった。溝の底には水が溜まり、腐った葉の匂いが上がる。蚊が群れ、耳元で薄い羽音を立てた。
ディエゴは砲の列を見た。砲身の鉄は夕日を受けて鈍く光る。触れば熱いはずだった。
「止まるな。着いてから撃つ」




