第8話(前編)――「鍵束の受け渡し、サントドミンゴへの船出」
――――――――――――――――――
登場人物
ディエゴ〈29〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈28〉の仮名)
ルイーザ・デ・カルヴァーリョ〈36〉
ディエゴの妻。ミナ砦の統治責任者。ポルトガル商船提督の元妻
エレナ・デ・ビラルバ〈32〉
ディエゴの妻。イスパニョーラ島提督。サントドミンゴ砦在住。スペイン商船提督の元妻。
――――――――――――――――――
1522年10月末、ミナ砦の朝は湿っていた。石壁は夜の冷えを抱えたままで、井戸の周りには水桶の列ができる。潮のにおいに汗と革と煙のにおいが混じり、縄を引くたびに乾いた音がした。
ルイーザは広場に机を出し、帳面を開いた。紙は少し波打っているが、墨は乗る。彼女は波打ちも気にせず、倉の鍵束を机の横に置かせた。鍵は種類ごとに分けて革紐で束ね、誰がどれを持つかを先に決める。勝った後に揉めるのは、いつも鍵と食い物と寝場所だった。
ディエゴが広場へ来た。足音を立てずに近づき、帳面の字を一度だけ上から見た。
ルイーザは顔を上げた。「井戸の列が長すぎます。今の人数では、水が回りません」
ディエゴはうなずいた。「どれだけ減らせる」
ルイーザは帳面の端を指で押さえた。「砦の守りと修理の手は減らせません。ですが、余分な口は減らせます。外へ出すなら、行き先と船を先に決めてください」
そこへエレナも来た。髪をまとめ、腕をまくっている。彼女は机の上の鍵束を見て、次にディエゴの顔を見た。
エレナは言った。「行き先はサントドミンゴだね。私はいつ出ればいい」
ディエゴは広場の向こう、海を見た。波は同じ調子で砦の下を叩き、港の鎖が風で鳴る。だが、同じ景色でも日ごとに状況は変わる。水、火薬、食糧、病人、それから人の数が増えすぎると砦は詰まる。
ディエゴは言った。「11月3日だ。潮が変わる前に出す。おまえはサントドミンゴへ行き、向こうの港と砦を押さえろ。提督という役目は、軍と港の責任者だ。名前だけでは足りない。鍵と倉と兵の名簿を、全部おまえの手に戻せ」
エレナは息を吐いた。「分かった。船は何隻、回す」
ルイーザが割って入った。「2隻で十分です。速い船と積める船を1隻ずつ。護衛は付けますが、重い船を増やすと水が持ちません。出す側も、残る側も」
エレナは帳面をのぞき込んだ。「残る側の水は、どれだけある」
ルイーザは数字を読み上げた。「水樽は今ある分で18日。雨水桶を増やせば、もう少し伸びます。ですが、人数が増えると一気に縮みます」
ディエゴは言った。「だから減らす。行く者を決めろ。病人と役に立つ者は選ぶ。行かない者も決めろ」
ルイーザはすぐ答えた。「港の修理に要る大工と鍛冶は残します。砲の手も残します。読み書きできる者も残します。あとは、船に回せます」
エレナはその場で頷いた。「私が連れていくのは、倉の扱いが分かる者と、港の縄が分かる者だ。砦は石だけじゃ回らない。縄と桶で回る」
その日の昼まで、3人は机を挟んで決め続けた。船の名、積み荷、配る水の量、火薬の持ち出し、航海の当番、そして鍵束の中身である。鍵は細かいが、細かいからこそ揉める。だから、先に書いて、先に渡す。
11月3日、エレナの船はミナ砦を出た。帆が上がると布が鳴り、縄が軋む。港に残った者の視線が背に刺さるが、振り返ってもやることは増えるだけだ。エレナは船首に立ち、潮のにおいを吸い、喉の奥の塩気を確かめた。サントドミンゴまでの海は長い。長い海は、弱い船から崩れる。
エレナは副官に言った。「水の配り方を変える。朝と夕の2回にして、昼は口を濡らすだけにする。最初に苦情が出る。だから、最初に理由を言っておく」
副官は顔をしかめた。「反発します」
エレナは言った。「反発は出る。だが、水が切れたら終わりだ。終わりにしたくないから、今言う。反発の声も、聞く。だが、決めた量は変えない」
船は西へ向かった。昼は日差しが痛く、夜は冷えた。樽の木がきしみ、塩が板の隙間に白く浮く。吐く者も出たが、エレナは寝かせる順番を決め、濡れ布を用意させた。薬草の香りが船倉に混じり、汗のにおいが少しだけ薄まった。
そして、彼女はサントドミンゴでやることを、紙に書き出していた。最初に鍵。次に倉。次に兵の名簿。最後に港の縄と排水。順番を間違えると、砦はすぐに動かなくなる。




