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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第七章――「黄金海岸の砦、奪われるポルトガルの旗」

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第6話――「門脇の銃声、ルイーザの統治」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

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挿絵(By みてみん)

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挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


――――――――――――――――――

登場人物

ディエゴ〈29〉(新大陸皇帝アルバロ・デ・モリーナ〈28〉の仮名)

ルイーザ・デ・カルヴァーリョ〈36〉

ディエゴの妻。ミナ砦の統治責任者。ポルトガル商船提督の元妻

エレナ・デ・ビラルバ〈32〉

ディエゴの妻。スペイン商船提督の元妻

――――――――――――――――――


(1522年10月中旬。ミナ砦)


 ミナ砦の朝は、潮と鉄と焦げた油の匂いが混ざって始まった。外海から吹く風は湿り気を含み、石壁の継ぎ目に染みた塩が白く浮いている。波が岩に砕ける低い音の上に、砦の中では鎖がこすれる乾いた音、樽を転がす鈍い響き、遠くで鳴る教会の鐘が重なった。


 統治責任者に据えられたルイーザ・デ・カルヴァーリョ〈36〉は、夜明け前から歩いた。髪はきちんとまとめ、靴の底は石の粉で白くなっている。だが表情は明るい。兵の列に近づくと、彼女は肩をすくめて言った。


 ルイーザはこう言った。「眠い顔をしていると、敵に笑われるわ。笑われ役は私だけで足りるもの」


 緊張で固まっていた口元がほどけ、数人が小さく笑った。笑いが出ると、胸の奥に溜まっていた息が抜ける。ルイーザはその変化を見逃さなかった。


 最初に手を付けたのは、守備の骨組みだった。砦は高く、海に張り出した角は強い風を受ける。見張り台の板は湿気で反り、階段の踏み板は一部が腐っていた。火薬庫の扉は重く、鍵の管理が曖昧だった。ルイーザは巡回の順番と合図を決め、鍵の担当を2人に絞った。交代は必ず立会いで行い、鍵束は腰の革帯に結び付けさせた。


 見張りの役目は気が張る。気が張るほど、人は勝手に酒へ逃げる。そこで彼女は、昼の交代の時だけ塩水と薄い酒を少量配り、決まっていない酒盛りは厳しく止めた。隠れて飲むようになると、揉め事が増える。ここは堅い石壁の中である。火薬もある。火は冗談にならない。


 次に顔を出したのは、居留地の教会だった。石の床は冷たく、湿った木の匂いに蝋の甘さが混じる。祭壇の布は洗えておらず、聖具の置き場は乱れていた。司祭は不満を溜めていて、言葉が早かった。


 司祭はこう言った。「弔いができない。鐘も鳴らせない。墓地が荒らされている」


 ルイーザは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。聞き終えてから、わざと少し困った顔をした。


 ルイーザはこう言った。「分かった。鐘は鳴らすわ。ただし、鐘のたびに兵が走り回ったら、あなたの説教が終わる前に日が暮れる」


 司祭は思わず眉を動かした。その表情で、こちらの話を聞く気があると分かる。ルイーザは鐘の合図を整理し、弔いの時間を決め、墓地の外周に簡単な柵を作らせた。材料は砦の倉に眠っていた古い板と、港で余っていた縄だった。


 居留地の家々は、砦の陰に寄り添うように並んでいた。焼けた魚の匂い、濡れた布の匂い、狭い路地に溜まる排水の匂いが、昼が近づくほど濃くなる。住民の訴えは大きく3つに分かれた。水が足りないこと、衛生が崩れて病が増えていること、兵と商いの揉め事が増えていることだ。


 水の問題は、声を荒げる前に舌が乾く。井戸はあったが、汲み上げの順番が曖昧で、強い者が先に取っていく。ルイーザは小さな木札を作らせ、家ごとに番号を振った。朝と夕で水汲みの時間を分け、井戸番を置いた。井戸番は兵ではなく、居留地の年長の男と、読み書きのできる女を1人ずつにした。賄賂が動く隙を減らすためだ。


 井戸番が戸惑うと、ルイーザは肩を叩いて言った。


 ルイーザはこう言った。「怒鳴られても、言うことは決まっているわ。番号どおりに進めなさい。私が責任を持つ」


 衛生の問題は匂いが先に教えてくる。共同の便所は満ち、蝿が黒い雲のように集まっていた。子どもが咳をし、熱を出した老人が寝込んでいる。ルイーザはまず排水溝を掘り直させ、石灰を回した。石灰は火薬や建材にも要る。そこで彼女は、砦の修理と衛生の石灰を日ごとに割り振り、搬入の担当を固定した。


 次に、病人を同じ家に押し込めないため、倉庫の一角を療養の場所に変えた。風が通る位置に寝台を並べ、薄い布で日差しを遮った。薬は足りない。それでも、熱の者に水を回し、体を拭き、蚊を避ける煙を絶やさなければ、死ぬ人数は変わる。ルイーザは大げさな言葉を使わない。必要なことだけを、手と足で揃えていった。


 兵と住民の揉め事は、半分が酒と油、もう半分が言葉の行き違いだった。兵が「支払いは後だ」と言って魚を持ち去り、住民が怒って石を投げる。投げ返された石が怪我を生む。ルイーザは小さな広場に板を立て、取り決めを書かせた。品物を取るなら、その場で代価を渡す。代価は銀貨でも塩でも布でもよい。必ず証人を1人置く。証人は居留地側から出す。


 兵の側には、代価の袋を各隊に1つ持たせた。袋の紐は結び目で使用回数が分かるようにした。盗む気がある者は、結び目をほどくところから考える。考える時間が増えると、手癖の悪さは目立つ。怠け者は目立つことを嫌う。そこを突いた。


 そして、砦の中で最も重い問題が、黒人奴隷の集積だった。石壁の内側に設けられた囲いは、汗と恐怖の匂いが濃く、空気が重かった。日が上がるほど、肌に張り付く湿気が増し、鎖の冷たさが体温でぬるくなる。人の声は多いのに、言葉として揃わない。低い唸り、途切れ途切れの祈り、喉の奥で鳴る歌のような声が、波音に混じって消える。


 ルイーザはそこへ入るとき、まず足を止めた。護衛の兵が顔をしかめるのを見て、彼女は軽く鼻を鳴らした。


 ルイーザはこう言った。「平気よ。あなたたちの靴下の方が、よほど手強い匂いだもの」


 兵が苦笑し、肩の力が抜けた。肩の力が抜けると、手の乱暴さも落ちる。ルイーザはそこまで計算していた。


 問題は明白だった。過密で、水が足りず、病が広がりやすい。食糧は乾いた穀物に偏り、腹を壊す者が増える。鎖の管理も雑で、弱った者が転ぶと、隣が巻き込まれる。さらに、集積された人々は「商品」として扱われ、兵の中には抜け荷や横流しを考える者もいる。ここが崩れれば、砦全体が崩れる。


 ルイーザは、まず数を掴んだ。名前ではなく、人数と状態である。痩せた者、熱のある者、歩ける者、幼い者。通訳を連れて、言葉が通じる範囲で出身のまとまりを探し、争いが起きにくい配置に変えた。水は大樽を増やし、汲み足す時間を決めた。配る役は兵に任せず、監督を居留地の者にさせ、兵は外周の警備に回した。兵が直接配ると、殴る手と渡す手が同じになる。それがいちばん危ない。


 食糧は、港の買い付けの順番を変えた。干し肉や硬いパンだけでは腹がもたない。ルイーザは黄金海岸で手に入る芋類や豆、油のある魚を増やし、塩の使い方を調整した。塩は貴重だが、汗をかく土地では命綱にもなる。


 現地の商人との交渉では、彼女は笑いながら条件を詰めた。


 ルイーザはこう言った。「樽が立派なのは分かるわ。でも、樽を褒めても腹は満たされない。中身で勝負して」


 商人が笑うと話が進む。話が進めば、襲撃や盗みで補う必要が減る。減れば、砦は守りやすくなる。


 病への対処は、綺麗事では動かない。彼女は療養の場所の一角に隔離の場所を作り、発熱者をそこへ移した。熱の者に水を回し、体を拭かせ、蚊帳が足りない分は煙で補った。砦の壁際で火を焚き、乾いた草と湿った葉を混ぜて、蚊が嫌う匂いを出した。煙の苦さで喉がいがらっぽくなる。だが夜の刺され方が変わる。変われば、生き残る人数も変わる。


 横流しと暴力には、最初に見せしめを置いた。砦の倉から塩と干し肉が消え、囲いの黒人奴隷に回る水樽まで減っていた。さらに夜番の兵が、居留地の女に乱暴したという訴えも出た。噂は夜明けより早く広がる。放っておけば、砦の中で腕の強い者が王になる。


 ルイーザは声を荒げなかった。先に出入り口を1つに絞り、倉庫の鍵束を2人の担当に固定した。出庫票の木札には番号を彫り、見張りの交代ごとに札の数と倉の封印を合わせた。合わなければ、その場で止める。止めたまま、誰も眠らせない。


 昼前、見張り台の陰で、塩袋の端がほどけた跡を見つけた。袋の縫い糸は新しい。つまり倉の中でほどかれ、縫い直されている。縫える者は限られる。ルイーザは居留地の仕立て屋を呼び、縫い目を見せた。仕立て屋は黙って針目の癖を指でなぞり、兵の中の1人の名を出した。通訳と書記が横に座り、言葉を崩さず記録した。逃げ道を塞ぐのは、声ではなく紙だ。


 夕方、砦の中庭に兵を集め、居留地の長老と司祭も呼び出した。風は海の湿り気を運び、石畳はまだ昼の熱を残している。ルイーザは段の上に立ち、誰にでも聞こえる声で告げた。


 ルイーザはこう言った。「倉から盗んだのはお前だ。居留地で手を出したのもお前だ。言い逃れはできない。ここは戦場ではない。だから罰は戦場より重い」


 罪を犯した兵は、顔色を失って膝をついた。周囲の兵が目をそらし、居留地の人々は息を飲んだ。誰もが次に何が起きるかを知りたい。知りたいからこそ、黙る。


 ルイーザは最後に言った。


 ルイーザはこう言った。「冗談で済ませたいけれど、今日は無理よ。明日から、私は堂々と笑いたい」


 翌朝、日の出直後、銃声が1発、砦の石壁に跳ね返った。鳥が一斉に飛び立ち、海の波音が一瞬だけ薄くなる。倒れた体は布で覆われ、そのまま砦の門の脇に半日だけ置かれた。目を背けたい者にも背けさせない位置だった。見張りは、そこを通るたびに銃の握りを確かめた。居留地の子どもは、母の手を強く握った。


 見せしめは1人で終わりにした。だが、終わりにしたからこそ言葉が続く。


 ルイーザは板を立て、取り決めを書かせた。品物を取るなら、その場で代価を渡す。代価は銀貨でも塩でも布でもよい。証人を1人置く。証人は居留地側から出す。倉の出庫は木札の番号で管理し、札が合わなければ全員の前で確認する。暴力は即刻拘束し、翌朝までに裁きを下す。例外はない。


 兵の側には、代価の袋を各隊に1つ持たせた。袋の口紐は結び目で使用回数が分かるようにし、結び目が増えた分だけ帳面に線が増える。


 ルイーザはこう言った。「昨日のうちに、境目は引いた。盗みが上手いか下手かなんて関係ない。やった者は、終わりよ」


 兵は笑わなかった。笑えなかった。その沈黙が、砦の空気を変えた。以後、札の音と鍵の音が重くなり、居留地の訴えは怒鳴り声ではなく、筋道のある言葉で出るようになった。恐怖が秩序を作るわけではない。だが、恐怖が秩序の土台になる日はある。ミナ砦のこの朝が、まさにそれだった。


 ◇ ◇ ◇


 居留地の住民への接し方も、前と同じにはならなかった。朝の銃声が石壁に残り、門脇で布に包まれたものが置かれていた光景を、誰も忘れられなかったからだ。魚の売り子は声を落とし、子どもは母の背中に隠れ、男たちは腕を組んだまま口をつぐむ。訴えは、喉の奥で噛み砕いた言葉になって出てきた。


 泣きながら訴える女には、ルイーザは椅子を勧めた。口調は柔らかいが、甘くはない。


 ルイーザはこう言った。「座って、落ち着いて話しなさい。誰が、どこで、何をしたのか。あなたが見た順に言えばいい。こちらは最後まで聞く。ただし、作り話は許さない」


 女は袖で涙を拭き、震える手で指を折りながら言葉を並べた。通訳が追いつける速さになったところで、ルイーザはうなずき、書記に合図した。


 怒鳴る男には、ルイーザは調子を合わせて笑いを取ることはしなかった。門の方から吹く風が、火薬の匂いをまだ運んでくる。ルイーザは男の正面に立ち、近くの兵に半歩だけ前へ出させた。脅しではない。ここから先は越えるなという境目である。


 ルイーザはこう言った。「声を上げたい気持ちは分かった。でも石は投げるな。拳も出すな。言い分があるなら、理由を言いなさい。誰と揉めたのかも言いなさい。名前が出れば、こちらは動ける」


 男の喉が鳴り、言葉がほどけた。怒りが先に立っていたのが、少しずつ事情の説明に変わっていく。ルイーザは途中で遮らない。話が逸れそうになったときだけ、元へ戻した。「それは後。いまの話に戻って」。その一言で、住民の訴えは形になった。


 日が傾くころ、砦の上の風は少し冷えた。潮の匂いが強まり、遠くの帆は夕日に赤く染まって見える。教会の鐘は、決めた回数だけ鳴った。余計には鳴らない。鐘の音が増えれば人が集まり、噂が増える。噂が増えれば、また余計な血が流れる。


 居留地の井戸には列ができ、井戸番は淡々と番号を呼んだ。揉めそうな顔が出たら、井戸番は門の方を一度見る。その視線だけで、列は戻った。背後に立つ兵が、木札の番号を指で確かめていた。


 黒人奴隷の囲いでも、桶と樽の水位が朝より下がっているのが目で分かった。だが減り方が乱れていない。配る役が決まり、汲み足す時間が決まり、外周の見張りが目を離さないからだ。湿った肌の匂いと汗の酸っぱさは消えない。鎖が床をこする音も消えない。けれど、乾きで倒れ込む者は減った。ルイーザは目だけで人数を数え、足を止めずに通り過ぎた。


 夕暮れ、ルイーザは砦の門へ向かった。蝶番はきしみ、鉄の匂いが鼻に刺さる。門脇の布は片づけられていたが、石畳の隙間に黒い染みが残っている。兵たちの顔は朝より硬い。笑い声は出ない。出ない方がよいと、皆が分かっている。


 ルイーザは門番の兵に目を向けた。


 ルイーザはこう言った。「今日の顔は悪くない。だが、明日はもっと整えなさい。私の目はごまかせない。ここは海風で何でも腐る。気を抜いた者から先に崩れる」


 兵は小さくうなずいた。返事はそれで足りた。


 砦はまだ荒れている。だが、荒れたまま放置される場所ではなくなった。ルイーザは石畳の冷え方を足の裏で確かめながら、次に直すべき場所を頭の中で並べ、暗くなる前に歩を進めた。

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