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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第6章――「波の鎖、南の潮」

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第13話――「矢の浜、2人の預かり」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


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新たな妾たち(以前からの妾たちは妊娠中のため、船内で静養している)

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先住民

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 アナイラ〈36〉(族長の正妻) 族長の家を切り盛りしてきた女性。川口と集落の道を知る。


 シリマ〈20〉(族長の妾) 若く、目が利く。森の足場と危ない谷を覚えている。

―――――――――――――――――

スペイン人

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 イサベル・ロドリゲス〈24〉 サントドミンゴから小舟で移動中、嵐で流されてドミニカ島へ漂着した。夫は水際の争いで死亡し、以後は子を抱えて森の囲いに隠れていた。針と布の扱いが早く、破れた衣の繕いで手を動かせる。


 ルイサ・エスピノサ〈19〉 港の下役の家の娘。読み書きの初歩を身につけており、短い祈祷文と物の数え方を覚えている。囲いでは火の番を担い、煙を小さく保つ工夫をしていた。


 カタリナ・サントス〈33〉 兵の炊事場にいた女で、塩蔵と干し物の加減を知る。島では貝と木の実を選り分け、腹を壊さない順で子どもへ回していた。


 ベルナルダ・メヒア〈27〉 雑役として司祭館に出入りしていた。薬草の匂いと傷の洗い方を少し知り、発熱した子どもの額を冷やす役を担っていた。


 エレナ・デ・トレド〈41〉 年長で、囲いの中では女たちの口論を止める役に回っていた。物資が尽きた夜、誰がどれだけ食べたかで揉めた際も、声を荒らげずに分け方を決めたという。

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[826551764/1673405797.jpg]

メソアメリカ

大陸書房「コルテス征略誌」モーリス・コリス著、金森誠也訳。P10。

[826551764/1767236287.jpg]

17世紀初めのカリブ海地域

『中公新書「物語ラテン・アメリカの歴史」増田義郎著P139』

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 (1521年7月10日、午前10時出発。ドミニカ島沖、旗艦)


 錨が上がると、鎖が海水を引きずって黒く光った。甲板では縄が走り、滑車が鳴り、帆布が膨らむ音が少し遅れて聞こえた。潮の匂いが強く、松脂の甘さがその下に残っている。船団は島影を背にし、南へ向けてゆっくりと列を整えた。


 ディエゴは舵手に言った。「風向きも風の強さも安定している。帆を全部張れ。前の船との距離を保て。横にずれて列から外れるな」


 見張り台の兵が、ドミニカの山肌を指して叫んだ。島の緑は近いのに、もう遠ざかっていく。海は青い。だが青一色ではない。波が黒く筋になって走る場所があり、その先には薄い緑色の浅みが見えた。


 妾たちは船尾に集まり、島を見送った。アナイラは黙って立ち、岸の形を目で覚えている。シリマは風向きと波の筋を見比べ、荒れやすい海かどうかを確かめている顔だった。スペイン人の女たちは肩を寄せ合いながらも、船が進むにつれて背筋を伸ばした。ここで引き返せない、と身体が先に理解している。


 昼前、通り雨が来た。雲が低くなり、雨粒が帆を叩いて細かな水しぶきが跳ねた。甲板の木は一気に滑りやすくなり、兵が走る足音が重くなる。ディエゴは帽子の鍔から滴る水を払って、号令を落とした。

 「帆を縮めろ。濡れた縄で手を切るな。火縄と火薬は濡れないよう箱に入れて、蓋を閉めろ」


 濡れた縄は手に張りつき、掌の皮を持っていく。水気は厄介だ。女たちの区画では、カタリナが鍋を守り、ベルナルダが濡れた布をすぐに干し直していた。ルイサは桶の数を数え、足りない分を黙って誰かに回す。イサベルは針と糸を持って、濡れて裂けた裾を縫い止めた。誰も大声を出さない。声を荒らすと不安が広がることを知っている。


 雨が抜けると、空気が澄んだ。潮の匂いが強くなり、遠くで海鳥が鳴いた。ディエゴは提督室に戻り、濡れた上着を脱いで干し布の上に広げた。そこへシリマが入ってきて、濡れた髪を指で梳きながら言った。

 「前方に島がある。風に土と草木の匂いが混じってきた」


 ディエゴは窓へ寄った。確かに風が変わっている。土と葉の匂いが混じり、甘い花の匂いが薄く乗っていた。水平線の上に濃い影が浮かんでいる。マルティニークだった。


 夕方、島影ははっきりしてきた。山があり、その下に森が広がっている。岸は黒く、ところどころに白い砂の切れ目がある。波は岸へ向かって砕けるが、砕け方が浅く、礁が近いと分かる。ディエゴは舵手の肩越しに海面を見て、言った。

 「岸に近づくな。沖合で錨を下ろして船を止める。小舟は夜明けに出す」


 女たちは島を見て息を呑んだ。森が深く、煙が見える。人がいる。火を使う集落がある。だが砦の旗は見えない。石の建物もない。島は静かに見えるが、何が起きるかは分からない。


 夜、船団は沖で揺れながら休んだ。帆は畳まれ、甲板の音が減ると、波が船腹を叩く音が目立つ。潮が板の隙間に入り、木の匂いが湿った匂いに変わっていく。ディエゴは妾たちの区画へ行き、食事の椀をひとつ手に取った。豆の煮込みは濃く、塩と煙の味が舌に残った。


 イサベルが小さな声で言った。

 「今夜は怖いです。でも、ここで置いていかれるよりは、船にいる方がまだ落ち着きます」


 ディエゴは椀を置き、彼女の肩へ手を置いた。

 「置いていかない。船が航海を続ける限り、お前をここで降ろすことはしない」


 アナイラがその言葉を聞いて、静かにうなずいた。

 「では、明日の浜でも約束を守ってください。こちらから先に手を出さず、品物を見せて話を始めてください。危なくなったら、すぐに引いてください。そうすれば子どもまで騒がずに済みます」


 ディエゴは短く答えた。

 「最初は取引の話から入る。だが攻撃してくる者が出たら、押し返して引き上げる。長引かせない」


 言い終えると、女たちの空気が少しだけ落ち着いた。怖さは消えない。だが、何をするかが見えれば、手が動く。


 その夜、ディエゴは妾たちを1人ずつ抱いた。急がず、乱暴にせず、確かめるように触れた。潮で冷えた指先が、女の体温で温まっていく。吐息の湿り、髪の匂い、肌に残る石鹸の匂い。船が揺れるたび寝台がきしみ、女の爪が背に小さな跡を残す。誰も泣かなかった。声は抑えられ、笑いが短く漏れた。外では見張りの足音が続き、異常が起きていないことが分かった。


 翌朝、空が白む前に小舟が下ろされた。ディエゴは甲板で見送り、腕を組んだ。小舟には兵が乗り、荷には鉄の針と小刀、布の切れ端、塩の小袋が積まれている。水を汲む桶もある。交易で済ませるための荷だ。


 小舟が戻ったのは、日が上がり切る前だった。兵の1人が腕を押さえ、血がにじんでいる。矢がかすめた傷だった。大きな怪我ではないが、合図は十分だ。浜は友好的ではない。


 ディエゴは傷を見て、兵に言った。

 「よく戻った。次は追うな。引くなら、全員で引け。負傷者を増やすな」


 ベルナルダがすぐに傷を洗い、アナイラが布を裂いて包帯を作った。シリマは窓から岸を見て、唇を噛んだ。島は緑のままだ。海も青いままだ。だが、森の中には弓がある。


 ディエゴは船団へ号令を流した。

 「帆を上げろ。ここで戦って時間を使うな。次の島へ向かう。針路はセントルシアだ」


 船団が動き出すと、マルティニークの岸がゆっくり後ろへ流れた。森の匂いも遠ざかる。だが、矢が飛んできた浜の記憶は残る。女たちはそれを顔に出さず、手を動かした。鍋を整え、布を干し、荷を締め、子どもをあやす。生き残る準備は、手元から始まる。


 昼過ぎ、次の島影が見えた。セントルシアは山が高く、雲がまとわりついている。岸の切れ目に川口があり、そこだけ海の色が淡い。ディエゴはそこを見て、舵手に言った。

 「川口が見える。水は取れる。だが警戒する。小舟は2艘出す。火縄は乾いたものに替えろ。銃は隠すな。銃口は下へ向けたままにしろ」


 夕方、浜に人影が出た。槍と弓を持ち、こちらを測るように並んでいる。ディエゴは小舟の先頭に立ち、布を掲げた。白い布だ。降伏ではない。話す意思を示すための布だ。


 砂浜に足がつくと、砂は熱く、足裏に細かく刺さった。森からは湿った土の匂いが押し寄せ、虫の羽音が絶えない。相手は近づかず、距離を保ったまま、鋭い目でこちらを見た。ディエゴは布を地面に置き、塩の小袋と鉄の針を並べた。


 しばらくして、向こうの男が1人前へ出た。取引をする目だった。だが、その後ろで若い男が弓を引き、こちらの桶を狙った。欲が先に出た目だ。


 ディエゴは声を荒らげずに言った。

 「弓を下げろ。水は品物と交換する」


 言葉は通じない。だが声の強さは通じる。兵が一斉に一歩前へ出て、火縄銃の口を見せた。撃たない。ただ、撃てると示した。浜の空気が固まり、弓を引いた若者の腕が揺れた。


 その時、森の陰から女が2人出てきた。年長の女が若者の背へ手を置き、もう1人が地面へ何かを置いた。ひょうたんの水だった。果実もあった。取引を続けたいという合図だ。


 ディエゴはその女たちの目を見た。逃げる目ではない。場を保つ目だった。浜の男だけを相手にすると、次の瞬間に矢が飛ぶ。女が場を保つなら、女を預かる方が早い。


 ディエゴは兵に言った。

 「声を荒らすな。周りを囲め。殴るな。腕をつかんで船まで連れてこい」


 兵が動くと、浜がざわめいた。男たちが槍を上げかけたが、年長の女が片手を上げて止めた。彼女は若い女の手を取り、こちらへ歩かせた。抵抗ではなく、選んで歩いている。


 ディエゴは低い声で言った。

 「この2人は船で預かる。人数は2人だけだ。水と木を受け取り、出港まで襲われないためだ。船では乱暴をしない。食事と寝場所を与え、身体を洗わせる。用が済んだら返す」


 もちろん言葉は通じない。だが、彼は同じ調子で言い切った。兵にも妾たちにも聞かせるために言った。


 小舟が沖へ戻ると、2人の女は舟底で身を寄せ合い、震えを必死に抑えていた。ディエゴは上着を外し、肩へ掛けた。汗と潮の匂いが混じった布でも、裸よりはましだ。女は怯えた目で見上げ、やがて視線を落とした。


 旗艦へ戻ると、妾たちが出迎えた。イサベルの目が少し鋭くなり、ルイサが数を数えるように女を見た。カタリナは鍋の火加減を見ながらも、こちらの空気を読んでいる。アナイラとシリマは、同族の女の様子を見て、言葉を飲み込んだ。


 ディエゴは最初に妾たちへ言った。

 「これ以上は増やさない。人質として預かるだけだ。各島で2人までにする。お前たちの寝る場所と食べ物を減らさないためだ」


 それから、預かった女たちへ水を渡し、果実を切って手渡した。女が口に含むと、喉が動き、呼吸が少し落ち着いた。恐怖は消えない。だが、飢えと乾きが引けば、目の焦点が戻る。


 その夜、船団は南へ走り続けた。セントルシアの山影が背後で沈み、次にセントビンセントの輪郭が浮かび、さらにその先にグレナダの黒い影が待っている。海は一晩で波の高さが変わる。波が高くなる時もあれば、ほとんど立たないほど静まる時もある。星が見える夜は、帆柱の影が甲板に長く落ち、見張りの顔が青白く照らされた。


 ディエゴは妾たちの区画へ行き、預かった女たちを奥の寝台へ休ませた。イサベルが布を渡し、ベルナルダが髪を洗う湯を用意した。アナイラは言葉の通じない相手にも、落ち着いた手つきで水の飲み方を示した。シリマは若い女の足元へ自分の草履を置き、指で「履け」と示した。若い女がためらいながら履くと、シリマは小さくうなずいた。


 グレナダが近づくころ、潮の匂いの中に、また土の匂いが混じり始めた。ディエゴは船尾で風を吸い込み、目を細めた。

 「ここまで来た。次は船団が休める場所を決める。水と木を確保してから戻る。休むのはその後だ」

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