第12話――「甘い苦み、出帆の前祝い」
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新たな妾たち(以前からの妾たちは妊娠中のため、船内で静養している)
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先住民
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アナイラ〈36〉(族長の正妻) 族長の家を切り盛りしてきた女性。川口と集落の道を知る。
シリマ〈20〉(族長の妾) 若く、目が利く。森の足場と危ない谷を覚えている。
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スペイン人
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イサベル・ロドリゲス〈24〉 サントドミンゴから小舟で移動中、嵐で流されてドミニカ島へ漂着した。夫は水際の争いで死亡し、以後は子を抱えて森の囲いに隠れていた。針と布の扱いが早く、破れた衣の繕いで手を動かせる。
ルイサ・エスピノサ〈19〉 港の下役の家の娘。読み書きの初歩を身につけており、短い祈祷文と物の数え方を覚えている。囲いでは火の番を担い、煙を小さく保つ工夫をしていた。
カタリナ・サントス〈33〉 兵の炊事場にいた女で、塩蔵と干し物の加減を知る。島では貝と木の実を選り分け、腹を壊さない順で子どもへ回していた。
ベルナルダ・メヒア〈27〉 雑役として司祭館に出入りしていた。薬草の匂いと傷の洗い方を少し知り、発熱した子どもの額を冷やす役を担っていた。
エレナ・デ・トレド〈41〉 年長で、囲いの中では女たちの口論を止める役に回っていた。物資が尽きた夜、誰がどれだけ食べたかで揉めた際も、声を荒らげずに分け方を決めたという。
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(1521年7月10日、朝。ドミニカ島旗艦提督室)
提督室の窓は開け放たれていた。外の浜では白い砂が朝の光を受け、遠浅の波が砕けては泡を引いていく。泡が退くたび、貝殻がかすかに鳴った。甲板では索具がきしみ、帆綱の影が卓の上をゆっくり往復した。火のそばでは鉄鍋が小さく鳴り、煙には塩気と脂の匂いが混じって、鼻の奥に残った。
卓は宴会の形だった。焼いた肉の表面は香ばしく、切り口から熱い汁が滲んだ。塩漬けを戻した魚は、火で炙られた皮がぱりりと割れ、身の白さが湯気の中に見えた。木の椀には豆の煮込みが盛られ、匙で掬うと重い粘りがあり、口に入れると塩と煙の味が広がる。果物は山ほどあった。酸の強い柑橘、皮の薄い小さな甘い実、指先がべたつく熟れた果肉。噛めば水が弾け、喉の渇きが引いていく。
酒は薄く冷やされていた。革袋は夜から水桶に沈めてあり、口を開けた瞬間、発酵の匂いがふっと立った。チョコレート飲料はもっと強かった。黒い液面に泡が乗り、香りは甘いのに、舌に当たると苦い。そこへ香辛料の熱が追いかけ、喉の奥がじんと温まる。杯の縁は木で、唇にざらりとした感触が残った。
ディエゴは卓の端ではなく、女たちに囲まれる位置に座った。今朝はそれが許される。いや、許されるどころか、それが当たり前になった朝だった。
年長のエレナ・デ・トレド〈41〉が、皆の目配りをしながら杯を配った。声を荒らげないのに、卓の空気がきちんと整うのは、囲いの中で口論を止めてきた癖が抜けないからだ。彼女はディエゴの杯に先に注がず、女たちの杯を先に満たしてから、最後に静かに彼へ回した。
カタリナ・サントス〈33〉は鍋の塩気を確かめ、干し物の皿を並べ直した。食べたあと腹を壊さない順、という言葉がそのまま手つきに出る。彼女が魚の身をほぐして子どもへ回す癖をやめられないので、ディエゴは笑って言った。
「今は子どもより先に、お前が食べろ。腹の弱い女が倒れると、船が荒れる」
カタリナは目を細めて答えた。
「承知しました、ディエゴさま。では遠慮なく、先に一口いただきます」
ベルナルダ・メヒア〈27〉は、熱い椀の縁に布を巻いて女たちの手に渡した。薬草の匂いが彼女の指に染みついている。ディエゴがその手を取って、指の節の荒れを軽く撫でると、ベルナルダは少しだけ息を呑んでから、きちんと言った。
「お気遣い、ありがとうございます。今日もお怪我がないことが、いちばんでございます」
ルイサ・エスピノサ〈19〉は、帳面の癖が抜けず、卓の端で無意識に数を追っていた。皿の数、杯の数、切り分けの回数。ディエゴが覗き込むと、彼女は慌てて笑い、頬を赤くした。
「今は数える朝ではない、と分かっております。でも、癖が出てしまって」
ディエゴは軽く肩をすくめた。
「癖は武器だ。必要な時に役に立つ。だから今は、その癖で俺の杯が空にならないよう見張っていろ」
ルイサは嬉しそうにうなずき、わざと真面目な顔で杯を見守った。
イサベル・ロドリゲス〈24〉は針と布の女だ。けれど今朝は、髪を整え、首もとをきちんと締めた。その所作に、夫を失った女の影が薄くなっている。ディエゴが椅子の背へ腕を回すと、彼女は逃げずに身を寄せ、声を落として言った。
「……ここ十数日で、私の運命が変わりすぎました。怖いのに、怖いだけではなくなりました」
ディエゴは彼女のこめかみに口づけを落とし、短く返した。
「怖さがあるうちは、手が雑にならない。雑にならなければ、生き延びる」
その左右に、先住民の女が2人いた。アナイラ〈36〉は姿勢が崩れない。窓の向こうの波と風を見て、潮の変わり目を目だけで読んでいた。シリマ〈20〉は若く、視線が速い。卓の脇に置いた籠を、誰も気づかないうちに少し動かし、蟻が寄らない場所へ逃がしていた。ディエゴがそれを見て言うと、シリマは歯を見せて笑った。
「森の足場と同じです。甘いものは、足元を狙ってきます」
アナイラは笑いを抑え、丁寧に言葉を添えた。
「出発の朝は、身体を軽くしておくべきです。重い心も、重い胃も、どちらも道を遅くします」
女たちは、もう人前で隠れない。卓の上で指が絡み、肩が触れ、膝が当たり、誰かの髪がディエゴの腕へ落ちる。香油と汗と煙が混じり、海の匂いに負けない濃さになった。ディエゴは忙しかった。話を聞き、杯を受け、皿を勧め、手を取られ、頬をつつかれ、笑いかけられる。戦場の指揮より、腕が足りないと感じる瞬間がある。
それでも、彼は顔を崩さなかった。新しい7人は、人質の名で縛られた女たちだった。今は妾であり、兵より上の身分になった。彼女たちの腰には、小さな袋が下がっている。今朝の給与と、抜擢の祝いの賞与だ。銀の硬貨が歩くたびに、かすかに鳴る。その音は、鎖ではなく、暮らしの音だった。
食事が進み、鍋の底が見え始めたころ、ディエゴは杯を置き、皆の顔を順に見た。波音が一瞬だけ大きくなり、遠くで鳥が鳴いた。帆綱が風で揺れ、影が卓の上を走った。
ディエゴは言った。
「朝食が終わったら、島を出る。今日は7月10日だ。これから南へ、マルティニーク、セントルシア、セントビンセント、グレナダの順で進む」
女たちの表情が、すぐに硬くなりかけたので、彼は続けた。
「下調べは済んでいる。あの島々に、攻略すべきスペイン人の基地はない。植民地政府もない。いるのは先住民だけだ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。ルイサが思わず両手で口を覆い、笑い声が漏れた。カタリナは胸を押さえて息をつき、エレナは静かに目を閉じて、祈るようにうなずいた。ベルナルダは肩の力が抜け、イサベルは涙が出そうなのを堪えるように瞬きをした。アナイラは言った。
「戦の匂いが薄いなら、子どもは眠れます」
シリマはディエゴの腕へ飛びつくように寄り、首に腕を回し、頬を押しつけた。
「なら、今日は笑っていい」
女たちは一斉にディエゴの周りへ集まった。椅子の背がきしみ、床板が小さく鳴った。誰かの杯が倒れ、酒の匂いが一段強くなる。チョコレート飲料の甘苦さが風に乗り、唇に残った泡が舌先で溶けた。ディエゴの膝にはルイサが半分座り、肩にはシリマがぶら下がり、背中へはイサベルが手を回し、エレナはその輪が乱れすぎないように笑いながらも整えている。カタリナが「食後に走ると腹が痛みます」と真面目に注意し、皆がさらに笑った。
ディエゴは両手を上げた。
「分かった、分かった。俺の腕が折れる前に、順に来い」
言い終える前に、ベルナルダが指先で彼の頬の煤をぬぐい、アナイラが襟元を整え、イサベルが耳元で「約束を守ってください」と囁いた。ディエゴは短く答えた。
「守る。お前たちを連れて、腹を満たして、無事に次へ行く」
船内で静養している以前からの妾たちのことも、女たちは知っている。誰もそこへ棘を刺さなかった。独り占めは無理だと分かっている。それでも触れていたい、という気持ちは、今朝の輪の熱にそのまま出ていた。
潮風が濡れた布を揺らし、鍋の火がぱちりと鳴った。ディエゴは、笑いと体温の中で息を吸い込み、塩の匂いと煙の匂いを肺へ入れた。次に来る島々が、戦の煙ではなく、森と果実の匂いで迎えるなら、それは彼にとっても救いだった。だが、7人が揃って笑っている今、この騒がしさもまた、引き受けるべき宿命だと分かっている。彼はそれを嫌がらず、杯を取り直した。
「出帆の前祝いだ。飲める者は飲め。甘いものも食べろ。今日は、笑って出ていく」




