339 鏡が映す想いの行方
入浴のあとエルーシアは、肩から桃色に変わる淡い蜂蜜色の髪を整え、鏡に向かいながら耳たぶに触れた。
公爵家別館に戻ってからピアスの穴をあけ、小さな金の輪が両耳にある。街歩きで購入したが、これはアルニラムの習慣で今はただの輪っかだけど、かぶれなどがなかったら装飾を付け足すつもり。
王侯貴族は富の象徴として指輪も装着するが、魔法の発動を邪魔するので庶民には機会が少なく、婚約したらピアスを贈り合うのが一般的。生涯を誓った者がいるとの証。
強要しないがルークはどうするか尋ね、一目で相手がいる目印になるのならと、左耳に装着した。
ただの恋人ではない、隠す仲でもない、それがこそばゆいが、公になるほどに攻撃は増す。恋のうつつにとろけてばかりはいられない、何をすべきか。
人種の壁を乗り越えたハリエットの意見も参考になるかと、部屋をあとにする。
館の差配をするハリエットが街にきてくれたのは幸いだった。同居か別居か、結婚時期もすべてが未定だが、相談したいことは山とある。
画策あふれる神子の世界に引きずり込むのだから、取り除ける不愉快な棘は事前に排除しておきたい。
馬車での移動中にルークが隣にいるのにアクセルとばかり話していたと気づいて、謝罪して了解を得るつもりだったが、構わないと先に伝えられた。
恋の機微に疎くて後手に回ることも多いが、真摯に向き合ってくれる想いに、ちゃんと応えたい。
※ ※ ※ ※
ハリエットは隊員たちが集まる娯楽室で、購入したばかりの木馬でバーニーが他の子たちと遊ぶのを見守っていたので、エルーシアは相談のため部屋の隅に誘った。
同居なら部屋はどうするか、通い婚なら問題は何か、ハリエットたちに不便は増えないか、など不安も打ち明けていると――食堂からワインと軽食を持ち出したカティとソニアが加わった。
「アクセルは本館だし、ソニアと飲もうと思ってね。エルーシアも誘うつもりだったからちょうど良かった。聞きたかったんだけど、記憶を取り戻してすぐの婚約だよ。あの晩になんて言われたから決めたの?」
直前までエルーシアはルークを引き離そうとしていた、それを覆しての婚約。どんな熱烈な愛の言葉をもらったのかとカティは目を輝かせてワインを配り、乾杯する。
「あのときは……」
思い返してもカティが期待するロマンチックな言葉ではない。どちらかといえば脅しであり、下手なことを口にできずエルーシアはワインを飲みながら目を泳がせ、ハリエットが助け舟を出した。
「あら、それは二人だけの大切な思い出にするべきです。突っ込むとエルーシア嬢が困りますよ」
「私は大勢の前で求婚されて、新聞にも載ったのに?」
不服そうにカティは頬を膨らませるが、公開での求婚劇は皆に隠して二人が繰り広げたことで、二人して仮だとも言い切っている。
「カティがアクセルを受け入れるなら、ちゃんとやり直すって伝えられてるんでしょ。そっちは秘密にしていいから、私のことも聞かないで」
助け舟に乗ったエルーシアは拒んでワインを注ぎ足し、カティは追求先をハリエットに変える。
「ハリエットさんも秘密なの?」
隊の者たちとカードゲームをしているベナットが耳をぴくりと動かし、三十も後半になって膝をついた照れくさい求婚をバラされるのかと不安そうな目を向け、ハリエットはくすりと笑う。
「私たちは二人ともいい歳でしたからね、若い方が聞いても楽しくありませんよ。カティ様はどのような求婚が理想なんですか?」
ここは情報を収集されるより語らせたほうが賢明だろう。ハリエットは上手くかわし、カティはこれまで目や耳にしてきた求婚を思い浮かべた。
「ダズンローズははずせないから、あとは場所だよね。夕日がきれいな丘、世界樹の森、月の映る湖畔、星空の塔、賑やかな食堂……あっ、これは別にいいかな。あとは……」
どうやらカティの頭にはデルミーラに花を捧げるクロードがいるようで、ハリエットは見聞きしたことのない情報をソニアに求めた。
「サイフ公国の女性には、どのような求婚が人気なのか教えてもらえるかしら?」
「そうですね……庶民でも親が縁を決める家は多いので、自由恋愛で結婚相手を探す場合は、花にカードを添えた求婚が人気でしょうか」
「付き合おうじゃなくて、結婚したいってカードに書いて贈るってこと?」
カティの突っ込みに、ソニアはそうだと頷く――サイフの学ぶ環境はアルニラムと異なり、魔力の扱いと簡単な読み書きなどを教える初等教育以降は、性別や専門で学校が分かれて学費もかかる。
裕福でないと中等以上の教育を受けられないので、通学を断念した庶民がきれいな文字を書くと、努力の結晶のように好感を持たれる。
「サイフ定番の恋愛劇で、想い人に毎日カードを贈って、最初は悪筆で読めなかったのが最後には姫ですら絶賛する恋歌を綴ったカードになる話もあるんです」
「カードなら思い出がずっと残って素敵ね、新生活の迎え方も違いがあるの?」
「換金しやすい宝飾を結婚時に贈る方もいますね」
「あら、売る前提の贈り物なんて不思議な風習ですね。アルニラムでは受け入れられませんよ」
「でも気に入らない贈り物も困るよ。私は一回失敗したから、買うときは絶対一緒だって約束したし、結婚するなら物以外にも――」
エルーシアが婚約や結婚に関した質問をし、ソニアが答え、アルニラムとの違いをハリエットが指摘し、カティが理想を語りと相談の場は酒が入っているのもあって花が咲き始め、騎士たちはカードをめくる手を止めて耳を傾け――応接室でクロードからダンスを教わっていたルークと他二名は入室すると、呼ばれて囲まれた。
「ジェイ、マッサージを教えろ、とくにヒールで疲れる足だ。女性の理想らしいぞ」
「ルーク、お前もエルーシア様のために覚えたほうがいい。羨ましそうに相槌してたからな」
「ロズ、飯の前に入浴は済んだんだろ、ブーツを脱いで協力しろ」
ぎらりと目を光らせる騎士の中にはベナットもいる。話の流れは読めないが、三人はカードを片付けた輪に腰を下ろした。
※ ※ ※ ※
マッサージのコツを教わって入浴し、浴室で自らの足で少し練習したルークは、海藻茶を飲むため寝室に戻り、窓をあけて本館の様子を探った。
静かなので晩餐の客たちは解散したと判断し、庭にいるはずのクルルを呼ぶ。
「近寄る怪しい奴はいたか?」
尋ねる言葉に、クルルはピルピル鳴きながら首を振った。昼は皆が外出し、夜は貴族たちが敷地内にいた。
それでクルルに警戒を頼んだが、不審者はいなかったらしい。強盗団も危惧しているから、返事に安堵する。
「あとはオレもベナットもいるから大丈夫だ。礼はエルフリンゴのブランデーでいいか」
嬉しそうにクルルが尻尾を揺らすので、ブランデーを窓枠に少し垂らすと、前に飲ませたワインより強いからか、舐め取った途端に姿を大きく変えてベッドに倒れ込んだ。
今夜はソファで寝るかと眺めつつルークは海藻茶を用意して喉に落とし、ふと思いついて双葉も呼ぶ――クルルについてきていたようで、肩にぽわりと光が乗る。
「エルフが気に入ったリンゴの酒だ、双葉も飲むか?」
断るように頭の突起は揺れ、ふわりと飛んでクルルの腹に落ち着き、見えなくなった。今夜はここに二匹で寝るらしい。
ルークは窓を閉め、娯楽室で飲んでいるであろうエルーシアを迎えに出ようとして、隊の者が立てるはずのないルームシューズの足音が聞こえて待ち構えた。
「だいぶ飲んだみたいだな」
「えっと……最後にちょっと勢いをつけてね」
これまで飲むだけでは見せなかったほど頬を赤らめたエルーシアに、ルークが足もとを気にして支えると、胸にぽすりと抱きついてきた。
酔いで大胆になったようで、自制心をかき集めて抱きしめたいのを我慢し、頭を撫でるに留める。
「ずいぶん酔ってるな、部屋まで送ろう」
「あの、ね。そうじゃなくてね……あの、休みは明日まででしょ。だから、その、婚約したんだし……」
抱きついたままエルーシアはもそもそし、今夜は一緒に寝てもいいかと後ろにまわした手でシャツを掴む。
これは誘われているのか、ルークは驚くが、夕食までのエルーシアにそのような片鱗はなかった――目を離した短時間に何かあったらしいと、眉間にシワを寄せる。
「カトリーナに何か吹き込まれたのか?」
「あの……カティじゃなくてアクセルがね、別館に戻ってきて、ベラトリに入国したら次の機会は一月後だってカティを口説いてるの。それで、その、私たちは婚約したのに、そんなに待たせていいのかなって」
しどろもどろとしたエルーシアの説明にルークは大きくため息をつく――勢いをつけるため酔うほど飲み、覚悟して部屋を訪ねたようだが、機会をもたらせたのはエルーシアを危険に突っ込ませるアクセル。
この煽りに乗って押し倒したくないから、抱きかかえてクルルの隣に落とす。クルルがいて良かった、ベッドは狭い。
「エル、急がなくていい」
背中を撫でてルークは諭す――酒の勢いを借りるなら、まだ完全に殻は破られてない。心の準備が整う前に無理して体を重ね、傷をえぐって触れられなくなるほうが身にこたえる。隣から守れなくなるのも困る。
「機会は幾らでもあるんだ。ベラトリでは気を張るから、その前にゆっくり体を休めろ」
「でも――」
反論しようとする口をふさぐためキスをし、これまでなかったピアスが光る耳もとにもキスを落とし、気心知れた皆にあられもない声を聞かせたいのかささやくと、気づいたエルーシアは顔の赤みを増やして首を振った――ここは両隣も向かいも隊の誰かの寝室だ。
「今夜はクルルが泊まるから一緒に寝るといい……ジェイに教えてもらったんだ、試してもいいか?」
なぜクルルが隣にいるのか、何を試すのか、酔いのある頭で理解の遅かったエルーシアは、ルームシューズを取り払われた足に軽傷回復薬を塗られ、抵抗する間もなく足裏を揉まれて寝落ちした。
趣味を満喫したルークは毛布を掛け、サイドテーブルにある鏡にエルーシアの寝顔が映ってるのが視界に入って頬を緩め――固まった。
今日の街歩き、立ち寄る店の会計カウンターや素通りする店の窓辺などあちこちに、王太子夫妻の結婚記念の絵皿があった。
アクセルが語るには、王の兄が領主であり、王の末子が後継者であるから、王家を支持する証のように飾る者が多いのだとか。
そして前に泊まった邸宅の食堂で目にしているはずなのに、エルーシアが興味深げに絵皿を観察していたので、前にも見ただろうと指摘したが記憶にない様子で、不思議だった。しかし解けた。
邸宅の食堂の絵皿は飾り棚にあり、上には鏡があった。あの鏡には何が映っていたのか、予想どおりなら嬉しすぎる。
無理に抑えた熱がにじり寄る感覚がある、このままでは眠れそうになく、部屋をあとにして娯楽室に向かい――潰れて寝落ちしたらしいロズと、ジェイとぐいぐい飲み交わしているアクセルを発見する。
一杯二杯じゃ熱はおさまらない、棚にある封の切ってないウイスキーを掴んで輪に加わり、下手に煽るなと人生初の絡み酒を飲む。
※ ※ 王になる権利を手放した男 ※ ※
北東の街を離れて王都に向かって駆ける道中、宿の一室で弟と通信する連絡板を取り出した王兄は、報告の返信に書く文章を整理するため、窓をあけて冷たい風を受けた。
迎賓館でもある館に五人の賊が侵入した。しかし警備を万全にしていたので、こちら側の負傷は皆無とのこと。デルミーラのお告げに助けられた。
これまでも幾度となく助けられたが、召したのちまで後継者を介して助力するとは、考えも及ばない。
王太子であったころに最上がいたなら、ずいぶんと世は変わっていただろう。年下であったのが悔やまれる。
リゲル共和国が誕生する瞬間に幼くして立ち会った父王は、賢王同様に名を残すのを望み、賢王が手を出せなかったベラトリとの国交を強固にするため、かの国からの申し出を受けて姫を迎えると契りを交わした。
この身は入学するよりも前に王太子と定められ、会ったこともない姫を婚約者に押しつけられた。
父王が名誉と国益を目論んだ縁だったが、国を背負う身分ゆえ飲み込み、王太子の看板をかかげて婚約の挨拶でベラトリを訪問してみれば、姫は利己的な目をしていて嫌気が差した。
しかし嫌だと騒いで反故できるような縁ではない。成長とともに変わることに期待し、アルニラムの者を数名、教師とすべく残して帰国した。だが何も身につけてはくれなかった。
婚姻の日取りを決めるため、卒業後に再びベラトリを訪問したとき、歪んだ感情から神子を害したと報告を受けた。
横暴なる王は箝口令を敷いたらしいが、当事者である姫が嬉々として侍女たちに語るのだ、教師たちの耳には入る。
滞在中は王太子の仮面で胸の内を隠して卒なく過ごし、帰路で頭を抱えた。罪悪感なく神子の足を折る者を妃に据えなくてはいけないのかと。
あれを迎え入れたら名誉と国益を得るのではなく、大きく失うことになる。父王の過ちだ。
穏便に婚約を解消する道に頭を向けたが、あのときデルミーラのように先を知る神子か、絶対的な価値を示して王家ですら従わせる今のエルーシアのような神子がいれば、悪手を選ばずにすんだのだろう。
子を成せぬよう、子種を自らの策をもって殺した。
長く国を治めていれば、時には王族と名乗らせてはいけない者も出てくる。そのような者たちは、王家が秘匿する毒で衰弱させるか、子を成せぬようにして飼い殺しにするか。
帰国後に毒を口にして熱を発し、道中に遭遇した魔物の毒にやられたと偽って診断させた。
子を残せないのなら、廃太子になる。そうなれば弟が立太子するが、弟の婚約者もベラトリ王家の血を引く者。
穏便に事が進むと企んでベラトリの外交官を謁見の間に呼び、偽りではないと真実の椅子に座して自らの体の不備を伝えた。
しかしベラトリの王も姫も納得せず、弟の婚約がすげ替えられ、先走って失敗したと拳を震わせた。
娶ったあとに毒を飲んでいれば、姫を道連れに玉座から遠ざかることもできたのに、娶る前だったから、相手につけ入る隙を与えてしまった。
毒を飲むのが早かったと後悔する第一王子、望んでいた心優しい王姪との婚約が流れた第二王子、二人の苦悩を見て、父王は病んだ。
賢王に肩を並べる名誉を求めた結果は、横暴な国に荒らされるであろう王国だった。
後継者を残せないことから、筆頭公爵を拝しても所領は辞退し、住まいには迎賓館を借り受けた。
弟は卒業と同時に姫を娶り、王太子としての学びが少ないことから兄として政務を支え、寝込むことが増えた父王は一年を待たずに身罷り――弟が玉座についた。
デルミーラが神子に選ばれたときは、本人の意思もあって華やかな披露は控えた。また神子に敵意を向けられると困るから安堵した。
正妃の地位に満足げな姫は好きに贅沢させれば神子には目もくれなかったので、社交に興味のないデルミーラとの接点は少なく、なんとか日々の問題を乗り越えられた。
しかしある日、甥たちが毒に倒れ、狙ったのも甥だと判明し、大きく頭を悩ませることになった。正妃に気質のよく似た第二王子は王太子に相応しくない、時期をみて失脚させるつもりだったが、第三王子が父王と同じく賢王を志したのだ。
明瞭な第一王子をも退けて、尊大な態度を垣間見せる末子が玉座を狙うかと警戒した。
だが目指す道は懸念とは違った。第一王子を唯一の後継者に守り固めて支えるため、継承権を捨てて養子になりたいのだとか訴えた。
子を望めぬ体は覚悟のうえ、しかし養父と初めて呼ばれたとき、その体が喜びに震えた。
長年喜びを隠しつつ、養子にならなくてもと説き続けたが、日々発生する問題は着々と養子の縁を固めるように進み、結局は押し切られて縁組の手続きを終えた。
可愛げのない面もあるが、弟から譲り受けた愛する息子――顔を街のある方角に向けても二日駆けたあとでは見えるわけがなく、王都に向けても闇の帳だけ。
「必ず守り抜くぞ」
窓を閉めると暗闇を背景にしたガラスは鏡のようで、急ぐ旅路に疲れた顔が映るも、可愛い息子が婚約者候補と帰ってくる王都のため、連絡板を手に取る。
賊は五人とも獣人、ベラトリの者と推測、一人爆死、拘束した四人に奴隷紋――この報告の対処で、情報は極秘扱いで伏せろ、郊外に身柄を移せ、海藻茶を飲ませろ、王都警戒は続行でジクフリード捜索に手を広げろと綴る。
設定小話
ルークがマッサージに軽傷回復薬を使用したのは、オイルがないからです。軽傷回復薬はベースが薬草クリームなので、お肌ツルツルの効果がありますね。
王兄が毒を飲んだのは、管理場所から毒が減ったのに気づく父王以外は知らず、当時未成年だった陛下は聞かされず、いまだ隠されてる情報です。
秘匿する毒は、第二王子も追放前に飲まされた……償いの日々で機会はないと思われるが、他国で王家の血筋が増えたら困るから、念のためにね。




