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338 癒し手と神子たち

 ――十六歳の秋、午前の授業が終わったエルーシアは、マントと仮面で姿を覆ったクルルを背後につけ、医療科の棟の入り口にある応接会議室に向かった。

 昼時だから移動する学生が廊下にいるが、エルーシアに気づくと皆が壁際に寄るので、通り道がつくられる。


 神子と交流をもちたいと胸に秘める者は多いが、公表直後に群がった者は全員がクルルにより尻尾で弾き飛ばされた。

 ゆえに近寄るのも声かけも皆が躊躇(ちゅうちょ)し、エルーシアは一人で校内の移動ができる。


 そして応接会議室は、教師が保護者や出入り業者を呼ぶときに使う部屋だが、卒業までエルーシア専用の休憩所になった。

 ひっそりと隠れて昼食をとるのは難しく、学生があふれる食堂を利用するのも難しいからだ。


 応接会議室が見えてくると、待機していた隊の騎士が扉をあけ、異変の有無を確認してエルーシアとクルルだけ入室する。

 この騎士は在学中のエルーシア護衛のために異動したのではなく、もとから校内警備の部署だったので、卒業するまで医療科入り口に立つことになった。


 校内での飲食は持参したものだけで、エルーシアは鞄から弁当と飲み物を取り出す。茶の一杯であろうと、決して食堂から配膳させない。

 異物を混入でもされたら、デルミーラが許さない。以前はその程度の認識だったが、それ以上に警戒が必要になった。


 神子だと公になったのだ。故意はもちろん、過失でも大勢が責任追及される。目立つので、気軽に屋台へ立ち寄ることもできなくなった。窮屈だが、覚悟していた神子の世界。

 クルルの前にも竹カゴを置き、懐中時計の蓋と医師教室の教科書を開いて習ったばかりの縫合のページを読みながら食べ始める。


 癒しを発動できるなら縫合は不要で、エルーシアは習う必要のない手技だ。しかし不要だから習わない、なんて考えはない。

 癒し手が不在の場で行われる治療を知らなければ、不適切な手技で後遺症や痕が残ろうと、気づけなくなる。しかし教師が見せる手本に、胸が苦しくなった。


 今日は発熱から病気の種類を推察する座学だったが、王都立ち入りを禁止された者が逆上して外壁門で暴れたらしく、警備巡回に連れ出す犬が怪我をし、二匹運ばれて急きょ授業内容が変わった。

 深手だが二匹とも致命傷ではなく、治療が適切ならこれまでどおり騎士団に従事できる。教師の見立てに不幸中の幸いだと教室にいた皆は胸を撫で下ろした。


 しかし麻痺薬が効くまで鳴き続けた声や、刺す針が痛々しかった。

 治癒魔法を発動すれば怪我はすぐに治るが、医師を目指す皆の邪魔になる。薬の量、効くまでの時間、針の種類に糸の結び方、すべてが必要な知識で、縫合したあとも経過観察を学ぶため勝手な手出しはできない。


「薬が切れたら、また鳴くよね。だから医師の学びを受ける癒し手はいないのかな。外傷回復薬の効能が上がればいいけど、デルミーラも忙しいし……」


 食欲は出そうになく弁当は片付け、教師の手技で気づいた点を教科書に書き込んでいるうちに来客を迎える時間になり、教科書も鞄に仕舞う。

 ノックの音が響き、気持ちを切り替えるため深く息を吐き、神子の務めだと笑みを貼りつけ、どうぞと声をかける。

 入ってきたのは訪問許可証のカードを首から下げた女性が二人で、うち一人は癒し手の医務服にコートを重ねているが、どちらも治療院の制服を請け負う工房の者だ。


「デルミーラが不在で、未成年の私だけでは館に招くことができず、昼時の学校に呼び出して申し訳ありません。足を運んでいただき感謝いたします、お座りください」


 デルミーラはお告げで王都を離れており、残されたエルーシアが未成年だとしても、神子であるから館に客を呼ぼうと問題はない。不安なら保護者代理のクロードを同席させてもいい。

 しかし内緒にしておきたくて、会談場所を学校に指定した。


「普段なら卒業生ですら立ち入ることのできない学校です。医療科は初めてですが、懐かしい校内を歩く機会をいただけましたわ」


 制服ではない女性はエルーシアの向かいに座り、制服の女性に説明をと指示する。すると女性はコートを脱ぎ、スカートの裾を広げた――スカートではなく、ひだの多いワイドパンツだと分かる。


「動きやすく、走っても屈んでも、めくれることはありません。ご希望どおりに仕上げています」


 屈んだり伸びをしたり、片足でくるりと半回転して背後も見せたりと動きながら説明し、エルーシアは満足だと頷く。


「癒し手の学びを受けているころ、緊急の呼び出しがあると駆けていましたが、治療院の現場でもそうでしょう。スカートを不便と感じる女性医療従事者は多いと思います、既存の制服に加えてください」


 院への説明は文書にて済んでいるとエルーシアは微笑み、ちゃっかりと来年の遠征用に自身の分を注文する。刺繍が趣味の使い魔がいるから、装飾のない無地でと。

 この使い魔ではないだろうと、威圧感を前面に押すクルルを横目に、女性二人は午後の授業の移動時間に余裕あるうちに退室した。


 再び訪れた静寂で、エルーシアは制服の改善に頭を向ける。男装のデルミーラは気づかないが、院の制服やクロードの好むひらひらの服では、いざという時に動きが制限される。出遅れたら助かる命を取りこぼすこともある。

 これまでの経験と、責任者になった発言力で院の制服に手を加えられる。


 それでも学生服の改善は難しい。騎士科以外にも制服があるのは立ち入りを厳しく取り締まる王都だけで、女子学生は走ればひるがえるスカートが制服。

 これもどうにかしたいが、貴族籍のある者で構成する教育部署は頭の固い者が多い。


 エルーシアが十八歳になったら、神子の公表をする。そう決めて、長い期間デルミーラは守るための準備をしてきた。

 隊を率いるのはクロードに任せ、武の副隊長には身体強化魔法を発動するベナットを据える。


 しかし獣人への反発があるから、十八歳になる前には偏見を和らげようと、教科書の改訂を狙い、ようやく今年の教科書から身体強化魔法の文字が記載された。

 ぎりぎりだった。年明けにベラトリの神子が命を手放し、公表を二年も前倒ししたのだ。


 教科書改訂があったから、獣人でも問題ないと突っぱねて任命し、王城奥の会議室に出入りもできるよう第二騎士団から第一に異動もした。

 それでも総団長代理などから反対する声があったようだが、長年ベナットを隊に置いていたアイン、これから率いるクロード、幼いときから師事している第一王子が連名で異動と任命を保証した。


 魔力研究の実例が少ないと教科書改訂を渋っていた宰相が失脚し、宰相に追従していた派閥が弱まって揉め事が増え、その隙を突いたから改訂できたらしい。

 研究成果が少ないのは、研究するデルミーラが多忙だからだ。それなら研究部署を立ち上げればよかったのに、誰も推し進めない。


 差別されるのが、自らも蔑んでいる獣人と半獣人だから、積極的に事を成そうとしない。

 隙を突かれた教育部署は、勝手をされた反発から、新たな法案や変更が通りにくくなった。偏見の緩和も進まない、学生の制服見直しを頼んでも進まないだろう――ため息が誘われる気分のまま、薬草学の教室に向かう。



 午後の授業も終わり、隊の騎士の先導で正門に向かうと、迎えの馬車にはクロードだけでなくアクセルもいた。

 デルミーラに何かあったのか。不安で馬車に乗り込むのと同時に問い、走り出すのと同時に問題発生だと告げられる。


「率直に言いますと、ベラトリからエルーシアを寄越せと使者団がきています」

「えっ?何それ」


 ベラトリで神子が亡くなり、世界樹を癒す要請がデルミーラにきたが、三つの条件を突きつけて、横暴な王は承諾したはずだ。

 春に亡国ベテルを癒す合同作戦と、内政への不干渉と、エルーシアに関わるなとの――しかし夏に第一王子を王太子に定めたことに抗議してきた。


 国巡りの順番はベラトリで、今年は他国を巡る神子がいない。歓迎の催しなどもないので、デルミーラは癒す遠征に出る予定だったが、抗議の口を閉ざさない限り要請に応じないと通達し、予定を延期し続けている。

 すでに分が悪いのに、横暴な王は悪手を選んだ――愚かの極みだと、アクセルは事の成り行きを説明する。


「業を煮やして、また条件を破ったんだ。デルミーラ様が不在だから陛下が代わりに対処した。向こう三年、ベラトリへの小麦輸出を減らす」

「それって、食料の減った民が苦しむんじゃないの?」


 そうはならないと、すでに説明を受けているクロードが請け合う。


「もともと庶民の口に入るのは小麦以外の穀物が主なので、不満が爆発するのは柔らかなパンを欲する貴族と富裕層です」


 横暴な王は国内からの突き上げを食らう。そしてこの動乱を利用し、第四から第六王子を引き込んでいるディートリッヒが派閥を広げる。


「どう動くか、四号に子細を書いた手紙を出す。そこから信用できる行商づてに七号まで届く……デルミーラ様との約束を反故し、学生とはいえ他国の神子を寄越せなんて戯れ言を垂れ流せるんだ。自国に神子が誕生したら、いいように使うため、()()折るぞ」


 アクセルの言葉に、エルーシアはこくりと喉を鳴らす――デルミーラの見るお告げで、国境より先の他国の様子は分からない。

 だからディートリッヒと恋仲の癒し手が車椅子に乗る原因は不明だが、前例から味を占めていたら、同じことが行われる。


 従順にさせるため心身ともに壊されるなら、彼女(ミランダ)は神子になる。それなら壊されないよう神子に選ばれる前に、玉座から横暴な王を引きずり下ろすまで。

 政治は疎いが、練っている策を尋ね、連れ去りを警戒して暫くはアクセルも送迎に加わると教えられ、不機嫌になったクルルが尻尾を膨らませる――


 ※ ※ ※ ※


「ルークは、ベラトリの神子や癒し手の情報をどれくらい知っているの?」


 好きなはずの猫との触れ合いに、笑みを消して抑揚なく問う言葉。なぜこのタイミングで切り出されるかは知らぬが、ルークは子どものころに皆が噂していた内容を思い浮かべる。


「国が保護して敬う大事な大事な神子。昔は違ったらしいが、数が減ったから大切に守るため、庶民の前には出てこない」


 孤児院にいるころはそんなものかと受け止めていたが、冒険者になって他国の噂も耳に入るようになると、国によって違いがあることに気づいた。

 アルニラムでは、デルミーラが勇ましく各地を駆けまわっていたのだ――関わらないし、どうでもいいと聞き流していたが。


「でも前の神子が表に出てこなかったのは、出られる状態じゃなかったらしいな。リゲルにいるとき、クロードから聞いた」


 クロードにとって四年前に死亡したベラトリの神子も、ラーレ同様に身勝手な者たちによる犠牲者だった。それで教えられた情報。

 彼女が神子に選ばれたとの発表直後、他国からも祝いの品を携えた使者が訪れるので、彼女は華やかに飾り立てられたが、それが姫の不興を買った。アルニラムに輿入れする前の元正妃だ。


 わがままな姫は執拗に嫌がらせを続け、終いには自身の護衛騎士に命じて、神子である彼女の足首を折らせた。

 そして横暴な王は姫を庇い立て、夜中に階段から落ちた不注意からの事故として片付けた。姫はアルニラムを手中に収める可愛い駒で、神子はつけあがることなく大人しくさせたいからだ。


 一人では動けぬ体、それは逃走もままならない体。これ幸いと横暴な王の支配のもと治療はおざなりで、歩行に杖が手放せない体になった。

 その待遇は、癒し手たちに従順な心を植えつけることにもなった。逆らったら、もっと酷い目にあうだろうと――もともとの境遇も良くなかったから、目論見どおりに進んだ。


 ベラトリには亡国ベテルから持ち込まれた、癒しの魔力を保持した幼女を見分ける魔道具があるらしく、発見された幼女は、皆が貴族の養女に据えられる。

 癒し手たちは幼いときに家族との縁を強制的に切られ、大人の思惑だけが交差する中で育てられるのだ。アルニラムとはずいぶん異なる。


 アルニラムでも癒しの魔力が判明したら、王都で学ぶことを決められるが、それは癒し手が神子に選ばれる可能性を秘めているからだ。

 世界樹に通う機会を与え、森の環境や癒す知識などを不足なく教える必要がある。


 だから地方から出てきた癒し手の学生たちは、寮費が無料になり、生活支援金があり、長期休暇には帰省の費用まで支給される。

 子どもの身で親元から引き離すので、どこまでも手厚く、国に恨みを感じないよう、飛竜(ドラゴン)の災害後に賢王が整えた政策だ。


 姫として生まれたが、癒し手と関わりながら育ち、神子に選ばれたからこその考えだろう。そこに転生者の価値観も加わったか。

 癒し手たちは(まれ)な魔力適性があるゆえに、望む望まないに関わらず医療従事者になり、神子に選ばれると、庶民であろうと国を背負わされる。他に夢があったとしても。


 賢王の存在があったから、アルニラムでは神子や癒し手たちの守りは固く、地位は高い。

 そして同じく飛竜の災害で荒れた過去のあるベラトリだが、エルフ信仰が濃く、尊ぶ一方で神子を非難する声もあり、国は手を打たずに助長させた。


 交流が難しいのでエルフの目的は不明なままだが、はるか昔からエルフの目撃情報は各地にあふれていた。

 普段は世界樹の枝で休んでいる、妖精を引き連れて森を散策していた、一晩で僻地に池をつくった、空を漂っていたが瞬時に消えた、話す言葉が文字として見えて風に流されていったなど。


 そして癒しの適性がないと目にする機会のない世界樹より、世界樹に寄り添って生きながらも、ふらりと姿を現して不思議な魔法を操っていたエルフにベラトリの民は心奪われた。

 エルフが立ち寄った畑は実りが増えると、まことしやかに語られて信仰に拍車がかかり、村や町の入り口には石像も建てられた。


 今なお食料生産に悩むベラトリでは、エルフの魔法を熱望する者が多く、エルフを留め置けなかったのは神子、呼び戻せないのも神子、怠けていると飲み屋などで愚痴をこぼされる。

 今の神子(ミランダ)新たな国王(ディートリッヒ)に大切にされているらしいが――どれを口にしても眉根を寄せる難しい話題にしかならない。


「リゲルでエルと一緒にいられる時間が少なかったから、そのときに色々聞いた。心配するな、エルがお告げを漏らしたから革命が始まったのも知ってる」

「そうなの、ルークは知っていたのね」

「ああ、だからアクセルとの相談が増えても構わない」


 先ほどの馬車でのように、同志としてアクセルとのやり取りが密になる。それを心配しているのだろうと、ルークはエルーシアを引き寄せて髪にキスをする。


「ほら、滅多にない機会だろ。嫉妬するクルルも猫を嫌がるモウもいないんだ、今のうちに遊べ」


 ルークはエルーシアとともに頼んだクリームのせミックスジュースのチェリーをぽいっと食べさせ、手には残っていたクッキーを渡す。

 情報の確認だけでなく、遊びも含めた視察だ、満喫させたい。


「ルークはクッキーをあげないの?」

「オレは別に猫と遊ばなくてもいい。似たような尻尾があるんだぞ、興味ない」


 それならと、エルーシアは譲られたクッキーで猫の餌付けを楽しみ、頬杖をついたルークは隣から見つめた。

 再び名を呼ばれるようになったこと、触れて伝わるぬくもり、向けられる笑みや交わる視線、すべてが喜び。十分に趣味を満喫している。



「付き合い始めのデートかしら、もの凄く熱々な二人ね」

「あのお二人も店長が連れてきた団体さんだ。失礼のないようにな」


 猫の玩具で肩掛けポーチを膨らませて戻ったロズは、従業員が階段脇で交わしている話が耳に入り、ホールを見まわした。

 貸し切りじゃないので他の客もいるが、注目される二人は一目瞭然。ゆらりと尻尾を揺らすルークに、エルーシアがスプーンを向けている、食べさせたいのはチェリーかクリームか。


 自身の頼んだクリームソーダも同じテーブルにあるが――カティとソニアが猫じゃらしできゃいきゃい騒ぐ側に、ブラシかけをするジェイもいるので、こっちの輪に加わると決める。

 もちろん、向かう前に飲み物の移動を従業員に頼む。仲がいいとはいえ、あの二人のもとに戻るのは無粋だろう。



設定小話

エルーシアが十六歳になる年に教科書が改訂された。同年の最初の月にロズは卒業している……ということは、ロズは一月足らずの通学から獣人たちの魔法を知り、新たな価値観を簡単に受け入れた……素直ですね。


デルミーラも王都卒ですが、彼女は騎士科にも通っていたので、騎士科の制服です。生地の厚いズボンを戦闘ブーツにインです。スカートは絶対に履きません。

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