337 四年の積み上げ
商店街に向かう公爵家の紋の入った馬車にエルーシアとルーク、カティを同乗させたアクセルは、来年の春の遠征を話題にした。
明日からの五日間、街では収穫祭があり、北東部を治める貴族たちが集まっているので、今夜の予定から切り出したのだ。
「クルルのために、この前の村に立ち寄りたいんだろ。それなら宿じゃなくて、あの別邸を再び借りたほうがいいはずだ。今夜の晩餐に主の伯爵を招待してるから話をつけておく」
「そう、ありがとう」
猫喫茶にも寄るため、嫉妬しそうなクルルは双葉と館の庭に残してきた。エルーシアは飼い主として礼を伝え、恩があるうちにとアクセルは同志のやり取りに入る。
「招待したのは二十代三十代の当主と次期当主で、若い世代の交流が目的だが、北東部で試したいことがあって、その話もまとめるつもりだ」
「北東部で実利を確認して、王国中に広めるってことね」
早い話の進みに頷いたアクセルは、エルーシアが地方に寄付している患者搬送用の馬車を塗り替えてもいいかと持ちかける。
昨年から寄付を始めた寝台付き馬車だが、馬車には馬が必要で世話も必要。だから馬車は治療院ではなく、有事に備えて騎士団の詰め所に置かれている。
「手入れもしてもらってるから、塗り替えが必要なほど劣化してないはずよ」
「だが寄付を始めたばかりで数が少ないだろう、今が一番都合いいんだ」
意図が分からずに悪知恵かと身構えるエルーシアに、アクセルは悪知恵ではなく世のためになることだと、辻馬車や乗合馬車、搬送馬車など、運用別に色を定めたいと思いついたことを語る。
「レイから聞いたが、前世での辻馬車は黄色で目立ったらしいな」
辻馬車ではなくタクシーだろう。海外のタクシーは黄色が多用されていたはず――と、エルーシアは気づく。こちらの辻馬車は木目のままか黒や茶系が多く、遠目では個人所有の馬車と見分けがつきにくい。
「目立つ色で辻馬車が探しやすくなるのね」
「それだけではない。管理番号を書き足せば、会社は御者の質なんかも把握しやすくなる。王都と違って御者資格が必要なわけじゃないから、地方では運転が荒かったり邪魔な場所に停める御者がいるらしい」
番号さえ覚えていれば、騎士や会社に苦情を伝えやすい。それと乗合馬車は領主の運営が多く、荒い運転の報告はないが、これも色を揃えれば一目で判断できるので利点が多い。
「内覧会の送迎に用意した馬車は鳶色だ。乗合馬車はあれを基本色にして屋根と御者台なんかの一部を別の色にしたら、路線で識別しやすくなる」
行き先を御者に尋ねたり、下げた看板を確認するより、色だけで判断できる目印になるなら便利。
搬送馬車も塗り替えて色での認知度が高くなれば、通行人も馬車も道をあけてくれるから便利さは増す。
「それで定めた色は他の馬車で使用しないよう禁止も視野に入れるから、搬送馬車も同時に定めたほうが都合いい」
「搬送馬車は白?」
救急車を頭に浮かべたエルーシアが口にすると、アクセルは愚か者かと悪態をつく。
「目立つようにって話なのに、なんで白になるんだ。雪が積もった場所では同化するぞ」
レイの意見は取り入れるが、エルーシアの意見は却下されるようだ。それなら色は任せるとか、塗り替えの負担金はどうするかとか、ついでに運送ギルドも色を決めるといいとか、二人は同志としての話を詰め――静かにやり取りを聞いていたルークは、危険な内容ではないと判断し、別の危険の確認で、難しい話題で不機嫌そうにしているカティを話し相手にした。
「魔道具試作に問題はなかったのか?」
「順調すぎてびっくりだよ。もしかしたら、このまま完成かもね」
単純な仕組みの魔道具であっても、発案から一日で仕上がるなんて本来ならあり得ない。
しかし難解な特製箱馬車で魔法文字の研究を続け、誰も成し得なかった奴隷紋の知識まで蓄えたエルーシアの手にかかれば――クロードが性能の確認に出ているので、問題がなければ新たな魔道具の誕生である。
「魔石を見つけた発案者は私なんだから、試作品は譲らないよ。完成だったらノイエのお土産にするんだからね」
危険の有無を探られていると気づかぬカティの警戒に、ルークはそんなつもりはないと伝え、粉砕や発火などの事故を隠されてないか詳しく質問を続けた。
そして商店街の手前で馬車から降りたら、移動中の会話相手ではなく、婚約を公表した者同士で手を取り合った。
後続の馬車からはジェイと二号とソニアが降り、祭り騒ぎで髪色を派手にした者も多い人混みから、街歩きを午前から楽しんでいたベナットたち家族やレイ兄妹、数人の騎士たちが合流した。
商店街の入り口には、街路樹の手入れで切り落とした枝を花束にして売る屋台があり、ルークはいい機会だとエルーシアに贈った。
「並んで歩くとき、手を握ってることが多いだろ。これを持っていればいい」
手の行き場に困っていたのを悟られていたらしく、恥ずかしくて顔を下げたエルーシアは、幾つも黄色い花房を下げるゴールデンシャワーを目に入れ、腰に手をまわされて歩き始めた。
顔を上げれば見知った者たちが囲んでいるが、お忍びの外出にいつも加わっていたロズは、用があるとかでいない。
※ ※ ※ ※
学生時代の殆どを過ごした街で慣れているロズは、教会に向かう途中にある小さな広場で足を止め、辺りを見まわしてベンチに座った。
収穫祭を明日に控えて行き交う者は多く、博物館で見かけた顔もいるが、目当ての姿はない。指定の時間まで余裕があるからだろう。
地味な私服だから騎士隊だと注視する者はなく、別館に届いていた手紙を肩掛けポーチから取り、短い内容だから覚えているが、再び読む。
この日の午後は教会に寄るから、会えるのならと綴られている。夕刻まで待つと。
約束ではない、だから会わずに立ち去っても後ろめたさはない。だが座ったまま空を見上げ、思ったより心が穏やかだと静かに状況を受け入れる。
四年前の年明け、領地を離れて街に戻る道中で成人した。乗合馬車は込み合っていたが顔見知りはなく、祝う者のいない身が寂しくて宿で少し涙した。
冬季休暇が明けて学校や寮に新入生が加わり、月末が近づいて、その年最初の騎士科だけの卒業の日を迎えた。
成人した同期と一緒に訓練生の制服と剣を授かり、国に尽くすのだと騒いで鼓舞し合ったが、皆とは違って見送りのない身、一人になると泣きたくなった。
体はとっくに離れていたが、心が離れる決定的な瞬間はなく、成人して少しずつ理解し、少しずつ折り合いをつけた。
だから訓練生の一年目、怪我の知らせに心配する返信がなくても、家に残していた荷が届いても、さほど落ち込まなかった。
意識は関わりの少ない家族より、怪我をした両手に向けた。騎士になって居場所を掴み取りたくて踏ん張った。
その両手には多くの傷があったが、今は消えた。そして目に見えないたくさんのものを掴み取っている。
「自分は、運がいい……」
「ロズ、ワルド?」
何年も聞いてない声で顔を向ければ、記憶より少し引き締まった顔の三番目の兄が目を見開いているので、にこりと笑う。
時間より前だから驚いたと告げる兄は、会えてよかったと隣に腰を下ろした。
最後に会ったのは入学直前の年末年始。跡取りにも補佐にも指名されなかった三番目の兄は卒業したばかりで、父親の紹介で他領の教会に就職が決まっていた。
訓練生のとき、長兄に子が生まれたと手紙をもらい、接触禁止されているのに、また手紙をもらった。まだ誰にも報告してない。
「四年前は荷物と手紙をありがとうございます」
「あれは私の部屋を片付けるついでで、礼を言われるほどのことじゃない。だけど、あの年は怪我をして大変だったらしいね。そんなときに、すまなかった」
父親から長兄への代替わりのごたごたに呼ばれ、初めてロズの境遇を知ったと頭を下げる。
この兄もまた、家に残れないから自立の道を歩み、帰省は少なかったのだろう。しかもアクセルからの情報では、長兄以外は元公爵との誓約を押しつけられていたらしい。
「あの怪我があったから、今の自分がいます。いい経験をしました」
ロズは鋭くなりそうな目を隠し、兄に笑顔を向ける。接触の企みは何か、掴み取ったものを狙うのなら容赦しないと心を強くし、拳を握る。
※ ※ ※ ※
商店街を歩く一同は目立つが、視察のような態度をとるアクセルが先頭にいるため、不遜に近寄る者はなく買い物は順調で、猫喫茶のある通りに入ったところで、アクセルは二号を連れて先に館へと帰った。
皆とは違い、晩餐での一仕事があるのだ。滞在中の余暇は少なく、クロード以上に忙しい。
だから専念することのできない隊長の席はロズに譲るのだろう。まだロズには明かされてないようだが。
その大きな局面を隠されるロズは猫喫茶で待ち合わせているが、店先に立つ姿に、到着したエルーシアやルークたちは何があったのかと驚いた。見知らぬ二十代男性の腕を締め上げている。
「教会の近くをうろうろして、今度はここです。昨日の博物館にもいました。つけ狙う怪しい人です」
だから逃げられないよう押さえていると険しい顔をするロズに、技を教えていたジェイは、身についていたかと喜んだあと、笑いながら爆弾を落とした――アクセルの腹心、四号だと。
勘違いからの拘束だ。ロズはすぐさま手を離して頭を下げた。
「あの、何度も偶然に会うなんて怪しく見えても仕方ありませんが、私は代筆屋なので教会の出入りが多いのです。ですが誓約があって、私自身から四号だと打ち明けることもできず、申し訳ございません」
猫喫茶は入ってすぐのホールは飼育道具や餌などの販売所で、奥は調理場と事務所で、保護する猫と戯れるのは二階とのこと。
皆は二階に消えたが、エルーシアとルークとロズは四号の案内で事務所に移り――四号は勘違いを許して自己紹介した。
なんでも子爵家の傍系だが貴族籍は祖父の代までで、王都裁判所で法務官をしている父親のあとを目指していたが、挫折したのだとか。
卒業後の起用を左右する大事な試験の前日、第二王子の取り巻きに呼び出されて、貴族相手に断れず茶を飲んだ。
話の内容は試験への自信や進路の希望などで、呼び出しの理由が判断つかぬまま解散し、その晩から高熱を出して、平癒したときには試験が終わっていた。
毒でも盛られたか。胸に疑惑が生じたが、目的も理由も不明なうえ、軽々しく追及できる相手でもない。
そして思わぬ挫折で就職が決まらないまま卒業を迎えた日、アクセルに声をかけられた。
貴族籍もないのにいい成績をとる目障りな上級生がいたから思い知らせた、そう愚か者が取り巻きと笑っていたとか――法に強い手先がいたら助かると四号になることを持ちかけられた。
「いつか必ず引きずり下ろすから、その手助けをと……時がくるまで私は法の知識を蓄え、四年前にこの街に移住しました」
「魔石のアクセサリーの調査ですね。追及につながる証拠を固めたとアクセルから聞きました」
エルーシアの言葉に頷く四号は、移住して調べを進め、元公爵の名で支援や推薦する書類の数々を押さえた。
どれも微妙に筆跡が異なる書類だが、これらは元公爵を真実の椅子に座らせる鍵になった。
元公爵である領主支援のもと立ち上げる卸商会に、領主の推薦があって飛ぶように売れる商品。
魔石だと気づかれる前に卸商会は消え、取引先は書類を持って元公爵を訪ねるが、筆跡が異なるから門前払いされた。
表向きは元公爵も名を不正使用された被害者だ。しかし繰り返される犯罪に、元公爵が本腰を入れて取り締まった形跡はない。
名を重んじる貴族が、直接被害を受けるのが庶民だとしても野放しにしたのだ。偽りの書類は何枚も出てくるのに。
真実の椅子で意図を問いただすには十分な証拠で、座らせれば、ベラトリと癒着して犯罪に手を染めたのだろうと質問もでき、逃げ場を失う。
そして元公爵は第二王子の大きな支持者だったから、ここから第二王子が描く栄華に亀裂を入れられた。四号は悪質な行為に反撃できたのだ。
「四号の誓いをしたときは次期領主になるとまでは考えてなかったようですが、調査以外にも頼まれることが増え、今ではなくてはならない相談役になりました。博物館では副館長を務め、この猫喫茶も任されています」
どちらもエルーシアの発案で始まった事業、不足や不明点があれば声かけをと四号は望むが、猫喫茶では書類仕事が主で、切り盛りしているのは従業員たち。
視察のやり取りは従業員にと会話を締めくくり、エルーシアは三年前の礼を伝えた。
「あなたが襲撃情報をアクセルに届けたんですよね、ありがとうございます。もの凄く、あの知らせに助けられました」
襲撃の言葉にルークとロズはぴくりと肩を揺らし、それも知っていたのかと四号は紹介の情報を足した。
代筆屋は個人の手紙から公式文書まで依頼があり、多様に懇意になれるので、立場を利用してアクセルの欲しがる情報を集めているのだと――あの宿の経営者も客で、収益を誤魔化す帳簿に気づき、弱みから床下に潜らせてもらったが、これは秘密。
「エル、初耳だが襲撃されたことがあるのか?」
階段をのぼりながら、怪我をしたのかとルークはうろんげな目を向けるが、避難して危険はなかった。何があったのか知る限りでエルーシアは教え、怪我はミランダだと告げる。
「割れたポットで手のひらを切って、魔力の通りが悪くなってたから、カティに手伝わせて治療したの」
上がった二階は広く、あちらこちらにあるソファやカウチの側には、猫の遊具の置物があり、多数の猫が好きずきに過ごしている。
エルーシアはルークの手を引いて、くつろぐ猫のいるソファに向かい、ルークは後をついてくるロズや、メニューを広げているカティをちらりと確認する。ロズの施術で聞いた、下手な鎮痛で暴れた患者に心当たりができた。
飲み物や魚粉を練ったクッキーを注文し、エルーシアは持ってきた従業員に運営の聞き取りを始め――ロズは寄ってきた猫の前にボールを転がし、三番目の兄と会ってきたとルークに告白した。
企みに警戒していたので心が毛羽立ち、たびたび遭遇する四号にも掴みかかってしまった。
「実家の奴はアクセルから禁止されてるはずだろ」
「アクセルさんと隊長にもあとで報告しますが、別れの挨拶で、心配するようなことはありませんでした」
今夜のアクセルの晩餐に、男爵を継いだ長兄は招待されてなかった。収穫祭の出し物の手配もあるのに、四番目の兄の接触を止められなかったから、一年間の街の出入りを禁止されたらしい。
それで収穫祭には、自領の危機を助けろと呼びつけられた三番目の兄がやってきた。
「四番目の兄が養子先を追い出されて戻ってるらしくて、実家は大変だけど気にしなくていいって、三番目の兄が言うんです……わざわざ」
気にしなくていいのなら、なぜ聞いてもいないのに教えるのか。援助が狙いか縁を戻してほしいのか、胸がざわついて握る拳が痛かった。
「三番目の兄も、収穫祭での手伝いが終わったら縁を切るそうです。勤めも辞めて、恋人と結婚して別の土地でやり直すって笑ってました。向かう先は決めてないから、会うのはこれが最後になるって」
三番目の兄が実家でどんな関係を築いていたのか詳しくない――でも不満があったのだと気づいた。
そうだろう、知らぬ間に破れない誓約を交わされていたのだ。
縁を切ったあと実家がどうなろうと気にしない、だから、どんな情報を耳にしても気にするな。そう伝えられた。
隊に入ると決めて縁切りも決めた、それを切っ掛けに実家が荒れ、また一人縁を切って離れる。だがどうにかなるだろう、皆が大人だ。
「会うのは最後。だけど、王都での記念撮影を教えてきました。いつでもいい、支払いは自分からの結婚祝いだって」
「そうか……ベラトリにいる間に撮影するかもしれないから、ランベルトにも伝えたほうがいいな」
「あぁ、そうですね」
エルーシアの聞き取りが終わったらしく従業員が離れ、ロズは販売所の玩具も気になって一階に向かい、ルークはクッキーを差し出して責めるような視線を投げられた。
「これは猫のおやつだから食べないわよ」
「冗談だ」
尻尾を揺らしてエルーシアのこめかみに詫びのキスをし、手にはクッキーを乗せて猫が集まりやすくする。
「猫がいると鼠が寄りつかなくなるから、王都より捨て猫は少ないみたい」
近寄る猫にクッキーを与えるエルーシアは頬を緩ませる。ここで保護する猫は少なく、元気な子は引き取る者もすぐに現れるらしい。
それでもここに猫が数多いるのは、入院などで世話のできない者が長期で預けるから。
「代筆客からの相談で始めた営業らしいの。気づかなかった取り組みよ、王都でも考えなきゃね」
手のひらにクッキーがなくなり、もっと欲しいと見上げる猫をエルーシアはなだめるように撫でる。気持ち良さげに細める目は左右で色が異なる。
「青と灰色か。ベラトリの山には群れで悪さする狼がいるんだが、あいつらも全部、この猫みたいに色が違うんだ」
魔物ではないが狼討伐の依頼はいつも掲示にあったとルークは他愛なく話をふるが、二色の瞳はベラトリの新たな神子、ミランダを彷彿とさせる。
「私は、ベラトリの前の神子には会ったことがないの。デルミーラが詳しく教えてくれたのは、彼女が亡くなった知らせを受けたときよ」
攻撃されたり画策の手が伸ばされる、だからベラトリの話題は避けられる。そう考えていたが、あの国での神子と癒し手の環境は想像以上の内容だった。
だからこれまでの四年、同志としてアクセルを後押ししてきた。ルークはどれほどベラトリの神子や癒し手を知っているかと、エルーシアは静かに問う。
設定小話
国のトップ、妃が懐妊すると、つながりを求めた貴族たちの子も増える。高位貴族なら婚姻や側近への起用で、下位貴族も狙いは多く、ロズの父親は娘を得て側近や従者との婚姻を狙った。
でも生まれたのは男の子で、北東部を仕切る元公爵が誓約者を募ってると知り、別の企みへと飲み込まれて子供たちを差し出しました。これで元公爵とのつながりができ、当時はそれなりに満足した。




