第二章 ~『歓迎されたヴィオラ』~
数日の旅路を経て、馬車の速度がわずかに落ちた。
「ここからが、グランヴィル辺境伯領だ」
アレクシスの声に、ヴィオラは窓へ身を寄せた。
王都から遠ざかるにつれて景色はすでに姿を変えていたが、領境を越えた先に広がっていたのは、想像していたような荒れ果てた土地ではなかった。
道幅は馬車二台がすれ違えるほどに保たれ、街道の脇には一定の間隔で灯籠が立ち、雨水を逃がす溝には枯れ葉が詰まらないように手が入れられている。
「街道が整っているのですね」
「魔物が出た時、騎士団が遅れれば被害が広がる。商隊が立ち往生すれば、素材も食料も動かなくなる。街道は領の血管だ。辺境だからこそ、最も手を抜けない部分だからな」
真顔で返され、ヴィオラは思わず口元を緩めた。王都で育った貴族令嬢にとっては無骨な価値観かもしれない。だが、今見ている街道には、領民の暮らしを守るための優先順位がはっきり表れている。
「とても、アレクシス様らしいですね」
「それは褒め言葉として受け取っていいのか?」
「もちろんです」
ヴィオラが迷わず答えると、アレクシスは返事の代わりに窓の外へ視線を戻した。横顔は変わらず引き締まっていたが、膝の上に置かれた指が一度だけ動く。
それが照れを隠す仕草に見えて、ヴィオラは微笑みながら、同じように街道の先へ目を向けた。
やがて、街道は緩やかな坂へ入り、前方に石造りの屋敷が見えてきた。厚い外壁、広い門、見張り塔、馬車が何台も出入りできる前庭。屋敷というより、防衛拠点に近い造りだった。
「あれが、お屋敷ですか?」
「無駄を削りすぎて、王都の貴族には殺風景だと言われることが多いがな」
「機能的で、私は嫌いではありませんよ」
ヴィオラがそう返すと、アレクシスは口元をわずかに緩めた。
華やかさはなくとも、古びて放置されているわけではない。近づくほどに、石壁も門扉も丁寧に手入れされているのだと分かった。
やがて、馬車は重い門をくぐった。
前庭には騎士と使用人たちが整然と並んでおり、車輪の音が止まると、門衛たちが槍を掲げる。
扉が開き、アレクシスが石畳へ降り立つと、並んだ者たちは一斉に頭を下げた。
「辺境伯閣下、お帰りなさいませ!」
力のある声が前庭に響く。アレクシスもまた、頷きひとつでそれを受け取ると、近くの騎士へ視線を向けた。
「留守中、変わりは?」
「北の街道に魔物が出ましたが、討伐隊が処理済みです。負傷者は軽傷二名、他に損失はありません」
「報告書は?」
「執務室へ届けてあります」
「分かった。あとで確認する」
歓迎と報告が、ほとんど同じ速さで交わされていく。そのやり取りを馬車の中から見ていたヴィオラは、ここが王都の屋敷とはまったく違う場所なのだと、改めて肌で実感する。
「足元に気をつけてくれ」
アレクシスはそう言って、馬車の扉の前からヴィオラへ手を差し出した。
「ありがとうございます」
ヴィオラはその手に指を重ね、裾を乱さないように石畳へ降り立つ。
その瞬間、前庭に並んでいた者たちの視線が一斉に集まった。
露骨に値踏みする者はいない。
だが、王都から来た見知らぬ令嬢への好奇心と、領主の隣に立つ者として本当に信じてよいのかを測る警戒が、瞳の奥に見え隠れしていた。
「ヴィオラ・アステリアスです。本日よりお世話になります」
「ようこそお越しくださいました、ヴィオラ様」
ヴィオラが礼をすると、使用人たちはすぐに頭を下げた。その動きは無駄がなく、王都の屋敷で見慣れた優雅さとは違う、実務で鍛えられた洗練があった。
ここでは、伯爵令嬢という肩書きだけでは何の役にも立たない。必要とされるためには、自分の目で見て、学び、動かなければならない。
「アレクシス様、私、ここで役に立てるよう努めます」
「ああ。期待している」
その一言を受け、ヴィオラはグランヴィル辺境伯家の屋敷を見上げた。胸の奥に小さな決意を灯し、この屋敷で自分の居場所を築く覚悟を固めるのだった。




