第四章 ~『結ばれた報告』~
グランヴィル辺境伯家の執務室では、周辺貴族から届いた手紙が机の上に積まれていた。
アレクシスが領内の報告書に目を通す傍らで、ヴィオラは手紙を一通ずつ確認している。急ぎで返すべきもの、後回しでよいものを仕分けていると、見覚えのある家名が目に留まった。
「アレクシス様、こちらの手紙は、返事の仕方に気をつけた方がよろしいかもしれません」
「誰からだ」
「ハーヴェル子爵様です」
ヴィオラが手紙を差し出すと、アレクシスは封蝋に刻まれた家紋を見た。
「温厚な人物だと聞いているが……」
「はい。ですが、とても慎重な方で、急かされることを嫌います」
「知っているのか?」
「以前、夜会でお話ししたことがあります。相手が自分のペースを尊重してくれるかどうかを、気にされる方でした」
「なら強く押せば、ハーヴェル子爵は距離を取るかもしれないな」
「はい、ですので、結論を急がせるつもりはないと伝えるのがよろしいかと」
「なるほどな」
アレクシスは手紙を机に置き、ヴィオラに視線を移す。
「君は本当に凄いな」
「お役に立てたのなら、何よりです」
控えめに答えると、アレクシスはそれ以上言葉を重ねず、ただ満足げに頷いた。その沈黙が、言葉以上に彼の評価を伝えてくる。
その時、扉の外から声が届いた。
「ロイドです。入室の許可をいただけますでしょうか」
「入れ」
扉が開き、騎士団長ロイドが姿を現した。
いつも通り背筋は伸び、礼の角度にも乱れはない。だが、顔を上げた時の表情は普段よりもわずかに引き締まっており、ただの業務報告ではないことが伝わってくる。
「それで、どういう用件だ、ロイド」
「はい」
ロイドは一度アレクシスへ礼をしたあと、ヴィオラへ向き直った。そして、深く頭を下げる。
「ヴィオラ様。本日は、あなたにお礼を申し上げたく参りました」
「私にですか?」
ヴィオラは手元の手紙から指を離す。ロイドは顔を上げ、硬い声のまま、どこか晴れやかな目で告げる。
「ミレーユ嬢との婚約が、正式に決まりました」
その言葉に、ヴィオラの目元がやわらぐ。アレクシスも椅子の背に預けていた身体をわずかに起こし、満足げに頷いた。
「よかったな、ロイド!」
「ありがとうございます。辺境伯様にも、多大なお力添えをいただきました」
「私はヴィオラを紹介しただけだ」
アレクシスの言葉に、ロイドは短く頷く。そしてすぐにヴィオラへと向き直り、騎士団長としてではなく、一人の男として感謝を伝える。
「ヴィオラ様がいなければ、私はミレーユ嬢との縁を失っていたと思います」
「私は二人の行き違いを正しただけです」
「ですが、私にはできませんでした」
過剰な謙遜ではない。自分に足りなかったものを、素直に認めた言葉だった。ヴィオラが返す言葉に迷っていると、アレクシスが机の中から書類を取り出した。
「以前にも伝えたが、ロイドの成功は我が領地にとって大きな意味を持つ」
「騎士団と商会の絆が強くなる件ですね」
「ああ、実際、ベルナール商会とは、以前から話を進めていてな。ロイドとミレーユ嬢の縁談がまとまるなら、グランヴィル領での取引を広げてもよいと、先方から打診を貰っている」
アレクシスが差し出した書類をヴィオラが受け取る。そこには王都から運び込まれる品目と、グランヴィル領から輸出する品目が簡潔にまとめられていた。
「辺境では物資が不足しやすい。特に武具の補修資材は、届く時期が遅れると騎士団の働きにも影響する」
「王都ならば、安定して手配できるのですね」
「ベルナール商会は、その手の商流に強い。こちらが単独で商人を探すよりも早く、条件も悪くない」
「逆にこちらからは、魔物の素材を提供するのですね」
「ああ。今までも売ってはいたが、間に入る商人が多く、こちらの取り分は決して良くなかった。ベルナール商会が直接扱うなら、もっと良い条件で流せるからな」
アレクシスの言葉に、ロイドも姿勢を崩さないまま頷いた。
「ミレーユ嬢も、その件については前向きです。王都と辺境をつなぐ商いは、彼女が以前から望んでいた仕事だと聞いておりますから」
ロイドの声には優しさが滲んでいる。ミレーユの望みを、彼自身が大切に扱っているのだと、声音から伝わってきた。
「ロイドの縁談が、領地の流通に貢献した。これはロイド自身の成果でもあるが……ヴィオラ嬢、君がいたから成しえたことだ。領主として感謝する」
「いえ、私なんて、そんな……」
「謙遜するのも君らしいが、ここは素直に受け取ってくれ」
「ふふ、では、頂いておきます」
自分の働きが誰かの幸せにつながり、さらに領地の役にも立った。その充実感を表情に滲ませながら、ヴィオラはまっすぐにアレクシスを見つめた。
「アレクシス様」
「なんだ?」
「私、今、とても幸せです」
「そう思ってくれるなら、私としても嬉しい」
アレクシスが短く答えると、執務室にわずかな沈黙が広がる。ヴィオラは返す言葉を探したが、その前にロイドが一歩下がり、二人へ礼をする。
「報告は以上です。失礼いたします」
「ああ。ベルナール商会との調整は、引き続き頼む」
「承知いたしました」
ロイドは深く頭を下げ、いつもの乱れのない足取りで執務室を出ていった。
あの不器用な騎士団長が、ミレーユの望みを奪うのではなく、共に歩く道を選んだ。そのことが、胸の奥に温かく残っている。
「さて、話を戻すが……ヴィオラ嬢、すまないが、ハーヴェル子爵への返書の文面を任せてもいいか」
「はい。お任せください」
ヴィオラは気を取り直し、羽ペンを取ると、便箋を引き寄せる。アレクシスの隣で、彼女は新しい縁を結ぶための手紙を書き始めたのだった。




