幕間 ~『ノエルと茶会』~
白いクロスを掛けたテーブルには、淡い琥珀色の紅茶と焼き菓子が並んでいた。
茶会が開かれているのは、王都にある子爵家の庭園だった。手入れの行き届いた花壇を望む一角に茶席が設けられ、テーブルの周りには令嬢たちのための椅子が並べられている。
銀の匙が茶器に触れる音に、令嬢たちの笑い声が重なる。その輪の中心に座るノエルもまた、いつものように可憐な笑みを浮かべていた。
「ノエル様、セドリック様とご婚約なさったのでしょう?」
正面に座る令嬢が、柔らかな声で尋ねると、ノエルは少しだけ頬を染め、控えめに頷いた。
「はい。まだ実感が湧かないのですけれど……セドリック様が、私を選んでくださいました」
「まあ、素敵ですわ」
「ずっとお慕いしていらしたのでしょう。まるで物語の恋のようですわね」
祝福の言葉が次々と広がっていく。ノエルはその一つ一つを受け取りながら、胸の内で小さく息をついた。
やはり、自分は羨まれる立場になったのだ。社交界の令嬢たちも、その事実をこうして認めてくれていると安堵していた。
「セドリック様は、本当にお優しい方ですの。私のことを、いつも一番に考えてくださいますわ」
「羨ましい限りですわ」
隣の令嬢がにこやかに頷いたあと、何気ない口調で続ける。
「ですが、ロックウェル公爵家の皆さんは少し驚かれたのではなくて?」
「それは……」
「だって、元はヴィオラ様とのご婚約でしたでしょう。急に婚約者が変われば、お考えになることもありそうですもの」
令嬢の声は柔らかい。口元にも笑みがある。だが、視線だけは紅茶の水面よりもずっと鋭く、ノエルの返事を待っていた。
そこでノエルは気づく。
この場にいる令嬢たちは祝福だけが目的ではない。
セドリックとの婚約が本当に順調なのか。ロックウェル公爵家に反対されていないのか。噂の答えを、ノエルの口から拾おうとしていたのだ。
「皆様、驚かれはしましたが……ご心配いただくようなことはありませんわ」
「では、受け入れられたのですね?」
「ええ、もちろんですわ」
迷わず答えたつもりだったが、言い終えたあと、口の中がかすかに乾く。
令嬢たちは噂話が好きだ。ここで少しでも不安を見せれば、明日には「ロックウェル公爵家はノエルを認めていない」と形を変え、面白おかしく語られることになる。だから、弱みは見せられなかった。
「では、あの噂も間違いでしたのね」
「噂……ですか?」
「ええ、エドマンド・ロックウェル公爵が、このご婚約に難色を示している。そんな噂ですわ。それに、セドリック様を次期公爵に据える話も、見直されているとか……」
「そんなこと、あるはずがありませんわ」
ノエルはすぐに首を振った。
「根も葉もない噂ですわ。セドリック様はとても優秀な方ですから。心配には及びませんわ」
「確かに、セドリック様は本当に素敵な方でしたものね」
令嬢の一人がにこやかに頷くと、別の令嬢たちが言葉を重ねる。
「どなたにも気を配られて……」
「贈り物もお上手でしたわ。相手に似合うものを、きちんと選んでいらして……」
「夜会でも、相手に合わせた話題を選んでくださる方でしたもの」
ノエルは、その言葉に頷きかけた。だが、続いた声に喉が詰まる。
「でも最近は、少し評判が変わりましたわね」
「ええ。以前ほど落ち着いていらっしゃらないというか……」
「やはり、ヴィオラ様のサポートがなくなったからかしら」
ヴィオラの名が出た瞬間、ノエルは膝の上で手を握った。
「お姉様は、昔からしっかりした方でしたから」
ノエルは声が尖らないように気をつけながら答えた。ここで姉を否定すれば、余裕がないと思われる。姉を褒めておけば、少なくとも自分は平気な顔をしていられる。
その一言に令嬢たちは揃って目元を和らげた。
「やはり、そうでしたのね」
「ヴィオラ様がいらした頃のセドリック様は、本当に評判がよかったですもの」
「支える方が変わると、殿方の印象も変わるものなのですね」
ノエルは笑顔を保ったまま、唇の内側を軽く噛む。
セドリックは変わっていないと言い返したい。だが、その言葉を口にしてしまえば、自分が手に入れたものの価値が、最初からなかったと認めるようなものだ。
ノエルが言葉を探していると、奥に座っていた令嬢が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ヴィオラ様はグランヴィル家でも随分と信頼されているそうですわね」
「私も耳にしましたわ」
「グランヴィル辺境伯様は、良い方を婚約者に選ばれましたわね」
令嬢たちの話題は、いつの間にかノエルの婚約からヴィオラへと移っていた。
今日は、自分が祝福される場のはずだった。
セドリックに選ばれた自分が、羨まれるはずだった。
それなのに、茶会の席で祝福されるはずのノエルは、少しずつ話の外へと押し出されていた。
やがて茶会が終わり、ノエルは主催者に礼を述べて庭園を後にする。
迎えの馬車に乗り込み、扉が閉まったところで、ようやく息を吐く。
うまく振る舞えたはずだった。
セドリックとの仲も、ロックウェル公爵家との関係も、何も問題ないように見せられたはずだ。
だが、令嬢たちは噂話が好きだ。
口にしなかったことも、言いかけて飲み込んだことも、きっと明日には誰かの口から別の形で語られている。
ノエルはセドリックと結ばれ、幸せになったはずだ。それなのに、少しも勝った気がしないのだった。




