第三章 ~『縁談の報告』~
ロイドとミレーユが改めて互いに礼を交わし、応接室を出ていく。その後、ヴィオラはしばらく残されたカップを見つめていた。
「ヴィオラ様」
扉のそばに控えていたエレーナが声をかける。
「アレクシス様は、執務室にいらっしゃいます。ご報告に向かわれますか?」
「そうしましょうか」
「かしこまりました」
エレーナが深く一礼し、先に立って扉へ向かう。ヴィオラも案内されるまま応接室を後にした。
やがて執務室の前に着くと、エレーナは姿勢を正し、扉の向こうへ声をかける。
「アレクシス様、ヴィオラ様をお連れいたしました」
「入ってくれ」
エレーナが扉を開けると、室内の中央に置かれた大きな机の前で、アレクシスが書類に目を通していた。
机の上には領内の地図が広げられ、端には封を切られた報告書がいくつも重ねられている。飾り気のない部屋だが、どこに何が置かれているかは一目で分かる配置だった。
「お忙しいところ、失礼いたします」
「構わない。ちょうど一段落したところだ」
アレクシスは手元の書類を端へ寄せると、ヴィオラへ席を勧めた。
「それで、どうだった?」
「縁談が正式に決まったわけではありません。ですが、ミレーユ様は、父君と相談したうえで前向きに検討したいと……」
「そうか」
短く答えたアレクシスの表情が、わずかに和らいだ。派手に喜びを見せるわけではない。だが、目元に浮かんだ安堵は隠しきれていなかった。
「素晴らしい成果だな」
「まだ決まったわけではありませんよ」
「分かっている。だが誤解したまま終わりかけていた話を、もう一度向き合えるところまで戻した。それだけで十分だ」
「そう言っていただけると、少し安心します」
「ロイドは誠実な男だ。だが、あの通り言葉が硬い。誤解されなければ、悪い縁にはならないはずだ」
アレクシスの声には、上官としてロイドを評価するだけではない響きがあった。ヴィオラは、そのわずかな違いを聞き逃さなかった。
「アレクシス様は、領地のためにも騎士団長とベルナール商会の令嬢を結びつけたい。そうおっしゃっていました。きっと、それは本心なのだと思います」
ヴィオラはそこで一度言葉を切り、アレクシスを見た。
「ですが、それだけではありませんよね。一人の人間として、ロイド様の幸せを考えていらしたのではありませんか?」
「君に隠し事はできないな」
アレクシスは困ったように目を伏せ、それから、ゆっくりと口を開いた。
「ロイドは私の自慢の部下だ。剣も振れる。判断も早い。部下からの信頼も厚い。だが、真面目すぎて、自分の気持ちを後回しにするところがある」
「ロイド様らしいですね」
「そうだな。だからこそ、縁談で失敗したと聞いた時、あいつは自分には結婚が無理なのだと本気で諦めていた」
アレクシスの眉間に、かすかな皺が寄る。
「そんな結論で終わらせたくなかった」
「ロイド様は、アレクシス様にとって大切な人なのですね……」
「ああ。部下であり、友でもある。私が領主になってから、ロイドには何度も助けられた。私が前を向けるように、後ろを支えてくれた男だ。だから、今度は私が助けてやりたかった」
「……アレクシス様のことが、少し分かった気がします」
ヴィオラがそう言うと、アレクシスは彼女へ視線を戻した。
「私のことを?」
「はい。アレクシス様は実利を重んじる方です。ですが、実利だけで人を動かそうとはなさらない。そこが一番の魅力です」
あまりに自然に言われ、アレクシスは返事に詰まる。ヴィオラはその反応をからかうでもなく、言葉を続ける。
「私は、あなたのもとへ来て良かったです」
「……君は臆さないな」
「アレクシス様が、正直に話してくださったからです」
「それで、君も正直に返したと?」
「はい。言葉は届くように伝えるべきだと、ロイド様とミレーユ様の件で学びましたから」
「そうか……」
「ご迷惑でしたか?」
「いや。迷惑ではない……ただ慣れていないだけだ」
短く答えたアレクシスの声は、いつもより少しだけ低かった。領地のことを語る時の揺るぎない調子とは違い、ほんのわずかに言葉を選んでいる。
「アレクシス様にも、不慣れなことがあるのですね」
「私を何だと思っている」
「何事にも備えていらっしゃる方だと思っております」
「それは否定しない。だが、君の言葉までは予測できなかった」
アレクシスがそう返すと、ヴィオラは思わず口元を緩める。その反応に釣られるように、アレクシスも表情を和らげる。
「君を迎えた甲斐があったな……」
ボソリと漏らした言葉に、ヴィオラの胸の奥が温かくなる。だからこそ、彼女は背筋を正し、改めて執務机の向こうにいるアレクシスへ向き直った。
「それでは正式な返事が届き次第、改めてご相談させてください」
「ああ。頼りにしている」
ヴィオラは席を立ち、一礼した。
執務室を出る前に振り返ると、アレクシスは再び書類へ手を伸ばしていた。だが先ほどよりも、その横顔はどこか穏やかに見える。
領地のために人を動かすだけではない。
人を大切にするからこそ、領地もまた守られてきたのだ。
ヴィオラは扉を閉じながら、アレクシスという人を、また一つ知った気がしたのだった。




