第三章 ~『ロイドとの出会い』~
朝食を終えると、エレーナは空いた皿を下げるよう使用人たちに短く指示を出し、ヴィオラへ一礼した。
「それではヴィオラ様、私は屋敷の仕事に戻らせていただきます。訓練場へは、アレクシス様が直接ご案内なさるとのことです」
エレーナがそう告げると、アレクシスは席を立ちながら頷いた。
ヴィオラも合わせて席を立つと、アレクシスは当然のように歩幅を少し落として隣に並んだ。
エレーナが食堂を出ていくのを見送ってから、二人は屋敷の奥へ続く廊下を進む。
磨かれた石床に靴音が響く。
窓の外には広い中庭が見えた。花を楽しむための場所というより、荷馬車が行き来し、人がすぐに集まれるよう整備された実用空間だった。
「こちらに騎士団が……」
「いや、騎士団のいる訓練場はさらに奥だ。屋敷の裏手にある」
廊下を抜け、屋敷の裏手にある訓練場へ出ると、空気が変わった。木剣が打ち合う乾いた音。号令を飛ばす声。馬のいななき。土を踏みしめる足音。
それらが重なり合い、騎士たちの動きに合わせて絶え間なく響いている。王都の屋敷では決して聞くことのなかった、鍛錬と緊張の音だった。
「野蛮だと、この音だけで顔をしかめる令嬢もいるが、ヴィオラ嬢は平気そうだな」
「皆様が真剣に訓練なさっていることは理解できますから」
訓練場にいた騎士たちがアレクシスに気づき、一斉に姿勢を正す。
「辺境伯様!」
号令と共に、騎士たちは剣を下げて敬礼した。その視線はすぐにヴィオラへも向けられる。好奇心と警戒が混じった目だった。王都から来た令嬢が訓練場に足を運んだのが、彼らにとっては意外だったのだろう。
「続けろ。邪魔をするつもりはない」
アレクシスがそう言うと、騎士たちは再び訓練へ戻る。だが、木剣を構える合間に、何人かがちらりとヴィオラを一瞥していた。
「見られていますね」
「気になるか?」
「いいえ。仕方ないことだと思いますから」
ヴィオラは邪魔にならない場所に立ち、騎士たちの動きを見守る。踏み込みの位置、間合いの取り方、声を掛け合うタイミング。その一つ一つに無駄がなく、日頃の鍛錬の積み重ねが伺えた。
しばらくして休憩の号令がかかると、訓練場の中央から一人の騎士が歩み寄ってくる。
背筋の伸びた長身の男だ。
身につけた鎧は派手ではないが、磨かれた金具には手入れが行き届いている。歩き方にも無駄がなく、アレクシスの前で足を止めると、乱れのない動作で礼をした。
「ロイドだ。私が最も信頼している男で、騎士団長の役目を担っている」
「辺境伯様には日頃よりご指導いただいております」
低く落ち着いた声だった。姿勢にも言葉にも乱れはなく、礼の角度まで正確で、いかにも騎士団長らしい真面目さがある。
「ヴィオラ・アステリアスと申します。先ほどの訓練、とても見事でした。掛け声も動きも揃っていて、日頃から鍛錬を積み重ねていらっしゃるのが伝わってきました」
「恐れ入ります」
あまりにも真面目な返答に、ヴィオラは少しだけ驚く。
他愛のない会話が、苦手なのだろう。だが、それは不誠実だからではない。むしろ、言葉を飾らず、必要なことだけを正確に伝えようとしているのが分かる。
アレクシスは慣れているのか、口元に苦笑を浮かべた。
「ロイド、褒められた時くらい、素直に礼を言えばいい」
「申し訳ございません。以後、改めます」
「そういうところだ」
二人のやりとりに、ヴィオラは思わず口元を押さえる。笑ってはいけないと思ったが、悪意のない不器用さがどこか微笑ましかった。
「ロイド様は、とても誠実な方なのですね」
「誠実ですか」
「はい。私はそのように感じました」
ロイドはわずかに目を瞬かせたが、すぐに表情を戻した。
「過分なお言葉です」
「今のは素直に賞賛を受け取る場面だぞ」
「申し訳ありません。どうにも慣れておらず……」
その後、ロイドは訓練の進捗を報告した。どれも無駄なく整理されており、アレクシスも短い質問を挟むだけで内容を理解していく。
「報告は以上です。失礼いたします」
役目を終えたロイドが踵を返そうとする。その時、アレクシスがふと思い出したように声をかけた。
「待て、ロイド。もう一つ聞いておきたい」
ロイドは足を止め、再び向き直る。
「何でしょうか?」
「……まさかとは思うが、縁談の席でもその堅苦しい調子だったのか?」
ロイドの表情が、ほんのわずかに強張った。
普段なら見逃してしまうほど小さな変化だったが、付き合いの長いアレクシスには十分だった。
「ベルナール商会の長の娘、ミレーユ嬢との縁談は上手くいったのか?」
「いえ。まだ正式な返答はありません。ただ、良い返事はいただけないものかと思われます」
「理由は?」
「私との会話に、前向きな反応が見られませんでした。こちらから話題を広げることができず、沈黙が多くなりました。国境警備の重要性について熱弁したのが原因かもしれません」
「……それだけか?」
「はい。不要な私情は挟んでおりません」
「ロイド。縁談の席では、私情を挟んでいいんだぞ」
「ただ適切な量が分からず……」
ロイドの声には、冗談の響きが一切なかった。
彼は本気で分からないのだ。剣の振り方も、部隊の動かし方も、騎士としての振る舞いも身についている。
だが女性に安心してもらう言葉や、会話を楽しませるための間合いは、訓練されていなかった。
「やはり、私に結婚は無理なのだと思います」
「そんなことはありません」
ロイドが言い終えるより先に、ヴィオラの声が出ていた。
驚いたようにロイドが目を向ける。だが、ヴィオラは言葉を引っ込めなかった。
「短い会話でも分かります。ロイド様は誠実で、責任感の強い方です。ただ、その魅力がまだ、ミレーユ様に届いていないのだと思います」
ロイドはすぐには答えなかった。
だが、固く握られていた拳から、少しだけ力が抜ける。
その様子を見ていたアレクシスが、ヴィオラへ視線を向けた。探るような目ではない。訓練場で部下の動きを見極める時と同じ、冷静に力を測る目だった。
「騎士団とベルナール商会が結びつくことは、領地にとっても大きな意味を持つ。これはロイド個人の縁談であると同時に、グランヴィル領にとっても大切な話だ……ヴィオラ嬢。ロイドを助けてやってほしい」
その言葉は、ただの頼みごとではない。アレクシスが、ヴィオラの力を必要なものとして認めている証だった。
「はい。任せてください」
ヴィオラがそう答えると、アレクシスは満足そうに頷いた。
休憩を終えた騎士たちが再び木剣を構え、訓練場には打ち合う音が戻ってくる。乾いた音を聞きながら、ヴィオラは胸の奥が熱を帯びていくのを感じるのだった。




