第三章 ~『朝食と魔物』~
翌朝、ヴィオラが身支度を終えた頃、控えめに扉を叩く音がした。
「ヴィオラ様、エレーナでございます」
「どうぞ」
返事をすると、扉が開き、エレーナが一礼して室内へ入ってくる。
昨日と同じく背筋は伸び、礼の角度にも乱れはない。言葉遣いも、立ち位置も、侍女長としての距離を保ったままだ。それでも、ヴィオラを見る目に、ただ警戒だけを向けていた昨日とは違うものがあった。
「おはようございます、ヴィオラ様。昨晩はお休みになれましたでしょうか」
「はい。とてもよく眠れました」
「それは何よりでございます。準備した者たちも、きっと喜びます」
エレーナはそう言ってから、わずかに視線を室内へ巡らせた後、すぐにヴィオラへ向き直る。
「朝食の支度が整っております。アレクシス様も、すでにお待ちです」
「分かりました。すぐに参ります」
「では、ご案内いたします」
ヴィオラは軽く頷き、エレーナの案内に従って部屋を出る。
廊下を進む間、すれ違う使用人たちは足を止め、控えめに頭を下げた。華やかな装飾は少ないが、床も壁もよく磨かれている。
「こちらでございます」
エレーナが扉の前で足を止める。
食堂へ入ると、アレクシスがすでに席に着いていた。彼はヴィオラを見ると立ち上がり、手元の書類を閉じる。
「おはよう、ヴィオラ嬢。昨晩は眠れたかな?」
「はい。おかげさまで。アレクシス様は、お仕事をなさっていたのですか?」
「朝の報告を確認していただけだ。食事中に読むつもりはない」
そう言って、アレクシスは手元の書類を脇へ寄せる。使用人たちも慣れているのか、すぐに皿を整え、温かな茶を注いでいった。
並べられた朝食を見て、ヴィオラは思わず目を見開く。
焼きたてのパンに、色鮮やかな野菜の煮込み、澄んだスープと季節の果実。そこまでは、貴族の朝食として珍しいものではない。
だが、香草をまとって焼かれた厚切りの肉は違っていた。
華やかな飾りで目を引く料理ではない。だが、使われている食材がただの肉ではないことは、ひと目で分かった。
「これは、魔物肉ですか?」
「ああ」
アレクシスは短く頷いた。
魔物肉は、王都でも高級品として扱われる。
保存や輸送に手間がかかるうえ、毒抜きや下処理を誤れば食材として使えないため、鮮度の良いものとなれば、貴族であっても簡単に口にできるものではなかった。
それが、朝食の皿に惜しげもなく並んでいる。
「……失礼ながら、少し意外でした」
「意外?」
「グランヴィル家は実用を重んじる家だと思っていましたので、朝食ももっと簡素なものかと……」
ヴィオラの言葉に、アレクシスはすぐには答えず、卓上に並ぶ料理へ視線を向けた。派手な飾りはない。だが、皿に盛られた肉からは、魔物を討ち、毒を抜き、食卓へ届けるまでの手間が確かに感じられた。
「確かに我が家は堅実を重んじる。だが、この土地では魔物が獲れる。危険と隣り合わせではあるが、その分、こうして食卓に恵みをもたらしてくれることもある」
誇るでも飾るでもないアレクシスの言い方に、ヴィオラはこの領地の豊かさを少しだけ感じ取った。
「冷めないうちに食べるといい」
アレクシスに促され、ヴィオラは我に返った。
「そうですね。いただきます」
ヴィオラは小さく切り分けられた肉を口に運ぶ。
見た目よりも柔らかく、噛むと香草の風味と肉の旨味が広がる。王都の繊細な料理とは違う。力強い味だった。
「美味しいです」
その一言に、給仕をしていた使用人の肩から力が抜ける。やがて、ヴィオラはもう一度、皿の上の肉料理へ視線を落とした。
「この香草……私の故郷のアステリアス領で採れるものですね」
その言葉に真っ先に反応したのはエレーナだった。動きがほんのわずかに止まる。
「お分かりになるのですか?」
「ええ。香りに覚えがあります。肉の癖を抑えるためだけでなく、私が慣れた香りを添えるために、わざわざ用意してくださったのですね」
ヴィオラは顔を上げ、アレクシスとエレーナに向かって穏やかに微笑んだ。
「お気遣い、ありがとうございます」
エレーナは表情を大きく変えなかったが、その目にははっきりと驚愕が浮かんでいた。
「まさか、お気づきになるとは思いませんでした……」
その言葉を聞いて、アレクシスはわずかに口元を緩める。
「どうだ。これが私の婚約者だ」
その声には、自分が見込んだ相手を誇る気持ちが、隠しきれずに滲んでいた。
ヴィオラは返答に困ったが、エレーナの表情が先ほどより和らいでいることに気づく。
朝食は、その後も穏やかに進んだ。
やがて朝食が半ばまで進んだ頃、アレクシスが水の入った杯を置く。
「ヴィオラ嬢、今日は屋敷を案内させるつもりだったが、少し予定を変えたい」
「予定をですか?」
「ああ。騎士団を紹介しようと思う。グランヴィル家がどのような者たちに支えられているかが分かるはずだ」
先ほど口にした魔物肉の味が、ヴィオラの中でその言葉と結びついた。
「はい。是非、拝見させてください」
「では、朝食のあとに向かおう」
アレクシスは満足そうに頷いた。朝食を味わいながらも、ヴィオラの意識はすでに騎士団へと向いていたのだった。




