幕間 ~『公爵の資格』~
『セドリック視点』
ロックウェル公爵家の執務室へ呼び出されたセドリックは、父からノエルとの婚約について何か確認されるのだろうと考えていた。
ヴィオラとの婚約を解消し、ノエルと改めて婚約したことで、多少の噂は立っている。だが、公爵家の嫡男である自分が選んだ相手なのだから、いずれ周囲も納得するはずだ。
そう思いながら扉を叩くと、内側から低い声が返ってくる。
「入れ」
「失礼いたします、父上」
セドリックが中へ入ると、彼の父であるエドマンド・ロックウェル公爵は執務机の前に座り、封を切られた報告書に目を通していた。
机の上には数通の書簡が並んでいるが、彼はそれらを片づけようともせず、セドリックに座るようにと勧めることもしなかった。
「最近、お前の評判が落ちているそうだな」
「そ、それは一時的なものでしょう。婚約者が変わったばかりですから。周囲が物珍しさに噂しているだけだと思います」
セドリックは努めて平静に答えた。
実際、王都の貴族たちは人の縁談に敏感だ。ヴィオラからノエルへ婚約者が変わったことで、余計な詮索をしている者もいるのだろう。
だが、いずれ飽きる。公爵家の名があれば、多少の噂など自然に収まるはずだった。
エドマンドは報告書を机へ置き、セドリックを見据える。
「噂で済むなら、私がお前を呼ぶことはない」
「父上、ですが……」
「言い訳は結構。既に部下に命じて、調べさせたからな」
遮られた声に、セドリックは口を閉じた。
「ヴィオラ嬢が婚約者だった頃、お前は気配りのできる嫡男と見られていた。だが今は違う。公爵家の名を背負っているだけの若造だと見られ始めている」
セドリックの頬が引きつる。
「周囲が大げさに受け取っているだけです。ヴィオラがいなくなったからといって、私の振る舞いまで変わったわけではありません」
「そうだな。お前自身は変わっていない」
エドマンドは机の上の報告書を伏せた。
「変わっていないからこそ、ヴィオラ嬢が何を補っていたのかが見えるようになった」
セドリックは言い返そうとして、言葉を詰まらせた。
父の声は少しも荒れていない。怒鳴られるなら反論もできた。だが、今のエドマンドは息子を叱っているのではなく、公爵家嫡男としての器を測っていた。
セドリックは唇を引き結ぶ。
ヴィオラは口にするべき話題を選び、場に合う振る舞いを促し、相手を良く見ていた。ただそれだけのことだと、ずっと思っていた。
だが、取るに足らないと思っていたサポートがなくなった途端、周囲の目は変わった。それでも、あの頃の評価がヴィオラによって保たれていたのだとは、どうしても考えたくなかった。
「反省しているなら、まだよかった……だが、お前は自分が支えられていたことを認めようともしない。それは未熟ではない。思い上がりだ」
エドマンドの声は低いままだったが、セドリックの背筋に冷たいものが走る。
「自分の足りなさにも気づけず、失ったものの重さも測れない者に、公爵家は任せられないな」
「任せられないとは……」
「言葉の通りだ」
セドリックの指先がわずかに震える。ノエルとの婚約について叱られるだけだと思っていた。
多少の注意を受け、今後は気をつけろと言われる程度だと考えていた。
だが、父が見ているのは恋愛の是非ではない。
公爵家の後継者として、自分がふさわしいかどうかだった。
「場合によっては、弟に継がせることも考える」
「そ、それは……」
セドリックは思わず一歩踏み出す。
ロックウェル公爵家の嫡男として幼い頃から育てられ、周囲も当然のように自分を次期公爵として扱ってきた。
その立場が、評判程度で揺らぐはずがない。そう信じたいが、父の目は少しも揺れていなかった。
「ノエル嬢との婚約も、今後の振る舞い次第では考え直させてもらう」
「な、なぜですか!」
「貴族の婚姻は、家に利をもたらすから結ばれる。ヴィオラ嬢ならば、お前を支える相手として不足はないと見ていた。だがノエル嬢については、改めて見極める必要がある」
セドリックは拳を握る。ノエルを選んだ時、欲しいものを手に入れたと信じていた。だが今、その選択は自分の足元を揺らしていた。
「しばらく社交の場では余計なことをするな。発言も行動も控えろ。いいな?」
「わ、分かりました……」
「ならこれで話は終わりだ」
エドマンドは話が終わったとばかりに視線を外す。退室を促す仕草すらない。その扱いが、叱責よりも重く胸にのしかかる。
「父上、失礼いたします」
セドリックは礼をして執務室を出る。
扉が閉まると、廊下の空気が妙に薄く感じられた。
公爵家の磨かれた床も、壁に飾られた先祖の肖像も、いつもと変わらない。変わったのは、自分を見る目だけなのかもしれない。
ふと、ヴィオラの顔が浮かぶ。
夜会の前に差し出された助言。出かける直前に直された装い。会話に詰まった時、隣から自然に差し込まれた一言。あの時は気にも留めなかったものが、今になって妙に鮮明に思い出された。
だが、セドリックはすぐに首を振った。
自分が彼女に支えられていたなど、認めたくない。それでも、父の言葉だけが耳に残って離れないのだった。




