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彼との時間をずっと





 ギルは毎日、私を強く抱きしめて畑に出かける。ハンナを抱いて玄関まで見送ると、必ず。その抱擁は少し痛いくらいだったけれど、私はその瞬間がとても好きだった。ギルの大きな腕に包まれて、逞しい胸に頬を寄せる。それだけで、世界中のあらゆる恐怖から守ってくれる気がしたから。


「昼には、スノウたちも来いよ」


 そう絞り出すように告げるギルに、つい苦笑してしまう。『眠る』話をしてしまってからというものの、彼は何かと私を一人にさせたがらない。きっと、自分が見ていないと不安なんだろうとは察しがついた。だって、私を見る彼の青色の瞳は、いつも不安げに揺れている。


 私はその度に「大丈夫だよ」と笑うけれども、ギルはその言葉を完全には信じていない。私の意志で『眠り』が制御できないから、それも、彼の心配する原因になっているんだと最近知った。「スノウがまた一人で眠るのは嫌なんだ」そう泣きそうな顔をして告げられれば、もう、何も言えなかった。


「うん。分かった」


 そう笑顔を向けて彼の背を押す。後ろ髪引かれつつも畑へと向かう夫の背を、じっと見つめて手を振った。この一瞬一瞬がとても大切。どんな些細なことでも刻んでおこう。そう思って、ギルの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 がっしりと大きな背が遠ざかる。青色の空に吸い込まれていくその背を、私は心と脳に刻み付ける。陽に輝く金の色が、眩しいくらいに反射して。朝日を浴びて進む彼を、いつまでも見つめていた。





 そう言えば、ギルとの結婚式もこんな晴れた日に行われた。村の人たちはとてもいい人で、記憶を無くした私に対してとても親切にしてくれた。嫌な顔も不思議そうな顔もすることなく、ただありのままの私を受け止めてくれる。両親を早くに亡くしたギルを育んでくれたのは、この人たちの優しさでもあるのかと思った。


 純白の結婚式用のドレスは、とても美しくてきれいだった。これを、本当に私なんかが借りていいのか不安になるくらい。袖を通す時もドレスを着た自身を鏡で見る時も緊張した。けれども、一番緊張したのはギルに会う時。ドレス姿の私を見て、ギルは何て思うのかな。そう考えると不安で押しつぶされそうで怖かった。


 対面した時、ギルは何も言わなかった。ただ大きく目を見開いて固まっていた。大好きな青色の瞳がいつもよりも小さく丸くなっていて。それを見て、私は余計に不安になった。


 だって、ギルはとても素敵だったから。村の人たちが用意してくれた結婚式用の正装に身を包んだギルは、とても格好良かった。逞しい体躯を包む衣装に、ギルの本来の顔立ちの美しさが現れていた。普段は猟に出ている彼の、凛々しい姿に見惚れてしまった。

 だけど、反対に私はどうなんだろうと怖くなった。もしかして、似合っていないのかな。物言わないギルに、そんな不安が過った。


 けれども、村長の奥さんに急かされて、慌てて感想を言ってくれた彼に、それまで抱いていた不安が一気に消えていくのを感じた。きれいだと、口もとを覆って告げる彼に、私は零れ出る笑みを抑えきれなかった。


 視線を合わせてくれないのも。口元を覆って顔を背けてしまうのも。−−−全てが照れ隠しだと気づいたから。


『きれいだ、すごく』


 そう絞り出すように告げるギルに、私の顔にかっと熱が昇る。嬉しいと思う反面、どうしようもなく恥ずかしくなるのは何故だろう。大好きな青色の瞳をじっと見つめることなんて出来なくて、ただ照れくさくなって俯いてお礼を告げた。こんな感覚、初めてだった。


 じわじわと、私の心を満たしていくあたたかいもの。それが、他ならぬギルの言葉おもいだと、あなたは知っているのかな。村の誰に言われるよりも、確かに私の心を動揺させる魔法の言葉。あなたの言葉だから、こんなにも嬉しくて恥ずかしくて照れくさい。


 お互いに耳まで赤く染めて、肩を並べて歩いたね。

 横から盗み見たあなたの横顔が、とても印象的だったのを覚えているよ。

 

 金の髪を後ろで纏め上げて、真っ直ぐに前を向く姿。

 だけど、その頬はほんのりと赤く染まっていて。

 期待と歓喜に満ち溢れた、晴れ晴れとした横顔だった。


 私の視線に気が付いて、ふ、と優しくなった目元に胸が高鳴ったの。

 あの瞬間に、ああ、やっぱりこの人が好きだと実感したんだよ。






「あー、うーっ、ま、んまっ!!」


 くい、と小さいのにも関わらず強く裾を引っ張られはっとする。私は包丁を持つ手を止めて、足下へと視線を向けた。可愛い我が子が待ちきれないと、不機嫌そうに顔を顰めて催促する。


「まま、まんまっ! まんまっ!」

「ふふっ、ハンナったら。お腹空いたの?」

「あー!!」


 ハンナはこの頃、よく歩くようになった。まだしっかり立てないものの、立ち上がっては転び、つかまり立ちしてはよちよち歩きでそこらじゅうを歩こうとする。数歩進んだらすぐに転ぶけれども。それでも赤ん坊だった頃よりも格段に活動量は増えた。ついこの間まではいはいで動いていたのに、本当に子供の成長は早いなと実感する。


 だからなのか、ハンナはすぐお腹が空くみたい。まだお昼よりも少し早い時間だけど、待ちきれなくて私を呼びに来たみたいだった。


「まま、まんまっ!」

「はいはい。じゃあ、もう少しで出来るから、その後にお父さんのところに行こうね?」

「あー」


 この「あー」は「分かった」って意味。意思表示を少しづつ出来るようになってから、ハンナは格段に感情表現が多くなった。気分がいい時は明るい声で「あー」と笑い、気分が悪い時や不機嫌なときは少し声を荒げて「あー!」と怒る。小さい手を元気よく叩いていたと思ったら、怒った時にはそれで床をバンバン叩いたり。そういう変化に子供の成長が垣間見えて嬉しくなる。


 けれども、それと同時に切なさも感じるの。私はあとどれくらいの時を、この子と過ごせるのだろうか。『眠り』につく頃に、ハンナはどれほど成長しているのだろうか。私は次に目覚めたら、この子は私を覚えているのだろうか。私は?


 そう思うと、どうしようもなく苦しくなる。息が詰まりそうになって、怖くなる。


「あー!」

「−−−おいで、ハンナ」


 愛くるしい笑顔を浮かべて、両手を伸ばしてくる愛娘を抱きしめた。ずっしりと感じる重さに、命の重さを重ねる。お腹を痛めて、生んだ我が子。この子が大人になる姿を、私は母親として見守っていけるのだろうか。


「まま?」


 きょとん、とハンナが首を傾げる。肩まで伸びた愛しい人と同じ色の髪がさらりと流れた。大きな黒い瞳が、不思議そうに私を見つめる。スノウに似ている、とギルが言っていた通り、ハンナは顔立ちは私似だ。けれども、拗ねた時の顔はギルに似ている。あと、不思議そうにこちらを見て、ぺしぺしと小さな手で私の頬を叩く、遠慮がないところも。


「ふふ、痛いわ。ハンナ」


 仕返しだと、額をハンナの額にくっつけて、軽くぐりぐりと擦りつける。それを、ハンナがキャー! と嬉しそうな奇声をあげて笑っていた。遊んでもらっていると思っているのか、お腹が空いたとぐずっていたのが嘘のよう。楽しそうですっかりご機嫌になった我が子にもう一度笑顔を浮かべ、私はハンナを抱えてもう詰めるだけになったお昼ご飯の準備にとりかかった。






 大きな木の下で、ギルを呼ぶ。こちらに気が付いて振り返った彼の額に浮かんだ汗が、キラキラと輝いた。それを肩にかけた手拭いで簡単に拭きつつ、急いでこちらに駆け寄ってくる。


「腹減ったー」

「たー」

「もう、二人して」


 腰かけると同時に呟いたギルに、呼応するかのようにハンナがまねる。お腹に手をあてて減った減ったと叩く姿まで同じなので、流石に呆れてしまった。だけど、同じように真似をするハンナが可愛くておかしくて。やっぱり親子だなって実感する。


 軽くギルを睨むと、彼は肩を竦めて「お母さん、怒っている。怖いぞ、ハンナ」なんて、言いだすものだから本当に困る。ひそひそと話しても、全部聞こえているよ? ハンナが真似をするから止めてと言う前に、ハンナは声を潜ませて「こわ、こわ」と繰り返していた。


「もう、ギル!!」

「うわぁっ、怒られた!」

「たー!」


 びくっと肩を震わせて、大袈裟に叫ぶギルと真似をするハンナ。ハンナがギルの膝の上に飛び乗り、私から逃げるように彼にすり寄っていた。悪者は私の様で、それはそれで面白くない。


 むすっとしたまま、そっちがその気ならと、私は持ってきたお昼の入ったバスケットを掲げてみせた。 

 

「いいんだよ? そんなこと言っていても。だけど、お昼はどうなるかなー?」


 わざと声をおどけて言ってみせる。すると、二人はそれを聞いてさっと顔色を変えた。


「わわっ! ごめんなさい!」

「しゃいっ!」


 そう手のひらを返したかのような態度に、ついに私の我慢も限界に達してしまう。ぷっと私が噴き出したのを皮切りに、ギルも吹き出して笑った。


 おかしい。だけど、とても愛おしい。


 こんな些細な一瞬が、どうしようもなく愛おしく感じる。



 ひとしきり笑いあった後、きょとんとするハンナに微笑みかけた。お腹すいたね? と言うと、思い出したかのようにまんま! と繰り返す。それと同時に、ぐうとギルのお腹も音を奏でた。


「ふふっ、なら食べよっか?」

「だな」

「な!」


 三人で手を合わせて、いただきますを言う。

 

 それから、私は大好きな二人のために頑張って作ったお昼ご飯を、バスケットから取り出した。



 ずっとずっと、こんな時を過ごしていきたい。

 あなたと、私と。それから、愛しい我が子と。



 そう、強く思った。





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