煙の来る場所
『死亡予告
明日夜半、花嫁ミレイユ・ローデンは施錠された皇后寝室で煙を吸い死亡する』
五通目の黒い封書に記された全文を、私は声に出してもう一度読んだ。
皇帝と近衛兵たちが聞き終えるまで、誰も動かなかった。
「寝室へ入らなければよい」
近衛兵の一人が言う。
それが最も安全に思える。けれど、私はうなずかなかった。
「今夜から東の客室で眠ると宣言します。ただし明日の夜半だけは、皇后寝室へ戻ります」
「なぜ戻る」
皇帝の声は低かった。
「煙の仕掛けが残れば、いつか別の誰かが死にます。寝具を整える侍女か、掃除に入る下働きかもしれません。それに、発行された後で私が居場所を変えたとき、封書がどう反応するのか確かめたいのです」
封書は毎朝一通だけ現れる。
けれど、現れた後に条件が変わった場合、文面まで変わるのかは分かっていない。
「危険を承知で入ることを、私は命じられない」
「命じていただくつもりはありません。私が選びます。ただし、陛下にも協力していただきたいことがあります」
「言え」
「隣室にいてください。私が壁を三度叩いたら、近衛兵と一緒に入る。それまでは、煙が見えても扉を壊さないでください」
皇帝の眉間に深い皺が刻まれた。
寝室には隣室へ通じる扉がある。彼がそこにいれば救出は早い。しかし、仕掛けが作動する前に踏み込めば、実行役は気づいて逃げるだろう。
「おまえが合図できなくなったら?」
「扉の下から煙が漏れたときは、待たずに入ってください」
「一度でも咳が聞こえた場合も入る」
条件を加える彼に、私はうなずいた。
「分かりました」
彼は私を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「ならば、私も自分の意思で隣室にいる。おまえの判断を尊重するが、おまえを一人で死なせることには同意しない」
その言葉に、張り詰めていた胸がわずかにほどけた。
守られるだけではない。私の選択を奪わず、その結果を共に背負おうとしてくれている。
「はい。私も、陛下に助けを求めることをためらいません」
その日のうちに、私は東の客室へ寝具を移させた。
移動したことを侍従、侍女、近衛兵の全員へ告げ、記録にも残す。それから一刻ごとに黒い封書を確認したが、文字は一つも変わらなかった。
『施錠された皇后寝室』
私が別室で眠ると決めても、その一行は残り続けた。
夕刻、皇帝と寝室を調べた。
窓、暖炉、燭台、天蓋、床板。記憶にある婚礼初夜の光景と、一つずつ比べていく。
窓の留め金は同じ。扉の鍵にも傷はない。暖炉の灰は取り除かれており、薪も置かれていない。
「火がないのに、煙が入るのでしょうか」
私は暖炉の奥へ灯りを向けた。
煙道は上へ続いている。隣室の暖炉と一本の大煙突へ合流する古い造りだと、宮殿の図面に記されていた。
そのとき、煤のついた石壁に細い擦り傷を見つけた。
婚礼の夜、暖炉の奥は均一に黒かった。今は横一文字の新しい傷が走り、その下に鉄の端がのぞいている。
「ここに何かあります」
皇帝が手を伸ばしかけ、止めた。
「触れてよいか」
私たちは互いの所持品を検査すると決めた。けれど、危険な仕掛けを前にしても、彼は私のいる部屋へ勝手に手を入れようとはしなかった。
「お願いします。ただし、動かさないでください」
彼が火掻き棒で煤を払うと、煙道を塞ぐ鉄板が現れた。端には細い鎖が結ばれ、壁の穴を通って外へ伸びている。
「煙道の弁か」
「本来のものではありません。昨日までは、こんな擦り傷はなかった」
鎖を引けば鉄板が傾き、上へ昇る煙を寝室側へ押し戻す。そのうえ窓と扉を施錠すれば、予告どおりの密室が完成する。
壁の穴の先は、侍女用の狭い通路だった。
近衛兵が調べたが、鎖の先に実行役はいない。代わりに砂を詰めた袋と、蝋で留められた紐が見つかった。隣室の暖炉が熱くなれば蝋が溶け、袋が落下して鎖を引く仕組みだった。
誰もその場にいなくても、夜半に弁は動く。
「外套の粉と同じだ」
皇帝が言った。
「人ではなく、時刻に働かせる仕掛けか」
私は紐の蝋に鼻を近づけず、灯りだけで確かめた。
「この仕掛けは残しましょう。作動させてから壊します」
「ミレイユ」
「煙がどこから来るかを見届けます。でも、少しでも予定と違えば合図します」
恐ろしくないわけではなかった。
煙に満たされた部屋を想像すると、喉が狭まり、指先が冷たくなる。それでも、隣室には私の合図を待つ人がいる。
一人で恐怖に耐える必要はない。
翌日の夜、私は濡らした布と火掻き棒を持って皇后寝室へ入った。
皇帝は約束どおり隣室に残った。扉越しに、互いの位置を確かめるため一度ずつ壁を叩く。
扉を施錠したのは私自身だった。
夜半まで、あとわずか。
隣室の暖炉には近衛兵が薪を入れている。煙道へ十分な煙を送りながら、いつでも消せるよう水も用意してある。
やがて、鐘が十二度鳴り始めた。
六つ目の音と同時に、壁の中で蝋の留め具が外れる音がした。
砂袋が落ちる。
鎖が走り、鉄板が激しく軋んだ。
次の瞬間、暖炉の奥から黒煙が噴き出した。
私は濡れ布で口を覆い、床へ膝をついた。目が痛い。息を浅くしながら火掻き棒を鉄板の隙間へ差し込む。
壁を三度叩けば、皇帝が来る。
けれど、まだ壊すべき箇所が見えていない。
煙に目を細めたとき、鎖を留める金具の根元に、婚礼の夜にはなかった白い漆喰を見つけた。金具は石ではなく、後から塗り固めた脆い部分へ打ち込まれている。
私は火掻き棒を振り上げ、白い根元へ叩きつけた。
一度。ひびが入る。
二度。金具が浮く。
三度目で漆喰が砕け、鎖ごと弁が煙道の奥へ落ちた。
轟音とともに空気が上へ吸い上げられ、部屋に満ちかけていた煙が逆巻く。
その直後、扉の外から鍵を回す音がした。
私は息を止めた。
入ってきたのは実行役ではない。夜着姿の若い侍女だった。
「皇后陛下、お呼びでしょうか」
「呼んでいません。すぐに廊下へ!」
侍女は驚いて立ち尽くした。手には、私の呼び出しを告げる札がある。
もし私が煙から逃げただけなら、この侍女は偽の呼び出しに従って部屋へ入り、残った仕掛けの犠牲になっていた。
私は彼女の腕をつかみ、一緒に廊下へ出た。
同時に隣室の扉が開き、皇帝が濡れた外套を抱えて駆け込んでくる。
「ミレイユ!」
「仕掛けは壊しました。この方も無事です」
そう答えた途端、膝から力が抜けた。
皇帝は私の身体を受け止めたが、抱き上げる前に尋ねた。
「運んでよいか」
煙で声が出ず、私は彼の胸元をつかんでうなずいた。
彼の腕に支えられて廊下へ出る。息苦しさは残っていたが、意識ははっきりしている。侍女も咳き込んではいるものの、自分の足で立っていた。
やがて十二度目の鐘が鳴り終わった。
私は死ななかった。
封書が現れた後、眠る場所を変えると公言しても、文面は変化しなかった。予告された仕掛けを壊し、死を回避した次の朝になって初めて、別の一件へ更新される。
新たな規則が確かめられた。
そして敵は、皇后寝室へ通じる隠し通路と自動仕掛けを失った。偽の呼び出し札も証拠として押収された。
その夜、皇帝は約束どおり隣室で朝まで過ごした。
私の寝台へ入ろうとも、扉を開けたままにしろとも言わなかった。ただ壁の向こうから、ときおり短く一度だけ音を返してくれた。
そのたびに私は、自分が一人ではないと確かめて眠った。
翌朝、煙の臭いがわずかに残る机の上へ、六通目の黒い封書が現れた。
『死亡予告
明日夕刻、皇帝は礼拝堂で炎に包まれ焼死する』
読み終えた私の背後で、皇帝が告げた。
「明日は先帝の命日だ。夕刻、私は礼拝堂へ入り、一人で祈りを捧げることになっている」
(第6話へ続く)




