切り開かれた外套
黒い封書には、こう記されていた。
『死亡予告
明日夜半、花嫁ミレイユ・ローデンは皇帝より貸し与えられた外套によって窒息死する』
私は封書を机の中央へ置き、椅子に掛かった濃紺の外套から距離を取った。
破損すれば、死の時刻がその瞬間まで繰り上がる。だから封書にはもう触れない。けれど、外套のほうは違う。
皇帝より貸し与えられた外套。
予告どおりなら、これが明日の夜半に私の呼吸を奪う。
首を絞める紐になるのか。顔へ押し当てられるのか。それとも、重い布で寝台ごと覆われるのか。
考えるほど、昨夜まで私を温めてくれたものが恐ろしく見えた。
ほどなく扉が開き、皇帝が近衛兵二人を伴って入ってきた。腰に剣はない。独房へ来たときと同じく、私を怯えさせる武器を持ち込まなかったのだ。
彼は黒い封書を読み、次に外套を見た。
「誰かが触れたか」
「いいえ。目を覚ましてからは、誰にも」
「おまえも?」
「触れていません」
皇帝はすぐに近衛兵へ窓を開けるよう命じた。暖炉の火も落とされる。冷たい朝風が入り、薄い寝衣の腕に鳥肌が立った。
「なぜ切り開けと?」
「婚礼の日、この外套が翻ったところを見ました」
私は椅子へ近づかず、裾を指した。
「裏地の縫い目は、銀の房飾りの手前で終わっていました。けれど今は、その先に新しい縫い目があります。糸の色は同じでも、針目の傾きが違います」
皇帝が目を細める。
「一度見ただけの縫い目を覚えているのか」
「私は、見たものを忘れません」
祝宴の給仕が火傷した手を偽ったことも、彼の剣を持つ者が別にいると気づけたことも、すべてこの記憶のおかげだった。
けれど今回は、その記憶を証明するために帝国の紋章を傷つけなければならない。
外套の胸元には、皇帝の権威を示す紋章が銀糸で縫い取られている。敵国から来た人質花嫁が、それを切り裂けと求めたのだ。命令一つで不敬罪にされてもおかしくない。
「もし何も出なければ、私を罰してくださって構いません」
「何も出なければ、おまえが間違えたというだけだ」
皇帝はためらわず答えた。
「間違いを口にすることまで罪にすれば、次に正しい警告をする者もいなくなる」
彼は近衛兵から短刀を受け取った。
「ただし、切るのは私だ。これは私の持ち物で、許可を出すのも私だからな」
私は息をつめた。
彼が守ろうとしているのは、外套ではなかった。これを切り裂いた責任が私へ向かわぬよう、自分の手で引き受けようとしている。
「離れていろ、ミレイユ」
名前を呼ばれ、私は素直に窓辺まで下がった。
皇帝は手袋をはめ、外套を床へ広げる。刃が裾の縫い目へ入った。
布の裂ける音に胸が痛んだ。
私を冷気から守った濃紺の布が開かれ、裏地の隙間から細長い袋が現れる。袋は髪の毛ほど細い糸で幾つも仕切られ、中には灰白色の粉が詰まっていた。
近衛兵の一人が息を呑む。
皇帝は粉へ触れず、短刀を引いた。
「薬を扱える者を呼べ。ただし侍医長には知らせるな。薬庫の記録と照合させろ」
その命令を聞いて、私は彼も侍医長を疑い始めたのだと悟った。祝宴で誰より早く私の拘束を主張した男。今はまだ証拠がない。それでも、皇帝は疑念を見過ごさなかった。
呼ばれた薬師は、粉の一粒さえ素手で扱わなかった。外套ごと透明な覆いへ収め、ごく少量だけを密閉した硝子器へ移す。器の底を温めると、粉は煙も残さず消えた。
「熱で気化します。吸い込めば喉と肺が急激に縮み、息ができなくなります。多量なら、効いてから救う術はありません」
私は消えた粉の跡を見つめた。
外套は寝室の暖炉に近い椅子へ掛けてあった。夜になれば侍女が火を強め、窓を閉める。明日の夜半には、温められた粉が部屋中へ広がっていたはずだ。
私は外套を身につけなくても死んだ。
誰かがこれで首を絞める必要もない。
「封書は、誰の犯意かを告げているのではないのですね」
私がつぶやくと、皇帝がこちらを向いた。
「剣のときと同じか」
「はい。剣の持ち主ではなく、胸を貫く武器を記した。今回も、外套を貸した陛下ではなく、私を窒息させる物そのものを記したのでしょう」
所有者も、実行者も、善意も悪意も関係ない。
封書が示すのは、死へ至る最後の物理的な原因だけなのだ。
その規則を誤れば、私は皇帝が外套で直接殺しに来ると思い込み、彼から逃げていただろう。そして外套を置いた寝室へ戻り、見えない毒を吸って死んでいた。
「私はまた、陛下を疑いかけました」
正直に告げると、皇帝は責めなかった。
「疑え。私の物も、私の命令も」
「ですが――」
「疑ったうえで確かめろ。私も、おまえの記憶をただ信じるのではなく、縫い目と中身を確かめた。それでいい」
彼は切り開かれた国章へ目を落とした。
「紋章は縫い直せる。失った命は戻らない」
その言葉が、冷えた胸の奥へゆっくり染み込んだ。
私はこの国にとって、交換可能な人質にすぎないと思っていた。祖国からも「価値はない」と見捨てられた花嫁だ。
けれど彼は今、帝国の紋章より私の命を優先した。
信じ切るには、まだ知らないことが多すぎる。それでも、恐れるだけだった昨日までとは違う。
私は彼となら、疑うことさえ共にできるかもしれない。
「一つ、取り決めを結んでいただけますか」
「言ってみろ」
「これからは食事も衣服も、陛下と私の所持品は互いに検査できるようにしてください。疑われたと怒らず、拒む場合は理由を告げる。私室へ入る必要があるときは、本人の同意を得るか、立会人を置くこと」
皇帝は考えるように一度だけ目を伏せた。
「おまえにも同じ権利を認める。私の名を使って検査を妨げる者がいれば、私へ直接知らせろ」
「陛下ご自身が拒んだ場合は?」
「そのときは、おまえが私を止めろ」
差し出された手に、今度は迷わず自分の手を重ねた。
これは服従の誓いではない。
互いを確かめ、互いに止めるための約束だった。
粉と外套は別々の密閉容器に封じられ、冷えた石造りの証拠庫へ運ばれた。暖炉の灰、椅子、寝室へ出入りした者の記録も押収された。外套へ細工した者はまだ見つからなかったが、敵は皇帝の身近な品へ触れられる経路を一つ失った。
翌日の夜半、私は窓を開けた別室で皇帝と向かい合っていた。
鐘が十二度鳴り終わる。
呼吸は苦しくない。喉にも異変はない。
予告された死は、また回避された。
そして次の朝。
二人で見守る机の上へ、四通目の黒い封書が音もなく現れた。
『死亡予告
明日正午、捕らえられた給仕は病により死亡する』
今度の対象は、私を殺そうとした男だった。
それでも死なせれば、彼の口から命令者を聞き出す機会は永遠に失われる。
私は封書を皇帝へ預けると、地下牢へ走った。
鉄格子の向こうで、給仕は毛布にくるまり震えていた。
その額は、すでに焼けるほど熱かった。
(第4話へ続く)




