鍵穴の向こう
朝の光の中で、私は二十五通目の封書をもう一度読んだ。
『死亡予告
明日午前十時、ミレイユ・ローデンは、皇帝から託された鍵で第七保管室を開いた直後、鍵穴から放たれる毒針により死亡する』
黒い紙を傷つけないよう、机の中央へ戻す。
右手には、第七保管室の鍵がある。
昨夜、皇帝が私を信じて預けてくれたものだ。その信頼まで毒に変えられたようで、指先が冷たくなった。
「鍵を置いてもいい」
向かいに立つ皇帝が言った。
「保管室ごと封鎖することもできる。調査のために命を賭ける必要はない」
命令ではなかった。私が渡すのを待つように、彼は手さえ伸ばさない。
私は鍵の歯、軸、持ち手を順に見た。昨夜受け取ったときと変わっていない。持ち手の端にある浅い傷も、真鍮札を外した跡も記憶どおりだ。
「予告は、鍵に毒があるとは書いていません」
「鍵穴から放たれる、とある」
「はい。仕掛けは扉にあります」
鍵を置くことは簡単だった。別の鍵を作り、扉を壊し、保管室へ入らないまま封じてもいい。
けれど、それでは誰が、いつ、何の権限を使って罠を仕込んだのか分からない。第七保管室には、オクタヴィアが奪った中核黒紙へつながる記録が残っているかもしれない。
そして何より、私はこの鍵を恐怖だけの記憶にしたくなかった。
「調べます。ただし、二人で決めた手順に従います」
「途中でやめたくなったら?」
「私がそう言った時点でやめます」
皇帝は短くうなずいた。
「その言葉を最優先にする」
私たちは封書そのものではなく、第七保管室の修繕記録から調べた。
扉は摂政時代に一度だけ交換されている。ところが、交換理由は『蝶番の摩耗』なのに、記録された費用には錠前一式と鋼製ばねが含まれていた。
さらに三日前、廃止された文書管理印を使った点検命令が出されていた。署名した保管係は、命令書を見たことすらないと証言した。
偽造された命令で、誰かが再び扉へ触れている。
設備係が扉の外枠を慎重に外すと、新しい削り粉が落ちた。鍵穴の上縁に見える細い飾り溝から、油の匂いがする。
隣室側の石壁を一枚だけ外し、錠前の側面を露出させた。
中には、鍵の最後の一回転で留め金が外れる小さなばねがあった。ばねの先には黒ずんだ細針が収められ、鍵を回した者の手首へ向かう角度で据えられている。
判別液を一滴落とすと、針は紫黒く変色した。
「刺されれば助からない量です」
薬を調べた者の声に、皇帝の表情が固くなる。
蘇生も、すべての毒を消す治療もない。だから、刺されてから救うのでは遅い。
私は罠の構造を紙へ写した。ばね、留め金、針の射線。昨日の鍵の受け渡しを見ていた者なら、私が自分で扉を開けると予想できたはずだ。
「私から鍵を取り上げたいと思いましたか」
思わず尋ねると、皇帝はしばらく黙った。
「思った」
正直な答えだった。
「だが、それをすれば、君を守るという名目で君の判断を奪う。私は、その間違いを選びたくない」
「怖くても?」
「怖いからこそだ」
その言葉で、胸の奥に張りついていた冷たさが少しほどけた。
皇帝から託された鍵。
封書はその言葉を、私の死へ至る条件として記した。けれど鍵を託した行為そのものに、私を殺す力があるわけではない。
以前、封書が役職を条件として記したことがあった。今度は人と人との関係まで、実行役が想定した経路の目印として記しているのだ。
信頼は死因ではない。
信頼に敵が仕掛けを重ねたのなら、その物理的な結びつきだけを断てばいい。
私たちは針を抜かず、先端だけを丸めた同じ重さの針と交換した。さらに鍵穴の周囲へ鋼板を取り付け、射線上に厚い革を重ねる。鍵には長い鉄の柄を接続し、鋼板の陰から回せるようにした。
どちらか一つが失敗しても、もう一つが針を止める。
翌朝、午前十時前。
第七保管室の前には近衛兵と設備係、記録係が立ち会った。封書は傷一つない状態で、離れた閲覧台の上に置いてある。
私は鋼板の陰へ入り、鉄の柄に手をかけた。
皇帝は私の隣に立ったが、柄には触れなかった。
「まだ、やめられる」
「開けます」
答えたあと、私は彼の袖をつかんだ。
「ただ、ここにいてください」
「いる」
それだけでよかった。
十時の鐘が鳴り始める。
一つ目。
鍵を差し込む。
二つ目。
最初の角度まで回す。
三つ目。
手のひらに汗がにじんだ。鉄の柄が、ひどく冷たい。
私は一度だけ息を吸い、最後まで回した。
錠が外れる。
直後、乾いた音が鋼板の向こうで弾けた。
丸めた針が鍵穴の上から飛び出し、革へ突き刺さって止まった。
私の手首には届かない。
扉が、ゆっくり内側へ開いた。
十時の鐘が鳴り終えても、私は自分の足で立っていた。
二十五件目の死は回避された。
封書が人から託された物を記すとき、それは託した者に殺意があるという意味ではない。実行役が、その受け渡しのあとに成立すると見込んだ経路を示しているだけだ。
関係を記されても、関係そのものが呪われるわけではない。
「手を見せてくれ」
皇帝が言った。
私は自分から右手を差し出した。彼は触れる前に私の目を見た。
「確かめても?」
「はい」
指先から手首まで傷がないことを、彼はゆっくり確かめた。その手が震えているのを見て、私も彼の手を握り返した。
怖かったのは、私だけではなかった。
それでも彼は、私の選択を奪わなかった。
第七保管室には、廃止された誓約書が年代順に積まれていた。奥の棚からは、黒い紙を保管していた形跡のある七つの空箱と、持ち出し記録の控えが見つかった。
その中に、今日の罠を仕込むための偽造点検命令もあった。廊下の物陰で成否を確かめようとしていた書記の袖から、錠前と同じ真鍮の削り粉が検出され、身柄が押さえられた。
これでオクタヴィアは、廃止文書の管理権限を装って保管室へ入る経路を失った。
私は一番新しい持ち出し記録を開いた。
七つの空箱のうち、六つには持ち出し先が記されている。けれど最後の一つだけ、行き先が削り取られていた。
その下から、別の紙が見つかった。
『伴侶証人の異議に備え、廃止誓約書一式を皇帝執務室へ移送すること』
命令の日付は今日。末尾には、私の署名が写されていた。
もちろん、私は署名していない。
翌朝、二十六通目の封書が現れた。
『死亡予告
明日午後一時、皇帝は、ミレイユ・ローデンが第七保管室から持ち出した廃止誓約書を開いた直後、毒煙により死亡する』
読み終えるのと同時に、扉の外で切迫した声が上がった。
「陛下の執務室へ、ミレイユ様の命令だという黒い文書箱が運び込まれました!」
私は封書を皇帝へ渡し、廊下へ駆け出した。
(第26話へ続く)




