帰らない自由
『死亡予告
明日午後四時、皇帝は、祖国への帰還を拒絶したミレイユ・ローデンを庇い、公開謁見の場で毒針により死亡する』
私が残ると告げれば、皇帝が死ぬ。
二十四通目の封書は、私の選択と彼の命を一本の毒針で縫い合わせていた。
皇帝が公開謁見の中止を命じるより先に、私は言った。
「謁見は開いてください」
「お前が帰らないと告げる必要はない。沈黙しても、祖国へ引き渡しはしない」
「それでは、私はまた守られるだけです」
懐には、帰国と婚姻解消を申し立てるための白紙がある。署名する自由も、署名しない自由も、彼は私へ返してくれた。
けれど死を避けるために沈黙すれば、今度は封書が私の答えを決めたことになる。
「私は帰らないと、自分の声で告げたいのです。ただし、陛下に死んでいただくつもりもありません」
「両方を選ぶと言うのか」
「これまでと同じです。先に、死へ至る仕掛けを壊します」
皇帝は長く私を見たあと、封書を机へ戻した。
「分かった。ただし調査の間も、明日の謁見でも、危険だと思えば中止する。私だけで決めず、お前にも告げる」
「私も、無理に続けません。二人で決めましょう」
逃げないことと、命を粗末にすることは違う。
その境を、私たちは互いに確かめた。
公開謁見では、祖国の正使が帰還要求を読み上げ、私は玉座の前で回答する。皇帝は私の斜め後ろに立つ。
毒針が私を狙えば、彼は一歩で間へ入れる位置だった。
封書の『庇い』は、敵が彼の行動を予想しているということだ。
謁見の間に運び込まれる物はすべて調べられた。正使の書状、書記のペン、壁際の長椅子、敷物の下まで確認したが、針を飛ばす仕掛けは見つからない。
最後に、公開謁見の開始と終了を告げる銀の杖が運ばれてきた。
杖を持つ役人が石床へ石突きを下ろす。
鈍い音がした。
私はその音を知っている。
婚礼の誓約直前、同じ杖が三度鳴らされた。あのときは、高く澄んだ音が天井まで響いた。銀の輪の数も、鷲の頭を模した握りの形も同じだ。
それなのに、今日は音だけが違う。
「その杖を置いてください」
役人の肩が動いた。
「これは公開謁見の儀礼具です。開くことは――」
「だから調べるのです」
近衛兵が杖を受け取り、設備係が石突きの継ぎ目を外した。
中には、細い鋼の筒と圧縮されたばねが隠されていた。鷲の右目を押すと留め金が外れ、筒から針が射出される構造だった。
入っていた針は一本。
水を垂らした布へ触れさせると、紫黒い染みが広がった。
医師は針先を覆いながら首を振った。
「胸へ刺されば、処置は間に合いません」
治療で救える毒ではない。
刺さる前に止めるしかなかった。
杖を予定の位置へ立て、筒の角度を測った。狙われていたのは皇帝ではない。明日、回答を述べる私の胸だった。
だが私が狙われれば、皇帝は間へ入る。
その瞬間、毒針は彼の胸へ刺さる。
封書が告げる死者は、仕掛けが最初に狙った者とは限らない。登録された計画が、周囲の行動まで見込んだ末に死ぬ者を選んでいるのだ。
敵は私を餌にした。
そして、彼が私を庇うと信じていた。
胸の奥に怒りが湧いた。彼の思いを疑ったからではない。彼が私を守ろうとする心を、機械の歯車の一つとして扱われたことが許せなかった。
「針を抜いて、先端を潰した鉄針と入れ替えます」
私は言った。
「杖を使う役人は複数います。今捕らえれば、誰が鷲の目を押すはずだったのか分かりません」
「ならば、押させる」
「陛下にも鎧を着けていただきます」
皇帝は頷いた。
「それと、私が合図するまで前へ出ないでください」
彼の眉が寄る。
「針が放たれてからでは遅い」
「毒針はもうありません。それでも陛下が先に動けば、実行役は仕掛けを作動させないでしょう。捕らえられなければ、別の針が別の日に使われます」
私は彼の目を見た。
「私を信じて、待ってください」
彼は苦しげに息を吐いた。それでも最後には答えた。
「分かった。お前の合図で動く」
翌日、謁見の間には帝国の重臣と市民の代表が集められた。
午後四時を前に、祖国の正使が帰還要求を読み上げる。
私は玉座の前へ進んだ。皇帝は約束どおり、斜め後ろで足を止めている。
銀の杖を持つ役人は、私の右側に立っていた。
恐怖は消えなかった。
けれど、恐怖があるままでも選ぶことはできる。
「私は祖国へ帰りません」
ざわめきが広がった。
「私は人質として送られ、ここへ来るかどうかを祖国に尋ねられませんでした。だから今度は、帰るかどうかを自分で決めます」
懐から白紙の申立書を取り出し、誰にも署名されていない面を人々へ見せた。
「この権利は捨てません。明日、帰りたいと願う自由も持ったまま、今日は帝国に残ると選びます」
銀の杖を握る役人の親指が、鷲の右目へ重なった。
「今です!」
皇帝が前へ出る。
同時に、鋭い金属音が鳴った。
杖から鉄針が飛び、皇帝の胸へ当たる。儀礼服の下へ着けた薄い胸甲に弾かれ、針は石床を跳ねた。
近衛兵が役人を取り押さえる。
その右手の親指には、鷲の目へ塗っておいた青い顔料が付着していた。
言い逃れはできなかった。
役人の衣服からは、摂政時代に発行された儀礼具庫の副鍵と、毒針の交換時刻を記した紙片が見つかった。
副鍵は押収され、儀礼具庫は封鎖された。公開謁見に用いる品は、今後すべて近衛兵と設備係の立ち会いなしに持ち出せない。
オクタヴィアは、儀礼具を無検査で謁見の間へ入れる権限を失った。
午後四時の鐘が鳴り終えても、皇帝は立っていた。
二十四件目の死は回避された。
彼は集まった人々の前で、私の白紙を指した。
「帝国は、ミレイユ・ローデンが今日ここへ残る選択を守る。そして明日、その答えを変える自由も守る」
永遠を強いる宣言ではなかった。
だからこそ私は、彼の隣に立ちたいと思えた。
謁見を終えたあと、皇帝は人のいない控え室で私に尋ねた。
「触れてもいいか」
「今は、私から」
私は一歩近づき、胸甲を外した彼の胸へ額を預けた。腕を回すと、彼もゆっくり私の背へ手を添えた。
庇われたのではない。
同じ危険を知り、同じ手順に合意し、二人で生き残ったのだ。
捕らえた役人の副鍵には、『第七保管室』と刻まれた真鍮札が付いていた。そこには摂政時代の儀礼具ではなく、廃止された誓約文書が保管されているという。
皇帝は明後日の午前十時、私と共に中を調べることを決めた。
「この鍵を預けてもいいか」
「はい」
自分で答え、私は鍵を受け取った。
翌朝、二十五通目の封書が現れた。
『死亡予告
明日午前十時、ミレイユ・ローデンは、皇帝から託された鍵で第七保管室を開いた直後、鍵穴から放たれる毒針により死亡する』
その鍵はすでに、私の手の中にあった。
(第25話へ続く)




