第八十九話 最悪の、利害一致
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こういうとき。わたしは、自分の頭を使う気は、さらさらない。
「シャルティエ」
「はい」
呼べば、出てくる。
便利な舎弟、である。
正直に言うと。ここから先の話は、たぶん、わたしの手に負えない。
土地がどうの。井戸がどうの。そういう細かい詰めの話は、聞いているだけで、眠くなる。
でも。ここで「わかんないから代わって」なんて言ったら。王妃の威厳も、へったくれも、ない。
だから。いかにも、「私はあえて部下に任せているのよ」という顔で。シャルティエに、丸投げする。
丸投げを、采配と言い張る。
これが、処世術というものである。
* * *
そのシャルティエが。一歩前に出た瞬間。
顔つきが、変わった。
さっきまで。わたしを拝まんばかりの、ゆるゆるの信者面を、していたくせに。
すっと。仕事用の、能面に、なる。
「出張所の設置にあたって。いくつか、確認させていただきます」
「もちろんでございます」
「まず。土地と建物の、使用条件を」
「敷地の一角を、無償でお使いいただいて、構いません」
「無償、ですか」
「王妃様の御名を冠した病院を、お迎えできるとあらば。この教会にとって、これ以上の栄誉は、ございません。土地の一つや二つ、安いものです」
……あれ。
こいつ、なんでこんなに。できる男みたいに、なってんの。
普段のこいつは。わたしの後ろをついて回って。しょうもない冗談に、本気で感動しては。ときどき、勝手に泣いている。汗かきの、ぽっちゃりである。
わたしの中での格付けは。だいぶ下のほうに、置いていた。
なのに。今のこいつ、ときたら。
司祭の言葉の裏を、一つずつ、引っぺがして。確認事項を、潰していく。
完全に。できる官僚の、手つきだ。
そういえば、こいつ。もとは、財務局のエリート、だった。
……なんか。
無性に。腹が、立ってきた。
わたしだけが、この場で一番。何もわかっていない。理事長なのに。一番偉いはずなのに。
舎弟に、格の違いを見せつけられて。ぐぬぬ、となる。
器の小さい王妃で、本当に、申し訳ない。
* * *
「継続の支援については」
「毎月、一定額の寄付を、お約束いたします」
「ずいぶん、気前がよろしいのですね」
「信仰と、慈善の、ためです」
司祭が、にこりと笑う。
きれいな笑顔だ。きれいすぎて、かえって、虫唾が走る。
「ただ――この地の者たちにも。王妃様の慈善事業に、参加する喜びを。分かち合っていただくことに、なりましょう」
「参加?」
つい、口を挟んでしまった。
黙って座っていればいいものを。気になる単語が出てくると、つい、突っつきたくなる。
猫が、動くものに飛びかかるのと、同じ理屈、である。
「ええ。病院は、皆で支えるもの、ですから」
皆で、支える。
うわ、出た。きれいな言葉。
前世の学校行事でも、こういう言い方をする先生が、いた。「みんなで作る文化祭」。実際に手を動かすのは、一部の真面目な子だけで。言い出しっぺは当日、いいとこ取り。
「皆で」の「皆」に。たいてい、言ってる本人は、入っていない。
「その参加とやらは、具体的には」
今度は、シャルティエが、聞いた。
「ささやかな寄進でございます。無理のない範囲で」
無理のない範囲。
人に無理をさせるやつほど。この言葉を、使いたがる。
* * *
シャルティエの目が、すっと、細くなった。
「確認します。出張所の運営は、あくまで病院が行います。診療方針、薬品、会計、患者の受け入れ。教会側が口を出すことは、できません。寄付金も、病院の帳簿へ、直接いただきます」
司祭の笑顔が。ほんの一瞬。固まった。
瞬きしたら、見逃すくらいの。一瞬。
でも、見逃さなかった。
だてに王宮で。何百回と、作り笑いのひび割れを、観察してきたわけじゃない。
愛想笑いの鑑定だけは。われながら、玄人の域、なのだ。
「……もちろんでございます。教会は、場所をお貸しするだけ。運営に口を出すつもりなど、毛頭ございません」
こいつ。めちゃくちゃ、嫌がってる。
でも、飲む気だ。嫌がりながら、飲む。
顔に、全部、書いてある。
シャルティエ、やるじゃない。
金の流れも、運営も。ぜんぶ、こっちが握った。教会は、口も手も出せない。
うちの、完全勝利、である。
……ん?
いや、待って。
さっきの。「皆で支える」「村人にも寄進を」ってやつ。
あれ、結局、どうなったんだっけ。
シャルティエが守ったのは、あくまで。病院の帳簿、だ。病院に入る金は、教会に横取りされない。それは、わかった。
でも。村人が、教会に納めるぶんは――。
それは、病院とは。別の話、だよね。
……まあ、いいか。
村人と教会の、いざこざは。村人と教会の、問題だ。こっちは、土地と建物と運営費を、きっちり確保した。
それで、十分。
これ以上、他人様の懐事情に、首を突っ込んでも。胃が、痛くなるだけ、である。
* * *
「王妃様」
シャルティエが、こっちを見た。
判断しろ、という顔だ。
やめてよ、その顔。そういう目で見られると。まるでわたしが、責任者みたい、じゃない。
……いや、責任者なんだけど。一番偉いんだけど。
できれば永遠に。他人事で、いたかった。
わたしは、すうっと息を吸って。できるだけ王妃らしい、微笑みを、貼り付けた。
「……条件が整うなら。前向きに、検討します」
「ありがたき幸せに、ございます」
司祭が、深々と、頭を下げる。
その、つるりとした後頭部を、見下ろしながら。わたしは、胸の内で。自分と、相談していた。
この司祭は、はっきり言って、大嫌いだ。
痩せた村の真ん中で。一人だけ太って。聖人画の下で、ぬくぬく笑っている。
こういうやつが。わたしは、本当に、虫が好かない。
でも。金は、出す。たっぷり、出す。
土地も、建物も、寄付も。向こうから、差し出してくる。
そして。ここに病院ができれば。あの痩せた村の子供が。何人かは、助かる。
たぶん。
……よし。決めた。
嫌いな悪党だけど。金を出す悪党は。いい悪党ということに、しておこう。
気に食わない顔から、大金をむしれるなら。それはそれで。ちょっと、痛快ですらある。
そう自分に、言い聞かせて。
わたしは、二割増しで上品に。もう一度、微笑んでやった。




